存在異議 | 情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害な私

情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害な私

愛着障害、高次脳機能障害、情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害、左手指の麻痺

生きることは簡単ではありませんが、それでも生きていきたい。
そんな前向きな日々を過ごしていきたい。



自分というちっぽけな人間の存在意義とは如何なるものだろう。
これまでに受けた痛みや苦しみはきっと課せられた責務なのだと感じている中で、その責務をどの様な形で果たそうか。
世界には様々な職種が存在して、受けた痛みを書き起こし孤独を分け合う事も出来る。
話を傾聴し軽減させることも出来る。歌にし励ますことも出来る。
薬を選別して和らげることも出来る。

私の存在意義はきっとその中の何処かにあるのではなかろうかと考える。
人は自分の経験でしかものを語れない。憧れの他人にはなれないし、その人の気持ちにもなれない。
その人の苦しみも痛みもつらさもその人のものでしかなく、下手に共感も出来ない。
でも必ず私の半生は生かされ痛みもつらさも苦しみも無駄なものではなくなる時が来ると信じている。
それが私のエゴだとしても。

そこに存在意義を置いて死を迎えたい