情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害な私 -6ページ目

情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害な私

愛着障害、高次脳機能障害、情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害、左手指の麻痺

生きることは簡単ではありませんが、それでも生きていきたい。
そんな前向きな日々を過ごしていきたい。


B型にトラウマを抱え、通えない自分を割り切れず抑うつになって自傷をしたり自殺を企てたりしたけれど、7月頃には開き直り、気が向いた時しか通わずぷらんぷらんと遊び歩き心を自由にした結果、劇的に体も心も状態が良くなった。

親への拘り、執着、それ故のダメージはいつまでも慣れなかったのに、いつの間にか対処も出来るようになり、自傷もしなくなった。

波が安定し、毎日を気楽に楽しく過ごし、就労移行支援への通所も決まった。

時折、走る車を見ては「飛び込むと死ぬかな」なんて考えるし自殺というある種の希望は頭を離れないけど、この数ヶ月で私には家族が在り、友達が在り、これからの人生が在るという事を思い出すことが出来た。

寛解にはまだまだだけれど、就労移行支援という環境で今は再出発を頑張りたい
アームカットようの裁ち鋏を購入しました。

早速使用しました。

縦に切ると深く、ばっさりと切れるとのこと。

知識を得たので従って切りました。

ばっさりと傷が開きました。

真皮の下が黒いので、これはあと少しかな。

ともっと刃をめり込ませ切りました。

ささりませんでしたが、代わりに

脂肪がぽん、と出ました。

出血の量が少ないのも、刺さらないのも

納得いきませんが、慣れていけば

取り返しのつかない結果になれるかも

と期待しつつ次はもっと切ります。


初めて愛されたと感じた時の話。

精神的虐待を受けていた14歳の秋。

病気で生死をさ迷い

薬から解放され目覚めた時。

羊膜に居るような感覚の中

薄らと見える両親の泣き顔。

何を言われたかは分かりません。

有り触れた「助かってよかった」とか

ただ名前をひたすら呼ばれたのかもしれない。

想像に容易い反応であった事は確かでしょう。

脳が壊れた私は幼児退行しているので

謂わば誕生したばかりの赤ん坊に過ぎないです。

時間が流れ、少しずつ意識がはっきりとしてきた頃

この世界の汚れを知らない幼児のように

時に泣き時に笑う私。

毎日代わる代わる見舞いに来る親族家族に

14の時の私は「愛されてる」と

初めて感じました。

それまで虐待、いじめとボロボロになった精神に

初めての愛が心に浸透していくのを感じました。