座標軸の違う人間とは議論するな (父のアドバイス) | みたこと、聴いたこと、思ったこと等の 独り言。時々ですます調。 ブロックはご自由にどうぞ。

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創価学会は、元々は末法の御本仏日蓮大聖人の在家の信者の団体でした。
平成3年に日蓮正宗から教義逸脱等により破門され、今では 仏教的・平和主義的・人道主義的等の雰囲気を持つ 政治的な営利団体へと変貌しました。
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父は 数学や物理学が得意だった。

ダム建設・管理の技術者ということもあって 土木工学や 自然科学を 生涯にわたって愛した。



反面、生真面目で 寡黙であり、人間関係に困惑するところもあったようだ。

私には 2つ年上の兄がいる。

兄は 私とは違って 知能が高い。

デリケートで 子どもの頃は 身体が弱く、 

母の 無上の愛を受けて育った。


丈夫なことだけがとりえの私は、塾へも行かず 年中独りで遊んでいた。ブラブラしている私を 父は面白がって 鉈や斧・スコップや鏝・計算尺や定規等の 道具の使い方などや、 火のおこしかたや 魚釣りのコツなど 色々なことを教えてくれた。



そんな父の色々なアドバイスの中に

「座標軸の違う人間とは議論するな」

「相手の言い分に同意出来ない時は 座標軸が違うのだと諦めろ」

「3回確かめること。それで、お互いの物差しが違う事がわかる」

「あきらめるというのは、絶望するということではない。事実をありのままにみて理解するということだ。」

「座標軸が違っても 人として尊ぶこと」

ということがあった。


元来 不器用な私が 社会に出てみて、 様々な場面で どれ程 父の色々なアドバイスが役立ち 有り難かったかしれない。


さて、精神科医であり、医学博士の 片田珠美さんが しばしば「あきらめるとは、明らかにみること」と言われていて、なるほどと思う。


近年 精神科治療で あらゆる疾患に有効性が 認められてきている「認知行動療法」は 元々が仏法の「諸法実相」からきているとも言われている。

お薬ばかりに頼らない 心の根本治療である。



去年、御書の書写をしながら わからない言葉を調べて書き出していて、心を癒す意味で、眼から鱗のことが 何度もあった。

そのひとつ を書いてみる。

ー『懺悔』さんげについて ー

(ざんげというのは、慣用読み)


キリスト教の 懺悔 (confession) も 仏教の 懺摩 (ksama)さんま に由来している。

『懺悔』とは 懺摩の意味で 梵語の「懺」と漢語の「悔」を合成した言葉で、過去に犯した罪を 仏・菩薩・師長・衆人等に対して 発露し、開き述べることである。

仏説観普賢菩薩行法経に 

「一切の 業障海は、皆 妄想(もうぞう)より生ず、もし懺悔せんと欲せば 端座して 実相を思え 衆罪は 霜露の如し 慧日 能く消除す 」

と説かれ、最も根本の 大荘厳懺悔を説き明かしている。


すなわち、霜露のごとく 絶え間なく降り積もる あらゆる罪障は 妄想(もうぞう)から生じ その罪を懺悔しようと欲するならば、仏の悟りである 実相を思索せよという 意味である。

末法の御本仏 日蓮大聖人は、この『実相』を 三大秘法の大御本尊として顕された。

本門戒壇の大御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱え奉ることが 末法における大荘厳懺悔となるのである


御義口伝に 

「衆罪とは六根に於いて 業障 降り降る事は霜露の如し、然りといえども 慧日を以て 能く消除すと云えり、慧日とは 末法当今、日蓮所弘の 南無妙法蓮華経なり 慧日とは 仏に約し 法に約するなり」と仰せである。


また、三大秘法抄に

「三国並びに一閻浮堤の人 懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して 踏み給うべき戒壇なり」と仰せになり、


聖愚問答抄には 

「只 南無妙法蓮華経とだにも 唱え奉らば 滅せぬ罪やあるべき、来たらぬ福(さいわい)や有るべき、真実なり 甚深なり 是を信受すべし」

と教えられている。


良心の呵責だけでなく、あらゆる人間の 苦しみの根本原因を 正しく解決出来るのが 本来の信心である。


創価学会は 日蓮大聖人の名前だけを利用した 巨大マルチ商法であり 宗教のふりをした詐欺集団である。

脱会者が「宗教をやめた」「信心をやめた」と思っているのは 間違っている。創価学会は 破門されてからは 宗教的な雰囲気を持つ 団体へと変貌した。実際やっていることは 信心ではない。

選挙運動や 新聞・チケット等の拡販と 構成員を増やす活動である。


脱会しただけでは、正しい仏法を知らない 俗衆増上慢のままで救われない。むしろ 偽薬効果を失い 混乱し 「親や仲間を裏切った」などの 良心の呵責に苦しんだり 創価学会にも良いところもあったなどと迷う。どんどん心身は病み、宗教の専門家ではない精神科医や カウンセラーの御世話にならねばならなくなる。ともすれば、投薬は わんこそばのように 永遠に続く。


私自身、創価学会員だった間は 良くない事ばかりが次々起きて 労災とパワハラ等で 適応障害となり 10年精神科医の投薬を受けた。ところが 御書の書写をして 五座三座の勤行を欠かさず行い、本門戒壇の大御本尊を信じ奉り 三宝一体、 信仰の専門家であるご住職様を敬うことによって 全く健全な精神状態を取り戻すことが出来た。



総本山大石寺にこそ 日蓮大聖人の仏法は 護られているのである。


 日蓮正宗ホームページ