【2022年10月13日(木曜日)】※六泊七日、中山道六十九次めぐりの旅!5日目
8:27【軽井沢駅】へ、到着!
 


前回は、【軽井沢駅】から見た、スキー場が気になって行き、スキー場内の喫茶店で、【モーニングサービス】食べたいけど!


やはり、【軽井沢駅】まで来たら、本当は事件から50年目の、あさま山荘事件の【あさま山荘】へ、再度行きたかったなっ!。1960年代の学生運動の【安保闘争】や、【ベトナム戦争】の反戦運動や、赤軍派・連合赤軍の、戦後の昭和の時代の背景が解るから!
 


 



【軽井沢本通り】
8:36【信濃毎日新聞社軽井沢支局】

【信濃毎日新聞社】松本本社の宮下さん(当時御嶽海担当。凄いのがいますよっ!と、宮城野部屋の炎鵬も三段目の、この時に教えてもらっていた)と、両国国技館の前で知り合ってから、早いもので5年。信濃毎日新聞と聞くと、立ち寄ってしまう、癖が付いている!(やはり長野県出身が、こう言う時に出る)w


支局は、改装中だねっ!。渋沢栄一の生誕地【中ん家】と同じだっ!w


【2020年11月17日(火曜日)】十五泊十六日!おまかせコース・気まぐれ旅!二日目
あっ!、『信濃毎日新聞』。『御嶽海』の記事を担当してる、宮下さんの会社だ!
『支所』?(信濃毎日新聞社松本専売所沢村営業所)
わざと、『和風建築』に?
次の目的地、『美ヶ原』は、真っ直ぐ!
『♨浅間温泉』あるじゃん!
また、『信濃毎日新聞』の支所!(信濃毎日新聞社松本専売所本郷営業所)

そんな、信濃毎日新聞の営業所を、思い出した!

【軽井沢銀座通り】(旧中山道)
🍁紅葉が綺麗な、【旧中山道】
【旧中山道】(京方面)
【軽井沢宿】へ、到着!(犬山出発から630.0km5日目18.0km)※8:42〜9:03滞在時間21分間
【旧中山道】(江戸方面)
【軽井沢写真館】。澤の字が旧文字だし、寫の字も旧文字で、古さを感じる!


昔の、【古き良き軽井沢】の写真でも見られるかな?と、思ったら、花嫁の写真ばかりだった!w

花嫁は、夜汽車にのって、軽井沢まで嫁いで来たのか?。【瀬戸の花嫁】ちゃうちゃう、【軽井沢の花嫁】それも、ちゃうちゃう。はしだのりひことクライマックスの【花嫁】(1971年)じゃん!

春日山【神宮寺】



【旧中山道】の奥まで、行ってみよう!
何かが、あるぞ?
【芭蕉句碑】
さらに、奥へと進む!。しかし、Uターン!w



古そうな旅館だなっ!
御宿【つるや】






門の奥は、庭園になっていて、朝からテラスで、女性客達が、くつろいでいた!

【軽井沢宿】を、あとにする!



いよいよ、【浅間山】か?
【軽井沢宿】を、後にしたと思ったら?
ここは???
ここが、【軽井沢宿本陣跡】なんだ!
個人の御自宅に、なってる!




【上田】まで、あと36km!。真田幸村の【上田城】に、行きたい気持ち!



【沓掛宿】(中軽井沢)へ、到着!(犬山出発から634.1km5日目22.1km)※9:18〜9:35滞在時間17分間
【脇本陣蔦屋跡】

沓掛宿(くつかけしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から数えて19番目の宿場。

木曽海道六十九次 沓掛(渓斎英泉画)

現在の長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢にあたる。

古代の長倉牧の跡とされ、1535年に追分諏訪神社に奉納された大般若経にある「長倉沓懸」が初出。「沓掛」の名は、難所であり荒天時は人も荷も足止めされた碓氷峠の入口であることに由来し、両隣の軽井沢宿および追分宿と共に浅間三宿と呼ばれて栄えた。また、草津温泉に向かう分岐路もあった。甲府藩や小諸藩の領有を経て1716年以後は公儀御料となる。

1875年に借宿村との合併により長倉村、1889年に軽井沢村・峠町などと合併して東長倉村となるが、軽井沢が避暑地として著名となったために1923年の町制施行を機会に軽井沢町と改称した。この間の1910年に信越本線の沓掛駅が開業する。

しかし1951年の大火で町の殆どを焼失したため、往時の様子を伝えるものはほとんど残っていない。その後は1956年に沓掛駅が中軽井沢駅と改称したのを機に地名も中軽井沢と改称、以後別荘地や避暑地として発展している。


現在の道路より、【脇本陣】が奥にあるという事は、【旧中山道】も、奥だったという事か!




【八十二銀行】が、本陣跡なのか?



中山道六十九次、19番目の宿場町【追分宿】へ、続く


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