私のスマホ、もう限界です!
今回の東京でも何度も勝手にシャットダウンしました。
それもいいタイミングで写真を撮ろうとした時に限ってシャットダウン。
あと各アプリの起動がめっちゃ遅い、危うく1日半ぐらいかかるのではないか?というぐらい遅い。
まぁその兆候は東京前からあったので騙し騙し使っていたのですがもう限界、スマホ買い替えます。
5年7ヵ月、よく頑張ってくれました、グッジョブ
さて、東京マラソンの振り返りです。
中央通りの32キロエイドで楽しみにしていた人形焼き(あんなし)をゲット!
パクッと食べたら口の中の水分が全部吸収されてしまったので慌てて水で流し込みました。
服薬かっ!
ってことで味も何もわからなかったです。
(◞‸◟)
エイドでは自分のゼッケンナンバー末尾の数字のテーブルで取ることになっていたのですが途中から番号関係なく「取れるタイミング、近寄れるスペースがある時に」取っていました。
むしろその方が安全でした。
33キロ、銀座に入りました。
銀座一丁目。
超一等地の地面をガシガシ踏んで走る。
「どんなお店があるんやろう?」とキョロキョロしながら走りました。
ドキュメント72時間で出て来たお菓子屋さんは?
強盗に入られた貴金属屋さんは?
銀ブラならぬ銀ラン、完全におのぼりさん状態でした。
和光の前を曲がるとSEIKOのアレが見えた!
ちょっと見にくいので
ゴール後に大手町駅に向かう途中にあったポスターを撮りました。
自分を更新しよう!
うん、私はもうとっくに更新したよ。
何を更新したかというと、
コロナ前までは常にタイムとの戦いだった私。
「サブ4が当たり前、サブ4しなくてはいけない」という目に見えない足枷を脚と心にグルグル巻きつけながら走っていました。
必死のパッチで走ったあの大会この大会、確かに「記録」としては満足していましたが「記憶」としては曖昧にしか残っていませんでした。
別にサブ4できなかったとしても命までとられるなんてことないんですけどね。
逆にサブ4しようとして命をとられかけた。
2020年2月の泉州の39.8キロで心肺停止。
救命センターで意識が戻った時に「ああ、もうこんな苦しい走り方をしなくて済む」とホッとしたのを覚えています。
必要以上に頑張ろうとしていた自分、きっちり四隅を揃えるような走りを求め過ぎていた自分、「やらなくてはいけない」「しなくてはいけない」という気力だけで走っていた自分。
実はすごい無理をしていたんでしょうね。
もう限界だったんでしょうね。
でも性格上、それを認めたくない、認めちゃあいけないと思っていた自分。
困った性格ですよね・・・
コロナ禍の時は走りたいと思わなかったのであえて走らなかった時期もありました。
2022年の秋頃からちょっと走り出してみたのですが走ったら走ったで大転倒。
イーーーーーッとなって「もう全部ランシュー捨てたる!」と思ったけど神戸マラソンの中継を見た時にみんな本当に楽しそうに走ってて「ああ、いいなぁ、やっぱり私もまた走りたいなぁ」と思い、ゼロからやり直す気になってミズノでランニングフォーム診断を受けたらまぁビックリするぐらいのポンコツフォーム。
そりゃコケるわな。
2022年12月、ゼロのゼロから再スタート。
「目標は来年11月の神戸完走、もう一度ゴールラインの向こう側へ」ということで筋トレとランを続けて神戸完走。
そして人生の運を全部使い果たしたのではないかという今回の東京当選。
いいことも失敗もいろんなことを経験して自分の性格とかも考えて行き着いたのが「タイムとは闘わず自分と闘います」という走り方。
なので、今回の東京も走っている最中は一度も時計を見ていません。
計測マットの所の時計も見ていません。
唯一時計を見たのはラスト1キロの石畳が終わって行幸通りに入るカーブの所の時計だけ。
いいんです、これが私の第2章の走り方なんです、これが私なんです。
ってことで私はもう自分を更新したよ。
はい、只今こちらは地獄の四丁目銀座四丁目を右折して数寄屋橋方面に向かっているところです。
出たー、
ハトの群れ。
このハトバス軍団はマラソン開催中の中、わざわざ銀座に観光客を乗せてきたわけではなくて、
収容バスなのです。
数寄屋橋交差点を越えて新幹線の高架をくぐって・・・
「ああ、数時間後に私も無事にこの高架の上を新幹線で走っていますように。無事に車中の人になっていますように」と祈りながら日比谷通りへ。
最後の折り返しの田町に向かいます。
この日比谷通りは地下鉄三田線で何回も地下を通ってるし、増上寺にも行ったし、ホテル最寄り駅の芝公園駅周辺は歩いたし、マイ東京タワーもあるし「もうホームタウンなの」と思ってるから大丈夫。
と言い聞かせながら田町を目指しました。
もうカウントダウンに入っているので1キロ1キロを前に進むだけ。
脚は大丈夫、しっかり動いている、もう重いとかダルいとか辛いとかそういう感覚はわからない。
沿道の皆さんやボランティアさんの声援、これがあるから前に進める。
本当にありがたい。
内幸町、御成門、芝公園、沿道沿いの地下鉄入口の地名を横目で見ながら「今ココ」を確認しつつ「大きなビル群の中のセブンが見えて来たら折り返しだから」と言い聞かせながら走りました。
いやぁ、もうほんま田町どこやねん、セブンどこやねん、遠い!って感じ。(←「ホームタウンなの」は何処行った?)
沿道から「あと400メートル走ったら最後の折り返しだよー、頑張ってー」って叫んでいるおじさんがいて、あと400メートル?トラック1周やな、よし。
そしてついに37.5キロ地点の最後の折り返し、田町の折り返しをクルリンパ。
40キロ地点にぶーやんとばななん。さんがいてる。(この時はばななん。さんの件は知りませんでした)
まずは40キロ目指して進んで行くよ!
Jユニ応援団の前をハイタッチしながら通過、「ヴィッセルー」と叫んでくれました。
沿道の応援がとにかく凄い。
あと4キロ、行けるよー!
ラスト3キロ、頑張れー!
5時間ペーサー集団との差は2キロぐらい、サブ新幹線ほぼ確定!
バンコクバンクが見えて来たらそろそろ40キロ、ええーーっとぶーやんたちの姿を探すがすっごい人の数で全然わからない。
40キロすぎ、ぶーやんがいた。(正しくは名前を呼ばれて数メートル戻る)
「コーラあるで」
「飲むわ」
「あいよ」とゆっくりしゃがんで足元に置いてる保冷バッグからゆっくりペプシコーラを取り出してキャップを丁寧に開けてくれるぶーやん。
うん、ゆとりって大切よね。
コーラ、うまっ!
ありがとう、ほな行くわ。あ、これ。
とポケットからエイドのあれやこれやをぶーやんに手渡す。
ぶーやんはこのまま日比谷駅から芝公園まで地下鉄で行ってひと足先にホテルに戻ることに。
ラスト2キロからの日比谷公園前の応援がめちゃくちゃ凄かった!
おっちゃんもおばちゃんもお兄さんもお姉さんもチビッ子も外国人の皆さんも口々に応援してくれる。
もう泣きそうになりながらついにラスト1キロ、丸の内仲通りの石畳へ。
東京マラソンのコースについていろんな方のYouTubeやブログで予習していたのですが私はこのラスト1キロこそが東京マラソンの醍醐味だと思っています。
長いと感じながら走る人、苦しいと思いながら走る人、やっとここまで来たと喜びいっぱいで走る人、この1キロに勝負を賭ける人、限界ギリギリ状態で走っている人、全て出し尽くして歩いている人、いろんな人のラスト1キロ。
3万8000通りのラスト1キロ。
私のラスト1キロは
走り終わるのがとっても悲しい1キロでした。
この声援、この雰囲気、これがあと1キロで終わってしまう。
1999年、若気の至りでニューヨークシティマラソンを走ったことがあります。
フルマラソン2回目、友人と勢いだけでエントリーしたニューヨーク。
あの時も「走り終わるのが悲しい」、まさに今回と同じ気持ちでした。
(「じゃあ、あと4つで6大会コンプリートだね」なんて言ってはいけない、偉大な4つの大会は「じゃあ、あと4点でお皿だね」というヤマザキ春のパン祭りのようなノリではない)
やっぱり凄いわ、東京マラソン。
世界の大会だわ。
石畳から左折して行幸通りへ。
ちょうどコーナーの位置に設置されていた時計が目に入りました。
5時間01分。
さぁ、栄光のゴールが見えてきた、近づいてきた!
ゴーーール。
「立ち止まらずお進みくださーい」コールの中一瞬だけ振り返ってパチリ。
ゴール後はゼッケンの色別に分かれている順路に沿って進んで行きます。
完走メダル、水、ポカリ、ボディーメンテ、入浴剤、ビオレの体拭きシート、アルミシートをいだきました。
メダリストの粉を飲んでからフィニッシュゲート近くで記念撮影。
見ず知らずの者同士、お互いに撮り合いっこ。
憧れのフィニッシャーローブもゲット。
で、これいつ着るの?
って聞かれたら「答えに困る」と言うのが本音かも・・・
でも、嬉しいよね!
そしてそしてついに手にした東京の完走メダル。
メダルの重量の数字以上に私には重く感じる。
裏側には点字で「東京マラソン2024」と記されています。
メダルの紐もカッコイイよね。
フィニッシャーローブの記念撮影を終えてからはずっと頭の中でドリフの「盆回し」のテーマ(大道具の後片付けの時に流れる曲、ドタバタ劇にピッタリのやつ)が流れ続け、
さぁ、ホテルに帰るよ!
と、ここからは時間との勝負。
順路に沿って歩いて東京駅方面と書いた出口から出てすぐに地下へ。
地下鉄三田線の大手町駅を目指します。
オーテマチ、オーテマチ、オーテマチ。
無事に大手町駅から三田線に乗って芝公園駅へ。
ほんで芝公園駅A1出口の階段よっ、ボロボロの脚にきつすぎるで、ほんま!
14時15分、無事にホテルに帰還、ぶーやんと合流。
おっ、予定より早いやん、いいぞ!
ホテルの広い綺麗なトイレでお着替え。
荷物を詰め直して浜松町駅に歩いて向かったのですが荷物が重い、多い、持ちにくい。
ヨタヨタと15分ぐらい歩いて無事に浜松町駅に到着。
もうここまで来たら「サブ新幹線」間違いなし!やな。
フフッ。
夢にまで見た憧れの東京マラソン。
とにかく応援が凄かった。
沿道の皆さん、エイドのボランティアさん、スタートエリアのボランティアさん、走路員のボランティアさん絶対にみんな笑顔で手を振ってくれるんです。
声をかけてくれるんです。
あの応援、あの声があるから前に進めるんです。
もう本当に感謝感謝です。
あと、今回早々と脚が売り切れた最たる要因は
前々日に27,448歩
前日に24,906歩
も歩いたからだと思う。
今回のマラソンだけの歩数は51,374歩。
ってことは、歩数だけを見たらハーフマラソン2日連続続けて走った後にフルマラソン。
そりゃ早々と売り切れるわ!
でもこれも全部含めて私の東京マラソンなのです。
ありがとう、東京。
長い長いレースレポにお付き合いいただきありがとうございました。
次からは東京観光レポの予定です。
(これもまた長いよ)