【埼玉県・和光市】浅久保富士浅間神社 (浅久保の富士山) | 鳥居の向こう側

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埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

2022年6月10日参拝。


今回も富士塚のある神社をご紹介しますおねがいかなり珍しい富士塚富士山ですルンルン



浅久保富士浅間神社神社

(浅久保の富士山富士山)


電車東武東上線、東京メトロ有楽町線、副都心線・和光市駅南口より徒歩10分。


この「浅久保地区集会所」の看板が目印です。

この看板が見えたら右に入り、住宅街を進んで行きます。


この奥に神社、ましてや富士塚があるとはとても思えない道で、不安になります驚き


赤い鳥居があったので、とりあえ
ず神社はありそう。


鳥居の右にあるのが「浅久保地区集会所」の建物です。
この建物に隠れるように、裏に富士塚(浅間神社)がありましたびっくり



鳥居富士山道と書かれた石碑。


「浅久保の富士山(浅久保富士浅間神社)」は、和光市中央に鎮座。

江戸時代初期、第108代・後水尾天皇の御代、慶長19年(1614年)の創建と伝わります。
武田信玄の家臣である原田信房の子・柳下外記規道(柳下家宗祖)が、富士吉田浅間大神を信仰し、その御分霊を浅久保の地に祀ったのが起源とされています。


富士講の開祖とされる
長谷川角行の石像


登嶽六十六度大願成就の碑。


「聖徳皇太子」とあります。

一般的には「聖徳太子」ですが、第31代・用明天皇の第二皇子なので、「皇太子」ですよねウインク
聖徳太子は、富士山富士山に最初に登った人という伝説があります。


登山道をまっすぐ進むと、まず突き当たりに境内社の
杉森稲荷神社🦊があります。

この杉森稲荷神社は、以前は、当地から徒歩10分くらいの「理化学研究所」の一画に祀られていたとのことです。



ここから、登山道は緩やかな上りになります。



鈴原神社

富士山の一合目にある神社です。
この石碑には、たくさんの富士講の名前と紋が彫られていて興味深いですおねがい


不二塚稲荷神社

「不二森」もしくは「不二守」ではなく、「不二塚」なんですねびっくり
富士山では「富士守稲荷神社」、我が田子山富士では「不二森稲荷神社」です。


山頂、すぐそこに見えてますけどほっこり



こちらも「丸吉講」ですおねがい



烏帽子磐

富士山では、食行身禄が断食して入定した場所です。


経ヶ嶽

富士山5合目に、日蓮が法華経を埋納したと言われています。


山頂をぐるりと回り込みます。



ここでお社の裏側が見えました。
これは??



あとで表側に回ってみましたが、
武蔵御嶽神社(浅久保講)でした。

「武蔵御嶽神社」は「武蔵御嶽講(御嶽講)」により、関東周辺に多くの信者がいました。
「木曽御嶽講」とは別の山岳信仰です。

いつもわからなくなるので、整理しておきます。
武蔵御嶽=「みたけ」、木曽御嶽=「おんたけ」です。



登山道に戻ります。
山頂の奥宮(浅久保富士浅間神社)

【御祭神】木之花開耶姫命



10月19日に記事にした「下新倉氷川八幡神社」の掲示によると、
明治6年に富士塚を築き、昭和32年、当初の地から西方にあたる当地に移築され、その際に、3分の1のサイズに縮小したそうです。
昭和57年に「下新倉氷川八幡神社」の飛び地境内社となりました。

元々はこの3倍の大きさだったのか!
それにしても、極狭のスペースにコンパクトに築かれています照れキラキラキラキラキラキラ




下山道もあります。




築造年は調査中とのことですが、前述のように明治6年と推定。
高さも調査中とのこと。

黒ボク(溶岩)はありますが、合目石なし、御胎内もなし、この場所と高さでは、もちろん霊峰富士富士山も遥拝出来ませんぼけー

石造物の合計は56とのことです。
山開きや山仕舞いなどの行事も行われていません。


剣ヶ峰

富士山頂の、最も標高の高い峰です。


寳永山

宝永山は、宝永4年(1707年)の宝永大噴火🌋で誕生した富士山最大の側火山で、標高は2,693m。
宝永の大噴火以降の噴火はありません。


この右側のポコッと出っ張っている部分が宝永山です。
※画像はネットよりお借りしました。


十二神

「十二神」とは、薬師如来および薬師経を信仰する者を守護するとされる十二尊の仏尊のこと、だそうです。
薬師如来の12の大願に応じて、それぞれが昼夜の12の時、12の月、または12の方角を守護するとのこと。
中国や日本では十二支が配当され、
子神・丑神・寅神・卯神・辰神・巳神・午神・未神・申神・酉神・戌神・亥神
の十二神です。

※Wikipediaより。




泉ヶ瀧

富士山中で、数少ない水の得られるところです。登山者や修行者が水垢離を行いましたアセアセアセアセ


諸神祭祀碑

中央が、建築三神

上→天思兼命
右→手置帆負命
左→彦狭智命

下→聖徳皇太子
聖徳太子は、世界最古の木造建築・法隆寺を建立したこと、材木などの長さや直角を測ったり、勾配を出したりするのに使われるL字型の「差し金」を考案したことなどから、「建築(大工)の神様」と呼ばれるようになりました。
「大工」は、古くは建築技術者の職階を示し、各職人を統率する長となる人物をさしていましたが、その組織を作ったのも聖徳太子だと伝わっています。


右が、五行の木・火・土・金・水に対応する神


木=久久能智神(くくのち)
火=火産靈神(ほむすび)
土=埴山毘賣神(はにやまひめ)
金=金山毘古神(かなやまひこ)
水=彌都波能賣神(みづはのめ)

我が田子山富士にも、この諸神祭祀碑がありますウインク


庚申塔

側面には、「武州新座郡下新倉村浅久保」と彫られていました。




いかがでしたでしょうか?
住宅街のいちばん奥、「浅久保地区集会所」の裏に隠れて、ひっそりとある富士塚富士山

移築して、かつての3分の1のサイズに縮小したとのことですが、たくさんの石造物が本当に上手く配置されていて、素晴らしいと思いました照れ乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

いつでも入山可能です。
和光市駅からも徒歩圏内ですし、富士塚にご興味のある方なら、1度は見て欲しい富士塚富士山です。


最後までお読みいただき、ありがとうございました爆笑ルンルンルンルンルンルン