【埼玉県・所沢市】荒幡浅間神社 | 鳥居の向こう側

鳥居の向こう側

埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

2020年6月3日参拝。


荒幡浅間神社神社
~村民共同で移築した荒幡富士~


電車西武狭山線・下山口駅より徒歩12分。



「荒幡富士市民の森」の中にあります。



鳥居社号碑



神社の境内というよりは、公園みたいな感じです。
鳥居をくぐる前から社殿が丸見えほっこり



鳥居のすぐ左手に、手水舎アセアセアセアセ



水盤に水はありませんぼけー
コロナ禍だからないのか、元々なのか…。


後ろにある石碑は、「祓所大神」
つまり、ここで禊祓が完結するのですが…
水がないのではねぇにやり



拝殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ
とっても浅間神社っぽさを感じる拝殿です照れ



創建年代は不詳ですが、江戸時代初期から中期の創建と考えられています。
「荒畑」は、武蔵七党の一つである村山党の荒派多氏の居所と伝えられています。

旧荒幡村には、古くから浅間神社の他、三島・氷川・神明・松尾の各社が祀られていましたが、明治5年に浅間神社が村社となり、三島神社以下は無格社となりました。
そこで、村内の統一と村民の心の安定をはかるため、明治14年、「浅間神社」を「松尾神社」のあった当地へ遷座。
「三島神社」「氷川神社」「神明神社」「松尾神社」を合祀しました。


ご本殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ



浅間神社
【御祭神】
木花咲耶姫命
【相殿】
大山咋命
狭依姫尊(=市杵嶋姫命の別名)

三嶋神社
【御祭神】事代主命

氷川神社
【御祭神】素盞嗚命

神明神社
【御祭神】大日孁貴尊

松尾神社
【御祭神】少名彦命




【狭依姫尊について】
狭依毘売命(さよりひめのみこと)は、
『古事記』にしか登場せず、『日本書紀』にその名は見られません。

「さよりひめ」の「さ」は、「早乙女」「早苗」の「さ」と同じく接頭語で、「神稲」の意。
元々「さ」は、日本の言葉の中で「神霊」の意味があり、特に「田の神=稲穂の穀霊」を指す音です。

「早乙女」=「田植えをする女」という意味です。

「田の神」は、春桜になると山から降りて来て「田の神」となり、秋紅葉に収穫が終わると、また山に帰ります。
春になって植えるのは、田の神様=稲の神霊=「さ」の神様の苗。
「さなえ(早苗)」
植える時期は、「さ」の神様の月。
「さつき(五月)」
そして「早苗」を「五月」の時期に植える女性たちを、「早乙女」と呼んだのです。

他にも、「さ」の神様グループの言葉はたくさんあります。
稲=米から作った液→「さけ(酒)」
酒のおかず=酒の菜→「さかな」
酒やさかなを神様に供える→「ささげる(捧げる)」

「さくら(桜)」桜も、花が咲けば春耕を始めるという「農事暦」の目印でした。
神様が降りて来て座すところを「いわくら」と言いますが、
春に山から降りて来る「さ」の神様の「いわくら」となる木が「さくら」なのだそうですびっくり


だいぶ脱線しましたが…
「さよりひめ」という名前は、「稲霊が宿る姫」という意味になり、農業の女神です。
この名前が「別名」として付いているということは、市杵嶋姫命は穀物神としても信仰されたということになります。




「市杵島」=『神霊を斎き祀る島』という意味です。
「市杵島」が転じて「厳島」となりました。

美人、そして水の神であることから、神仏習合により弁財天と習合。
「宗像大社」や「厳島神社」から全国に分祀されていた神社は、多くが弁財天をご本尊とするものに変わってしまいました。
明治以降も、そのまま弁財天を祀っている神社は多いですよねにやり

弁財天はヘビとも結び付けられ、農村部では、弁財天×蛇=農業神としての性格が強まります。
土着の水神→弁財天と習合→食物の神・宇賀神と習合→農業の守護神という流れです。
宇賀=宇迦で、宇賀神は稲荷神と同神と考えられています。

稲作(農業)と水は、切り離せない関係ですものね。

宗像三女神については、あらためて記事にしようと思いますおねがい



荒幡富士富士山


標高は約119m。 
「浅間神社」をこの地に遷座する際、傍らにあった富士塚も移築することになりました。
村内の氏子・信者・近隣の村々の有志も加わって、15年間を費やしてバケツリレーで盛り土したのだそう滝汗
以前の塚の数十倍も大きい富士塚が、明治32年に完成しました。

現在は、地域住民による「荒幡富士保存会」により、定期的に大掃除やパトロールなどが実施されているとのことです照れ


社殿の右手に、登山口の鳥居



チビ狛犬がいました犬



登山口には猿猿ではなくて、
猿田彦大神



傍らには、天鈿女大神も。



この石祠は名称不明。
合祀された神社の御祭神のどなたかが祀られているのかも。



松尾大神の石碑。



合目石は、1~9まで全部確認出来ました。



二合目。



四合目。


my神社「敷島神社」の田子山富士塚よりも、断然登りやすい登山道ですおねがい


山頂はわりと広め。



奥宮乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ



展望図があり、富士山富士山の位置がわかるようになっていました。


残念ながら、曇っていて全く見えませんでしたがショック、四角い建物(掬水亭)のすぐ右です。
やっぱり富士山は、真冬の空気の澄んだ時期のほうが、圧倒的によく見えますよねほっこり


山頂からの眺めカメラ
社殿と鳥居が見えます。




冒頭にも書きましたが、「荒幡富士」は昭和59年に開園した「荒幡富士市民の森」の中にあります。
「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」なども設置されていて、周辺はハイキングコースにもなっているのです。
そのため、富士塚に登る人も、ハイキングの一環として登る方が多いようです足

すぐ隣りは、西武園ゴルフ場ゴルフで、その向こうには、西武園競輪場、西武園ゆうえんちなどがあります🎡🎢

なかなか見つからなくて、ゴルフをしている人が見えた時は、ゴルフ場に入ってしまったかと焦りました滝汗



【御朱印】
「中氷川神社(山口)」の社務所でいただけます。




「荒幡富士」と調べてみて、初めて知ったのですが…
実は、心霊スポットとしても結構有名みたいですキョロキョロ
近所の酒屋の跡取りが境内の木で首を吊って亡くなり、深夜に首のない人が境内をランニングしている、という噂があるそうですガーン
周りには人家がなく、夜はかなり淋しいところなので、そういった話も出るのかも…。

近隣住民の心の拠り所である「浅間神社」と「荒幡富士」なので、心霊スポットと言われてしまうのは残念ですショボーン


それにしても、村内の神社を合祀し、富士塚ごと移してしまうなんてびっくり
大変な苦労の末に完成した「荒幡富士」富士山が、村民の心を1つにしたことが伝わって来るようですキラキラキラキラキラキラ
黒ボクとかは全然ないのですが、温かみのある富士塚でした照れ

聖武天皇が東大寺に盧舎那仏を造りたい!と思ったのも、国民の心を1つにするためだったのを思い出しました照れ



【参考文献】
●「日本の女神様がよくわかる本」 戸部民夫 PHP文庫
●「日本の神様読み解き事典」 柏書房

【ネット記事】
○和の心・暦と行事『早乙女』 by 集英社「情報・知識&オピニオン imidas」



お読みいただきありがとうございました爆笑ルンルンルンルンルンルン