【埼玉県・朝霞市】田島神明神社&美女神社 ~朝霞五社巡り part1~ | 鳥居の向こう側

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埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

2021年2月2日参拝。

この日は春桜のような暖かさだったので、my自転車で地元の神社を巡って来ました自転車爆笑


まず1社めは、

田島神明神社神社


電車東武東上線・朝霞駅東口より
バス東武バス、国際興業バス「花ノ木」下車2分。


境内入口の神明鳥居




東に新河岸川、西と南に黒目川。
三方を川に囲まれた半島状の低湿地に鎮座していて、しばしば水害を被っています波
「田島」の地名も、「川に囲まれた半島にある田んぼ」というのが由来です。


広々とした境内。
真冬なので淋しい感じですぼけー



左手に小さい手水鉢


蛇口をひねると、ちゃんと水は出ましたタラータラータラー
神社用にグレーのホースとか、誰か作ってくれないかなにやり


拝殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ
大きな屋根の神明造りです。



創建年代は不詳。
もともと神明様は字久保の台地に鎮座していましたが、いつの頃からか現在地に遷座し、字久保の住民もこちらに移って来たとのことです。
以降、田島地区の氏神様としてお祀りされて来ました。

明治40年の神社合祀令により、「浜崎氷川神社」に「宮戸熊野神社」と共に合祀され、「三柱神社」となり、跡地はそれぞれ遥拝所として残されました。

人々は合祀に反対していましたプンプン
昭和17年、「宮戸熊野遥拝所」に宗岡の「天津神社」を移転。
当社もその「天津神社」の御分霊を勧請し、代わりに当地の鎮守として祀るようになったと言われています。

ですが、本来の鎮守さまへの思いは強く、合祀先からの返還を切望していましたキラキラ
昭和31年、念願叶って「三柱神社」(現・浜崎氷川神社)より神明神社御祭神を返還され、現在に至ります。


「浜崎氷川神社」は昨年の同じ時期に自転車で訪れました。
「宮戸熊野神社」→「天津神社」→「現・宮戸神社」へも、この日この後に行っています。
全て知っている神社のため、そうなのかぁ~と感慨深いものがありました照れ




【御祭神】
神明神社
天照大神
旧・天津神社
面足尊


千木・外削ぎ、鰹木・7本(奇数)。
つまり男神を表しています。


アマテラス=男、という認識ならば驚きですが、
オモダルノミコトの方を表しているのかなほっこり

 

【オモダルノミコトについて】
神世七代の第6代の神。
『古事記』では
兄・淤母陀琉神妹・阿夜訶志古泥神
『日本書紀』では
兄・面足尊妹・綾惶根尊と表記。

オモダル=「完成した(不足したところのない)」
「淤母」=「面」、「陀琉」=「足る」「男子の顔つきが満ち足りていること」

アヤカシコネ=「あやにかしこし」
「阿夜」=感嘆詞、「訶志古」=「畏し」「泥」=人につける親称。
「まあ、畏れ多い女子よ」

という意味になります。


『古事記』における【神世七代】の意義については、
イザナギ・イザナミの誕生をゴールとして、そこに到る過程を神々の生成によって表現したもの、とする解釈が多いようです。

オモダル・アヤカシコネの対の神は、他の神世七代の対偶神と違い、神名に共通性がないことが特徴です。

※画像はWikipediaより


確かに!!オモダル・アヤカシコネ以外は、みんなワンセットな名前ですね💡

神世七代におけるイザナギ・イザナミの直前に位置する対偶神として、身体の完成することを顔・容貌に託して表した神とする解釈が一般的です。
 

國學院大学『古事記学センター』のHPには、次のような説が紹介されていました。

「於母陀流」=顔(面)が成り整う(足る)意。
身体の完成を表しているとされ、人体が完備することの神格化とする説。

国土の表面が満ち足りていくことを意味しつつ、顔立ちや体つきが整って身体が備わることを表し、男女交合の兆しを表現しているとする説。

③男女の掛け合いの言葉が、二神の対偶によって表されたものとされ、
面足神=
男が女に対して「あなたの容貌は整って美しいキラキラと褒め、
阿夜訶志古泥神=
それに対して女が「まあ何と恐れ多いことラブと返した、と解釈する説。

完成した肉体に讃美の言葉をかけることで命と魂を宿らせる、古代の観念の反映とする説。

偉大な面貌を持った、境界防塞の神像、もしくは生産豊穣の性格を帯びた守護神の神像の形象化とする説。

性器崇拝にまつわる、性器の様相に対する讃美による名称とする説。


私はなんとなく、③の、男女の掛け合いの言葉が、二神の対偶によって表されたもの。という解釈が好きです照れ
それなのに…
その直後の対の神であるイザナギ・イザナミは、女から先に声をかけてしまうのですよねえー


オモダルノミコトは、神世七代の6代目であるという理由で、神仏習合により、仏教の第六天魔王の垂迹であるとされ、特に修験道で信奉されました。
神仏分離により、第六天魔王を祀る寺院の多くは神社となり、「面足神社」と改称した神社もあります。



ご本殿の覆屋
こちらも、
千木・外削ぎ、鰹木・5本(奇数)=男神です。





社殿の左手に境内社

4社の合祀殿です。



右から、秋葉神社・八坂神社


御嶽神社・榛名神社


群馬県の「榛名神社」へも、行ってみたいと思っていた時期もありました。
修験道の神社ですよね。



その左手に、稲荷神社🦊




他に、飛地境内社として「美女神社」がありますが、それは後ほどご紹介します。


拝殿の屋根があまりにも大きいので、ご本殿覆屋はとても小さく見えますほっこり




社殿の右手には水神宮が石碑の形で祀られていました。


川に囲まれた土地なので、水難除けですね。




やっぱり真冬の神社は淋しいぐすん
この木に緑が生い茂っていれば、だいぶ雰囲気が違うのだろうと思います。



左手に立派な社務所がありますが、通常は無人です。




【御朱印】
本務社の「天明稲荷神社」でいただけます。


「朝霞五社巡り」と名前が付いていて、それぞれにカラフルな御朱印が用意されていました。



飛地境内社の「美女神社」へ向かいます自転車
300mくらい離れたところにありました。


美女神社神社


電車東武東上線・朝霞駅東口より
バス東武バス、国際興業バス「朝霞田島」下車1分。


鳥居をくぐると極小の境内です。



手水鉢…じゃなくて、普通の庭用の水栓みたいなのがありました。
が、ないよりは全然いいです照れ
ちゃんと水は出ましたタラータラータラー



狭い境内を奥まで進みます。

 

社殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ



創建年代は不詳。
『新編武蔵風土記稿』には、
「美宮ハ村ノ北ニアリ宇津久志ノ宮ト云ウ」と記されていて、「うつくしさま」と呼ばれ親しまれています。

一説には、「いちきしま」→「いつくしま」→「うつくしさま」と転化し、
「美女神社」になったとも言われています。

神社庁が包括する全国約8万社の中で唯一の、「美女」が付く神社だそうです乙女のトキメキ



【御祭神】
市杵島姫命


子どもの神様とも言われ、疱瘡やはしか、百日咳になった時には、社殿の鈴に下げてある布を裂いて持ち帰り巻いておくと、痕が残らず治り、美女になるとされていました。
お礼参りには新しい布を奉納し、鈴に下げるのが習わしとのこと。


今はコロナのためか、鈴に布は下げられていませんでした。




「美女宮」と書かれた扁額


七五三のお参りの際、特に女の子は、社名にあやかって美しくなるように手を合わせて祈るのだそうですお願い乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ


【御朱印】
こちらも、本務社の「天明稲荷神社」でいただけます。



境外社と飛地境内社って、どう使い分けるのかな、厳島神社(市杵島)って、島だからか飛地に祀られることが多いですよねおねがい


ちなみに…
「田島神明神社」と「美女神社」の御朱印は、背景の絵が繋がっていました。



「朝霞五社巡り」は、part3まで続きます。


【参考文献】
●「日本の神様読み解き事典」 柏書房

【ネット記事】
○國學院大学『古事記学センター』HP



お読みいただきありがとうございました爆笑ルンルンルンルンルンルン