2020年6月3日参拝。
~式内社・中氷川神社のもう1つの論社~
表参道の鳥居と社号碑。
「延喜式内 中氷川神社」と書かれています。
西武池袋線・小手指駅南口より
西武バス・宮寺西行き「堀之内」下車、目の前。
私は「出雲祝神社」からずっと歩いて来ました。
近くには早稲田大学の所沢キャンパスがあります。
鳥居をくぐると、長~い参道。
かつては、例大祭の時にこの参道で流鏑馬神事が行われていましたが、現在は途絶えてしまいました
社殿が見えて来ました。
6月の緑が美しいです
崇神天皇の御代に、神託によって「武蔵一宮氷川神社」より勧請され、素戔嗚尊と奇稲田姫命の2柱を祀りました。
その後の景行天皇の御代、日本武尊が東征に際してこの地を通り掛かった時に霊異を感じ、天下泰平・国乱鎮護のため、大己貴命・少彦名命の2柱を併せ祀ったと伝えられています。
ヤマトタケルは本当にいろんなところに立ち寄りますね
『延喜式』神名帳に「武蔵野国四十四座の一つ中氷川神社」と記載される古社。
『神衹志料』や『旧神祠記』などの古書には、中氷川神社の鎮座地は三ヶ島(つまり当社)とされているそうです。
狭山丘陵の北麓に位置する三ヶ島は、古くから畑作を中心とした農業地域として発展。
『三ヶ島』の地名は、開村当時は村内に三ヶ所の小さい集落があるだけだったため、遠くから見ると、原野の中に三つの小島が浮かんでいるようだったことに由来する、とのことです。
室町時代までは「中宮」と呼ばれ、
江戸時代には「長宮明神社」と呼ばれていました。
これは、境内が北東から南西にかけて細長い形をしていることに由来します。
所蔵する数々の裁許状や、社領安堵状などにも、「長宮明神」もしくは「長宮中氷川神社」と記されたものが残されています。
「中氷川神社(山口)」の記事にも同じことを書きましたが、
当社は、「武蔵一宮氷川神社」と、東京都西多摩郡奥多摩町にある「奥氷川神社」とともに『武蔵三氷川』と言われていて、三社はほぼ一直線に並び、本宮・中宮・奥宮の関係になっているとのこと。
右手に手水舎
水盤。
狛犬の口から水が流れ出る方式ですが、水は出ていませんでした
水盤の文字から、約200年前のものとわかります。
拝殿
【御祭神】
素戔嗚尊
奇稲田姫命
大己貴命
少彦名命
神額。
緑に映える赤い社殿
ご本殿の覆屋。
右側にだけ、縦の格子の上に横板が貼られているのはなぜだろう
暴風雨によって倒れ、3mほどの高さになってしまった、
御神木のケヤキ。
あもしかして、御神木が倒れた時にご本殿覆屋に突っ込んで破損したのかも。横板は補修かな
社殿の右手に境内社が並びます。
いちばん奥から順に、
稲荷社🦊
【御祭神】倉稲魂命
神明社。
【御祭神】天照大御神
八坂神社。
【御祭神】素戔嗚尊
この社殿には、
荒經神社
【御祭神】脚摩乳命・手摩乳命
も合祀されています。
山王社。
【御祭神】大山衹命
『武蔵の古社』の著者・菱沼勇氏によると、「中氷川神社(山口)」のほうを式内社と推定してよさそう、としていました。
⚫江戸時代には「氷川村」と称していたこと。
⚫前を流れる小川を今でも「氷川」ということ。
⚫付近に古墳が多いこと。
などの理由からでした。
ですが…
「中氷川神社(山口)」の境内にはなかった『アラハバキ社』が、こちらにはあります。
ということは、こちらの方が古くからあるんじゃないかなぁ…
と思いました
裏参道の鳥居がバス通り(所沢青梅線)に面していて、バス停🚏が目の前です。
バスが1時間に1本しかないため、鳥居のところにずっと男性が立ち尽くしていて、写真撮っていたらよけてくれました。
バスが来るまでの間、3mくらい離れた状態で少し話をしました。
早稲田大学のキャンパスに来たとのことだったので、教授なのかと思ったら…
キャンパス内のATMの修理に来たとのことでした
山口の中氷川神社は、社殿のある石段上の雰囲気はよかったですが、境内全体の雰囲気は、こちらのほうが好みでした
豊富な緑のせいかも知れませんが。
「糀谷八幡神社」が本務社ならば、御朱印はそちらにあるのかな?と思いましたが…「糀谷八幡神社」も無人なのです
次回一般公開記事は、その「糀谷八幡神社」をご紹介します。
お読みいただきありがとうございました