【埼玉県・所沢市】中氷川神社(山口) ~狭山丘陵に鎮座する緑豊かな式内社 | 鳥居の向こう側

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埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

6月3日に巡った、埼玉県内の式内社の続きですおねがい

今回は、
中氷川神社(山口)です神社


電車西武狭山線・下山口駅より徒歩12分。


創建は、崇神天皇の御代。
延喜式神名帳の祈年國幣社であり、旧県社です。
旧入間郡と多摩郡にまたがる92ヶ村の総鎮守として山口城主にも尊崇され、
地元では古くから「氷川様」と呼ばれ親しまれてきましたお願い

官幣社→ 祈年祭や新嘗祭、例祭に宮内省から幣帛料を受ける。
國幣社→例祭のみ国庫から幣帛料を受ける。
なので、祈年國幣社とは、國幣社だけど祈年祭にも幣帛料を受ける、ということでしょうか。



55号・所沢武蔵村山立川線沿いの
社号碑



一の鳥居



石段を上った先に、二の鳥居


奥に明るく開けた境内が見えます。


境内に出てみると…
今通って来たのは表参道ではなかったみたいイヒ


社殿を正面に臨む大鳥居



右手に手水舎アセアセアセアセ



水盤タラー


大きいのと小さいの、2つの水盤があり、凝った造りになっていましたが…
いずれにしても水は流れていませんでしたショック


石段の左右に樹木が鬱蒼と茂っていて、ワクワクが高まりますラブルンルン



石段の手前・右手に、背の高い
御神木



石段を上ります。



拝殿キラキラキラキラ



神額



【御祭神】
素戔嗚命 
稲田姫命
大己貴命

七社大神
(大山咋命・建御名方命・奥津姫命・大物主命・素戔嗚命 ・下照姫命・牛御子命)

※昭和4年に、山口貯水池(通称:狭山湖)建設のため湖底に埋もれた、旧勝楽寺村に鎮座していた 「七社神社(七社権現=七社大明神)」を合祀しています。
旧勝楽寺村は、朝鮮半島より渡来した、百済人・高麗人の居住した地と伝えられています。




【式内社・中氷川神社の論社】
冒頭の神社名を「中氷川神社(山口)」としたのは、もう1つの論社、所沢市三ヶ島の「中氷川神社」が存在するためです。

「中」の意味については、「武蔵一宮氷川神社」(さいたま市)と「奥氷川神社」(東京都西多摩郡奥多摩町)の中間に鎮座することから「中氷川神社」と称されるようになった、とされています。

当地は狭山丘陵の谷合を流れる柳瀬川流域にあり、「山口」という地名は、水の出る山の口を指して名付けられたものと思われます。

『武蔵の古社』の著者・菱沼勇氏によると、
⚫江戸時代には「氷川村」と称していたこと。
⚫前を流れる小川を今でも「氷川」ということ。
⚫付近に古墳が多いこと。
などの理由から、こちらを式内社と推定してよさそう、としています。




【なぜ「中氷川」と称するのか】
武蔵国造家の氏神であった「武蔵一宮氷川神社」からの勧請であることは間違いなさそうですが、武蔵国各地にたくさんある分社がいずれも「氷川神社」と称しているのに、なぜあえて「中」を冠するのでしょううーん

『聖徳太子伝暦』によると、物部連兄麿という者が武蔵国造の称号を賜ったことが記されています。
兄麿は聖徳太子の舎人として活躍した人物です。

前回記事の、物部氏の従来の氏神を祀った「物部天神社」とは別に、ほど近い地に氷川神社を分霊して、国造としての職務を全うする神社とした、ということなのかも知れません。

単なる氷川神社からの分霊ではなく、独自性が高いということを名称に込めたかったのでしょうか。


ご本殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ


大社造です!!
自宅からこんなに近いところで見られるなんて爆笑


拝殿から左手を見ると、境内社にしては大きめの社殿。



和魂宮キラキラキラキラキラキラ


この社殿の周囲は、とても良い気が流れていました照れキラキラ
「和魂宮」という名称から、初めは御祭神スサノオの和魂を祀っているのかと思いました。
でも…荒魂を別に祀ることってよくあるけど、和魂はあまり聞かないですよねえー?


結構調べてもあまり情報がなく、やっとの思いで納得出来る答えにたどり着きました。
どうやら、戦没者を慰霊する「護国神社」に相当するお社のようです。


和魂宮の前から拝殿を眺めます。



拝殿と和魂宮の間に境内社が3社。



石上神社


氷川神社としての道を選びましたが、物部氏の氏神もちゃんとお祀りしていました照れ


右側に稲荷神社🦊



左側に愛宕山大権現



拝殿の右手にも、合祀殿。



八坂神社・秋葉神社・市杵島姫神社・諏訪神社



石段の途中、踊り場の右手に参道があり、奥に覆屋に囲まれた社殿があります。



参道の左手には石祠が並びます。



金刀比羅神社


社殿は、旧本殿だったものを移設しています。


石段の左手に神楽殿


敗戦直後の昭和20年には、GHQ(連合国軍総司令部)が、当社の臨時例大祭の「浦安の舞」を視察しているとのことですびっくり


神楽殿の裏に、雰囲気の良い裏参道がありました。


ここを上って行くと、和魂宮の前へ出ます。
もしかしたら、和魂宮専用の参道なのかも知れません。



【御朱印】
「武蔵國三氷川中乃社」となっています。

グリーンの茅の輪のスタンプが可愛いです照れ



緑が豊富でしっとりとした、とても氷川神社っぽい雰囲気の神社でした。
目隠しをされて連れて来られて、神社名を知らないまま境内に立ったとしても、きっと氷川神社だとわかるだろうと思いました照れ

境内が広いというよりは、吹き抜けのある豪邸のような、広さよりも高さの広がりを感じる神社でした。
とても好きな神社です。また訪れたいですおねがい乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ




本当ならば今週末6月28日(日)は、神社検定1級の試験日のはずでした鉛筆

ですが、新型コロナウィルスの流行のため延期になってしまった、ということまでは記事に書いていて、
その後、日程が決まったのをご報告し忘れていましたアセアセ

試験は丸1年延期になりました。
今年はなくて、来年の6月27日(日)に開催となりました。
テキストには目を通し終わっているので、時々問題集をやって忘れないようにしようと思いますおねがい

ご心配いただいた方、ありがとうございます爆笑ルンルン