8月22日(木)、この日はだいぶ気温が低く、お天気も14時頃まではもちそうだったので、1ヶ月半ぶりの神社巡りへ出掛けることにしました
西武池袋線・清瀬駅より徒歩12分、
【バス】
清瀬駅北口3番乗り場【清64】台田団地行き 「水天宮前」下車すぐの、
日枝神社・水天宮です
【車】
志木街道沿い「水天宮前」の信号🚥の角が駐車場になっていて、100台駐車出来ます。
1つの境内に、日枝神社・水天宮それぞれの鳥居と参道が並んでいます。
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鳥居の手前には、低い注連縄柱。
「三清戸」はこの辺りの地名の総称です。
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山王鳥居って、三角の山の部分のボリュームが大きいので、鳥居自体が大きくないとちょっとアンバランスですね
参道の右手には石燈籠がたくさん並んでいました。
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左手には表忠碑。
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その先右手に、三猿の石燈籠。
清瀬市指定有形文化財です。
元は参道の両側に建っていましたが、風化が進み、覆屋の中に移されました。
六角形の竿に「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が彫られています。
左(写真上)は宝永7年(1710年)、右(写真下)は寛文4年(1664年)の建立です。
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日枝神社の主祭神は猿を愛されたので、眷属(けんぞく)となされ、古来より「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿と称して福徳円満をもたらし、また、「魔さる」「勝さる」にも通じることから、あらゆる悪事災難を除き、家庭円満、健康の恩恵を授かると言われています。
木々に覆われた暗い参道を抜けると、明るく清浄な境内。
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狛犬さん
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吽さんのすぐ左手に手水舎
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御祭神
大山咋神 おおやまくいのかみ
=大年神(素戔嗚尊の御子)の御子神
別名:山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)
大己貴神 おおなむちのかみ
=大国主神
ご利益
無病息災・交通安全・家庭円満・商売繁盛・縁結び
大山咋神の「咋(くい)」は「主」という意味。
神話の中で、丹塗矢(赤く塗った鏑矢)に化身する神霊として知られています。
だから日枝神社って赤く塗られた社殿が多いのかな
神額と社号提灯🏮
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紋は、「尾長三つ巴」。
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ご本殿は、見えませんでした
右手に回り込むことは出来ず…
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日枝神社と水天宮の拝殿の真ん中に授与所があり、授与所の脇から裏側に入り込めば見えるところがあるかもと思いましたが、そこまでするのはやめました。
ご本殿は、宝暦9年(1759年)の造営で清瀬市の有形文化財に指定されています。
所蔵する「不動明王立像」は旧別当・正覚寺の御本尊で、こちらも清瀬市指定文化財。
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※画像は公式HPよりお借りしました。
拝殿に向かって右手に、
社務所&参集殿。
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狛犬さん
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創建年代は不詳。
安徳天皇を御祭神とする、福岡県久留米市瀬下町に鎮座する水天宮の御本社より、御分霊を勧請したお社です。
12日ごとの戌の日には、安産祈願の吉日として多くの参拝者で賑わいます。
御祭神
安徳天皇 あんとくてんのう
底筒男神 そこつつおのかみ
表筒男神 うわつつおのかみ
中筒男神 なかつつおのかみ
【住吉三神】
ご利益
安産・子育て・水難除け・寿命長久
第81代安徳天皇は、源平の戦いでわずか8歳で海中に沈まれたことから、子供の神様として、安産・子育て・長生きの神様、また水難除けの神様として信仰されています。
底筒男神・表筒男神・中筒男神の住吉三神は、伊邪那岐命の禊から生まれた神で、神功皇后の三韓征伐の際に、託宣により皇軍を守護した神様です。
この故事により海上守護・除災招福の神様として信仰されています。
拝殿の神額と社号提灯🏮
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日枝神社のご本殿も、屋根の端っこが少しだけ見えますが、これ以上左には入れず…
水天宮の参道の左手に境内社が並んでいました。
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いちばん右のお社が、
八雲神社(天王さん)。
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御祭神 須佐之男神
病除・農耕・水田産業の守護神
その傍らに、
猿田彦大神の石碑。
天孫降臨を先導した、道開きの神様
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つい先日、三諸さんの、船橋大神宮「八坂神社」~例祭 (千葉県 船橋市) の記事中で、素戔嗚命と猿田彦大神の関係について疑問を提示されていて、それをきっかけに調べてみたら、素戔嗚命と猿田彦命が親子関係にある、という説があることがわかりました。
(コメントもさせていただきました。)
ここでもやはり隣りに祀られていて、やっぱりと思い、心の中で「親子2ショット撮りま~す。」と呟きながらカメラを構えると…
フレームいっぱいに、たくさんの水色の丸い光がフワフワフワっと一瞬浮かんで消えました
びっくりして瞬間にはシャッターを押せなかったので、写真には何も写っていませんでしたが
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先日「東京大神宮」の記事の最後の、本の紹介のところで書いたように、やはり神様は、自分のことを調べてから来ると喜んでくださるんだと実感しました。
ということは…素戔嗚命と猿田彦命が親子というのは本当ってこと
それとも、調べてみた努力を喜んでくださっただけかな
こんなことは初めてだったので、驚きました
その左に、金刀比羅神社。
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御祭神 大物主命
航海安全の守護神、福徳の神様
さらにその左に、白山社。
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御祭神 菊理媛命
黄泉の国から逃げ帰ろうとした伊弉諾命と、言い争いをする伊弉冊命を、仲直りさせたと言われる縁結び(復縁)の神様
柊と地名の由来。
日本武尊が東征の際、境内の柊(ひいらぎ)の根元で休憩され、この時「清き土なり」と言ったので、以来この村は清土(きよど)と呼ばれていましたが、いつからか、清戸と改められたと言い伝えられています。
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その左手、参道のいちばん手前に
御霊社。
水天宮にて安産祈願され惜しくも叶えられなかった方々が、お気持ちを納められお祈りするお社です
両拝殿の真ん中にある授与所で、由緒書と御朱印をいただきました。
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東京都清瀬市は、埼玉県の我が家からとても近くて、今回はバスで来ましたが、自転車でも来られる距離です
存在自体は30年前から知っていたのに、なぜ今まで来なかったのか、とても不思議です
地域では「水天宮」があまりにも有名で、「日枝神社」があるのを知らなかった、というのもありますが、それにしてもこんなに近くなのに今まで来なかったなんて…。
それが、今回急に行きたいと思ったんです。いわゆる【呼ばれた】ってやつです。
猛暑の時期は神社巡りを控えよう、と思い、1ヶ月半も訪れていなかったのもあって、まだ鳥居も見えないうちから鳥肌がスゴかったです
前々回の「東京大神宮」の記事でご紹介した、「神社に行っても神様に守られない人、行かなくても守られる人。」という本の話にまたなってしまいますが、
「穢れを溜め込んだままでいると、魔が差す状態を作り出す。」
のだそうです。
毎朝、洗顔と歯磨きの後、朝の太陽の光を体にいっぱい受けてから、神棚に向かうようにしています。
ですが、それも単なるルーティンのようになり、ちゃんと自分に向き合っていなくて、【穢れ】がたまっていたのかも知れません
朝の洗顔の後、鏡で自分と向き合い、【我】が出ていないか確認することが大切なのだそうです。
「鏡(かがみ)から我(が)を抜くと、神(かみ)になる。」
「我が強い」と言いますが、自分勝手な主張が強いと、他人から敬遠され、神様からも敬遠されるのだそうです。
身の回りを常にキレイに保つことも大切で、
「穢れたと思ったら自分なりの方法で祓うことが出来る。」
とも書いてありました。
体調の悪いことを言い訳にせず、毎日どこか少しだけでも掃除をすると、気持ちも浄化されるのがわかります
「自分のためだけに動くのと、人のためを思って動くのとでは、エネルギーの湧き方が違う。」
神様は、人のために動く人に力を貸してくださる。
幸運に恵まれている人を「ツイている」と言いますが、これは、「神様がツイている」「憑依している」状態なのだそうです。
そのことに感謝して、さらに人のために尽くせば、神様はさらに力を貸してくださるし、ツイていることを自分の実力と勘違いして、自分のためだけにその力を使おうとすると、神様はその人から離れて行く。
神様がいなくなった隙に入り込んで来るのが【魔】で、「魔が差した状態」とはこのこと。
宝くじで高額当選した人などが、その後転落していく話をよく聞きますが、まさにそういうことですよね。
ここ最近の私は、まさに「魔が差した状態」だと思いました
今年の年始、my神社の「敷島神社」のおみくじにも、
「胸の苦しみ、心のもだえ、よくよく考えてみれば、我が身びいき身勝手から起こっている。
我欲を捨てて他人の幸福を念じる心になり切れば、広らかな、清々しい気持ちに変わって来る。」
と、同じことが書いてありました。
その時は、深く心に入って行っていませんでした。
1月の末頃に、木花咲耶姫さまが夢に出て来て、「年始の私の言葉をちゃんと読んだのですか?」と言われました。
(※あくまでも雰囲気です。私は神様とちゃんと会話を出来るような能力はありませんので。)
それからずっと他人の幸福を念じる心になり切って、ずっとずっと何もかも上手くいっていて、とても幸せだったのに、調子に乗り過ぎていたのだと思います
それに気がつき、この日足が遠のいていた神社に行って、新たに誓いを立てました
気がつくのが遅く間に合わなかったかも知れませんが、また頑張ってみます
なんだか話が大きく脱線して、長々とすみません
詳細までは書けなくて、意味不明で申し訳ないです。
境内案内図にあるように、「日枝神社」「水天宮」のさらに左にもう1つ鳥居があり、「御嶽神社(御嶽塚)」があります。
ですが、写真の枚数が多過ぎるため、このあとに訪れた、同じ清瀬市の「中里の富士塚」と一緒に次回に持ち越します。
「塚」つながりということで