【文京区】白山神社 2019あじさい祭 | 鳥居の向こう側

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埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

【再訪シリーズ】第二弾ルンルンルンルン
6月13日(木)、文京区の神社へ訪れましたおねがい


都営三田線・白山駅より徒歩2分、東京メトロ南北線・本駒込駅より徒歩5分、
都バスバス【草63】「白山上」下車徒歩3分の、


白山神社です神社


※8月2日に記事にしました、荒川区の「諏方神社」へ行く前に、訪れました。



東参道社号碑大鳥居
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大鳥居をくぐる手前、白山駅からすぐのところで、ヨッシーさん(ほっこり町あるきガイド・大野義昭さん)にばったり遭遇し、お声をかけさせていただきました爆笑



石段を上って注連縄門
注連縄柱の間に、このような金属の飾りが付いている神社は、他では見たことがありません。中央には「左三つ巴」紋。
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この日は「文京あじさいまつり」の開催期間中でした。
この時期に合わせて来たのですが、あまりの人の多さに後悔しました滝汗



注連縄門をくぐると、左手に
手水舎アセアセアセアセ
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奇跡的に、誰もいない瞬間を捉えることが出来ましたチョキ


龍が吐水する水盤タラー
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手水を使い、180度振り向くと
拝殿です。
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人が多くて正面からは撮影出来なかったため、斜めからですカメラぼけー



拝殿前に、金色の瞳の狛犬さん犬
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社伝によると、天暦2年(948年)に加賀国一之宮「白山比咩神社」から勧請したとされています。
創建時は、現在より南東の、武蔵国豊島郡本郷元町(現・本郷一丁目)に鎮座していました。
建武4年(1338年)、足利尊氏公により、国家平安御祈願所に命ぜられます。

元和2年(1616年)、二代将軍・徳川秀忠公の命により、巣鴨原(現・小石川植物園内)に遷座。
慶安4年(1651年)、巣鴨原一帯が四代将軍・徳川家綱公の用地となり、明暦元年(1655年)、現在地へと遷座します。

五代将軍・徳川綱吉公と、その生母・桂昌院から篤く崇敬され、小石川の鎮守となり、元禄2年(1690年)、幕府より社領30石の寄進を受けています。

※小さな石川(加賀国)という意味で、「小石川」と名付けられました。
「白山」の地名も当社が鎮座していたことに由来しています。


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神幕の紋は、
「三子持亀甲瓜花(みつこもちきっこううりのはな)」
六角の「亀甲」の形を七五三に配した「三つ子持ち」、その中に「瓜の花」を描いた紋です。
それぞれ、長寿、家運長久、子孫繁栄を表しています。


御祭神
菊理媛命 くくりひめのみこと
伊弉諾命 いざなぎのみこと
伊弉冊命 いざなみのみこと


ご利益
縁結び・復縁・商売繁盛・家内安全・交通安全・火防・開運・除災招福・商談成立絵馬



星菊理媛命について星

「日本書紀」によると、黄泉の国で変わり果てた妻の姿を見て、地上世界に逃げ帰ろうとした伊弉諾命が、伊弉冊命と言い争いになりました。
この時、黄泉の国とこの世の境の黄泉平坂で、二神の前に現れ、仲直りさせたと言われる神様が菊理媛命です。

菊理媛命は「日本書紀」ではこの場面以外には一切登場せず、「古事記」には名前すら出て来ない謎の多い神様キョロキョロ??

マイナーな女神さまにもかかわらず、石川県の「白山比咩神社」を本宮とする白山神社は、全国に分布しているから不思議です。


「ククリ」=括り。 
仲を取り持ち、人と人の縁をつなぐという意味。
そのため、縁結びの中でもとりわけ「復縁」にご利益があると言われています。

「ククリ」=潜り。
禊の手引きをする巫女を神格化したものではないか。
神と人間の間を媒介する、霊能力を備えた巫女を連想させ、「イタコ」の祖先と考えられています。





焼失・再建を繰り返し、数十年間は本殿のみの時期があったとの記録があります。
明治元年(1868年)、准勅祭社に列格。

※准勅祭社に指定された十二社のうち、東京23区内の神社十社が現在の「東京十社」です。

明治32年(1899年)、拝殿を造営。
昭和8年、社殿を改修し、現在に至ります



境内案内図
拝殿の正面の参道が、駐車場から続く南参道 です。
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社殿と社務所をつなぐ、渡り廊下の下をくぐります。
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拝殿の横には細かい彫刻がありました。



社務所の裏手に、富士塚富士山があるのです。
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実はこの時期に訪れたのは、紫陽花が目的ではなく、この富士塚へ登拝するためでした爆笑

普段は門が閉じられていて、登ることが出来ませんが、「文京あじさいまつり」の期間中のみ開放されます爆笑


登山道はこの通り、ものすごい人ゲッソリ
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皆さん並びながら、紫陽花を撮影されていましたカメラ


山頂の、富士浅間神社です富士山
御祭神 
木花咲耶姫命 
このはなさくやひめのみこと桜
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古くから小さな祠があったのを、文化13年(1816年)に富士講信者が再建し、高さ約9.1mの山上に安置したとのことです。
その後、浅間神社は白山神社に合祀されましたが、昭和51年に復興し、紫陽花を植えて造園されました。



富士塚から見たご本殿キラキラキラキラキラキラ
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ご本殿真裏の白山公園側からカメラ
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社務所とは反対の、社殿の左側へ回ります。

神輿庫
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社殿のすぐ左手に、関東松尾神社
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江戸時代に京都嵐山の「松尾大社」から勧請されました。

御祭神
大山咋命 おおやまくいのみこと
中津島姫命 なかつしまひめのみこと
(市杵島姫命の別名)

酒造の神さまです日本酒




南参道の左手にも境内社が並びます。



富士浅間社・稲荷社・三峯社・玉津島社・天満天神社・山王社・住吉社の合祀殿。
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玉津島社というのは初めて聞きましたキョロキョロ

和歌山県にある「玉津島神社」を勧請したものと思われます。
御祭神は、
稚日女尊 わかひるめのみこと
息長足姫尊 
おきながたらしひめのみこと
衣通姫尊 そとおりひめのみこと
明光浦霊 あかのうらのみたま



その左に、小さいお社がありましたが、参道はふさがれて入れず、名称不明です。
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さらにその左に、八幡神社
白山神社が現在地に遷座する前から祀られていた、地主神です。
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御祭神
誉田別命 ほんだわけのみこと
姫命 ひめのみこと 
八幡太郎義家公 
はちまんたろうよしいえこう 


永承6年(1051年)、奥州征伐へ向かう源頼義・源義家(八幡太郎)親子が、当地の桜の木に源氏の白旗を立てて八幡神に祈願したところ、敵を討ち破ることが出来たので、感謝の意をもって創建されました。
源氏ゆかりの神社として崇敬を集めました。



石で出来た、不思議な形のもの2つ。
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東参道の注連縄門をくぐってすぐ右手、社務所の横にも小さな境内社があります。

福受稲荷神社
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可愛い神狐さん🦊
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今さらですが…滝汗
2019年の「文京あじさいまつり」は、
6月8日(土)~16日(日)の9日間に渡って開催されました。

約3,000株にも及ぶ多彩な紫陽花が、白山神社の境内から白山公園にかけて咲き誇ります。
あじさいまつりの期間中は、富士塚が10時~16時まで公開されていました富士山


せっかくあじさいまつり期間中に訪れたので、紫陽花の写真カメラも少しだけ。
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「孫文先生座石」の前が、紫陽花が密集しててとてもキレイでしたラブ
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石碑の下に、孫文先生の座った石があるらしいです。


狛犬さんの周りにも。
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普段は社殿や境内の写真以外は全く撮らないので、花の写真の撮り方がわかりませんイヒ


白山神社には【歯痛止め】歯のご利益もあり、「歯苦散(はくさん)」という言葉遊びから来ています。
江戸時代には、こういう言葉遊びが流行りましたよねニコニコ

これにちなんで、あじさいまつり中の日曜日には、歯ブラシ供養が行われています。



拝殿右手の社務所でいただいた御朱印です。勢いのあるダイナミックな書体。
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御朱印は書き置きのみで、2つ折りの厚紙に挟んで、十字に輪ゴムで止めたものを渡してくださいます。
バッグの中でもシワシワになる心配がなく、とても親切です爆笑




2017年の初参拝の時は真夏だったため、あじさいまつりの時に来ればよかった、と記事に書いていました。
今回、あじさいまつりの期間に訪れてみましたが…
混んでるもやもやあまりにも混んでいますショック

やっぱり神社は、参拝者の少ない静かな環境で、落ち着いて参拝したいです。
でも、この時期じゃないと富士塚が開放されないし…
うぅ、ジレンマぼけー



杉並区の「荻窪白山神社」でも感じたことなのですが、私は白山神社の空気感があまり得意ではないかも知れませんうーん

稲荷神社の、あの独特の妖しい雰囲気とはまた違うのですが、ちょっと湿度が高いというか、暗いというか…
あまりテンションが上がりませんにやり




【再訪シリーズ】はいったんお休みして…

本日は涼しかったので、1ヶ月半ぶりに神社巡りをして来ました照れ
次回は、本日訪れた東京都・清瀬市の神社ですウインク