【長野県・諏訪市】諏訪大社・上社本宮 | 鳥居の向こう側

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埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

5月24日(金)諏訪大社・四社巡りのつづきです爆笑ルンルン


【電車&バス】 電車バス
JR中央本線・上諏訪駅西口より
かりんちゃんバス(市内循環線) 「上社」下車すぐ、  
【車】 車
中央自動車道・諏訪ICより約2kmの、


諏訪大社・上社本宮
(かみしゃほんみや)です神社
   

諏訪大社の基本的なご由緒は、上社前宮の記事に書いていますので省略ウインク
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【長野県・茅野市】諏訪大社・上社前宮



北参道の大鳥居社号碑
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鳥居をくぐってすぐ、狛犬さん犬
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左手に手水舎アセアセアセアセ
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ここも、とてもシンプルな水盤



その先に明神湯♨️
諏訪明神ゆかりの温泉とされ、諏訪の温泉の源泉とも伝えられています。
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温泉を使った手水は、八坂刀売神が化粧水としても使ったお湯だそうですよ乙女のトキメキ



諏訪大社・上社本宮は、守屋山の山麓で中部地方唯一と言われる原生林に抱かれるように鎮座しています。

本宮には本殿と呼ばれる建物がなく、背後の神体山(守屋山)を御神体としていて、神体山を拝するための独特な社殿配置が特徴です。
式年造営御柱大祭の際に建て替える宝殿を、間近で拝することが出来ます。

本宮には貴重な建造物も四社の中で一番多く残っていて、6棟が国の重要文化財に指定されています。

※諏訪大社の公式HPには6棟と記載されていましたが、長野県の重要文化財建造物リストを見たら、2018年1月時点で16棟でした。
 (はるさん、ありがとうございました爆笑)




北参道の鳥居をくぐると、すぐ目の前に一之御柱が見えます。
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一之御柱の奥には、
御沓石(おくついし)があります。
「諏訪七石」の1つとされ、諏訪大明神が乗る馬の足跡が残ると言われている石。
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そのさらに奥には、
天之逆鉾(あめのさかほこ)
江戸時代に国学者が突き立てたものとのことですが、天孫降臨の地である高千穂峰の山頂に突き立てられた「天之逆鉾」との関係は不明です。



そのまま正面の石段を上って行くと、
塀重門がありますが…
ここは通れませんにやり
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その右手の入口門をくぐると、
参拝所の前に出ます。



ここにも温泉手水アセアセがありました。
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先ほどの閉まっていた塀重門を裏から。



時刻はお昼を回り、ますます暑くなっていましたが太陽、参拝所の右手のこの場所だけ急にひんやりとして、空気が澄んでいるのがわかりますキラキラキラキラキラキラ
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普段神社巡りを全くしない夫でさえ、
「ここ涼しいね~照れ」と言ってました。


木製の柵の奥に、
四之御柱があります。
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その左手に、元禄3年(1690年)建立の勅願殿
守屋山(神体山)に向かい建てられていて、御祈祷を行う場所です。
幣拝殿が祭典や神事など、公の祈願を行う場所であるのに対して、勅願殿は個人の祈祷を行う場所とのこと。
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神体山からは90度左を向き、参拝所の奥に幣拝殿が見えます。
参拝所の先、斎庭(ゆにわ)には一般の参拝者は入れませんぼけー



幣拝殿です。
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幣拝殿の奥が神居とされています。



御祭神
建御名方神 たけみなかたのかみ
八坂刀売神 
やさかとめのかみ (妃神)

※明治以前の「神社明細帳」には
建御名方神  のみ


ご利益
縁結び・子授け・安産・家内安全・
健康長寿・交通安全・商売繁盛・厄除け・必勝・開運招福絵馬



本宮の社殿は、幣拝殿(へいはいでん)と左右の片拝殿(かたはいでん)、脇片拝殿(わきかたはいでん)のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式です。
全て重要文化財です。

本宮の昔の建物は極彩色が施されていましたが、天正10年(1582年)に織田信長の兵火のため焼失し、その後元和3年(1617年)に再建されました。

その約200年後、諏訪藩主により社殿の改築が計画され、8年の歳月を要し天保9年(1838年)に現在の社殿が落成しました。
大工は立川和四郎二代目富昌で、立川流の代表的建築物と言われています。



拝殿と、奥に屋根だけ見えるのが
幣殿
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左片拝殿


右片拝殿と、脇片拝殿
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脇片拝殿の手前に神饌所と、その前に神体山の遥拝所



本宮の特殊神事は、御手洗川の氷を砕いて蛙2匹🐸を捕らえ弓矢で射抜き、神前へお供えして五穀豊穣と国家安泰を祈るという、元旦に行われる蛙狩神事(かわずがりしんじ)と、
それに続いて行われる、宮司の神秘な占いにより、1年間大社の重要な祭事に奉仕する御頭郷を選ぶ御頭御占神事(おんとうみうらしんじ)があります。



入口門を入って正面には宝物殿
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右手に参集殿があります。



石段を下りて一之御柱まで戻って来ると、一之御柱と手水舎の間にも道があり、境内案内図がありました。
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!!
順路は、先にこっちに行かないといけなかったんだぁ滝汗滝汗滝汗
鳥居を入って目に入るところにないから、まっすぐ上に行っちゃったよぉアセアセ



左手に神楽殿
大きくて立派な神楽殿ですキラキラキラキラキラキラ
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文政10年(1827年)の建立で、かつてはいろいろな神楽が行なわれていたようですが、残念なことに現在は絶えてしまいました。


中には直径が約1.8mもあるという立派な大太鼓!すごい迫力ですびっくり
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江戸時代のもので、現在では年に1度大晦日~元旦の朝にだけその音を聞くことが出来るそうですルンルン



土俵と、雷電像もありました。
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神楽殿の向かいに、
天流水舎(てんりゅうすいしゃ)
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どんなに晴れた日でも、どこからか雫が落ちて、宝殿の軒からの天滴とともに井戸に溜まるという言い伝えがありタラー、日照りの時太陽この水を持ち帰って神事をすると必ず雨が降る傘と言われていました。
近隣近県の雨乞いの神事にも、ここの水が使われているそうです。



天流水舎の左手に石段があり、両サイドに狛犬さん犬
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小ぶりの可愛い狛犬さんでした照れ



神楽殿と土俵の間から上を見上げると、木々の間に屋根付きの廊下のようなものが見えます。
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廊下の手前、左手に見えているのが、
勅使殿& 五間廊
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安永2年(1733年)の建造で、古記録には、神長官・祢宜太夫権祝・擬祝・福祝の五官着座とあります。



その先に駒形屋(神馬舎)
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白馬の奉納絵馬が掛けられていました。
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内部です。
祈雨の黒馬と、止雨の白馬馬



境内の端まで来ると、
東参道の鳥居がありました。
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太鼓橋が架かっています。


と、太鼓橋の左に、見覚えのあるワンちゃんトイプードル!!
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前宮でも会ったあの子です爆笑
またもやご主人さまをお待ち中。
犬にはあまり詳しくはありませんが、私を覚えていてくれたような反応でした。
可愛い~ラブ



こちらにも、鳥居の外に手水舎がありましたアセアセ
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だいぶ神仏習合色の濃い水盤です。



あらためて、橋を渡って鳥居をくぐると、布橋の入口御門が見えます。
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左手に摂社・出早社 (いづはやしゃ)
上社の地主神で、お諏訪さまの門番神。

御祭神
出早雄命 いづはやおのみこと
(諏訪大神の子神)
古くからイボを直す神様だそうです。



その手前には、
三之御柱遥拝所がありました。
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どれがそうなのかよく見えませんぼけー
上社、下社の御柱16本のうち、はっきりと確認出来ないのはこの本宮三之御柱だけでした。



布橋の手前、右手に
二之御柱
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鳥居をくぐり、布橋から拝殿へと向かうのが本来の順路です。

入口御門には凝った彫刻が施されています。
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その先に布橋。


布橋は、67mにも及ぶ長い屋根付きの廊下です。
大祝(おおほうり)が歩く時にここに白い布を敷いたことから名付けられたと言われていて、御柱祭の遷座の際には、神様が通る道として白い布が敷かれます。
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前を行くのは夫ですお父さん
昨年秩父三社巡りをした時と違って、写真を撮っているのにカメラずんずん画面に入って来ることはしなくなりましたが、布橋だけ唯一フレームインして来ましたしょんぼり


雨の日も濡れずに境内社にお参り出来ますが、左側は開いていて外に出ることも出来ますウインク
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額堂
全国の崇敬者から寄進された絵馬や額を納めてあり、「絵馬堂」とも呼ばれています。



摂末社遥拝所
文政11年(1828年)の建造。
昔は「十三所遥拝所」とも称し、前宮を始め13所・計39ヶ所の摂末社を遥拝する場所でした。
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大国主社
建御名方神の父神を祀るお社です。



布橋内の天井の隅にも、梶の葉のモチーフがズラッと並んでいます!!
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その先、境内のほぼ真中に、東宝殿(ひがしほうでん)、西宝殿(にしほうでん)と言う2棟の茅葺の建物があります。

東宝殿(新宝殿)
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西宝殿(旧宝殿)

本宮で最も大切な御社殿で、御柱祭の行われる寅年と申年に交互に建て替えられ、古い宝殿の神輿を建て替えた宝殿に遷す遷座祭が行われます。
軒からはどんなに干天の日でも最低3粒は水滴が落ちると言われタラー、七不思議の1つにもなっています。



東宝殿・西宝殿にはさまれる形で、本宮最古の建物、四脚門(よつあしもん)があります。
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慶長13年(1608年)に徳川家康が国家の安泰を祈願して造営寄進したものと伝えられていて、別名を「勅使門」とも言います。
かつては大祝(おおほうり)だけが、最上段の硯石と呼ばれる磐座へ登って行った門です。



斎庭(ゆにわ)を挟んで四脚門の正面には、その硯石(すずりいし)が見えます。
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神体山から神様が降臨される霊石と言われていて、石の凹面が常に水を湛えているところから名付けられましたタラー
硯石も「諏訪七石」の1つとされていますキラキラキラキラ




北参道の鳥居の前へ戻ります。
一之御柱の前の石段の右手には、
交通安全祈祷殿
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その隣りに、高島神社
江戸時代初期における高島藩中興の藩主三代の御遺徳を尊びお祀りしています。



さらに奥に、社務所斎館があります。

その奥へ行くと西参道があり、 かつては境内のすぐ近くまで諏訪湖が迫っていたため、波除け鳥居(両部鳥居)があったようなのですが、確認し忘れましたぐすん


社務所でいただいた御朱印です。
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少し細いけど、右上がりの書体は前宮の御朱印と似ているかな?
本宮の栞はグリーンでした照れ🔖




上社本宮は見どころがとても多く盛り沢山でした爆笑


最初に参拝所に向かい、違和感を感じたことが1つキョロキョロ?
諏訪大社のシンボル・御柱は、他のどのお宮も社殿の右前に一之御柱、そして時計回りに二之御柱、三之御柱、四之御柱と続きます。
でもここ上社本宮だけは、幣拝殿の向きと御柱の並びが90度違うんです。

本来の参拝順路で布橋から四脚門に向かい、四脚門から硯石を拝するお願い
この向きだと、御柱の並びも他の3つのお宮と同じになります。
(境内案内図を見ていただくとよくわかります。)


どうして拝殿の向きを90度変えてしまったんだろう…??
この謎も、またあらためて別の機会にウインク
もう制限文字数がギリギリなのです滝汗


謎が多く、とても興味深かった上社本宮。
四之御柱周辺だけ、空気が異常なほどにひんやりと澄んでいたのが印象的でしたキラキラキラキラキラキラ
いちばん神体山に近い場所だからかなキョロキョロ




下社へは翌日5月25日(土)に向かいますが…
次回はこの後に訪れた、上社摂社の
八劔神社ですウインク