5月24日(金)のつづきです
諏訪大社・上社本宮をあとにして、諏訪湖畔の「SUWAガラスの里」を見学した後、上諏訪駅周辺へ向かいました
神社ばっかりじゃ、有休まで取ってくれた夫に申し訳ないしね
【電車】
JR中央本線・上諏訪駅より徒歩10分、
【車】
中央自動車道・諏訪ICより約3kmの、
八劔神社(やつるぎじんじゃ)です
表参道の鳥居と社号碑。
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鳥居の外、左手に水盤がありました
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大きい石の真ん中がくり抜いてある素敵な水盤。
建屋がないため、置かれた竹に紙垂の付いた注連縄が掛けられています。
キレイな水が流れ続けていました
表参道の鳥居は南西の方向から入る形になります。
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鳥居をくぐった先にも左手に手水舎がありましたが…
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水盤に水も柄杓もありませんでした。
外の水盤でお清めしているので、問題なしです
正面に見えるのは、天正年間(1573~1593年)に武田信玄が寄進したと伝わる神楽殿。
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神楽殿があるので、拝殿はまだ見えません
神楽殿の前に狛犬さん
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その先は玉垣で囲まれ、やっと拝殿が見えました。
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拝殿です
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諏訪大社・上社摂社の八劔神社は、諏訪湖の「御神渡り(みわたり)神事」を行うことで知られています。
かつては、諏訪湖に突き出していた小島である高島の里に鎮座していました。
古来より諏訪大社に準じた神事を行うとともに、諏訪湖の御神渡り拝観という特殊神事を守り伝えてきた、諏訪大社と最も深い関係にある神社です。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉による高島城築城の際に、高島村とともに現在地に遷座しました。
慶長年間に、初代高島藩主・諏訪頼水が城の鎮護神社として以来、歴代の藩主が篤く崇敬し、明治以降は小和田村の産土神として庶民からの信仰を集め現在に至ります。
拝殿の扁額。
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お賽銭箱の神紋は「丸に諏訪梶」。
上社摂社なので足は4本です
御祭神
八千矛神 やちほこのかみ
=大国主命
※多くの矛の神の意で、大国主命の武神としての名前です。
日本武尊 やまとたけるのみこと
誉田別尊 ほむたわけのみこと
※神社名の「八劔」は「八千矛神」の略称。
ご利益
五穀豊穣・商売繁盛・天候祈願・出世開運・厄除け
拝殿は嘉永元年(1848年)に上棟したもので、彫刻は立川専四郎富種の手によるものです。
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【諏訪湖の御神渡り】
冬になると諏訪湖は全面凍結し、寒暖差で膨張・収縮を繰り返し、亀裂が入ります。
湖面に出来た亀裂が盛り上がり湖を貫く自然現象を『諏訪湖の御神渡り(おみわたり)』と呼び、諏訪の七不思議の第1に挙げられています。
御神渡りは、上社の御祭神・建御名方神が、下社の御祭神・八坂刀売神の元へ通われた跡であるとの伝承があり、御神渡りが出来れば氷上を人馬が渡っても危険でないとされてきました。
※画像はニュースサイトよりお借りしました。
御神渡りが出来ればそれだけ氷が厚いということで、氷上でのワカサギ釣り🐟も安心して出来る、とテレビで言っていたのを観たことがあります
最近では、2018年2月1日に5年ぶりに御神渡りが出現し、昨年その時に記事にしていて、「諏訪大社に行ってみたい。」と書いていました。
それから1年3ヶ月後に実現しました
八劔神社の特殊神事である、
【御神渡り神事】について。
諏訪湖で御神渡りが観測されると、臨時の総代会を開き、「拝観式」の日を決めます。
拝観式当日は、宮司以下神職と氏子総代が潔斎・修祓の上、諏訪湖へ向かい、御神渡りを拝観後社殿へ戻り、御神渡りの状況を御祭神へ報告する「奉告祭」が行われます。
この氷脈の方向などの状況により、その年の天候、農作物の豊作・凶作、世の中の吉凶などの「年占」が行われます。
※最初に出現した南北方向に走る御神渡りを「一の御神渡り」、その後同方向に出現したものを「ニの御神渡り」、東西方向に走り、一の御神渡り・二の御神渡りに直交するものを「佐久の御神渡り」と呼ぶそうです。
※画像はニュースサイトよりお借りしました。
御神渡りの状況と年占の結果は「注進状」にまとめられ、後日、諏訪大社・上社へ出向いて「御神渡注進式」を行い、神前に捧げられます。
諏訪大社は、この内容を宮内庁と気象庁へ報告するのが恒例となっているそうです。
※「奉告祭」と「注進式」は御神渡りの観測されない年でも行われ、「御神渡りはなかった」旨の報告がなされます。
御神渡りのなかった年の諏訪湖は「明けの海」と呼ばれるそうです。
ちなみに2019年は、2月3日に「明けの海」が宣言されたそうです。
御神渡りが観測されないと、ニュースにもならないですもんね
長野県では毎年発表されているのかな
八劔神社には天和3年(1683年)以降、300年以上にわたる御神渡り拝観の記録「御神渡り帳」が伝わり今日まで書き継がれていて、気象学上でも貴重な資料とのことです。
拝殿前の奉納の酒樽には、「八剣」も「神渡」もありました
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本殿・権殿は嘉永元年(1854年)に諏訪藩主によって寄進されたもの。
寅と申の年に式年造営を行い、盛大に遷座祭を行っていましたが、明治維新以降は本殿・権殿の千木のみ新調することとなったそうです。
諏訪大社と同じく、玉垣内の四方に御柱が立っています。
一之御柱。
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二之御柱。
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三之御柱。
四之御柱。
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四之御柱は普通の木と並んで立っているため、皮を剥かれて白くツルツルなのがよくわかります
境内へは4つの方角全てから入ることが出来ます。
北西側の鳥居。
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南東側は、鳥居ではなく注連縄門です。
北東側の鳥居。
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この北東側の鳥居からの参道左手(社殿右側)に、境内末社がところ狭しと並び、それぞれに小さな御柱が立っていました。
左から順に、名称不明の石祠。
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お犬様がいらっしゃったので、三峯神社でしょうか…
その右も名称不明の石祠。
キノコみたいな屋根です🍄
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その右に御嶽山大権現の石碑。
続いて、神明社。
後ろにもありそうだけど…
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御社宮司社(みしゃぐじしゃ)。
この地域に多いお社です。
その右に、厳島社と山之神社の合祀殿。
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その右に、
新海神社と穂見神社(ほみじんじゃ)。
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どちらも馴染みのない名称です。
「新海神社」は長野県佐久市にある神社で、「穂見神社」は山梨県南アルプス市にある神社のようです。
稲荷社🦊
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どんなにギュウギュウ詰めに並んでいても、御柱を隣りのお社と兼用にしたりはしません。
全てのお社にちゃんと4本ずつ立っています
その右に合祀殿。
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事代主神・大國主神・菅原神を祀っています。
最後、いちばん右端のお社。
神額はたぶん…「猿田彦大神」ですよね。
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このお社だけ唯一、御柱が立っていませんでした
この地域に古くからあった訳ではなく、近年に勧請したということなのかしら
屋根の千木が片方折れちゃってるのが気になります
社殿の右側に境内社がズラッと並ぶ中、社殿の左側には1つだけ…。
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これは、神饌所なのかな
推測ですが。
一之御柱越しの拝殿。
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玉垣の手前、神楽殿の右手には、
社務所兼小和田地区公民館。
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御朱印はこちらではいただけません。
「手長神社」の社務所でいただけます。
手長神社では「八劔神社」「手長神社」「足長神社」の3種類の御朱印をいただくことができます。
そのことは事前に知っていました。
手長神社も足長神社も、車ならそう遠くはないのですが…
もうこれ以上夫を引きずり回す訳にも行かず、我慢です
「八劔神社」は、昨年の御神渡りの時に結構テレビでもやっていて、宮司さんのお顔もお名前も覚えてしまったくらいです
お名前は、宮坂清さん。「宮」が付いてて清くて、神社の宮司さんにふさわし過ぎるお名前です
諏訪湖の御神渡りを見守り続けて来た「八劔神社」だけは、諏訪大社に来たら絶対に来たかったんです。
宮司さんにはお会い出来なかったけれど、来られてよかった
境内社の全てに御柱が立っている光景は、この地域の信仰を生で感じられた気がして、貴重な体験でした
この辺りは上諏訪温泉の温泉街でもあり、八劔神社近くの湯小路というところでは、家庭にも温泉が引かれているんです♨️
温泉の出る蛇口があり🚰、熱い温泉がジャンジャン垂れ流されていました
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諏訪湖の東側を北上して、翌日25日(土)は、朝イチで下社秋宮へ向かいます💨