大会前日に仙台空港から関西空港へ。そこからバスで京都駅へ。翌朝の大会バスで会場に向かいます。
実は仙台から大阪、京都って意外とアクセスいいんです。お金も東京行くより安い。時間も含めたら長野行くより全然楽。
③【比叡山という大会】
キラキラはねえ、とか言いましたが、硬派なのは50mileだけ。
50mileは「東のハセツネ、西の比叡山」と言われるように(遠い記憶)、己との戦い感が半端ないです。
でも「関西のトレラン祭り」と言われるように、大会自体は応援もエイドも多くて本当に賑やかです。
比叡山延暦寺という厳かな場所で、こんな華やかな大会があるなんて…。
現代に生きる我々は幸せですね。
カテゴリは23km、50km、50mileとあって、特に23kmは参加者もキラキラしてます。
いいじゃん。ビジュいいじゃん。大学生の男女サークルみんなで走ってたりするじゃん。
うん、トレランって楽しいよね!
んじゃなんで50mileは硬派かというと、まずは制限時間。80kmで累積標高差5500m。制限時間は11時間30分。
得意不得意もあるので単純比較はできないけど、メジャーどころだとハセツネなら10時間、KAIなら9時間半の走力がないと完走は厳しいと思われる。
この時点で参加者は相当に絞られます。
そしてコース。
ひたすら登りと下りを繰り返す。景色に癒されるのはほんの一部。
トレイルの下りは結構急で脚が削られるし、林道は「歩いたら負け」のような斜度の連続。会場に2回戻るからリタイアの誘惑もある。そして最後は激坂で締め。
さらに暑熱順化できていない時期。天候によっては難易度も倍倍ファイト。暑かったら何回転んでも立ち上がれません。
「トレイルランって楽しいよね!」
「みんなで安全に完走しよう!」
そんな業界全体の風潮に加え、ロングレースの参加資格もゆるくなり始めている昨今にですね、超絶ど真ん中ストレート真っ向勝負ですよ。
「もっと完走率の低い大会はある」
確かにそうです。しかし参加のハードルが高い。高すぎる。100km以上のトレランレース完走か、マラソン3時間以内。これをクリアした参加者達も7割前後は完走できない訳です。比叡山50mile、もはや完走させる気がありません。
ギザギザです。ギザギザ。
厳しいコースと参加資格。それをクリアする実績と覚悟があっても、なお高い比叡山50mile完走の壁。そして今回はコース変更で2024年、2025年と比較し距離3km、累積300mほど増えた模様。「全身全霊を込め、究極の極地にまで自分を追い込むことで、自分の知らない世界にまで己を高めるのだ」徹底的に厳しさを突きつけてくる大会ホームページ。もう説明は充分でしょう(むしろ長い)。④【ガースーのコンディション】KAIが終わってからも良い練習が継続できました。「KAIよりも一段コンディションは良いかな」とワクワクしていた矢先、三日前にやりました。右足を。
患部にちょっと怪しい感じはあったんですが、子どもの遠征先で刺激入れ。初見の折り返しや急カーブの多いコースで「3kmを速いペースで走る」ことにこだわってしまったんです。
陸上競技の癖が抜けなくて、少し痛くても調子を上げたい。でもそれは自信がないから。トレーニングで自分を安堵させたかったんです。トレイルラン、特にロングレースほど健康でスタートラインに立つ以上のことはないのに…。
終わったら普通に歩けない。
でもなぜか「比叡山は走れる」と疑いなく思っている自分がいました。
いいじゃん。こういう時こそ己の限界に挑む時。
こういう時のポジティブさは謎にある方。
(でもコーチとしては選手を迷いなく止めます。その先に目標があるなら尚更。自分は前半シーズンラストだし、絶対に完走したかったので)
⑤【スタート〜南ループ約20km】
8時50分。鼻息が荒くも、どこか行に臨むかの如く落ち着いた屈強な男達159名がスタートラインを飛び出す。女性は4名。それは選ばれし強者の証。
50km部門がスタンバイしてるから応援が半端ない。
おっと。西村さんめっちゃ咳してる。 でも「いつも通り最初からいくよ」
そう言って西村さんは消えました。カッコ良すぎる。
気持ち的には喜多村さんを追いかけたかったけど、いかんせん脚が痛い。
そう。「寝たら治る」と思って迎えた朝、全然治っていなかった。
でもこういう状況だからこそ「対自分」を徹底できるチャンス。
右足主導でリズムをとると痛みが強いので左足で。
右足の力は徹底的に抜く。
沈み込みが大きいと痛みが増すので上体は引き上げてキープ。
ケツ!ケツ!ケツ!
などなど。
こんな感じで「最善」をとにかく探りながら進みます。
速攻で50kの光研くんに抜かれる。
ナイキオレンジユニ似合いすぎだろ。カッコええ。
途中「足治った!足治った!」と声をかけてくれる方がいた。
インスタを見た人が自分に言ってくれていると思ってたんだけど(集団だったから違うかも)、これが本当にありがたかった。
ある程度の痛みはメンタルコントロールで消えるもの。だからすごく後押ししてもらった気分。途中の名物私設エイドはチア仕様。その姿、現代の舞い降りた天女の如し。行に臨む我々を讃えてくださっていた(と思われ)。少しずつ順位を上げて会場のA2には2時間19分でイン。もっと遅いと思ってたから気分は良い。
関西といえばガンバフンバくん!by二見さん
⑥【北ループ1回目20km〜50km】この区間はあんまり記憶になくて、引き続きひたすら痛みを忘れるための思考と、千日回峰行のことを考えていた気がする。
暑くなる予報だったがそれほど気にならない。というより同時に気にかけることができる事案って限られている気がする。
今回は脚が痛過ぎて、元々あった複数の小さな痛みや暑さは完全に意識から消えてた。人間ってすごい。
あ、覚えているのはキラキラした23kmの若い男女の集団ね。
めっちゃ楽しそうやんって思いながら見てた。
でもゼッケンは俺の方がキラキラだぜ、ゴールドだぜ。
あ、あと「アライバルですよ〜」って各エイドでオススメされたんですが、何かわからなくて飲まなかったんです。
2018年の信越で普段飲まないクエン酸飲料を一気飲みして盛大に戻した苦い過去から、レースで初物は試さないことにしてまして。ごめんなさい。
しかしですよ。終わってみれば飲めば良かったと思うことになる訳です(この話は最後に)。
「斜度いくつですか」と鏑木さんに聞きたくなる激坂を終えて2度目の会場帰還で50km。
6時間17分20秒。順位もタイムも良くわからんが、脚が痛いこと以外はすこぶる元気。
ただなんとなく北ループ一回あたり昨年、一昨年比10~15分プラスかなと思っていた。
一昨年の通過5時間55分は、今回に置き換えたら6時間10分くらいか。
実質プラス7分の通過ながら元気だったので、後半上げていけそうだぜ。
⑦【北ループ2回目50km〜ゴール】
ここから今回一番苦しんだパート。
50kmから65kmあたりにかけて何故か一気に出力が落ちてしまった。KAIの二の舞にならないように、補給は気をつけていたつもりだったけど…。
レース前、数字的な部分を学び直して、さらに補給の前後は必ず歩くことを徹底してきた。「それでも上手くいかないのが補給なのか…」とやや落ち込む。結局は後半に摂取量が減って足りなかったパターン。さらに吸収効率の落ちる後半に量を増やさなかったことと、ゆっくり吸収されるベースを作るリアルフードを摂ってなかったことが原因かと。結局、今回は予備で持ってた少量の羊羹、エイドのコーラ、バナナで乗り切る作戦に。
しんどい。ここどこだっけ。by長谷君ありがとう
次のエイドに向かう途中で「8位ですよ」と言われ、ようやく順位を知る。正直もう少し上かなと思っていたけど。皆強いな…。程なくしてまさかの西村さん。寒いらしくジャケットを着ている。めちゃくちゃネガティブな発言の連続だったけど、ITJも京都マラソンも走れているので力が落ちてるは絶対無いです。それならワタクシの今は…笑。ただ自分もネガティブになっていたので、西村さんと話せたのは気が楽になり助かった。この後から「エネルギーをもっと摂らないと走れない」と思い直した。その後は身体もしっかり反応してくれて、残り15kmくらいからは本当に良い走りができた。 同時に気がつけば足の痛みは完全に忘れていた。
でもそれに気が付いたのはゴールしてしばらく経ってから。
そういう無我夢中の状態を求めていたし、そうなれば痛みも消えるとわかっていた。不思議なもので本当に求めているものって、あれこれ考えて格好つけてる内は手に入らない気がする。全力で、無我夢中になって、終わってから気が付く。それができた最後の15kmでした。
最後の上りパート。必死。ラスト15kmは北1周目より10分早かった。
話は戻ってしまうが、残り1kmの激坂で身体を傾けながら辛そうに歩く草野さんをパス。聞いたら腰が痛いとのこと。それでも止めないメンタル。それをさせる比叡山50mile。どちらも半端ねえ。最終エイド手前で奥野さんに追いついた際、10時間切りは厳しいと話していた。それでも諦めずに無我夢中で走った。
結果は5位で10時間00分26秒。
盾ゲット!!途中の落ち込みがなければ100点で10~15分くらい短縮できたかもしれないけど、立て直したことも含め、全力を尽くせたことに満足しています。
優勝は喜多村さん!強すぎる!おめでとうございます!
ちなみに自分の場合、補給は1時間あたり糖質80gを目安にしています。ドリンクやジェル、グミやリアルフードを組み合わせて。今回は後者の準備とエイドでの摂取が疎かになってしまった。計画しても実行は難しいよね、ほんと。Gut Trainingをするようになってから、これだけ摂っても胃腸トラブルはほぼなくなった気がする。
⑧【低ナトリウム血症の海へダイブ】
ゴールした後にキラキラスカート(エマージェンシー)スタイルの黒田姉さんに会った。
お怪我は大丈夫でしょうか。
気が付けば自分の競技歴も長くなり「あの頃」の知り合いと会うことも少なくなった。
あの頃はレースも少なく、どこに行っても同じ人達に会っていた気がする。
黒田さんもその中の1人。だからゆっくり話したかったんだけど〜で、ここでアライバルの話。
急に吐き気、めまい、手の痺れが襲ってきた。
「何度も経験したこの感じ、救護へ行かねば」とすぐに救護室へ。
低ナトリウム血症でした。
スープやOS-1をもらったんですが治らず。
最終バスまでの2時間何もできず。バスに乗ったら大変なことになると思いつつ、帰る手段がないので気合いで移動。これ、制限時間ギリギリにゴールした人、バスだったら大変すぎる。制限時間からバス発車まで40分。ゴールしても尚、戦いが続くのが比叡山か。
〈薄れゆく意識の中で、西村さんのゴールは覚えているような。「自分がゴールしないと盛り上がらないでしょ!」。走りも発言もスターだ…〉
バスで席を代わっていただいた方、ありがとうございました。
救護の皆さん、ご迷惑をおかけしました。
京都駅までの約50分をビニール袋と共に耐え、到着後はバス乗り場のベンチへ。
治す方法は塩分を摂るしかない。奇跡的にOS-1の1Lパウダーと味噌汁2袋があった!
それをレース中に飲まんかい!ないならアライバル飲めば良かった!と自分に思いつつ、1時間後に回復。死ぬかと思った。ホテルまで歩いて帰りました。
黒田さんに習いエマージェンシースタイル。京都駅まで道行く人の視線を独り占め。
ホテルで追加の味噌汁を飲んで落ち着いたので就寝。
救護室でもっとスープ飲むべきだったんだな。
低ナトリウム血症は何度か経験しているんですが、夏は順応しているし気をつけているから大丈夫で。逆に対応が疎かになる秋、冬、春にばかりなるのよ。
冬になったやーつ。この時は対応がわからなくて回復まで時間かかりました。いやほんと、このあと家族にめちゃくちゃ迷惑かけました。
んで布団には入ったものの、レース後お決まりの翌朝まで寝られず。
3時にホテルを出て吉野家で牛丼。4時30分のバスで関西空港へ向かい、仙台ハーフの応援へ向かいました。
レース後に食べられなかったからリカバリーが遅い…。
⑨【現実と向き合う】
「俺、遅くなってますわ」
黒田さんにそう言った言葉は本心。目を逸らしてはいけない現実。
でも悲壮感は全くなくて、逆にやってやろうと燃えている。
思えば幸運なことに、走り始めた時から大きな飛躍はなかったけど、一年単位でみれば少しずつ階段を登ってきた。
けれども近年は足踏みしています。
だけど昨年、一昨年と、一年単位で大きく取り組みを変えたからこそ、今やるべきことが明確になっています。
結局は挑戦者。自分の成長と身体の変化を試すことが生きがい。
そしていつか訪れる「成長の日」を引き寄せるためにも、どんな結果であれ全力を尽くし続けます。
「東北RIZEの皆んなに誇れる自分でいたい」というのもモチベーション。いつも一緒に走ってくれる皆んなのおかげで、自分自身も良いトレーニングができています。だからもっと、もっと、皆んなに還元したい。一緒に新しい景色が見たいんです。
⑩【トレイルランナーに思う】
このブログを書いている頃、瑠偉くんのトレイルランナーへの呼びかけが話題になった。
同じ日、不思議なもので私も名取トレイルセンターで同じような話題になりました。
伝えるべき人が伝えなければいけない。
でも伝える側はその人達にどこまで伝え、寄り添えば良いのだろうか。
ただ言えるのは「先人の背中をみて、自分で調べ、学んできた時代」は終わったんだと思います。
どんなスポーツや文化も同じ。愛好者が増えるとはそういうこと。
しかし「山」が違うのは「死や怪我」と常に隣り合わせだということです。そして「他人に危害を及ばす可能性」さえも受け入れなければいけない。それはどんなに良い準備をしても。
それならせめて知識も含め「可能な限りの準備」をしなければ、山に入るのはとても他人に薦められたものではありません。大会も、ツアーも、準備はしてくれる。でも例えMt.FUJI 100のようなビッグレースでも100%の安全は提供できないのです。
同時に、伝える人間の100%もありえません。
だからもし、あなたが伝える側の人間なら、一度や二度の失敗は許してほしいと思っています。
私もあなたも、初めは初心者だったのだから。
でも甘やかすのは違います。しっかりと「怖さ」も伝えなければいけません。
こんなことを書きながら、自分自身が100%には程遠いゆえに、伝えることをためらってしまうことがあります。
比叡山でも最後の登りで声掛けが上手く行かず、必死だったこともあり追い越す際に接触してしまいました。女川100TRAILSでは遭難事案を発生させてしまいました。
だからこそ間違いを認め、指摘を受け入れ、時にはミスがなかったか伺う。少しでも100%に近づけるために。
それでも学ばない人はいます。学ぶ気のない人はいます。
「人が増える」というのはそういうことであり、どんなに手を尽くそうと、その層に届くことはありません
一方「できない人」がいるから、ツアーや大会などが成り立っているとも思える。
「できる人」が増えるほどに、私の仕事はなくなるでしょう
だから私は生かされています。でも、それでも良いんです。トレイルランがより良いアクティビティになれば、それで良い。
そんな思考と行動の日々。
だから今回のような「無我夢中」の時間が恋しくなる。
僕の名前は須賀暁、今日も「揺らぎ」の中を生きています。
ちなみに比叡山の50mile。また出たくなっている自分がいます。
攻略のやりがいがあるというか、絶景がないが故に己のやるべきことに没頭できるというか。関西の人達が熱くなる気持ち、わかる気がします。