再び我が散歩道‐1 大磯
まず、訪問したのが、大磯。湘南海岸発祥の地ともいわれる場所で、前著では、文学の章に属する、島崎藤村と高田保ゆかりの地である。
東海道線で大磯まで行く。土曜日のせいか、特急踊り子号や特別快速などに挟まれて普通列車が走る。然し乗車したのは平塚行き、大磯の一つ手前である。そこで特別快速を乗り過ごし。ようやく普通列車に乗れて大磯に到着。25年前はほとんどが普通列車でスムーズに行けた記憶が残っている。月日の流れはこういうところにも変化をもたらす。
大磯の改札は海側。曇りで時折強い日差しが襲ってくるが、海風が吹いてそれほど暑さを感じない。線路に沿って細い道を小田原方面へ歩いていく。三人の中年の女性たちが追い抜いて行った。そして、ガード下を抜けて反対側に行ってしまった。案内板があり、高田公園とあったので恐らくそちらへ向かったのだろう。島崎藤村の晩年過ごした庵はガード下を潜らず、そこをまっすぐ行くと300m先にあるとのこと。迷わずそちらへ向かう。300mが遠く感じたが、無事到着。その道から少し海側に入ったところにあった。大きな案内板があり、以前来た時とは明らかに様相が違っていた。
訪れる人が増えたのだろうか、庵は案内板の後ろ側、小綺麗な入り口があり、中へ入っていくと飛び石が連なり、玄関が見えていたが、その先は「関係者以外はお断り」の看板。そこは以前と変わらなかった。下の写真にもみえるように、矢印があり、横から庭へと導いている。以前は矢印はなく、掃除をしていた老人に許可を得て庭に回ったこと
庭に面した縁側には以前は椿の花と旧島崎藤村邸‐静の草屋-と題したパンフレットのみが置いてあったが、今回は写真の通り、藤村夫妻の写真と当方の門のオブジェと称するペーパークラフト作品などが賑やかに飾られていた。
説明係の女性が一人おり、説明をしていたが、私の後に続いていた若い夫婦に譲り、私は庭やほかの部屋の写真を撮っていた。その中でも藤村が最後に残した言葉「涼しい風だね」のオブジェがあり、ちょっと目を引いた。
高田公園に向かう。高田公園は「ぶらりひょうたん」で有名な高田保を記念した公園。今回初めて知ったが、彼は藤村邸に昭和24年ごろから住み、「ぶらりひょうたん」を書いたという。先のガード下を潜るときつい上り坂が待っていた。道の人に尋ねるときつい坂を登っていくと着きますよとのこと。少し歩くとそのきつさは並大抵ではない。以前の文章は「葛折りのややきつい坂で灯篭のある古式豊かな日本家屋やモダンな外人の家など多彩な高級住宅地の中を登っていく。少し迷ったが、無事着いた。」とある。かなり余裕の記述で、25年間の時の経過をこれほど強く感じたことはない。つまり、一歩一歩、歩くのに心臓がバクバクしてよろよろ歩くしかない。登るにつれて相模湾の景色が雄大になっていく様は何とかとらえることができた。
最後の写真を撮った時点で、体力の限界を強く感じ、高田公園は諦めていた。そして、ひたすら下りの道を選び、ようやく大磯の駅に辿り着いた。今回の散歩で思い知ったのは上り坂、特に急な坂道は登れないということ。残念だが、そこまで無理する必要はないと悟った次第である。まあ、それでもこうして四半世紀の時の経過を嚙み締める散歩は是非やりたいとの気持ちは蘇ってきた。