再び我が散歩道-3 大磯2 | 松尾文化研究所

松尾文化研究所

ブログの説明を入力します。

再び我が散歩道-3 大磯2

 大磯には西行の鴫立庵がある。言わずと知れた

「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」新古今集三夕の歌である。

今回は平日、同じルートで行ったが、非常にスムーズに行けた。大磯の駅の改札口を出て外に出ると数日前より暑かったが、時折、海風が吹き、薄雲が太陽を覆って、それほど暑さは感じなかった。旧藤村邸への道より海に向かう道を行く。途中、讃岐うどんの店があったので入る。まだ誰もいない。中年の男とその母親だろうか二人に迎えられる。母親と思われる女性が注文を聞きに来た。少々迷ったが、めかぶとろろうどんを注文。中年の男が作り、その母親が持ってきた。意外と速いのに驚いた。少々固めだが、讃岐うどんらしい腰があって、味もよかった。真中に立派な梅干しが載っていて、少々塩辛かったが、ぴりっと味を締めていた。

 店を出ると、直ぐに国道一号線があり、道を挟んで鴫立庵が森の中に見えた。国道から下へ降りていくと案内板があった。

 この反対側に、「旧鴫立澤」の碑が建っていて、趣を感じた。

 小川に橋が架かっており、水が豊富に流れていた。

 ここから鴫が飛び立ったのではないかと想像され、西行の時代が思いやられた。

 訪れる人は誰もいない。入口で入場料を支払い、階段を上って中へ入っていく。

 奥にあるお堂は円位堂といい、初代庵主大淀三千風が元禄時代に建てたままのもので、西行の等身大の像が安置されている。大淀三千風のお堂も正面左に祀られていた。

 正面右には鴫立庵室があり、正岡子規などとのかかわりが記された案内板があった。

 さらに庭には、佐々木信綱らの歌碑や多くの俳人の句碑が立ち並んでいた。ここは日本三大俳句道場の一つとのこと。多くの句碑の存在がなるほどと思わせてくれた。

 芭蕉は西行に心酔していたという。西行の和歌が時を経て俳句へとつながっていることが実感でき、充実した庭めぐりとなった。

 「男独りの散歩道」には以下の記述があった。「1664年、小田原の崇雪という人が石仏の五智如来像をこの地に選び、西行寺を建立する目的で草庵を結び、初めて鴫立沢の標石を建てたといわれる。1695年俳諧師大江三千風が庵を再興して入庵し、鴫立庵第一世の庵主となり、今日の第二十一世現庵主まで続いていて、京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場として知られているとのこと。門前の小川が滝となって流れ落ち、清らかな音を立てているが、水質は悪く、悪臭を放っていてこの雰囲気を壊しているのが残念である。また、次々と歌碑や句碑が現れ、庭を狭くしていてうんざりした。」今回、小川の流れは清流の趣があったが、あの時が2月の冬であり、今回が梅雨の時期であったことが関係しているかもしれない。あるいは環境問題への意識が高まっている今日のお陰かもしれない。句碑や歌碑の多さは今回も感じたが、うんざりするといった感覚はなかった。

鴫立庵から海に向かう。海岸を歩くのは何年ぶりだろうか。遠くに伊豆半島、近くに真鶴半島を眺めて空気を胸いっぱいに吸うと心洗われるようであった。また、人がほとんどいない、岩が並ぶ海岸風景も何とも美しい光景で、しばし自然の中で漂っていた。