再び我が散歩道 はじめに | 松尾文化研究所

松尾文化研究所

ブログの説明を入力します。

再び我が散歩道 はじめに

 今から四半世紀ほど前、私は神奈川を歩いた。カメラを片手にほぼ全域歩いた。勿論まだ企業の人間だったので、土日、休日に出かけた。約2年間歩き続け、「サラリーマン 男独りの散歩道」という本にして自費出版した。

現在、仕事はしているものの、平日でも出かけることは出来る。そして、四半世紀を経たあの場所、この場所がどうなっているかも見て見たい気がする。

そこで、全てとはいかないけれどあの日あの時、訪れた場所をもう一度、訪ねてみようと思い立った。勿論、この25年間、何度か訪れたところはあるが、この本を意識してのことではない。

まずは、この本の内容を簡単に紹介してみたい。

内容は、はじめに、第一章散歩とは、第二章自然、第三章文学 第四章歴史、第五章宗教、第六章人との触れ合い・女性論、あとがきといったものであった。

第一章の散歩とはでは「散歩という文字は散るおよび歩くから成り立っている。散って歩くのか、散りつつ歩くのか、散るために歩くのか。私なりに解釈すると散って歩くの散るは落ち着かない、集中しないの意、だから歩いて基を落ち着かせるということになる。散るために歩くの散るは気を紛らわすの意。歩いた結果気が紛れたということである。「ちょっと散歩して来る」といって気軽に出かける時はこの二つの意味合いがある。私が散歩道(さんぽどう)と大上段に構えた散歩は散りつつ歩く、つまりあちこちに関心を示しながら本格的に歩くの意である。あちこちとは自然であり、神社仏閣であり、公園であり、名所名跡であり、文学ゆかりの地であり、哲学の道であり、食べ物であり、人との触れ合いである・・・」まさに大上段に振りかぶった記述から出発していることが今更ながら感じる。

そして、第二章自然では、花、紅葉、海、島、山、川、湖沼、環境問題を取り上げ、第三章文学では、島崎藤村、高田保、牧野信一、国木田独歩、徳富蘆花、直樹三十五、村井弦斎、岡本かの子、北原白秋、西行ゆかりの地を訪ねている。第四章歴史では、鎌倉、小田原、横浜、国分寺、原始時代、太田道灌と曽我兄弟の名跡を訪ねている。第五章の宗教では、禅宗の鎌倉五山、日蓮宗、浄土宗・浄土真宗・時宗・真言宗ゆかりの寺を訪問、さらに神社、キリスト教ゆかりの地も訪れている。第六章では人との触れ合い・女性論としを展開している。

今思うと、よくぞこんなことをやってのけたなと自画自賛したい気持ちになるが、四半世紀を経た現在、体力の衰えをカバーしてどこまでフォローできるのかいささか心もとない心境である。まあ、何とかなるさという本来の楽天的な性格を信じて挑戦したいと思っている。