名作の楽しみ-569 眠れないほど面白い徒然草 板野博行 | 松尾文化研究所

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名作の楽しみ-569 眠れないほど面白い徒然草 板野博行

 予告通り、早速徒然草を読むべくKindle本を探したところ、眠れないほど面白いシリーズにあったので読んでみた。

 いきなり、「はじめに」で「口の悪さは超一級⁈「ザ・高等遊民」による歴史的おもしろエッセー」とあり、大いに興味をそそられた。そして、「この本では、兼好法師がつれづれなるままに書いたエッセーを6つの章に分けてまとめた。序段から243段までの流れを縦軸とするならば、兼好法師の思案を内容的にまとめてみるのは横軸での捉え方になると思う」とし、「徒然草は、清少納言の枕草子、鴨長明の方丈記と合わせて三大随筆と呼ばれることがあるが、それに対して小林秀雄の分を引用している。「兼行は誰にも似ていない。よく引き合いに出される長明なぞには一番似ていない。よく言われる枕草子との類似などもほんの見かけだけのことで、あの正確な鋭利な文体は稀有なものだ」としている。

「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつれば、あやしうこそものぐるほしけれ」この有名な序段の文章は、実はカンニングのあとが見られる。それは和泉式部の「宸翰本和泉式部集」の歌の詞書にあるという。「つれづれなりし折、よしなしごとにおぼえし事、世の中にあらまほしきこと。」また、和泉式部集・和泉式部続集」に見える歌の詞書は「いとつれづれなる夕暮に、端に臥して、前なる前栽どもを、唯に見るよりはとて、ものに書き付けたれば、いとあやしうこそ見ゆれ」とあり、さらに堤中納言物語や讃岐典侍日記にもみられ、「つれづれなり」「よしなしごと」「書きつけたれば」「あやしうこそ」などが序段の文章と被っている。このつれづれは、兼行の場合、単に暇を持て余した状態ではなく、心を安定させ、静かに悟りの境地に至る幸福な状態であるということであるようだ。以下、著者がまとめた言葉を掲げていく。

「恋愛の情趣をたしまないような男は物足りないものだ。そして、過ぎ去った昔の恋愛を思い出して、一人静かに涙しないようではだめだ」

「男女は障害を乗り越えて結ばれてこそ、本物だ。恋人の元を去る時に空を思い出せないような男は、恋愛などしてはいけない」

「お客が帰った後、月を眺めている女子はなんて風流なのだ。今は亡きその女性のことを思い出しては胸が痛む」

「月明かりの下、教養ある男女の優雅なデートは趣深いものだ。他人事とはわかっていても、思わずストーカーしてしまう」彼のストーカーぶりはかなりのもので、それゆえに徒然草ができたといっても過言ではないという。

「すべての煩わしいことは、月を見れば慰められるものだ。特に、秋、そして月の美しい夜に神社やお寺を参拝するのは最高だ」

「秋以上に心が浮き立つ季節は春に違いない。ただし、本当の春と秋との優劣はつけがたいところだ」

「酒を飲む人は死後、必ず地獄に落ちる。それは間違いない・・・だがやっぱりお酒は捨てがたいものだ」

「人の心を惑わすことで、色恋に勝るものはない。女難には、くれぐれも気を付けなさい」

「子供はいないほうがいいのだ。だが、子供を持たない人は、ものの情はわかるまい」

「男は、妻を持つべきではない。あえて言えば、別居して、時々通う関係がオススメだ」「昔から本当に賢い人は、死後に財産を残さないものだ。何も持たなければ、心は軽々となる」

「都の人は心優しく情に厚いので、思わず頼みごとを承諾してしまう。貧しく生活もままならないので、何かと不義理をしてしまうのだ」

「流行を追い求め、ありがたがるのは、浅はかな教養しかない人がやることだ。いにしえの素晴らしい文化をしっかり学ぶほうが、得るものは多い」

「寸暇を惜しむ心のない人は、死人と同じだ。人から正気じゃないと思われても、自分にとって本当に大切なことをなすべきだ」

「この世で生きていくには、タイミングを掴むことが大切。これだと思うことを決めて、それ以外は捨てて一事に集中せよ」

「世俗のもろもろの縁をすべて投げ捨て、この一瞬にすべてを賭けてやるべきことをやりなさい」

「どんな些細なことでも、その道の指導者は欲しいものだ。・・・仁和寺の番記者、兼好法師」

「素直な心で賢い人を真似てみれば、きっといいことが起こる。心は物事に触発されて起ってくるものなのだ」

「身体を傷つけるよりも、心を傷つける方が罪は重い。学問をすれば、他人を傷つけたり競争したりする気持ちは超越できるものだ」

「いい加減なうわさ話や他人の悪口から得るものは何もない。あとで言い逃れることができるズルい立場で発言するのは卑怯千万である」

「そもそも、できないことはやるべきでない。また、やろうか、やめようか迷っていることは、やらない方がいいものだ」

「世間にはクソ坊主が多い。だが、一人山寺に籠って仏道修行すれば、明鏡止水の心境に至る」

「教養は「金」だが、実用性に勝る「鉄」には勝てない。でも、もっと大切な「悟り」というものがあることを覚えておいてほしい」

「善人はもちろん、悪人でも極楽往生できる。だから、普通の人は起きている間、念仏を称えていればOKだ」

「40歳に満たないくらいで死んだ方が見苦しくない。自分の死後のことまで何か処置しておくことは、むなしいことだ」

「すべて、物事は始めと終わりが趣深いのだ。そして、そこには「無常」を感じることが何より大切だ」

「自分を知っている人は、物の道理をわかっている人だ。老いては老醜を晒さないことが大切だ」

「人が死んで時が経てば、いつの時代の誰ともわからなくなるものだ。お墓を訪れるのは、夕方の嵐や夜の月だけとなっていく」

「川の淵と瀬がしばしば変わるように、この世は定めなきものだ。人間の生と死は、どこから来て、どこへ去るものか、私は知らない」

「住居は、住む人と調和がとれているのがいいものだ。成金趣味の住まいはとても見ていられない」

「住まいは、夏の暑さをしのげる造りにしておくべきだ。冬はどこにでも住める」

「友とするに悪い条件は七つある。(身分が高い人、若い人、病気知らずの頑丈な人、酒の好きな人、武勇にはやる武士、ウソをつく人、欲張りな人) 一方、よき友の条件は三つに過ぎない。(物をくれる友、医師、知恵のある友)」

「大した用事もないのに人のところへ行くのは、よくないことだ。他人との距離の取り方は、場の雰囲気を読んで臨機応変にたいおうするように」

「いつまでも話せるような、本当に気の合う人はいないものだ。書物を通して、見知らぬ昔の世の人を友とすることで心慰めるのみだ」

「話し方でその人の、人となりがわかる。本当に教養のある人は、静かに中身のある話をして周りを巻き込んでいくものだ」

「一見容易に見えることでも決して手を抜かないこと。そして、勝負に勝つ極意は「負けまい」としてやること」

「勝負が逆転する時を知るのが、プロの勝負師だ。だが、賭け事ばかりやっている人は、何よりもひどい悪事をやっているのだ」

「恥をかく勇気がない人は、一つの芸も習得できない。「鈍」に徹すれば上手に至る。ただし、五十歳になっても上手に至らない芸は捨てるべきだ」

「自分の得意分野のことでも、出しゃばらないのがいいものだ。まして、知りもしないことについては語らぬ方がいい」

「完璧に仕上げるよりも、少し不完全である方がかえっていいものだ。腕利きの細工人は少し切れ味の悪い刀を使うという」

「万事において、専門の道をわきまえている人は尊敬に値するものだ。巧みなシロウトと、未熟なプロとを比べてみると、必ずプロの方が優れているものだ」

 以上、時代が違っても正しいことは変わらないということがよくわかる。だからといって、三大随筆を比較することの意味合いは分からない。小林秀雄の言うことも分からないではないが、少なくとも枕草子と徒然草を比較すること自体が間違っているとだけは言えると思う。次に方丈記を読んでみたいと思っている。