源氏物語の紫の上は定子だった? 二条あつこ | 松尾文化研究所

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源氏物語の紫の上は定子だった? 二条あつこ

 Kindle版を探していた時、この本を目にし、直ぐに頼んで読んでみた。源氏物語と枕草子を読んだ後だったことやNHKの大河ドラマ「光る君へ」を視聴してきたのでまさにうってつけの本だった。

 初めにの部分「日本文学史における―いえ世界文学においても圧倒的な輝きを持つ金字塔、源氏物語。しかし、ちょっとやっかいな点があるんです。まず主題が分かりにくいんです。物語が長すぎて、曖昧で。現代語訳や漫画を読んでも原文を読んでも、結局紫式部が何を言いたいのか分からなかった方も多いと思います。・・・」

 確かに言われてみればその通りだと思った。さらに、紫の上が光源氏の正妻のはずだったが、そこに女三宮という正妻が登場する。これには私も違和感を強く感じた。そして、結局は紫の上は光源氏に愛されて生涯を全うする。この点をまず作者は捉えて、紫式部が生きた時代を考えると、一条天皇に中宮定子がいるのに藤原道長によって中宮彰子を立てられ、二后並立、二正妻体制が築かれるという異常事態が起こる。その後、中宮定子は男の子を生むが、皇太子にはされず、さらに三人目のお産の時に死去してしまう。その上、彼女は徹底的に冷たい仕打ちを受ける。紫式部はそのことを憤りと悲しみのうちに見守ったというのである。そして、紫の上の物語を書き、リベンジを図ったというのである。ここでは、紫の上のみならず、光源氏の母親で薄幸の桐壺更衣も中宮定子に見立て、さらに宇治十帖の中の君にまでつなげていく。中の君は矢張り匂宮の正妻だったが六の君というもう一人の正妻がいた。中の君は皇子を生み、皇太子の可能性と国母の可能性を示唆して、子供の生まれなかった六の君には完ぺきに勝つという設定になっている。ここで完璧なリベンジが成立したということになるというのである。

 権力者藤原道長に対抗するために壮大な物語で行ったという考え。まさに快哉を叫びたい思いであった。また、清少納言も枕草子で中宮定子の悲劇を描かず、漢文の素養のある美しい中宮としてのみ書いている。これも道長への対抗の記だというのである。そして、仲の悪いとされる紫式部と清少納言は、実はそうではなく、紫式部は清少納言の枕草子を高く評価し、その記述、特に中宮定子に関する記述を源氏物語に取り入れたとしている。悲劇の中宮定子に対する憐憫の情は私を含め多くの人が抱いたものであり、道長のやり方に憤慨を覚えたが、こういう形でリベンジを成し遂げた紫式部に対して見直すと同時にそういうからくりを秘めた源氏物語の歴史的な価値を高く評価したい気持ちが沸々と湧いてきたのである。勿論、これは推測の域を出ないが、真実性が非常に高いと思っている。歴史は実に面白いもであることを改めた感じ言った次第である。