名作の楽しみ-509 田辺聖子「新源氏物語」 | 松尾文化研究所

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名作の楽しみ-509 田辺聖子「新源氏物語」

 谷崎潤一郎、与謝野晶子、円地文子訳に続く源氏物語4作目である。田辺聖子、今回は新源氏物語とある。まさか中身まで変えたのかと読みだしてみるといきなり、「空蝉」が出てきた。原文の冒頭はかの有名な「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。」であり、少々驚いた。しかし、「空蝉」は第三帖、読み進むうちに帚木の雨夜の品定めも登場し、第四条の「夕顔」あたりから原文に沿った形で語られていく。大阪弁をはじめとする方言も採り入れられ、現代風の訳が光る。こうして読んでみると改めて光源氏の女性に対する好奇心の強さ、一度関わったら最後まで面倒をみる優しさがひしひしと感じられる。それにしてもこういう男を描いた紫式部の作家としての力量の凄さにほとほと感心させられた。と同時に、平安時代文化の高さにも改めて驚いた。田辺聖子氏も述べていたが、紫式部の作家としての能力はまさに文豪。男性、女性を問わず、身分の高い社会の人々は勿論、下層社会の人々の描写も的確で奥が深い。さらに自然描写、音楽、漢詩、和歌、歴史にも深く通じ、それを小説の中の適材適所に表し、「もののあはれ」が源流として流れている様は古今東西の文学の中でも最高峰に位置すると言っても過言ではない。さらに、物語性に優れている点も素晴らしい点である。ハラハラするような幾多の恋愛劇が繰り広げられ、その行方にはらはらどきどきしながら読み進む読者の高揚感とワクワク感は並大抵ではない。そして、この物語、最後に近づくにつれて、光源氏の紫の上に対する愛情の深さがひしひしと感じられる。理想の女性として育て上げられ、それに見事に応えた紫の上像が光源氏以上に光っていた。これは紫式部の「女性の理想論」であるかもしれない。これまで読んだ谷崎潤一郎、与謝野晶子。円地文子では得られなかった紫の上像がひしひしと感じられた。田辺聖子は宇治十帖についても訳していて「霧ふかき宇治の恋」として販売されていたので、早速注文した。楽しみである。