百人一首の歌人―27 大江千里 | 松尾文化研究所

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百人一首の歌人―27 大江千里

「月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど」

(月を見ると、あれこれきりもなく物事が悲しく思われる。私一人だけに訪れた秋ではないのだけれど。)

西行の「嘆けとて月やは物をおもはするかこち顔なるわがなみだかな」はこの歌を受けたとされる。

さらに【主な派生歌】として以下があるとされる。

詠むればいとど物こそかなしけれ月は浮世のほかと聞きしに(俊恵)

秋の月ちぢに心をくだききてこよひ一よにたへずも有るかな(荒木田氏良[千載])

夕霧も心のそこにむせびつつわが身ひとつの秋ぞ更けゆく(式子内親王)

思ふこと枕もしらじ秋の夜の千々にくだくる月のさかりは(藤原定家)

いく秋を千々にくだけて過ぎぬらん我が身ひとつを月にうれへて(〃)

秋をへて昔は遠き大空に我が身ひとつのもとの月影(〃)

千々におもふ心は月にふけにけり我が身ひとつの秋とながめて(藤原忠良)

ちぢにのみ思ふ思ひも心からわが身ひとつの秋の夜の月(飛鳥井雅経)

ながむれば千々に物思ふ月に又我が身ひとつの嶺の松風(鴨長明[新古今])

月かげをわが身ひとつとながむれば千々にくだくる萩のうへの露(後鳥羽院)

月みても千々にくだくる心かな我が身ひとつの昔ならねど(俊成女)

年を経て我が身ひとつと歎きても見れば忘るる秋の夜の月(藤原為家)

妻こふる我が身一つの秋とてや夜な夜な月に鹿の鳴くらむ(式乾門院御匣[新続古今])

いつまでか我が身ひとつの出がてに故郷かすむ月をみるべき(二条為藤[新千載])

我ひとり月に向かふと思ひけりこよひの月を誰か見ざらむ(香川景樹)

 大江千里(生没年不明)

9~10世紀初頭にかけて生きた人だと言われ、大江音人(おとんど)の子で在原業平、行平の甥になる。家集に「句題和歌」がある。中務少丞や兵部大丞などを歴任し、伊予国の権守となったり、罪によって蟄居させられたこともあったようである。

 大江千里の和歌

 鶯の谷よりいづる声なくは春来ることを誰か知らまし(古今14)

 この歌の主な派生歌

 【主な派生歌】

おぼつかな谷より出づる鶯のそこにありとはきかするものを(源頼政)

うぐひすの谷より出づるはつ声にまづ春しるは深山べの里(藤原教長)

あし引の山のはかすむ明ぼのに谷よりいづる鳥の一こゑ(式子内親王)

あきらけき御代の春しる鶯も谷よりいづる声きこゆなり(宗良親王)

うらやまし谷よりいづる鶯よわが山里は春もしらぬに(後崇光院)

 跡たえてしづけき宿に咲く花の散りはつるまで見る人ぞなき(続千載176)

 源氏物語「花宴」に引用されたことから一層王朝人に愛誦された歌。

 照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしく物ぞなき(新古55)

 【主な派生歌】

おほ空は梅のにほひにかすみつつ曇りもはてぬ春のよの月(*藤原定家[新古今])

さゆる夜はまだ冬ながら月かげの曇りもはてぬけしきなるかな(藤原定家)

志賀の浦のおぼろ月夜の名残とて曇りもはてぬ曙の空(後鳥羽院)

空も猶おぼろ月夜の比とてや曇りも果てぬ春雨ぞふる(藤原為家)

月影は曇りもはてぬうす雲のたえまがちにもふるあられかな(飛鳥井雅有)

むらさめは曇りもはてぬひとそそき晴れゆく空に鳴くほととぎす(進子内親王)

月ぞなほ曇りもはてぬ山の端はあるかなきかにかすむ夕べに(頓阿)

ながめやる遠の高ねの花の色にくもりも果てぬ夕月夜かな(慶運)

照りもせず曇りもはてぬ冬の日の空ゆく雲はうちしぐれつつ(宗良親王)

かすみつつ曇りもはてずながき日に朧月夜を待ちくらしぬる(飛鳥井雅親)

照りもせぬ春の月夜の山桜花のおぼろぞしく物もなき(本居宣長)

神な月しぐれの雲のはれもせず照らしも果てぬ谷の真葛葉(幽真)

 ちりまがふ花は木の葉にかくされてまれににほへる色ぞともしき(句題和歌)

 植ゑし時花まちどほにありし菊うつろふ秋にあはむとや見し(古今271)

【主な派生歌】

夕立の菊のしをれ葉はらふとて花まちどほに人やあざける(藤原定家)

今朝みれば垣ねの菊もうつろひぬ花まちどほにいつ思ひけん(土御門院小宰相)

 露わけし袂ほす間もなきものをなど秋風のまだき吹くらむ(後撰222)

 山さむし秋も暮れぬとつぐるかも槙の葉ごとにおける朝霜(風雅1586)

 ねになきてひちにしかども春雨にぬれにし袖ととはばこたへむ(古今577)

今朝はしもおきけん方も知らざりつ思ひいづるぞ消えてかなしき(古今643)

秋の日は山の端ちかし暮れぬ間に母に見えなむ歩めあが駒(句題和歌)

 葦鶴のひとりおくれて鳴く声は雲のうへまで聞こえつがなむ(古今998)