百人一首の歌人-25,26
25,待賢門院堀河
「長からむ心も知らず黒髪の乱れてけさは物をこそ思へ」
(末永く愛してくれると誓ったあなたの心が分からないので、一夜逢って別れた今朝の私の心はこの寝乱れた黒髪のように物思いで乱れていることですよ。)
神祇伯・源顕仲の娘。前斎院令子内親王に仕えて前斎院六条と名乗り、その後、崇徳院の生母、待賢門院(鳥羽院の中宮・璋子)に仕えて「堀河」と呼ばれた。一度は結婚したが、幼い子を残して夫は亡くなったという説もある。77番・崇徳院は政略で退位させられるが、その時(1142年)に待賢門院璋子も法金剛院(仁和寺の子院)において出家し寂しく余生を送った。堀河も一緒に出家して、生活をともにしたという。久安元年(1145年)に女院が亡くなると、その一周忌が終わるまで他の女房たちと一緒に法金剛院にこもって院をしのんでいたと伝えられている。院政期歌壇の歌人として、崇徳院に認められていたらしく、14人の歌人が詠んだ「久安(きゅうあん)百首」の作者の一人。自撰家集「待賢門院堀河集」には崇徳院からほととぎすの歌を10首もいただき、返歌をせかされた様子が記されている。86番・西行とは歌を通して親交があり、2人の歌の贈答が「西行法師集」に見える。待賢門院の死を悲しみあう西行との贈答歌や、彼女の妹である上西門院兵衛との姉妹連歌が残っている。女房三十六歌仙に選ばれ、「金葉集」以下の勅撰集に66首入集している。
待賢門院璋子が亡くなり寺に籠って喪に服しているとき、西行からの慰めの歌が届いた。「尋ぬとも風のつてにも聞かじかし花と散りにし君が行衛を」
その返しに、
「吹く風の行衛知らする物ならば花と散るにも後れざらまし」
その他の代表的な歌。
「つれなさをいかに忍びて過ぐしけむ暮れ待つほども耐へぬ心に」
「疑ひと心の占のまさしさはとはぬにつけてまづぞ知らるる」
「憂き人を偲ぶべしとは思ひきやわが心さへなど変はるらむ」
「わすれにし人はなごりも見えねども面影のみぞたちもはなれぬ」
「やまの井のあさきこころをしりぬれば影みむことは思ひたえにき」
「あやめぐさかけてもいまはとはぬまにうき寝ばかりぞたえせざりける」
「うき世にも月に心はなぐさむをつひにいかなる闇にまよはむ」
「ありしにもあらぬうき世にかはらねば月ぞむかしのかたみなりける」
26 崇徳院
「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」
(川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれる。しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれても、いつかはきっと再会しようと思っている。)
鳥羽天皇の第一皇子で、1123年に5歳で天皇の位を譲り受けた。18年の在位の後に近衛天皇に譲位し、鳥羽上皇(本院)に対し新院と呼ばれた。鳥羽上皇の死後、後白河天皇との間で、後の天皇にどちらの皇子を立てるかで対立。戦となる(保元の乱)が破れ、讃岐(現在の香川県)に流され、45歳で没した。在位中に藤原顕輔に『詞花和歌集』を編纂させている。
崇徳上皇の歌
春くれば雪げの沢に袖たれてまだうらわかき若菜をぞつむ(風雅17)
春の夜は吹きまふ風のうつり香を木ごとに梅と思ひけるかな(千載25)
朝夕に花待つころは思ひ寝の夢のうちにぞ咲きはじめける(千載41)
山たかみ岩根の桜散る時は天の羽衣なづるとぞ見る(新古131)
尋ねつる花のあたりになりにけり匂ふにしるし春の山風(千載46)
花は根に鳥はふる巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき(千載122)
惜しむとて今宵かきおく言の葉やあやなく春の形見なるべき(詞花50)
五月雨に花橘のかをる夜は月すむ秋もさもあらばあれ(千載176)
五月山弓末ふりたてともす火に鹿やはかなく目をあはすらむ(新拾遺274)
早瀬川みをさかのぼる鵜かひ舟まづこの世にもいかが苦しき(千載205)
いつしかと荻の葉むけの片よりにそそや秋とぞ風も聞こゆる(新古286)
たなばたに花そめ衣ぬぎかせば暁露のかへすなりけり(千載240)
玉よする浦わの風に空はれて光をかはす秋の夜の月(千載282)
見る人に物のあはれをしらすれば月やこの世の鏡なるらむ(風雅608)
秋の田の穂波も見えぬ夕霧に畔づたひして鶉なくなり(続詞花)
秋ふかみたそかれ時のふぢばかま匂ふは名のる心ちこそすれ(千載344)
もみぢ葉のちりゆく方を尋ぬれば秋もあらしの声のみぞする(千載381)
ひまもなく散るもみぢ葉にうづもれて庭のけしきも冬ごもりけり(千載390)
このごろの鴛鴦うき寝ぞあはれなる上毛の霜よ下のこほりよ(千載432)
つららゐてみがける影の見ゆるかなまことに今や玉川の水(千載442)
夜をこめて谷の戸ぼそに風さむみかねてぞしるき峰の初雪(千載446)
恋ひ死なば鳥ともなりて君がすむ宿の梢にねぐらさだめむ(久安百首)
吹く風も木々の枝をばならさねど山は久しき声ぞ聞こゆる(久安百首)
狩衣袖の涙にやどる夜は月も旅寝の心ちこそすれ(千載509)
闇のうちに和幣をかけし神あそび明星よりや明けそめにけむ(久安百首)
道のべの塵に光をやはらげて神も仏の名のるなりけり(千載1259)
うたたねは荻ふく風におどろけど永き夢路ぞさむる時なき(新古1804)
浜ちどり跡は都へかよへども身は松山に音をのみぞなく(保元物語)
夢の世になれこし契りくちずしてさめむ朝にあふこともがな(玉葉2368)