とげのある道に座って泣いている犬の飼い主に聞いた。なぜそんなところに座らせているのか。飼い主は言った。痛がっていると思うだろう、こいつはそれ以上動くのが面倒くさいんだよ。
強い悪業である怠惰、散乱、気の緩みなど、これは感官の展開で起こる。
テレビはなぜ悪いか、生放送で現在の時よりも、生放送で四秒遅れているからだ。YouTubeの生配信はより分配されているからもっと遅れる。収録したものはもっと悪い。
生放送や生配信などの「生」とは時との関係なので、感官の展開は、時を逆走しに向かっていて、生(ナマ)はなくなる。今(生)の時に生きていないと命題達成が打てない。人生が進まない。
進んでいて、自己の下で勝手に増えないから、自分が何かを増やそうと企む。
時(time, 他世界各国の語の「時」)というのは、お父さんが与える命題と、お母さんの抱擁だ。
神道 三柱(みはしら)
天之御中主神、あめのみなかぬしのかみ(根本原理)
天地がまだ分かれず、混沌としていた時に、行わないただ中央に坐している神。
高御産巣日神、たかみむすひのかみ(産霊)
(父性的命令)契約的、前進的、命令的。
因を生起させる働き。姿を顕さず隠れている。
神産巣日神、かみむすひのかみ(霊的働き)
(母性的抱擁)維持的、眼前の叱り
果を受け取り形にする働き。姿を顕さず隠れている。
自立系では、お母さんとお父さんといつも話す。苦しみ(命題)は父で、抱擁と不快は母だ。現在系では忘れる。
徳を積んでいない人は、お父さんお母さんが子供のときのままの個体母と個体父になっている。人生をしていないから両親に孝がない。
諸行無常
諸々の形成された物は無常であるということ。(行に所以して物(と心)があり、形成されたモノとなること。)
一切行苦
お父さん(命題)に因って、あなたの縁(物と子と子達)は形成されている。
諸法無我
この世の法則に僕は登場しておらず、関係(義への応答そのものと、汝(縁のそなた)への応答そのもの)がある。
涅槃寂静
形成を発展させて次第(段々)から解脱することが出来る。
なぜ溶岩があり、海があり、鉄道が張り巡らせられるのか。なぜ仕事であれ家族であれ、ご縁を裏切ると、社会契約をせざる得ないのか。
なぜご縁で増やされている者物を追いかければ、時は止まり、走るのか。
なぜ光の速さは誰にとっても一定で、速く動くものの時は遅く流れるのか。
「行(命題意志)」で、物(五大の関係)が形成されて、更新された流れとして自然(山、川、木、大地、星々など)が維持され、行の段々通りに現象化されて(例えば多種多様なお店が出店されて)その維持を図るために交換を速めようと交通が起こっている。
物が先行していて、お金というのは細い縦糸。正しいお金の使い道は、未だ訪れてない欲の経験に預かる為、過ぎた欲を立ててゆく為。ここに工夫がある。
教の会における共同体的臨在に聖霊は宿る。
イエスキリストは言った。「二人または三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいる。」(ここで言う名とは存在、権威、命という心)
主君と、妻が、その名に所以しているならば、所はあなたから離れないだろう。
言、言葉、言語の順番であり、正語とは縁への影響を考えた正しい言葉(発話)である。
人生は因縁生起(生起とは果)である。だから行法が先にある。だから生産が先にある。そして縁が形成されている。(だから遠く徳の低い人と関わると色(五大)の関係で道連れにされる。常時的な課題が増やされたり、部分的な課題が常時的な課題に定着させられたり。)
(シェイカーに、コーヒー粉末を入れて振らなければ沈殿してゆく。放逸でそのまま沈殿させてゆくのが徳の低い悪人の働きだ。振って沈殿させないのが中徳の働きだ。振ったシェイカーを誰かに与えれば善い。更に誰かに与えれば、高徳の働きだ。(だから現象として、言、言葉、言語(形成)はされる。言語(形成)は、伽藍や、各ボックス(各支部や、各店舗、モノの流通)として現象化される。)
物っていうのは、応答そのもの自体と、汝の関係だ。過去の徳業というのは、呪われることしか出来ないから。
美しいものや道徳的に善いものに対する生き生きとした教養感覚。これがなければ、立て糸(お金)は知り得ない。
個人主義(人はみなシュードラ主義)は教養がない。(僕の上司と僕の部下、僕のお客さん。僕の彼女)
リベラルの論理は父性のない社会と言えよう。女は社会性が強いとかっいいとして、男は未来に向かっていれば賢いと言われる。これを共働きと言う。それは言(論理)の段々のインフレーションした先である。
オリンピックと万博博覧会は、命題なのか。あれは常時タスクだ。
女は男っぽいから女になることを要求されているし、男は女っぽいから男になることを要求されている。
男臭い人とは何か、それはモノ臭いのだ。男らしさ(大丈夫)では無い。
僕が何かを理解するということ。これが渇愛。正しいのは知らないことの経験に預かるということ。これが正念(正しい記憶)だ。欲が通る。
したことのないそれではなくて、ただ経験していないこと。だから正しいお金の使い方はまだ訪れていない欲の生起に布施すること。行動を布施すること。そうでなければ、欲は充実しない。
経営というのは、既に過ぎた欲を誰かの為に立ててあげること。
