言から言葉が紡がれて文化があると言った。文化の直前には、右の翼、左の翼は広がっているのである。その頃、あなたの右は血液的な家族。あなたの左は新しい職場である。何らかの返済に追われる。


この世は縁である。木(こ)の世である。縁への業は五蘊である。




十二縁起は因縁であり、最初の日月の連環である。言葉の連環である。



縁への業で人生は審判されてゆきます。


世界を見誤らない。世界は地図の上で別の大陸もあって広いのではない。世界は長いのだ。世界は仁義礼智信である。これを見誤った時間の分、仁義礼智信から外れ、越権行為(僕の問いを保有すること等)に恥の感受が赦されず、眼球(王(参与する)を求める艮の目)は、ボクのガンキュウとなり、対象(外縁のどれか)を貪り、上を押し出せず、即ち下を残せず。

上を押し出しまくるとは、全引き受けをしまくるということ、全引き受けをしまくるというのは、下に長さが出てくるということ。



金、女は、縁(内縁の進み)である。外縁貪り(貨幣達貪りと女達貪りで、女と金は朽ちること物の理である。六師外道。)





人間(内縁の中間層)はそれをそのまま見ることは出来ない。人の子は見る事が出来る。

人の子の連環は、言の連環。十二は因縁である。仏典(東方パシャン)の自己に寄れとは、龍である。それは信、行(しんこう)である。




ティーンネイジャーの頃は誰でも血液的な時間と、職業場としての時間(授業や部活)、その間に空間(遊び)の時間があります。(空間(遊び)では持続が瞬間から生起している様な音(例えばシャンパンの開封音、乾杯する音。スポーツの歓声音。トモダチとの驚きの共有音。)(破裂音系(持続が瞬間から成っている系)に関心がゆき、その感受に恥や罪を感じる事は内縁を知らなければ、あまりありません。


そして大人になり、血液と、遊びと職場は、収束に迫られてゆきます。残債に気付かされてゆくからです。仕事、女、金、友、物の収束です。内縁で進行して、残りの支払いを進めます。


私はその最初を教えています。この世は縁であり、十です。物の理です。内縁は労働連環の最初であり、その展開はエロヒーム(次に訪れる全て。)内縁の左(敵への工夫、叩き)はエロス。木の連環は労働です。


私を信じること。女を守ること。仕えて行うこと。自分が通っている事。(また、女達や外縁物の場では払うこと。)思い出の場(万年からのともだちの場)(肉親の場)でも、失礼じゃなければ払うこと。)(過ぎた場は全てお祓いの場である。)


愚かな者は内縁に原罪を感じれず、与えられている事柄の中で、自己に依れず(龍になれず)に、自己の瞬間的定義の言い(僕)を、生起させていることに恥の感受が赦されておらず、ボクはカツ!ボクはマケナイ!と比較(流れではなく、周囲を点的に掴んで見て)ティーンネイジャーをつづけます。


私が始めの頃に通り過ぎたその様な人間達。それらの末路は、20代になっても、それを続けます。(ソレにボクがカツ!は、誰でも飽きるので、ボクはアタラシイを探しにいく!として盗み(皿(縁)を取り替える)を働きます。

内縁にダメージを与えて、次の皿へ、己の人生が落ちてゆきます。


彼らには罪の意識は多少ありました。彼らはそれが瞬間から訪れていると錯覚したのです。罪を感じたけどまあいいやという感じ。なぜなら僕(瞬間的)に生起している感情だと錯覚して罪を頼りにしなかったからです。

あなたの罪の意識や、胸による情緒的な罪の感受は生産諸関係から分散落下したものです。「呼ばれている」ということです。罪が先に存在しています。そこから目を背けて来た人物が、あなたの周り(あなたの住所)にいるその様になりたくないセンパイです。


あなたは教えを聞いて瞬間的に罪を感じているのではありません。罪が最初にあり、呼ばれています。あなたが罪を聞くのなら、道を進み、行じて、思い出を流す。思い出を掴むときに停滞すると知るだろう。思い出はいつも上から流れて来るからである。


私に乗りなさい。それは大乗で、十を見る心の行い(徳)です。私が仕留めた(仕え留めた)サタンの分岐は龍であり、あなたが人に帰る道である。

私は物質が何かを知っていて、あなた方は物質が何かを知らない。私が知っていることを、あなた方は知る必要に迫られる。



まず極道(右)を知り、気持ちがぶれたり、状況がぶれたりしても、縁を離さない。右だけで、左を疎かにすると途中、経済困窮などに遭う為、極道を続ける為に、行(左)で、昇りまくる必要がある。ここに中道がある。龍である。右から左の順番は誰にも変えられない。


右、左で行じてゆくと、過去の思い出(新しい出会いを求める労働。)や、右だった過去(血液やその系のトモダチ)等、両に広がっていた価値だと感じていた物が流れはじめる。物理的、精神的な成長が始まる。

ここらへんで女が浮き出て来る。次に女を守り続けると内縁(労働連環)が収束し始める。女の生理(月経)は経済(下位連環)である。女ではない女達には礼儀の限りは払う。


伝統学問は、あらゆる投資行為の最初を教える(予感させる)ものです。最も非行為(生きる)です。

(無行為(僕と停止)ではありません。)


身に起こっている事は、全て縁に基づいた行いの産物です。悲しみは縁を知らせます。あなたがあなたの身に起きている事を所有(外から起こった僕固有のできごと)する分だけ朽ちてゆきます。人生はあなたの幸せではなく、あなたの統合を求める。


あなたは言葉に住んでいます。言に沿い、言葉を紡ぐとき、目の前に左はいる。隙間のない状況は十(全方角)の背負いである。信じる者は救われる。全てを赦す(隙間なく叩く)からである。




起こった罪悪感情や道徳感情が瞬間から生起しておらず、時間的に縁環しており、分岐して訪れたそれ(罪悪感情や道徳感情)(内縁の知らせ)を頼れば善い。諸々は信義から発生する。


無明、行、識、名色、六処の流れの六処理に渇愛する事で、持続は瞬間から生起していると錯覚し、行は西北(犬猪)へ落ちてゆく。名色も落ちるので、多を住所にする。昔の時代と現代になる。残存物は文化です。あなたは言葉に住んでいます。内縁に住んでいます。ここで私はあなたに嘘をついていない。あなたが嘘つきなので私に疑念を持ちます。



無明







名色

(武士(言の葉の力を知る)(全て応答する)で覚えて大丈夫。)





ここから六処理(意と五感覚と対象事物)になる。




あなた方は西遊記です。

自由を求めて、三蔵法師(連環)の弟子となり、荒ぶる。内縁を知り、ボク(従僕)の傲慢さ、猥褻さを嫌う。海面をいつも整え叩く。四海を旅して龍王と交流する。最後まで三蔵を守り戦うなら悟る。残置されている伝説は全てパシャンです。全て内縁の現実の働きです。




「誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい。」

マルコ、8、34



イエスは自ら十字架を背負いゴルゴタの丘に出て行った。その黄木は途中でキレネ人シモンが担がされた。





王(天地人)はセットで円環(縁)です。地理は全てパシャンの動きである。十字は円がなくなると、十字路になる。





字(文化物)はパシャン。この世はアルゴリズム(言の分岐)である。右に依りて、左で行ずる。それを異次元にやる。(右も左も僕の次元でやらない。)変になれば良い。

その時の周囲の多はいつも、無視(舞う視)する。やる事をやり、カエシを喰らったら出張る覚悟を持つ。


また女が舞っているということは、あなた方には分からない事を知る。あなた方はまず初めに、信義を通すと女(女達ではない)が出るということを知る。叩き(左)が朽ちると、右で出た物が、朽ちてゆく事を知る。また右からやり直すことになる。





私はあなた方のぼってり苦を知っているが、あなた方は私の苦を知らない。分けられています。ぼってり苦は内縁を背負わないことで必ず起こります。水は流れていて、あなたの背中にどしゃぶりです。背負う事で循環します。あなたは背負い方を操作しようとすれば、必ずぼってりと苦しみます。


あなた方の両親より、私は先に生まれています。




ゴルゴタの丘の上にある墳墓に、養父ヨセフが埋葬した。

ヨセフの名(ナーマ)は、私を北海道に呼んで、磔から解脱させた。文化の流れ(あなた方に云うパシャン)を知って、私は血を流した。マグダラのマリアは最初に見た。ペテロとヨハネは墓へ向かった。墓は空だった。




この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それは、あなたがたから出たことではなく、神の賜物です。

エペソ人への手紙 2:8)



甦り直後の再臨には(空中再臨)と地上再臨があります。地上再臨とは、梅田が変わることです。

正しくは、内縁の中心地から梅田(正しくはそれ以上の膨らみまで)に掛けて変わる事です。(あなた方は天人地を未だ知らぬ故、梅田が梅田として単独で成立していると思う(この場合自宅が自宅として単独で成立していると思う)

私はそれは間違っていると教えています。間が違うこと。即ち連環の先に梅田がある。)






今は患難期です。以前とそう変わりませんが、反キリストを経験します。




イエス(ヨシュア)はキリスト(救い主)だと信じた時に、あなたには聖霊の内住が起きています。サタンからの分岐(悪霊)はいつも無秩序化を仕掛けて来ます。あなたがサタンに乗る頃は龍です。

信の者(言に参与する者)は、悪霊の攻撃を受けるが、悪霊に憑かれている者は悪霊に攻撃は受けない。

言に参与していない者は、悪霊に憑かれている事を知りません。悪霊を想像して所有します。(アクレイ→ファンタジーの様な。)

現実的な人から信を持ちます。字(聖書や仏典や文化物)はパシャンです。僕を所有し続けて来たことに罪と恥がない、妄想的な人物は、対象の所有(それは有る)の真逆にファンタジズム(それは無い)の所有が起こります。

本格的な信仰がないと何にも出来るようにならない事をあなた方に伝えるのに時間が掛かった。伝えるべきではない期間がありました。





その方、ヨシュア(イェシュア)はキリスト(油を注がれた者)である事を信じる。イェシュアは王(参与者構造)の王(生産者)であり、十字架に磔にされて甦った事を信じる。ヨシュアは今生きている。






内縁を信じれないのはなぜか。交換関係で物事を見るからである。


城(大阪城)の隣に現在拡張系(法務局や労働局等の行政施設があり)、城下町(梅田)は栄える(膨らむ。)その間で広かった弁証法運動があります。しかしそれは御堂に続き、円環されています。十字迄。

五蘊(自己、あなたの人生)は内縁で形成されているからです。(地理は全てパシャンの動きである。)


血液(現在拡張系)と、左の広がり(城下町)の関係は、右と左の翼の広がりです。だからメディア(交換流通の場)で、広がった弁証法運動を起こしています。


私があなた方、幾人かと回った大阪城は観光地(他の地域に住む日本人や外国人が多量に交換される場)だっただろう。その時、私はあなたのただの先輩です。


眼球(艮の目)がガンキュウになるな。ガンキュウは外縁の対象を見て、ヨダレを垂らして内縁を汚す。

現在拡張系(夜、血液、国家)は、現在系の連環(過ぎ去り)だと知らないこと。あなたは生きているのです。将来を考えるとは、内縁の言に参与して右、左を知ること。右を信仰して、左を行う。




僕を所有するなら劣る。自己に依れず、上下左右(上の司り、下の司り、お金、女)が残らない。教えれないのに、口から音を出し続けないと保ち得なくなる。


偏差値をやってきた、スポーツをやってきた、こんなコミュニティに所属しているんだという僕を捨てる。そういう人間を気持ち悪く感じれる様になる。

(「捨てる」というのはティーンネイジャー思想の切る(断絶する)ではない。信義を持ち、自己に寄りて自分を生きるということ。


内縁により、自己(五蘊)は存在しており、僕は現象である。信行に依りて、全ては空(縁の網目)を悟っても、僕を捨てる信の道中は青の心であり、また運命から見ても、その道中は青の心である。
(※僕思想(猥褻者)に運命論を積極的に語るのはよそう。彼らは必ず宿命論的、決定論的(外側(ミライ)から流れて来るウンメイと僕)に解釈する。)



西パシャン(聖書)は、生成ヴァルナ的、アルゴリズム的な理の書(文化)です。名が十二使徒として内縁の連環構造が残置されています。(正しくはヨセフも、十二使徒ではないが、内縁の連環構造です。)



聖母マリアは、受容それ自体(女達)です。あなた方はこれを知ることはないでしょう。それは物の生成で、あなた方の女の生成です。

また、四福音のマルコ、ルカ、手紙(パウロ等)は流れの構造です。エロヒームの連なりです。


イエスの甦り後、空中再臨(携挙)、地上再臨(連環)、患難期(闘い)、千年王国(連環の安定)、最後の審判(構造の確定)は連環的に起きます。


東パシャンは僕を消滅して、信、行、智慧によって、舞っている事(大乗)の理の書です。だから日本史では、イザナギ、イザナミの知らせよりも、先に大和がパシャンされています。前方後円墳は大和を文化しています。





ナザレのイエス(イスラエル(共同体連環)(内縁)の北のヨシュア)は、王の王(王を成立させている根源)であり、多量の軍勢(現在拡張系)は歴化の王と神を冒涜しているとして迫害して(昇らせて)十字架に磔にして、イエスから血が流れる。


計算速度が速くなってゆくその連環。例えばバラモンよりクシャトリヤは計算が速い、クシャトリヤより、ヴァイシャは計算が速い。ヴァイシャよりシュードラは計算が速い。シュードラよりアチュートは計算が速い。これは、早いことから遅くなっている流れ。だから収束(信仰)、赦し(叩き)にて、より高くから連環放射して手放してゆく(距離をとってゆく)事が出来ます。人生の進みです。自己である。自己に寄らねば、いずれ事故に遭う。戻ることを強制される。


私が散歩をする際、あなた方は富む。言葉の連なりだから。私を煩わせないならば、あなたは煩わされない。

人は生まれながらに神の子ではなく、怒りの子です。

神に背を向け、罪の性質を持って生まれた存在だから。(神の怒りの対象だから。)救い(求めて叩く)が必要です。信じた者からエロヒーム連環されます。







行は、上に行かせて、連環させる。


信仰、義、智恵、臨時、常時、臨時(継起的)

これらに青を持ち、意志して、自分を生きる。(僕はフル無視する。)



十二の内は以下である。

インフレーション率は、信仰によって進み(収束し)、聖霊によって守られる。







神の国はあなた方の内にある。ルカ17章21節


私に沿う者は、昼が長くなってゆき、私に沿わない者は、夜が深くなってゆく。