上記の十干は平安の図。



十二支にて兄同士(北)は隣人愛、十干にて兄弟愛。

例えば私が鼻の内(十干の中)に入らば、私は弟で、川口君、丸谷君は兄である。

私が一寸もスライドせず、時に臨む必要がないのなら弟は金澤君であろう。


丸谷君からすると金澤君は兄である。己(こ)というのは上にとって兄であり、下にとっては弟である。兄になろうとするものから順に地に落ちて行く。


ヒ(霊)と云うの連環。それは火(目的)と会議の連環。それは木立てと叩きの連環。


十干は時(生成)で、十二支は方角(日々の周遊、季節、年)である。


東方(正教会)は聖霊は父からのみ出ると。西方(ローマ、カトリック教会)は父と子から同時に出ていると。


西方教会(ローマ人への手紙)は、義とは何か。東方コリント人(ギリシヤ人への手紙)は、知的優越の否定。


弟から兄が出る。ヨハネは弟でヤコブは兄。

ヤコブはイエスの兄弟になる。西暦30年(エルサレム教会)にて。イエス、ヤコブ、ユダ、シモン(ペテロ)、ヨセフは兄弟だった。ヨハネは従兄弟で十字架の下に立ちマリア(聖母マリア)の名を託された。

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◯◯のマリアや、◯◯の子ヤコブ等、〇〇のヨセフ等、同じ名前だが別人とされるのは、同じナーマである。人生が進むと周辺のルーパの働きが変わる。

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聖体拝領は種無しパン。イエス・キリストが弟子たちと「最後の晩餐」を行ったのは、ユダヤ教の過ぎ越しの祭りの時でした。この時期、ユダヤ人はパンを発酵させる時間がないままエジプトを脱出した出来事を記念して、種無しパン(マッツァー)を食べる習慣があります。イエスはこの伝統的な種無しパンを用いて聖体を制定されたとされています。

このパンとは土である。




キリストはその現前(十干)においてその人キリストであり、非現前(はい。命)の状況において、媒介(義)である。(釈迦如来(個人)と、薬師如来(東)の関係。)西は阿弥陀如来(南舞阿弥陀)である。



文化物(建造物、字)は全てパシャン(沈殿物)である。歴史は正しい(五である。)




混沌が先にあり、沈殿する。(沈殿の仕方はプログラム(文化物)であり、混沌はアルゴリズムである。)


混沌の最初は江戸であり、天と地は分かれている(八である。)それは叩かう。智慧(億を切る)にて平安あり。叩かわずなら徳の川流れて、三成は朽ちてしまう。


猥褻で知識を持ち、悩み相談率の高さに恥を感じぬ無礼者を焼き殺したい衝動は何か。それは「敵」の原意である。敵を億に思っていない証拠である。(原意、古を立てて叩く。)(時に臨まない者は、自立系に敵(嫌気、恐怖)を感じて、億を掴もうと追いかけて生が朽ちる。)

それらを具体的に焼き殺すなら捕まる。(固分けにされた牢屋に入る。)こちらは掴んではならないのだ。しかし誰かが叩かなくてはならない。己はそれら敵にとって弟である。浮力(不力)が必要なのだ。



十を見る心(徳)である。北は南を向いて行い、東に云われ、南から西は出てくる。北は白く、南は黒い、西も白い。

西方の者達は時期まで待っていて欲しい。飛ぶことが出来たなら、呼ぶことが出来る。西方者の夜の血(血液)、女、金、火、土、それらの生活(流通、態度)は舞っている嘘である。軍ではない。物は、十の目の心である。病に侵されるとは何か。丙の兄が垂れるのである。あなたは中央の命(叩く)の木(木立て)の実を食べていて、夜から昼に向かう。あなたは血に沿うことが出来る。



甦りの前の沈殿(字)は弟子(弟の子(兄))であり、その後は兄弟である。十字共同体(教会)は関係、証言の連続性。

キリスト者(参与者)が弟を引き受けるなら、キリストは父へ帰る。十二神将(十二使徒)は舞う。私が去りあなた方が正しく追うのは、あなた方全ての利益になる。