歴史や文化物は今生きている物事の連環の膨らんだパシャン(文章化)(沈殿化)であると言いました。

歴史的な文化物が示す「昔」は、像(時の経過(古)を感じる文化物)と想いであり、思い描く「未来」は想いであり、どちらも混ざっていて、生きている只今だけがあります。


この生きている只今の生産関係は、内縁(外縁からの回収)で、経(経文や経済や月経)を共にして、縁起しています。だから道徳が大切です。



苦は外縁への展開です。苦の滅は内縁への行いです。



歴史時間は万年の時間です。誰でも万年からスタートします。内縁の時間は千年の時間です。それら時間は分断されておらず、七(とぐろ)を巻いています。千年は空を飛び、万年は地を這う。千年は国に生きて、万年は豕(いのこへん)(国家)の中で職場に勤務する。

万年の在り方は(千年の写し鏡)である。だから文化物である聖書(誰が救い主かを教えて聖化)や経典(縁起、五蘊無我)、神社(鳥居をくぐり参道を通って、神の前で礼拝。)やお寺(聖者の教えを聞いて経を読む)など、また万世一系の天皇陛下から始まり、国民に合わせた、立法、司法、行政の関係など。全て内縁(千年の国)の写し鏡である。(写し鏡は大きく。内縁は小さい。小さい物事が先にあります。)


一世紀の父なる神(万物の源)よりあらゆる物語は流れ、父なる神と一体の言(論理、秩序、計算、根拠、原理)(子なる神)により命の木は流れ、その中で、あなた(名色(名、精神的働き)(色、取り巻く物質)は生きています。これを真理と言います。

かならず一世紀からの過去(まだパシャンにされていない、生きている歴史、文化の流れ)のいずれかに住んでいます。だから自分でありながら、自分の善悪を信奉すると朽ちる様になっています。(あなたは自分の左の対象である人物を見て下さい。自分よりも自分の善悪観念を信奉しています。)

信仰、道徳がないものは、症状として、音がおかしくなり、経済や経文文の認識が劣り、自分の善悪を信じて何が悪いとなります。


三位一体の神の信仰により、日本史一世紀(弥生)(稲作(命作)の普及により、バラバラだった集落が統合され、小さな国々となり、各地をおさめる。)に行く事が出来ます。


それがインフレすると、四世紀(大きな古墳(墓)がつくられ、中国王朝と交流し、大和政権が各地をまとめる。)


父なる神は一世紀の時節を望みます。(一世紀から何でもインフレしています。一世紀に行くことが出来る。父なる神を信じ、私の名を信じる者は。)


内縁を破棄するもの、自分の善悪と我欲に生きる者は、老いる前は江戸(労働と修理、芸事への関心と旅行ブームの町文化)に住み、老いた後は明治(万年。ご先祖さまからの血液の流れの僕)に住みます。(あなた方の大抵は、いま明治から抜けて江戸に住んでいます。)

また万年に戻る必要はない。キリストの教えで、それは地の国と言います。


既に文化されたものの歴史時間に即す万年の右の傾きと、古臭いものより、新しい事だろと感じる左の傾きは、同一である。同一とは言(論理)である。右が先にあり、左が現場にある。人生のあらゆる物語は一世紀からのインフレーションである。それは今生きている流れである。昔は想と像で、未来は想である。(例えば歴史時間(万年)の証拠物(文化物)は像です。)




イエスキリスト(救い主)は父なる神の像である。





城下町(梅田)は江戸です。あなたが江戸(神の幕屋。幕府、徳の流れ)の途中、旅行(束の間の休息)の交換します。江戸から登るには、神(三位一体)への信仰で、行う力を賜ります。名(精神的働き)を呼ばれる様になります。あらゆる物が与えられます。更新されてゆきます。


言に沿うなら、あのとき間違っていたけど、今は善くなってきたな。が永遠に続きます。物事の道理を知ること。私はあなたの道理である。


創造主は唯一の神(三位一体の神)で、それ以外は被造物というのが一世紀の教えです。万物(あらゆる物)は創造主によってつくられています。


万物(あらゆる物)とは、あの建造物や、あの山、この海、あの人、このボールペン、この一万円札など、それら別々の全部分の沢山ではなくて、それらを合わせた物。

合わせた物というのは、自分の人生を取り巻くあらゆる物(関係)です。お金や女、善い出来事など、あらゆる物(万物)は関係で出来ています。


悪いことは自身の罪(インフレ)で起こりますが、信仰心が強ければ、失うというのは大抵の場合は導きです。

父なる神は不要なものを取り除き、やるべき事を教えます。業の傾きを矯正します。今までいつもそうでした。


万物とは「自分の人生を取り巻くあらゆる物」です。


一切のあらゆる物(万物)は、父なる神から流れています。あなたが物を望むのであれば、父なる神を信じなさい。父なる神に罪の赦しを乞う。父と一体の緑子(みどりご)は言を受肉していると知り、緑子を通して、聖霊なる神の賜物で行う事ができます。聖霊なる神の力で、あなたは頑張ることが出来ます。




父なる神(あらゆる物の源)、言(物事を明らかにする生ける神)、聖霊なる神(悟らせ、導く力、行いの力)は一体不可分の唯一の神である。縁起なる世界で、唯一の創造主。


神(三位一体)は、善そのものであり、人生を進ませます。進みの中で理を解することが出来て、多くのことを過ぎ去らせます。

悪魔の誘惑(外縁を貪って何が悪いんだ。貪れば心地良いぞ。)に遭遇しながら、信仰、聖霊の賜物の力で、打ち克ってゆき道理に沿います。



悪いこととは何か。自分の基準のとても嫌なこと、とても悲しいことではなく、神から離れることです。心が神から離れると、何か悪いことをしないといけない状況になります。


言以外は音であり(それは名色(五蘊)の連環、名を呼ばれたもの)であり、言と音をはっきりと区別すること「識」と言い、音の中で何か周囲を認識することを「識別」と言います。識があり、識別があります。音の中、イエスキリストについての知らせを福音と言います。

福音(過去の偉人ではなく、今生きている縁で実在する緑子(みどりこ)ヨシュア(イエス)は、言(論理)である。)(言(論理)の連なりが結果(歴史、文化)である。)(父なる神を信じ、子なる神を信じて行く者は、父なる神に赦される。)

この福音をまず信じて、信仰それ自体(父なる神を信仰して、言(子なる神)に身を委ね、聖霊なる神から賜物を受ける)から離れない。

マグダラのマリアからの福音が本物だと知り、父なる神(あらゆる物の源)を日々信じて祈り、縁の子なる神と父が一体不可分だと知り、聖霊なる神の賜物がなければ、誰でも行うことは出来ません。

あれが神だー!と思うことは盲信です。神という字は沈殿です。自分の人生の善なるあらゆる物の創造主です。


約束とは、父なる神を信じて、言に人生を委ねると、罪が赦されてゆくこと、聖霊の賜物を受けることです。物の豊かさはその流れです。

川上への信仰は、必ず朽ちる流れになっていると教えるのが、一世紀(三位一体の唯一の神だけが生成原理。他は被造物)です。


(川上に集う者達の流れはかならず朽ちて、回転する前提で考えて備える必要があります。)(ここにITや人材のリクルートの分数があります。)(彼らは音で回復したり、保ったりするが、この縁起の世界で、神への信心がなければ、かならず朽ちるようになっています。)


時は金であり、利子によってひとりでに増えます。名色連環です。自分がやるべき時節にやれば、業の流れを傾けず、近しい人の屍を積み上げることはありません。何かを誰かに任せれるかどうかは天の時が決めています。時が過ぎていなければ、任せることは出来ません。時はどの様に進むのか、信仰です。そして命の木(キリストの命)を食べること。(理解出来ない私の木を信じること。私の木立てに沿うことです。)



父なる神(あらゆる物の源)と子なる神への信仰による、聖霊なる神の賜物の内訳はつぎの通りです。六世紀(八の蓋)を切り開く、聖徳太子の伝来させた聖者の教えです。)


木の下で、四諦(全て言(論理)の口から出来ている)と縁起を悟り、苦しみ(真理の無知により十二縁起が展開する)を見抜く仏教。

基本的な常時とは徳であり、五常(仁義礼智信)であると教える儒教。

内縁は道であり、いさえすれば、天の時の流れで修正されながら進む様になっていることを教える道教。



あなたは理解出来ない私の木立てを半年から数年経過したあとに、優しさとして知ります。私が優しいというより、あなたの罪が深いのだ。あなたの罪は私に沿うことで、回収されてゆきます。


あなたはお金が時だとを知らず、また経済(時の間の貨幣交換)を知りませんが、私とあなたは友達です。あなたが私と友達かどうかは、私達は決めれません。縁起だからです。


時の間で盗み(自分の周りの貨幣を貪って自分に貨幣を集めてやろう)を思えばかならずあなたの人生は朽ちる様になっています。盗みは貨幣が一時増えて、人生のお金を失う様になっています。人間関係も同じです。


あなたが私を信じるなら、頑なで傲慢な従業員にさわやかに丁寧に関わりながら、気付かせる為に音に乗せて定着するだろう。音は回復させる。しかし全ての音は劣る流れである。父なる神に罪(あらゆる物のインフレの中にいること)の赦しを求めて、言(子なる神)への堅信がなければ、その人の状況自体(色、物理)が変わらないので、また音に乗せ直さなければならなくなります。それを繰り返すべき時節なら繰り返す。





私はこれ以上の増える貨幣を全て教会に渡します。多分手始めに、最初に付き添ってくれた人達の家代などから始めるだろう。


あなたも、内縁の糸にいさえすれば、私のように嫌な労働は徐々に消えてゆきますが、終わりの日に人生に仕事は残ります。私が仕える事はあなた方を善くする事である。あなた方は剣を背負う(外縁を見抜き、貪らない)ことで、人生は善くなります。


私は既に信頼を感じる者に、お金の流れを開示して、全てがあなた方の人生の資本になる事を示しています。もっと分かり易くしたいと思います。


個人主義的な人向けに阿呆な言葉を用意しました。「俺はもう月300万いったからそれ以上はいらない。あとは教会のあなた達のもの。」(実際は生活費に50万消費するなら50万消費しただけで、株主の資金は株主が株を売り捌いて見捨てない限り事業資金ととぐろのなかで同様であり、それが増えているときに、会社の予算も増えています。

株主個人の口座が個人の所有ではなく予算連環している様に、法人資金(現金増加率)は、株主個人のものではなく、連環した貨幣のインフレです。そのどこかのインフレの隣にあなたの個人口座があります。だからあなたの隣にいつもその労働があります。だからそのお客さん、その同僚に祈ってもお金の増え方は維持である。内を愛し、私に願い出る。



重要な事は、あなたがその予算を先行的に受け取るかの問題でしょう。あなたが理由で周囲の人々が辞めずに増えているか。あなたが理由で共同体が安心安全であるか。あなたが交換可能な存在ではないか。(あなたが辞める可能性のある人間であれば、交換可能性のある存在として、その分のお金を備蓄しておかないとならないから渡しようがない。)


自分個人の口座は自分個人の口座から発生していると信奉する人達にとって、自分個人の救い主は自分個人でしょう。しかし実際はあなた方の口座残高は利息によって増えています。お金は被造物であり、とぐろを巻いてすべて借り物です。

金主、創業者、事業立案者それぞれからとぐろを巻いています。私達の場合はこれは同一人物がしており、そこからとぐろを巻いています。(内縁の場合はかならずその様になります。)


あなたがあなた自身に下す命令が、こちら(とぐろの主側)の景色に近ければ、利息を高い位置で受けます。お金はその様になっています。やり方がそうだからではありません。在り方がそうだからです。

とぐろの最も下の部の人間を見てください。僕はこうなる!でもなんだか上手くいかないなとなっています。とぐろの最下層の借り物とは、消費者金融から借りる貨幣です。


私はあなた方の人生に専念するので、会社の代表取締役(社長)を辞めます。事業運営には二代目を据えて、三代目をその時節で望みます。



時節に逆らい行為的に任せて、無駄な屍を増やさない様に。私は三代目がいつ頃か時節を予見しています。全ての取引先に、従業員の前同様、あるいはそれ以上にイキらず爽やかで真摯に応じること。全て時間から降りてきているものだからです。一切は位置関係ではありません。


右(先)をやってないときは右を要求され、左(内縁の放射への接客)をやってないときは左を要求される。相手がどれほど屑に見えても、それは内縁。迫害によって、右を打たれたら、左を向けろ。


私はこれ以上のお金の発生を教会の人々の将来の為に使います。あなた方は、奪い合わず、スライド(盗み)をせず、分かち合い、苦しいときは共闘する。接続されながらこちらに逃げて来る。それで上手くいく様になっています。


はあなた方の様に野心はない。そういうのが気持ち悪いから。小心者は野心家になります。その様な人間達を赦す力。自分が全てあり得ないくらいにやってあげて、やってあげた事を出さない。気付かせないと成長しないので、小出しにしてゆくだけ。

川上を尊重しながらも、信仰させないこと(福音は信じること)で、劣る流れを食い止めてゆくことができます。

時と金と女の残り方は被造物の上流であり、その被造物の中の被造物は時間、経済、女達です。時、金、女は、川上(与えられる借り物)で、決して信仰の対象ではありません。


被造物でないもの(創造主)は、縁起の発生原理(唯一(三位一体)の神)だけです。(だから一世紀より前後に逸れてゆくと、神々が説かれながら、それは合一されているという教えになります。)(借り物を悟るのは、聖(日知り)の働きです。)


自分は被造物であると知り、縁起を悟り、縁起の経過を信仰せずに、唯一の神(三位一体)に信仰が向かえば、行うことができ、万物(あらゆる物)を与えられて、自分の人生を生きることが出来ます。


千年に行かなかった者は、女との結びつきを知れず、万年のノスタルジーを抱きながら、スナック(おじさんの保育園)で、歌うことを好むおじさんになるだろう。


僕収益(カツ、マケル、やっぱりメンドウクサイ!)のつぎは、連携収益(僕収益とチームプレー)になり、事業収益(色々な面倒を引き受けるチームの監督)になり、役員収益(総合的に執行し、全ての穴を引き受ける者。)になり、株主収益(この様な場合、利益の分配)があります。税はその連環です。これは左を出来るもの順であり、左が出来るものは、右に応じた順です。



あなたが時節に逆らうなら、屍をさらします。屍は廃棄化であり、廃棄化とは、天の時節に沿って接続されておらず、任せれない人に無理に任せようとして、誰かが浮き足だって中間管理職化されたまま放置する事です。

時節として物理的に出来ない事を、他人に任せてスライドする事である。時節はあなたも、他人も決めていない。天の時があります。いさえすれば、それの時節はいつか過ぎ去ります。


天の時の流れは絶対(色(物質)の糸、文の寸)であり被造物である。時の流れを知るのは言(子なる神)のみであり、更新される時を定めているのは父のみである。


色(物質の関係)は、形(はっきりとした文化け、歴史)になります。只今あるのは色だけです。(だから無我です。)神があり、内縁があり、あなたの自分はそこに属しています。

あなたは自分でありながら業を創ることはありません。あなたは業に沿うか、業を傾けるかである。

創業は内縁で一人である。一人子の創る業は父なる神が創ります。神に似せて人々の連環を作ります。

父なる神の計画で何でも動いている事を私は知っています。サーシャもこれを知っています。私はその実現をいつも余儀なくされるから、あなた達は安心しなさい。




従業員の前でイキがる人物は必ずお金、女、友が残らない様になっています。共同体意識(縁起の悟り)(内縁の右、左)に向かず、自分の企みを優先すれば、何でも朽ちるようになっています。


唯一の神(三位一体)があり、女との結びつき方があり、お金があります。そのお金自体から経済はとぐろを巻いています。だからとぐろの中で、業を傾けるように動いても、つまずくだけです。

また、父なる神に女との結びつき(結婚)を認めてもらえてない場合、お金を悟ることはありません。



七日目(とぐろの悟り)がない中で、肉親と連れと僕、それと職場でやるとどうなるか。必ず何歳になっても走らされ続けます。その様に出来ています。

例えば、万年の流れでさから校舎を出て無抵抗に接続されるならば、資本関係の沈殿である公共的な企業(いわゆる大企業)(労働連環の男女共学(インフレ))に就職して、売上高の中に陳列させられて、そのラインの貨幣(割と良い安月給)で走らされたあと、自分の口座残高をあてにして、ポートフォリオ(分散投資して、空間的なバランス)を気にして何らかのローンに追われる30代になります。
これは自分の個人口座(所有)という嘘を空間に還元することで、年利4%ほど個人口座(所有)に戻ってくるというものです。

株主(オーナー)の皆様(有価証券としての分解価値)の為に株価を上げようとしています!だから今は配当換金しないで!と宣言を続ける役員は、株主達(上場株だったら実質沢山のお客さん方)が逃げない様に(株価が下がらない様に)その舞台上でマイクをつけて音を拡張させながら未来を見せる芸者となります。営業と同じです。
お金は時なので、縁起です。お金の源流は縁起以外に横目を見れば、流れて来ません。お金は貨幣の重なり方です。
剣を持つ最初の行いはメディア(外縁貪り)を無視すること。
残る金は縁の内の金です。これはただ真理です。

父なる神から、休み、お金、女、友が流れています。これはセットです。セットじゃないように感じる時節があるだけ。
それら全ての結びつき方が流れてインフレしています。唯一の神(三位一体の神)を信じ、子なる神を通して、父なる神にあらゆる物を与えられ、聖霊の賜物を受けて、命を全うする事ができます。

これを別の言い方で、色即是空、空即是色、悟りへ行く道のりには真言があり、それは羯諦である。(般若心経。)

宇宙はあらゆる物で出来ており、縁起です。それは唯一の神(三位一体)から現れています。
小さい行いがあり、発展があると知る場合は、資本主義になり、発展が発展から発生しているとする場合は、かならず理想的共産主義の前段階(社会主義)(最近やっていることは最近やっていることから始まっているじゃん)になります。だから共産主義(時間関係を認めない分配共有)は到達されず、社会主義者(なぜ隣のアイツはもっとやらないんだ!)というバイト先にいるイジワルおばさんの様な男になって終わります。この様な人の割合が多くなる場合、歴史時間(万年)の国家も、時それ自体の内縁(国)も、必ず朽ちてゆきます。

右が先にあります。小さい行いから大きくなるからです。
小さい行いから発展して、名色連環で更に発展が行われます。名色連環は時節です。飲食のはじめの100万売上、人材のはじめの100万売上、ITのはじめの100万売上。そこから名色連環で発展します。

例えば、朽ちる流れの回転を合わせる為にリクルートシステムを立案する。人材事業を立案する。飲食事業を立案する。IT事業を立案する。その中でそれぞれの管理の指標となる常時や臨時という制度(律法)自体を構築する。
飲み屋で啓発して定着させても埒があかないので、教学記事(詩篇)自体を執筆する。
個人主義社会に沿ってリクルートは、サロンモデル(ナルシズムの回収)で母数が取れると考えました。

人材で関西では1番の営業成績をとって継続に努めながら、当時はあり得なかったスーツの着用を義務付けさせて、基本のトークスクリプトを書いて、いわゆる陰キャラのマーケットを構築しました。その人達が同業チェックを無視して反社に驚かされるたびに対応するハメになりました。
飲食事業では、アルバイトの方に申し訳ないが、社員定着の観点からアルバイトの前でイキれるようにしながら、お客さんの前ではイキりづらい管理体制にしました。人件費を分割して福利厚生費にあてて会食(パーティー)で維持を試みました。

コロナで飲食と人材がやばくなった時に、自己資金で従業員の生活費を回しながら、フェラーリを広告用に買って、街中で新規事業の営業を始めました。余っていた学生撮影とリンクさせれると考えたからです。

車で声を掛けた女性が、先にお金を払わせて代理店加盟させて多くの加盟事業者に損をさせていたコピーライティング事業を、先にお金を払って会社として成立するシステムに変えて、最初の常時的なシステムをつくり、退職まで一年と見立てて、ダウンロードの継承まで(新しい名色が連環するまで)毎夜コミュニケーションに努め、売上が月10万円の時から高給を渡し続け次に連環される様、常時を整えました。役員の下にいる人達に挨拶を続けて、連環されはじめました。

飲食や人材のメンバーから団体を立てることは出来ないと感じていたので、ITのメンバーから立てることを決めました。偏差値とか部活等の社会主義が出来る人達の基盤は、正しく教えれば、それをアイデンティティ化せずに、道を行くことが出来ると思いました。

教えられる前のITの人達は当時、黒板を見て未来の為に集中する。体育会系でやってきた事に誇りを持ち続けるといった、その猥褻さに手を出したらもう戻って来れないと自分が拒絶して恥を感じ守って来たものに対して、平気で手を出して尊厳に変換している人達でした。(実際は時間が違うのであなた方がそれをやって来た価値は縁起にてある)
それらが好むだろう空間の科目学(西洋近代科学)やその人の住所でしか使えない合理主義的な考え方や言葉遣い、体育会系的な態度を表現し、彼らの体感より少し上で音に乗せ続けました。

全ての事業の全ての人に真摯に関わる様心掛けました。猥褻さに生理的には嗚咽が走りながらも、それらの前で配慮的に振る舞い徹底してゆくうちに愛しはじめました。最後は愛情しかないのです。結局嫌っていても、行いとしては赦して守ってしかないから最終的に嫌うことは出来ない。右と左の塩梅で、正しく伝えてゆき、真摯に自分が引き受ければ、過剰な接客、演技から徐々に解放されてゆきます。

人材の最初の売上100万円、ITの最初の売上100万円、飲食の最初の売上100万円。それは名色の連環の中で改善され、修正されます(発展します。)そして膨らみ、また未来に改善されて、修正されます。(また発展します。)
(だから名色連環の放射(自身の左)は自分と同等の抽象的な計算、行いは出来ないが、自分より具体的な計算、行いが出来ます。これは自然な連環であり、この知性と行いの連環で、発展が連続してゆくということ。)
この時間を認める場合、資本主義(株主から連環している)であり、発展(左)が発展(左)から発生しているとする場合、社会主義(今発展させた当事者は今発展させた当事者から発生している)となり、今膨らましてる自分は凄い!この先輩は好き!あの先輩はちょっと。何で隣のコイツはやらないんだ!後輩は仕事ができないなー)の様に中身なく文句ばかり垂れて年を重ねます。
この傾きは内縁(回収性、経済秩序等)を確実に朽ちさせますが、この様な者も青い火で赦しなさい。私はそれをやってきたのだから、あなたにとってそれは道である。

修正改善、接客性の在り方を左と呼び、随時更新されている在り方の源流に沿う事を右と呼びます。右がいつも先にあり、いつも左が目の前にあると言った。だから私に沿う右の木立ては理解不能でありながら残した方が善い。左として演技で描かされた事は、時が過ぎれば修正されるべきである。
「心は常に右で、現場は常に左」心も左になるとアホになる。心が左で現場で左の人間の言葉はペラい。

私はもう銭はいらないと言いました。妻と仲間(教会)を守り、仲間が発展してゆき、仲良く出来て、成長がみんなにあればそれで良い。過去の暴虐の限りを帳消しにする。私は近しい人を守り、遠い者はいずれその人にとっての最後の預言者に任せる。

誰か(言に集まる人々)を愛するということは、自分の知らない、本当の自分を好きになるということ。愛するのは険しいが、父なる神にインフレの赦しを乞い、愛することが出来るようになってゆく。