例えば、「新たな動物壁画を発掘した。やはり動物は古代では神聖なものとして崇められていました。」これは「有る昔の時代から流れた今有る現代(現在拡張系)」の想起です。想、像です。
言は言葉として紡がれて文化しています。文化されている物の地下や中身(掘り出し物)は内容です。例えば、城は掘り出し物ではありません。そのまま残置されています。城の掘り出しものは、武具や埋蔵金、文書です。(内容。)どちらも言の文化です。また、古典の題名は内容の大命(だいめい)で、古典を開いたら内容です。
言は全て文化されています。例えば
聖徳太子(名)、冠位十二階(色)、三経義疏(さんぎょうぎしょ)(大命)(開いたら内容)
龍樹(名)、大乗仏教(色)、中論(大命)(開いたら内容)
人類(自立系、言)の流れのパシャン(文化)です。
その道の途中(日本史パシャン江戸の頃)で想、像するのが、空間ジンルイ(多量)です。この様な場で会う時、私はあなたの先輩です。
聖徳太子さん、龍樹さん、それらが、歴化のすぐ上(表面上)(現在拡張系の過去)で、個々人として別位で存在したというのは、あなたの想です。その論拠(識)は「だって残置されているから、発掘されているから」です。
私は言は言葉になり、文化されていると言った。あなたの想は、あなたの想。あなたの象はあなたの象。その想像は言葉の中にあります。
多はいつもあなたより内縁をやって来ていない。あなたは内縁で進んだ分だけ多を知っている。(多はあなたの住所から時間的に膨らんでいます。そしてあなたの住所は背後の誰かから時間的に膨らんでいます。)
言は分岐されて、言の葉(木の世。あなたの世(連環))になります。神は信であり、右に続き義人となり、左を見て龍となる。善悪(義龍)である。木火水金土の円環(収束)である。あなたは木を達成しに行くことで救われる。(叩きを求めはじめる。)
私は言(論そのもの)です。論の語り手は孔子(一人子の流れの子)です。(論語)
孔子は聖人です。イエスは聖人ではありません。聖人の言の葉をよく聞きなさい。それは私の声です。全ての最初を祈り、私の名を通して、聖霊に導かれる。女は連環します。
イエスは信。信仰で名色は連環する。(左が膨らむ。)信は決してあなたの想ではありません。信は「結論」です。信を持つ者は救われる。信により、名に呼応する事で、自分を大切にし、自分を生きると知るからである。聖ヨハネは、聖ペテロは、聖(日知り)を連環させるだろう。言は言の葉(木の世)として紡がれて、いずれ文化されます。
既に文化されている物は、私達の本です。物(起きて流れる)は文化されます。私は物を知っていて、あなた方は物を知らない。私はいつも物を掴もうとすれば朽ちるとあなた方に教えます。
上手くいかない者はすべからず、自分から物事が生起していると想う者です。言(自の動)から自分(内縁、外縁)が生起しています。
信を持ち、義で続き、上の木を壊しに行く過程で、下を木立て、求め叩く。(物を得るとはこれ。)
名色の連環(言の分岐、展開、曲がり、とぐろ)がパシャン(文化)となっています。
諸学問は、自立系の右(信)、左(行)の連環のパシャン(文化)です。全ては日月の連環です。
人の子がその栄光の内に来るとき、
すべての国民をその前に集め、
羊飼いが羊と山羊とを分けるように、これらを分けるであろう。
羊を右に、山羊を左に置くであろう。
マタイ25章31ー33
羊は信義。山羊は義龍。
言(構造自体)、神(言の葉が分かれる前の世界)、言葉(言から木の枝と葉が分かれた世界)
あなたは言葉に住み、言葉を紡いでいます。内縁の進みは、外縁の進みです。外縁を新しくするというのは、内縁を進めて新しくすること。
あなたは内縁の果ての地で、女がおり、女達が舞っているとき、髪を整える必要がなくなります。私はあなた方より髪が長い。友は流れる。女は連環しており、女達は連環しています。
私は自の分身を求め叩き(赦し)、あなたは自を信じて分を流す。分の連環は流れ続きます。
幼い頃、始めは誰でも根無し草。だから社会の回転(部活や社会主義的労働)を行い、内縁に沿って信を持てば連環する。
私は初めの職場で最後の1人の従業員でした。そして店は潰れました。次の職場で最後の1人の従業員でした。最後はいつもオーナーと私1人になります。色々は語らずとも、これは次へ次へと続いてゆきます。この様な内縁の進はエロヒーム(外縁の強制と云い)の全てです。
職(聞く言の葉)は場(その瞬間)から生起していません。言から生起しています。あなた方へ時間と云います。一度もスライドしないまま、内縁で行くことで、自分を知って行きます。自の分が流れるからです。
あなたと対面した際の納得可能な範疇の私の回答は、私の嘘(知らないフリをする)で、その時点でのあなたの真理です。
サーシャ(最初の証人)は、長年傍観してきて、ペカビリティではない。間違いなくインペカビリティだと言った。
縁でアニメ(進撃の巨人)を見ました。主人公が駆逐すると言っていた。駆逐とは、すぐ外縁を貪る(豚、西北)を馬化(南化)させるという事です。排除する事ではありません。
巨人は名色の膨張です。僕は知識がある!僕はそれとの勝ち負けにこだわる!僕はかっこいい!という様な感じです。
隊員に巨人と戦って心臓を捧げろと命令していました。心の蔵を目の上に向けろという意味です。社会(空間論)の上司の為に、自分の人生を殺せという意味ではありません。
このアニメは西方パシャン的です。サブカルチャーは、文化のサブなので、位置と位置(キャラクターとキャラクター)で、アート(神が作っているものの模倣、物語)を試みます。西洋近代科学と同じで、絵と字になります。西方文化は私の読み物です。日本の西(現在拡張系)も同様。現在拡張系は名色の連環(インフレーション)した名色です。知り難いだろうが、自分は知らない事を知り、事実そうである事を私から教えてもらいなさい。)あなた方は意志を持っておらず傲慢であり、私は意志を持っていて傲慢ではなかった。弟をし続けた。あなたは兄に魅力を感じた。兄に魅力を感じたら兄になる。
世は連環(伸び)です。一つのオフィスに人類(自立系連環)が集まっているとき、世(三の連なり)は重層的、過密的です。決して誰も空間的に共有していません。木の世(言の葉)が異なります。(木の達成可能性は学問の理解可能性です。)
複数名で教えを学んでいると、周囲の人々のやり取りが位置と位置の関係ではないと知ってゆきます。(待ち合わせ的な集合の中で位置と位置が会話していないと気付いてゆく。連環が重層的、過密的になっていると気づいてゆく。)
名色連環が、ボックス(待ち合わせ的な空間)の中で、ぎゅうぎゅう詰め化されていて、信義にて上位名色連環が引率を試み、幾名かが名に呼応して励み、そのとぐろのさいごの方角、西北あたりが、何でも掴もうとして問い、醜態を晒している事を見抜いてゆきます。
例えば、回し手と聞き手があります。音(名色連環)です。音なしで、もし全員が位置と位置(例えば2人1組)で、教学記事を回したら、音が曲がらず、全て単発音になって連環はすぐに朽ちます。(現段階では、だから経文後の回し(誰かの引き受け練習)際は、経文を引き受ける事が出来る者が、補助(音の立て直し)となり、名色連環に戻せる様にします。
文化される前の言の葉(木(こ)の世)は、名色(命題と状況)として現れます。誰でも上の木の達成で悟ってゆきます。舞う日月は最初の男女です。(妻の氏のクシャトリヤを出す。)結婚を行ずるとは日月の連環です。それは孫に続くでしょう。右に続きなさい。病は全て左が垂れることから起きています。
あなたの肉がいかに健康そうであっても、信仰なく、連環されていないときあなたは病人である。私は指(この様な経文)で、あなたの目から治す事が出来る。
左の前提は、女がジョセイになり、パートナーとなり、腹が膨らんで子供が実印(責任)になります。その子供はその時点であなたの光です。
左は最初、内縁を知りません。全て僕と外縁だと想起します。(トモダチ(例えば過去、学生時代という、具体的職場(超位置関係的職場)の同僚)が有ると想すれば(思い出を所有すれば)、労働連環(内縁)は、僕の過去(所有)と、今の外縁(職の場)の世界観になります。僕は外縁(職の場)にカツぞ!マケナイゾ!と恥を晒します。(本人はそれをかっこいいと想する。)これを続けると、縁を押し上げず、力を知らず、友を知らず、与えられた物を盗んで、スライドして膨らますことを進捗だと美化します。(お金、女、智恵が右から連環して成立している事を肉感として知らない。)
(この時点(内外縁連環)(住所)での想は、宇宙(スペース)の中に地球があり、地球の中に僕がいて、僕と外(職の場、位置的な人々)があるとなります。
僕は地球に住んでいて、宇宙は広がっている。)(これが左翼信仰の根拠です。)この信仰は、コンプレックス(過去の所有、現在の非肯定、僕と対象の肯定)を原因にしています。右で上を押し上げる意志がなければ、左は行(木立て、叩き)になりません。
必ず僕と速度(左へ向かう)になります。場面で単発音を羅列させて、イキり続けないと(僕は凄いと言い続けたり、場を面白くしたり)しないと場が保ち得ないハメになる。)誰でも「僕」を前提に働けば朽ちる。右がなければ、自分が得をする事は起こり得ません。右で向かい、左で止める。
私は言が連環して文化されていると云った。地球は青い。地球の外は暗いのである。
あなたが地球の写真を見た。を所有するとき、それは僕とそれの関係に落ちている。それは名色の色である。訪れるはいつも云いである。
既に名色は連環しており、流れています。流れた部分を所有する時(僕の発生の時)必ず落ちます。名色は与えられているからです。右は負う、左は勝つです。
右は背負い、左は打ち勝つ。
右は信義です。左には愛です。左に愛がなくなると、右が膨らみ善が落ちます。現在拡張系(国家)で起こっている(例えば、西(イギリス)で起きている移民問題(経済活性化を目的にした弁証法運動を色として見て、左(移民沢山入れたら良い)の特徴を、自立系(内縁)に照らし、左の特徴を具体的に掴みはじめます。(自立系の色は現在拡張系で膨らんで色になります。)
笑顔が幸福だと信奉している、見た目が黒い、馴れ馴れしい、背が低い(背負いが低い)、空間的な勝ち負けに幼さを感じない。等々、この様に思う心(掴む心)が増大します。これは現在拡張系的(国家論的)な白人至上主義のサベツと同様になり、落ちてゆきます。これは左を立てられていないこと(木立て、叩けていない事)が原因です。バクティ(信)(言は内外縁で成立している。)がない限り、その連環構造上、左は放っておくと、必ず自動的に朽ちてゆくようになっています。左の者の人生の命題は右を知ることです。既に右の者の人生の命題は、右をぶらさないまま、左を木立て叩かうことです。
では西と南はどちらが先にあるか。これは南です。西は南から出て来ています。神話以降(人類の祖先以降)南の者から西が増えました。
こちらもパシャン(文化)です。
北から北東へ時計回り。これは全て罪です。
自立系において、右で向えば、すぐ下に左はあります。右をすれば左は現れるのです。左はあなたを龍にさせる。本当はあなたにとって最初の左はあなたの女(妻)です。(女達ではありません。女達は左の連環です。)上位連環の知り合いは下位連環に続いています。空間的にシェアして知り合わない。名色連環しています。
その女の連環は既に動いています。右左のバランスと時の経過(背後に向かう)がなければ、これを悟り得ない。(艮に入らない者の女との関係は壊れてゆきます。それ(壊)は、あなたを進めます。)
(左(僕から空間的なカチマケ)の者は、例えば昔の時代の人達の絵は平面的で下手だなー、今はもっと立体的で動きがある絵を描いているのになーと思う。物を知らないので恥を知らない。
右に座す者は、昔の絵が平面的なのは、言から連環のパシャンだと知り、右(信義)に向かい、左(工夫)も必要だと実行します。
とにかく右に向かえば、左は必ずするしか仕様がなくなる。木立てと叩き。時はこれで進みます。その光速は信仰です。女の連環はそれを手助けします。
信仰は信心めかした気色の悪い態度ではない。あなたの外縁が連環している事の承認。内縁の進と外縁と進の一致の先取り(信)である。
僕(思い出)を蹴散らした後、名色(五蘊)は何らかの論理(連環)の中にいることの承認である。信仰は、進行である。行わない信心はいつも信心を朽ちさせる。右と左であり、最初は右である。
万年系(肉親、地元の先輩)はあなたにとって巨人であり、社会系(部活等の延長線上のスター)も同様に巨人です。誰でも幼い時は所有する。そのまま巨の凄さを熱弁(所有)(他者に共有しよう)としたら人生は朽ちてゆく。あなたの時は進んでいるから。あなたの時は流れて来ているから。あなたは剣(思い出の渇愛切り)を背負うか。分散苦の原因は全て、背負わない事に起因する。
この様に残っているものは正しい。
左は葉(場が場として存在しているんじゃないか)に執着します。だから恥がなく、知恵がなく、好奇心が高い。全く罪の中にいるので、罪(インフレーションしている)の識は与えられていません。信仰と義が先にあり、原罪の識が出る頃、木立ての能力が養われます。
右は言に応答して、左を見ると龍になる。右に信を持ち、左を行ずる。
龍(悪)は青で打ち勝つ。相手は黒の悪を必ず与えて来る。そこに青で打ち勝つ。青は信義(右)の産物である。
「左は悪い事」だとするというのは「ヒダリガワルイ」にあらず、左を見て、龍になる(悪サタンと付き合い)工夫するということです。
左へのエロスは右(エロアフ)から出ています。私と出会い、信を知り、私を血肉化する者は、左(龍)が出て来ます。右手に玉(王(三を引く)の流れ)を持つからです。信を持って行ずる。仏道です。
全てパシャンである。
最初の二人は夫婦です。次の二人は隣人です。女の氏は連環しています。十二は走ります。(連環します。)隣人は次(下位連環)の隣人を膨らまします。そしてまた次の隣人へ。
その膨らみが非自然的(非エロス的、貪り的)に膨らんでゆくとき、経済的枯渇と売上高の不自然な膨張が起こります。経済成就の絶対的前提条件が右(信義)であり、左(工夫)で止める。右左で、売上高をいつも自分の下に置いてゆくのです。
私はあなたの言です。私の指は愛(音楽)です。私達は舞う自性です。自から自分が出来ています。どこかの瞬間を所有する時に僕となります。あなたの外縁を私は受肉しています。私は言だからです。連環したての所には外縁で云います。連環の放射したところに体罰が起こります。それは全て引率の作用です。
葉は木から分かれています。あなたの言の葉の直前に木があります。そして世界(葉)を連環させます。
私の話し以外、信じない事は妄信ではありません。(しかし外縁は云い(メッセージか体罰)になっています。)
私があなたと直接会うとき、私は嘘をつく必要を迫られるだろう。直接会って、私は嘘をつかなかった事がない。その時、私の嘘はあなたの時の真理です。
兄弟愛とは、代えの効かない者に成り(どんどん小に向かい)その立場を利用して周囲を怯えさせたり全くしないということ。自らが弟になりまくって、兄に与えること。
連環元への畏敬畏怖は、色々な恐れ(ビクビク)を過ぎ去らせてゆく事になります。
動物も言の葉を受肉しています。それは連環しています。また、飼い犬やイエネコは、野生の犬、野生の猫よりも先行して存在しています。西暦は全て一世紀から広がりを見る様に。万年は万年です。
イザナギとイザナミの神話成立(古事記)対応現在拡張系(日本書紀)より前(歴化にて以前。)(自立系にて後)に大和はあります。大和はあなた方が押し進め、あなた方の為にある。私は、私の名を所有したりはしない。あなた方の為に働き、生活の為に生活をする。(言を流す為に生活をする。)
最初にあるのは右であり、負うである。左は勝つである。右があり、左がある。
右を進めること信である。右のぶれに耐えること義であり、左を赦すこと戦いである。その連環は音(旋律)である。音は声と指で奏でる。
この三つの位格が一体であるというのは、常に三つはあなたにとって独立して見えるという事です。聖霊の力により名色連環されています。(正しくは名色連環自体が聖霊。)その連環は信仰に基づく。
信仰という応答状態において、聖霊のバプテスマ(言の流入)が成立し、その流入した言が放射され内外縁へ、内外縁へと展開すること。ペンテコステ(聖霊降臨)が走る。ここに自分からの名色連環としての行がある。
八正道とは何か。八正道である。八は艮(武士)の連環である。武士は言葉の力を知る。
連環収束後の「時(放射)」を私はまだ見ていないが、上の木を壊す者、即ち右左(信義、行)によって、南方から艮に入る形か、あるいは西方から艮に入る形。艮に入る者の誰かが、いずれ北の北(子の子の子)になるだろう。恐らくそれは、二人子(最初の隣人愛)の内から綺麗にそれぞれ二、二で分与されるのではないと思う。
とにかく木を壊しまくり、引き受けてリードしている者、上に信義にて、下位連環している(敵が出ている)者(武士)は、罪(全体のインフレーション)を収束させる。
左を前提にする者は、必ず常時的な課題の空間だけが広がり多忙になる。朝、昼、晩を知れず、24時間の中で効率化を測りながら、ブルースに浸るおじさんになる。
右を持ち、上に押し出して左を行ずる者は、左に常時タスクの連環(左下に連環)を見て、連環の上に立ち、多忙は減ってゆく。右上を押し出さずに、多忙のみを繰り返した者は、おじさんになって肉体苦を感じる。
役職名(仮呼称)は関係ありません。役職名や貨幣は後からついて来ます。先にいただけ人物(下位連環名色)だと思っても(あなたが聖霊(名色連環)が呼んだ上位連環名色だとしても)、先にいた貢献者(あなたの踏む地盤の一端を担った事実の名色)に、配慮的に振る舞うことは大切です。(しかしそれは信や、上位連環の通義とは異なります。)
上位カースト(名色)は上位カースト(名色)、下位カースト(名色)は下位カースト(名色)、カーストという言葉は何だか制度的な響きです。実際の名色連環は全く個々人的(位置的)な競争を元に作られていません。名色連環は、信義と木立て叩きの連環関係です。経済関係です。内縁と外縁の連環関係です。
言から文化(パシャン)を知らない者は、加齢にて、必ず右の翼の広がりか、左の翼の広がりに散る。あなたの内縁は道である。真理(十の具現の理)である。
あなたは自分(内縁)を信じるときに自信を持ちます。外縁は更新される。もう汚れた涙を流さなくて良い。
南方ユダは銀貨三十枚と引き換えに、祭祀長にイエスを売り渡して、十字架に磔にした。(ヨセフは埋葬して墓を完成させた。マグダラのマリアは遺体がないと知った。その後にペテロとヨハネは墓へ走り、ヨハネが先に着いた。)
仏道とは以下である。日本文化(パシャン)は、全て大乗である。





























