(例えば、自己資本と資産(負債)の関係について、目の前の汝ら為に書籍を出版すれば善し(全国出版という広告を目の前だけに。)それを流通させて膨らますなら悪し。)





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命題認識が出来ない、軽度な知的障害は行儀と礼儀で治る。行儀と礼儀は行法で治る。

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教養について、伝統的な教えの養い。


仏教、キリスト教、儒教、の順。日本的に言えば神道、武士道の順。(神道は国家神道では無い。)


仏とは何か

法身(世の法自体)

報身(悟った釈迦)

応身(歴史上の釈迦)


私はどこに帰依するか。

仏法僧(一人子、全体、汝ら)


僧は現代的な個人のお坊さんにあらず僧伽(共同体)つまり汝ら。


汝らは上に妻と主君への忠義(二つ子)あり、そのまま汝らが流れている。


キリスト教、父(神自体)と子(一人子)と聖霊(物の展開以前)


儒教や武士道、瑜伽(サンキャ)になってくると、三宝(仏教原理)、三位一体(キリスト教原理)より紙一重で展開されており、主君(グルヨーガ)がしきりに説かれる。これは子の展開において二人子の一つであり、主君をやっていれば、妻があり、妻からやっていれば、制度婚(社会契約)になるということ。(夫婦どっちかが部活の顧問になる。)


教養というのは、教えを養うこと。精神の耕しであり、精神とは聖霊の態。(状況と行動の統合性)


精神は通義と仁業によって養われる。上に義を通さなければ、汝が出てこない。(汝がなければ仁が起こらずに、僕とそれ(相手)になってしまう。この状態では知情意に障害が起こっていて、現象としては、対象への構造的な事に興味を持つ。抽象的な会話が理解出来ない。善悪の区別がつかない。自信の定義が特定対象を扱えることになる。本が読めない。傲慢で気弱など


最低保証の武士道(葉隠)から外れると、縁が切れて、ときがなくなり、時代になる。現在拡張系(国家神道)(言語的生産諸関係)になる。一族とお祭りと核家族、職業生起。(主君が、君主に倒れてしまう。)


伝統(宗教や武士道)から外れて、言語的生産諸関係から外れると、流体の速度、躍動、責任になり、偏差値教育。常時的管理。(責任の対等性。)(分配の無罪性。)(将来の喪失性。)(未来という解放性。)


そこからも更に外れると、個人(この僕)と職業の関係が生起。自分の笑顔=幸せ。不快=自分はこの環境から解放されようかな。期限の圧迫。相対の解放感。がんばった人は、自分にもっと分けてくれたらいいのに。

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GHQの憲法改正、教育改革について、

修身(道徳)、歴史、地理は社会科へ、女性の社会進出促進、治安維持撤廃、労働組合作らせる、戦略不保持、天皇人間宣言、3S政策。個人の意思尊重。添削禁止、カースト否定。女性教育撤廃、男性の学問場に女性参加。男女対等。


その後、朝鮮戦争のアメリカの特需で、銀行がヨコにぶん回して、インフレーション(高度経済成長、GDP膨らみ)で、民ラインがテンション上がってバブル崩壊。この間のヨコぶん回しに偏差値教育発現して大学が教学ではなくなる。




歴史は全て立ての物語り。時代は存在していない。起こった事の痕迹化(歴史文献)は立てである。(だから文学(短)や音楽は現在拡張系になる。)


縄文時代には争いはない。


飛鳥時代、蘇我(外我)(仏教)は、物部守屋(展開、神々)を三回打ち果たそうと試みて、正徳太子が現れて、物部を討ち果たした。

住古来今。


縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉(武士道)、人一人の人生(経験)の話し。

一番最初は鎌倉(武士道)に向かう為に、大正デモクラシーを無視して、明治維新の近代化を無視して、戦国時代(苛烈な弁証法運動)で戦いまくって、鎌倉(武士道)に到着する。(普通経済が起こり始める。)



歴史はなぜ同じ様であり、物語りはなぜ同じ様なのか。なぜ言葉と行動はそこにあるのか。なぜ文献が生成するか、なぜ伝統的な物が痕迹化されるかを私は知っていて、あなた達は私がそれを知っていることを知らない。


自己は常に歴史上の誰か(特定の個人ではなく名)の生まれ変わりであり、山々や海といった自然、経済という自然はその人物によって、生産、維持されている。