もし時代がヨコの時間として時代なのであれば、昔の人が幸福で、現代の人は不幸でなければならない。あるいは現代の人が幸福で、昔の人が不幸でならなければならない。
しかしそのようにはなっていない。個体差がある。それは物が同じだからである。
時代という時間の実在性を信仰する根拠は、昔の文章や昔の建物等の形跡を裏付けとしているが、実際は古代から現代という時間(ニュートンの時間、ヨコ)は実在していない。歴史的な形跡というのは残り方であり、それは物であり、段々である。
時代では無い、ときである(時代(ときしろ)というのは、ときの告知という意味。形跡は全て証拠である。)(時代=歴史上の一定の区切り、という意味では無い。その意味で使われ始めたのは近世(その段)から。実際は行法的な、生産と流れである。)
諸々の形成された物は無常である。(行による「諸」は無常。)
行為は引き渡されており、名(知情意)色(物)から有となる。(名前というのは、第三者から見た場合の名(知情意)の方角。自分の名前は無い。名と色がある。)
文化というのは痕迹化されるであり、痕跡の残り方が時代である。行為に依拠した「とき」だけがあり、只今が在る。行為によって形成される。
文字として文化や、文献としての文化、建造物としての文化は、痕迹化である。痕迹化の前に言語がある。その前に言葉がある。その前に言がある。
樹木に、海に、風に、どのように影響を与えているか知っている。あなた達の内、いくつかは、私がそれを知っていたことを知るようになる。あなた達が私に続くからである。既に幾億人が続いている。
メディアに出ている有識者と呼ばれる者達の時間は時代である。それは全員芸者(ヨコ)だからである。数量である。行為は必ず返って来る。
昔を感じさせるものや、未来を感じさせるものは正しくない。古い物が正しい。宇宙とは往古来今。昔風と未来風が、古い物から流れてゆく。
縄文時代
身分差はなく、平等な共同体性であり、自然と共生している。
弥生時代
直前は大和大乱(カオスティック)であり、神意を媒介する卑弥呼(巫女)がおり、
古墳時代
大王(智慧)が(崇神、応神、仁徳)に統治されており、
飛鳥時代
蘇我(外我)(仏教)は、物部守屋(展開、神々)を三回打ち果たそうと試みて、正徳太子が現れて、物部を討ち果たした。
奈良時代
仏教が国中に知れ渡って、天皇(天照大神を皇祖神とする)を頂点とする国家的(政治的)な律令体制(分岐統制)が始まった。
平安時代
律令体制は形骸化されて、仏教の力が衰えているとされ、阿弥陀信仰(浄土教)(バクティ信仰)が広がった。
鎌倉時代
武士が発芽して、主君の政治体制を整いが広がった
題目(日蓮宗)と看和禅(かんなぜん)(師から与えられる問いの参究)(臨済宗)、只管打坐(曹洞宗)、他力の絶対性(浄土真宗)が広がった。
南北朝時代
後醍醐天皇の天皇親政は武士の支持を失い混乱、武士達は南北(北、現実的な主君に仕える。南、君主的な天皇に仕える)に分かれて、大義名分論(南、主君から権威的君主へ)の呼びかけが広がった。
室町時代
日明貿易開始。領主の私有を認める荘園制が支持を集めたが崩壊。事業毎に分かれる組合が起こり始めて、芸術が盛んになり、武士が形式的になり、町人と近くなり、序列の変化、下剋上が各地で起こり始める。
安土桃山時代
各地の下剋上で、軍罰が激しくなる。室町幕府が倒幕される。商業が自由化される。天(縁)の下の人として、豊臣秀吉が国家(現在拡張系)整備、農民と兵が分離される。権威が揺らぎ、朝鮮出兵するが失敗。
江戸時代
豊臣一家が追い込まれて焼滅。多量の各大名を領国と江戸を行き来させて治安維持を図る。歴の長い譜代大名を優遇して外様(とざま)大名を警戒、遠くに設置。戦士、民、工者、商者の順の身分制度。文化された物は目まぐるしく変化する。後期に商業、金融(商者)が加速。
明治時代
立てられた関係から近代化へ大転換する。中央集権国家(現在拡張系上)となる。郵便と鉄道が発生。学問から学校制度に転換。生活の近代化、民皆兵士制になり、全員が徴兵される。日清戦争で勝ち取る、日露戦争で勝ち取る。個人口座が形成。神仏分離措置。
大正時代
各思想分配(政党政治化)されてゆく。社会主義と未来(共産主義)が台頭の為、取り締まり強化。大正デモクラシー(女性解放化運動)自由主義(解放主義)、民中心主義(近代民主主義)が加速化。現在拡張系上の民族主義と自由主義間で協調外交が展開される。個人間取引の加速化、資源枯渇により第一次世界大戦勃発。戦勝景気により大正バブルの後、経済恐慌。
昭和時代
世界恐慌、農村地方の困窮。政党政治が崩壊。軍部(筋力)が台頭。日中戦争。第二次世界大戦勃発、GHQにて個人主義、対等主義、解放主義を憲法上、教育上で保証。歴史は社会科される。戦後文学ロマン主義台頭。朝鮮戦争によるアメリカの特需で高度経済成長、バブル崩壊。テレビ、歌謡曲、普及。
平成時代
株価の下落、二十年の経済低迷、通信機器の台頭、スピリチュアリズム、構造的通信技術台頭。つまり手元にあるもの。まだ痕迹化は添削されていない。
近未来時代(煩悩)へインフレーション。
インフレーションして行くということを知っていれば善い。鎌倉以降は読めば毒になる。
上記の縄文から平成は人一人の人生である。(添削されて痕迹化(文面化)されている。実際にあるのは、言、言葉、言語(音)の働きであり、文字として残っている。)
作家(や芸術家)の自殺は時代を定義した際に後戻り出来ない事への悟りに対する絶望である。実際は、体(物と法)に依拠して身(五感と意)がときである。彼らは物を見抜いていない。(文の中の楽、音の中の楽で停滞していて(つまり時代に回収されていて)エロティシズムが成就して行かず、無化される。それは時代という一つの歴史観だからである。)
歴史的な文の集まりというのは、経験(物の展開)の痕迹化である。時代毎に経験の段であり、名(心)と色(物)だけが登場している。(だから名前の残り方は個別では無い。)
行為における、名(知情意)と色(地水火風)(即ち物の展開)と有(痕迹化)である。有が一万円券である。名色の流れが金の流れである。国とは体の段々でなければ必ず風穴が開くようになっている。(国である。王である。国家では無い。帝では無い。それらは流れゆく所にある。)私とサーシャの部屋の花は枯れない。
色に応答する行為によって、名色に流れ、色によって、身が起こる。諸々の痕迹化は配置される。
物とは生である。必ず他者などの自然と同時的に関わっているのが一人称的な応答である。(網目的、共同体的)色は流れ行き、経済がある。応答し、与えられては過ぎてゆく。ここに与えるがある。
物の展開(経済)というのは、あなたが誰のような人生を歩んでいるかではなく、あなたは今どの時代に生きているか。経世済民。済度する闇の水面は抽象化されて行く。
言(論理)が先にあり、言葉(臨時)に流れ、言語(音ら)に流れ、文化(歴史資料、建物等の痕迹化)されてている。字が最後。時の流れ通りの残り方。)
最初に残っているのは言であり、それは物である。能力とは残存能力である。
言の葉は隠れているので、出さなくてはならない。行為の投資は鎌倉にある。それで物は統べられる。
上に尊敬語(言語)を布施すれば、物や汝らは立てられて行く。言葉に昇華されているからである。上にケイゴだと全体がヨコになる。
自信とは、月と太陽以外(地水火風)を掌握している実感である。残存する在り方は段として連環している。流行と言う。私は私の風に梅田で打たれるときがある。
昔は嘘であり、未来は無い。只今と将来があり、それは行為に所以する因縁果である。
