さっきBSで、厚木基地でパイプをふかしながらタラップを降り立つ 進駐軍の総司令官マッカーサー元帥が映し出されていた
今の若い人はこの名を聞いてもピンと来ないかも知れないが
私の年代の日本人では知らない人は居ないくらいの人
その後、1950年6月に始まった朝鮮戦争でも彼は国連軍総司令官として指揮をしたが
何か色々あって(笑)
1951年4月19日の米上下両院合同会議で、マッカーサーは有名な演説「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」の言葉を残し、本当に表舞台から消えてしまい、その後数ヶ月どこに居たのかは判っていないと言うのが通説
と思う
時代は飛んで、銀座で会社勤めをしていた頃知り合い親しくなった とある国の外交官
彼はアメリカ人ではないが、何故かコロラドの空軍士官学校出身で朝鮮戦争にも従軍し
爆撃機の後を追いながら爆撃後の標的の写真を撮る✈️を操縦していて高射砲に膝を打たれ 少し足を引きずっていたが、その時にマッカーサー元帥と親しくなり、上記の演説の後に、面白いことが出来るから家にいらっしゃいと誘うと、喜んで招待されたらしい
因みに、その人の家は自国の名門で、屋敷の敷地面積が東京都の(23区の?)約2倍あり、門から玄関まで車で数十分かかり、その人が久しぶりに外国から帰ると、先ず喜んで走って来るのが 日本から連れ帰った柴犬、次が真っ白い馬エストレージャ、最後がニシキヘビと言う信じられないような話を聞いた
広い敷地で狩りをしていて日が暮れ小屋で眠ると、朝そのニシキヘビが顔をペロペロ舐めて起こすんだと話してたっけ
自国の医科大学に入学したが、ある時解剖学で使う切断した腕を自宅の冷蔵庫に入れておいたら母上に見つかり、即退学させられ、士官学校に行ったとか
🇺🇸🇫🇷🇪🇸🇵🇹🇯🇵語を全てネイティブに話すことができ、歌が上手く、大昔に流行った曲を日本で最初にテイチクレコードから出したり、今思うと凄い人だった(若かったので フ〜ンと思っただけだったけど)
帰国後に必要だからと小型ヘリを持っていて、米軍基地に駐機しているのを、休日に操縦して(なんと贅沢な遊び)私が暮らしていた多摩川の土手近くの小さなアパートの上空をゆっくり飛んでいるのを見上げ手を振ったことも何度かあったな










大正筋商店街







