わぁ〜 3月以来の更新です!

・・・ま いっか

何かを言いたいという熱意?は まだあったということで

 

紫の字は 1月31日に書き足した部分です

 

コロナ禍の影響がそれほどない 閑人の私でさえ

気が滅入る日々ですが

 

先月の全日本で 羽生選手の

「一人きりの練習が辛かった」

「どん底まで落ち込んで(一番得意なはずの)トリプルアクセルさえ跳べない時期があった」とのコメントを聞いた時は

最初

 

『さもあらん 孤独なトレーニングは本当に辛いんでしょうね〜』と

立場も 責任も 期待されるプレッシャーも

何にも無い身の程のくせに

解ったような気になっていたけれど

 

「闘うのに疲れた もう嫌だ (スケートを)やめよう」とまで思ったとの

言葉もありました

余程のことです

 

コンティニューの時の言葉も 腰を抜かすほど衝撃でしたが

今回も 同じくらいのショックです

 

本当のところは 私などに解る訳がないとは思うものの

少し気になることを考えてみました

 

 

アイスショーも オータムも GPSもなくなって

ファンも楽しみが大幅に減少

月に一度の 白壁の前の映像だけが慰め

ということが 長く続いた状況下では

ある程度仕方がないとは言え

 

ファンの寂しさや 欲求不満が

考えていること やっていることが理解・共感しづらい ISU

とてもじゃないけど 公明正大とは程遠い内外のジャッジ

矛先が向くのは ある程度仕方がないなぁ

とは思います

 

 

でも 考えたんです

彼の言葉は 本当に 孤独な練習だけが原因?

試合やショーがなくなったことは 彼にとっても寂しいし

信頼するコーチも 練習仲間も 側に居ないけれど

それだけ?

 

もしかしたら

何度も 何度も 『いつも見てるよ』と

彼が ファンに伝えている SNS上での

ファンの不満や 攻撃的な言葉を見るのが

辛くなったということもあるかも知れないのでは ???

 

『いつも見てるよ』の言葉には

『だから 良いことを書いてね、前向きになれることを書いてね』

との意味はないかしら?

 

 

いつだったか

 

「自分のインタビューを聞いてくださる方も、テレビを通して見てくださる方も、取材している皆さんも、そうした人たちを悲しくさせるようなことは言う必要はない。
その人たちを最終的にハッピーに、
幸せに、前を向くきっかけになるようなことを言うようにしていれば、
実際に自分の耳に入ったときにも、自分が前を向ける。
そのことをすごく常に考えている」

 

という言葉がありました

 

いつも自分を律する彼らしく

自分のこととしてのコメントですが

暗に ファンに対しても そうあって欲しいという

願望が込められている

とも 考えられませんか?

 

 

ご自身はマイナーな言葉を発信しないようにしていても

ファンの言葉は否応なく目に飛び込んで来る

羽生選手を想う余りの ファンのマイナーな言葉が

もしかしたら 彼が前を向けなくしていた可能性は??

 

 

世の中には スポーツマンシップとは程遠い

スポーツ内のゴタゴタはいっぱいあるし

'92年アルベールビル、'94年リレハンメルの両五輪で日本が団体金メダルの

ノルディック複合では

'98年長野五輪を前に、何回も日本に不利なルール改正が行われたように

理不尽なことって 山ほどある

 

特に西欧発祥のスポーツで 日本人が活躍するのは

西欧の国々のスポーツ連盟は面白くないらしく

どんな手段を使っても 勝利を阻止しようとするのはよくあることで

 

フィギュアスケートの歴代日本人選手は

どんなにいい演技をしても

なかなかメダルを獲らせてもらえなかった というのは有名で

羽生選手ほどの人が 

フィギュアスケート界での いろんな不条理を知らない訳がなく

ファン以上に 思うことは山のようにあるでしょう

 

でも それら全てを飲み込んでも

前を向いて 死ぬほどの努力をして

いい演技をやり遂げ

自身に誇りを持ち

ファンが心から楽しみ & 幸せであってほしいと

頑張っているのだと 思います

 

なのに

不満 不平を吐き出すファンが多くなり

どう見ても 楽しく幸せとは思えないコメントが増えると

自分がスケートをしているせいで

多くのファンの人たちを不幸にしているのではないか?

自分がスケートをやらない方がいいのではないか?

 

などと彼が考えるようになっても 不思議じゃない気がします

考えすぎかなぁ?

 

 

ま 私としては 悔しいし 腹も立つことも多いけれど

発信は 前向きで明るいのがいいと

自分に言い聞かせている この頃です