ざっかん | ラピュタをさがして

ラピュタをさがして

宝塚のこと。
気ままに。
自由に。

宙組公演が初日を迎えましたね

無事に公演が進んでいるようで

良かったです

観るのを楽しみにしています


かなり間があきましたが

阪急阪神ホールディングスの株主総会が

ありましたね。

新聞社を含めて

いろんな情報が流れて

ため息しかなくて

また、何か書きそうになりましたあせる


X(旧Twitter)に

作家の有川ひろさんが

株主として参加されたレポを

載せてくれていて、

冷静で淡々としたレポが

ありがたかったです感謝

何より、今も

ただお金のためにだけに

株主をしている人ばかりじゃないんだと知り

書こうとしていたことを止めました

もちろん私は資本主義ですし

お金を稼ぐ為に株主になることは普通だと思っています

でも、それだけが株主じゃないし

お金を払えば何でも言える、してもらえる

というのはまた違うと思う

ハラスメントを考えるなら

そういう品性も必要だと思う

私はそんなお金もないのだけど笑




いろんな人がいろんな意見

お気持ちを述べていて、

それに触れると

私も言いたい言葉が出てくるけど、

少し考えて

自分が思っている考えから

ずれて伝わりそうな気がして

何も書かなかったり。

同じような人も多いんだろうな


今回の問題は双方の合意で

劇団はパワハラを認めて

責任はすべて劇団にあるとして

事態を決着しました


私は劇団が

最低限のところを踏み止まったことに

ホッとしました


けれど、世間では、

劇団がパワハラを認めた故に

実際にパワハラに加担しただろう人たちに

お咎めがないこと、

組の責任者にお咎めがないことに

異議を唱える人が多いようです



加担者個々にお咎めがないのは

“一般社会ではありえない”

一般社会ならパワハラに加担したらお咎めがあるはず?

まぁ何もないことは今の社会ではないでしょうけど、降格…あるかな?昇進に響くことはあるだろうし、異動(左遷)はあるかも。退職させられたり、会社で職員全員の前で謝らされたりはないでしょうね

タカラジェンヌは

“生徒”と呼ばれていて

まわりの意識が

ジェンヌを成人とみなしておらず

だから

子どもを守るという気持ちで

個々にお咎めをしないんだろう

タカラジェンヌは大の大人なのに

いつまでも子ども扱いだ

『生徒』呼びはやめるべき

『生徒』なんて呼ぶから

社会人として認識されてないし、

ジェンヌ自身の意識も低い

というようなことを

言われている方も多い


私は今回の件は

『個々に責任を押し付けてほしくない』

とずっと思っていました

でも、それは

タカラジェンヌが生徒だからでも、

親の気持ちでタカラジェンヌを

子ども扱いしているからでもないです

生徒呼びの是非はとりあえずスルーします。。


呼び方といえば“学校”って

どんなイメージでしょうか。


劇団に入る前にタカラジェンヌは

専属の音楽学校で2年間学び、

音楽学校を卒業しなければ

入団できません。

同じ年代の子どもたちは

高校生や専門学校生、大学生だから

音楽学校に

高校とかのイメージを持ちやすいかな…


私はそのイメージが

劇団と世間の認識のずれを

微妙に作ってしまっているんじゃないかな

と感じています。

“音楽学校”という名称が悪いわけじゃないし

名称を変えた方がいいと思っているわけじゃないです


タカラヅカの音楽学校って

高校や大学とは全然違うんですよね

ましてや義務教育の小中学校とは

まったく違う。

似ている部分があるとしたら

専門学校ですが、それも違うと思うの。

どちらかというと

企業の研修所ではないでしょうか。

2年研修する会社は少ないでしょうが、

企業、職種によっては

1年研修がありますよね。

自衛隊などの大学校の方が近いかなぁ…

まぁ、ただ、自腹っていうのが違うけど笑汗


何が言いたいかというと、

音楽学校の目標は

劇団の舞台に立つ劇団員を育てること

劇団員として

舞台を作れる人材を育てること

なんですよね

大学や専門学校も専門分野はありますが

それは本人が学びたいからやる

テストなどで最低レベルを超えていれば

目標は個々人の自由に委ねられています

職業訓練じゃないので。


その中で

良い悪いは別として

歌劇団で舞台を作り上げるために必要な

後輩としてのあり方

先輩としてのあり方

同期との絆

それらを自然にじゃなく

強制的に確実に作らせてきたのが

タカラヅカの音楽学校なんだと思う


何故って

それが劇団員として

タカラヅカの舞台を作り上げる上で

必要だと考えていたからでしょう

その指導を基礎に

それぞれ組によって違うとしても

劇団を機能させてきたんです


もちろん、学校として

そこまでしろとは言っていないことも

たくさんあるかもしれません。

でも、成果さえ得られればと

野放しにしてきたんです


私が個々にお咎めをしないことが

最低限、劇団の守ることだと考えているのは

何も親のような気持ちからではないです

因みに私は、生徒と呼ぶことに反対はないけど

劇団員のことを

自分の子どものように思ったことはないです

音楽学校の頃から

劇団(組織)の指導で

今の劇団員たちが形成されている

しかも、強制的に。

個々人を咎めるのは

組織の逃げにしかならないし

組織内部はそんなことでは変わらないんです


『やられて嫌なことは人にやらない』

そう子どもの時におしえられなかったの?

その嫌なことをやれと言ったのは

おそらく組織です。

そこまでやれとは言わなくても

より大きな成果を求めることで

追い詰めていれば、

やれと言ってるのと同じだと思うんです


普通の会社で

個人がパワハラをしたとして、

学校で

個人がイジメをしたとして、

その元になる指導が

会社や学校にあることは少ない。

あ、ちがうね。会社はパワハラの元になってることはかなり多そう!!その上、問題が持ち上がったら、当事者だけに責任を負わせて、会社自身は逃げるとかも普通にあるよね!誰がそうさせてん!ってニュースとか見てても思うもん

だから、

一般的な学校や会社を引き合いに出して

パワハラをした個人に

すべての責任があると考えるのは

少し違うと思いませんか?



少し愚痴ですが…


パワハラ行為者だとされている人たちを

真っ向からひつこく

バッシングしている人たちには、

その人たちにこそ

ご自身の近く、

ご自分の人との関わりについて

見直してみる方が良いのではないかと

切に思っていました


パワハラをする人は

自分がパワハラをしていることに

気づいていません


自分こそ正義と思っている

だからパワハラをするんです


自分より立場が弱い人は

ご自身のまわりに少しはいるでしょう

それは社会の職場内では必ずいますが、

自営業ももちろん

家庭でも、嫁姑、夫婦、親子、ご近所同志、ママ友…

どんな場合にもありえることです。

たぶん、強くバッシングしている方は

自分は絶対にパワハラなんてしないと、

していないと

考えるまでもなく思っている

でも、相手がどう思っているかは

わからないですよね

弱い立場の人たちは

にこやかに笑っていても

いつも我慢しているのかもしれません

パワハラをしているかもと日々

ビクビクした方がいいと言っているわけじゃないです

それだけパワハラの基準は

身近な問題と控えるほど

繊細な難しい問題だとわかると思うのです

達成すべき目標があればさらに難しい

優しくすれば解決するわけでもない


パワハラをはじめ

すべてのハラスメントはよくないです

それは間違いない

でも、そんなに単純な問題でもない


自分もパワハラをする可能性があると

わかっていて、気をつけている人は

自分のパワハラに厳しく

他人のパワハラに敏感で、

でも人自身には寛大になれると思う

他人事なら特に。

自分の問題として考えられるから

パワハラを肯定してるわけじゃないよ


自分はパワハラなんてしない

パワハラをするのは一部の極悪人だと

思っている人こそ

自分は正義であり無関係と思わずに

日々の行いを振り返り、

遠い対岸の火事に

バッシングを行うのではなく、

自分の周りを

自分自身を改善することを

考えてみてはいかがでしょうか

その方がきっと建設的です



今回のできごとは

単にパワハラ問題ではないのですが


それでも、私は個々人に

いまだに世間から今のような

大バッシングを受けるような咎はないと考えています

それに至る細かい考えは

憶測も多く書くのが憚られるので書きませんが。

…人間関係が一番難しいですね

私も苦手ですが。



あ、一連の件にまぎれて

劇団に脅迫を行った人物が

逮捕、書類送検されましたね

犯人が特定されたということで

少しだけホッとしましたが…

これこそ、まぎれもなく犯罪です

厳しい処分がくだってほしい