梅雨です
低気圧でなんだか頭が
スッキリしない週末でした
6月21日は夏至でしたね
一年で一番日が長い日
イギリスは実は?日本より緯度が高くて
夏は日が長いんですよね
日が長いと夜になってからでも
何でもできる気がして
嬉しいんですよね
日本はあまり差が感じられにくいけど
夏至は好きです
なんせ、パックとストルーエンセの日
さて、
先週末に星組とマチソワしました
月組公演『Eternal Voice/
Grande TAKARAZUKA 110!』
my楽でした
3月30日(土)に
大劇場初日をむかえたこの公演
月城かなと&海乃美月のトップコンビと
麗泉里、空城ゆう、彩音星凪、
一星慧、まのあ澪
7名の退団公演でもあります
大劇場でも一度
初日の次の日に観劇しました
my初日は久々の立ち見で
前回の立ち見はいつだっけ?
そうそう、星組のロミジュリも立ち見しましたよ⭐︎
体力がね、
信じられないくらい落ちているのか
疲れました…
でも、下手一列目だったので
視界は良好
オペラが重くて手摺に肘をついて固定
あ、オペラが重かったからより疲れたのかな…
ショーの客席降りは
男役さんが横まで来てくれました
立ち見に耐えられない体力って
やっぱヤバいんかな…
しんどかったから
ちょっとだけ集中力弱かったもんね笑
体力つけなきゃ…いつも言ってる…
東京は友の会さんが
私を哀れに思ってくれたのか
前の方の席を当ててくれまして
月城さんや海乃さんをはじめ
皆さんの演技をとても楽しめました
もちろん、ショーも
感謝
前方席だと、いつも通り
皆さまの美しさにクラクラしました
鎌倉にて🐈
遠征&旅行〜〜
ちょうど紫陽花の美しい季節でした
『Eternal Voice』は
ヴィクトリア女王時代
19世紀末イギリスを舞台に
サザビーのオークションや骨董店
超常現象研究家に降霊術
霊媒、呪術に
カトリックvsプロテスタント
と、盛りだくさんで、
英国らしい題材がめい一杯詰め込まれて
それぞれの場面の
細かなやり取りが気になったり
細かな部分が好きでした
最近の傾向なのか
背景の映像が明るく詳細で
舞台機構の使い方とかからも
映画を見ているような感覚を
作りたいのかなと何回か思いました
舞台セットは堅牢でしっかり感あるなぁ
と思ったり
オペラで観ると
小道具、部屋のしつらえが
ちょっぴり古めかしく繊細で
やっぱり少し映画みたい
物語は主演ふたりを筆頭に
不思議な人たちで構成されています
出来ればもう少し
妖しさ、怪しさというか
神秘的というか
現実離れした空気が
舞台全体にあればなぁとか、
あと、ユリウスとアデーラの恋愛模様?
人物像は普通じゃないけど
珍しく?スタンダードなふたりの恋愛模様が
出会いから通しで描かれていると
私は感じたのですが…??
二人の心の交流というか
心の流れをもう少し主軸に
ピックアップした方が
作品としても観やすいかなぁ
描かれているけどうっとりするにはほど遠く
疑問の方が勝るんですよね
脚本のせいもあるだろうけどね…
同志的だとしても惹かれ合うのがだいぶ唐突。
シンパシーなんだろうけど…それが端的に感じられない
と思ったmy初日、
東京では不思議な雰囲気が
役それぞれで板についていて、
信じるタイプの人も
信じないタイプの人も
自然に存在している感じが増したなと
思いました
それに、ユリウスとアデーラの
心の繋がりというか
シンパシーというか
心の交流と信頼が感じられて
良いなぁって思いました
ただ…
作品としては
いろいろ散りばめられた要素は
すごくイギリスだし、
19世紀末だし、
好きな題材が多いのですが、
ところどころ辻褄が合わないところが…
端っこのエピソードでなく
真ん中のエピソードなので
少しひっかかりが…
エゼキエルは
ヴィクトリア女王を呪って
女王の死すら願っているけど
理由になる非業の死をとげたメアリーが
ヴィクトリアと血が繋がっていて…
血が繋がっていても憎んでいることもあるけど、
今回は同時代で敵対し、処刑された恨みで
エリザベス1世とその宗派
プロテスタントが憎いっていう方向性だけど、
生涯独身のエリザベス一世は血は途絶えているけど
メアリーの血族は面々と続いてるんだよね…
やはりなんだか辻褄が…
この矛盾は物語の中で
バラされて回収されているんですが
エゼキエルたちの行動理由として
あまりに重要なことなので?
種明かし?されても納得できないというか…
いっそ、物語内では
その矛盾を無視して進行すべきでは?
と思いました
無視して物語を進めても
観劇する大多数の日本人は
少なくとも観劇中は気づかない気もするし笑
イギリス史に詳しい人には
意味わからんとは思われるかもしれないけどさ
このことが引っかかるのは
他にも理由があって、
物語の根幹になっている
メアリースチュアートの首飾りに
絡んでくるんですね…
ユリウスもアデーラも
この首飾りが行動や出会いのキッカケなので
そこに変な疑問があると
なんかやっぱりしっくりこない…
何故、メアリーが首飾りを使って
ユリウスとアデーレを引き寄せたのかが
後半になるにつれて
疑問というか引っかかってきて…
メアリーの動機に
復讐(を阻止する)が絡んでいる感じなのが
辻褄が合ってないという気持ちに
拍車をかけるんですよね…
私の理解不足かもしれないけど…
首飾りには
メアリーの“思い”が宿っているくらいにして
メアリーの“願い”が宿るという
意味付けはやめた方が良かったのでは?
でも一方で
超常現象に拒否反応というか
超常現象をまともに取り上げた舞台背景に、
疑問というか
馴染めないものを感じる観客が
多いみたいですが、
前回雪組のボイトレに続いて
頻出すぎるかなぁとは思いますが
私は物語の世界観には
違和感がなかったです笑
というのも、
日本でも違う意味で有名な貞子さんとか
電気の発明以後私は詳しくないのですが
新しい研究
しかも、今から考えると
滑稽ささえある研究が、
一般人や旧体制からは
疑問視、嘲笑されながらも
ひとつの研究材料になり得た時代があって、
日本は時期的にはたぶんだいぶ後だけど
もちろんイギリスをはじめ
ヨーロッパ諸国でも
盛んだった時代があるんですよねー
結局、さらに科学が進展してきた今では
それらは(科学的)研究として
大学などでなされることは
なくなっていますけど?
でも、心理学の分野だって
今は市民権を得ているけれど、
はじめは完全未知の領域で
だから、電気が発明されたら
電気で何かを解明したり
あるいは、こころについて
電気治療で治そうとしたりしたんですね
わからないことに対して
あらゆる可能性を試し
可能性を潰して行って
正解を見つける
結果的に潰される可能性も
検証してみなければ
解答は得られない
超常現象は奇異さが目立つけど
解明されるまでは未だ解明してないけど?
他の事柄の研究と同じだったんだと思う
観劇しながら思い出したのは
小さな頃に繰り返し見ていた映画
『オズ』
一番有名な物語は一巻で
原作は一巻から続いているのだけど、
私の家にあったのは二巻の映画で
それゆえ、私のオズの魔法使いの
イメージはこの映画だったりします
今でもモーム王がドロシーに食べさせた
石膏でできていそうに
パリパリ、カサカサ音がする
不思議なパイのようなお菓子とか、
金属のカップに
ポコポコと気泡が上がっている
でも冷たそうな飲み物を思い出すし、
大理石の鏡の間でゲームを持ちかけられて
それを解き明かす時の緊迫感とか、
グリーンの置き物の色の不思議な感じ、
ルビーの靴が真っ赤で
キラキラ綺麗なお菓子みたいだったのを
思い出します
って、そんな思い出話は
今回の作品感想とは関係ないですが
この映画、
冒頭がすごく印象深くて
子どもの私は
意味がほとんどわからなかったのだけど
怖くて仕方がなかった…笑
ドロシーは一巻で
竜巻に巻き込まれてオズの国に行ったけど
無事にカンザスの我が家に帰ってくる
でも、オズの記憶が消えていなくて
ずっとオズの話をするんですね
両親はもちろん
竜巻で亡くなったと思ったドロシーが
生きていたことをすごく喜ぶけれど、
ずっとオズの話ばかりして
目の覚めないドロシーに
竜巻のせいで気が変になったと思う。
はじめは宥めたり、怒ったりしたけれど
ちっとも考えを変えないドロシー
とうとう、当時最先端の
電気治療をする医者に連れて行く
そこでは
いろんなこころの病と見なされた人が
治療を受けていて、
もう少しでドロシーも
電気治療をされそうになるけど、
間一髪で
またオズの国に引っ張られていく…
そんなプロローグ
そのシーンに出てくる
最新の電気治療機が
役割が違うのだけど、
今回の研究のための機械と似通って感じて
時代感というか、
その時代の世界につながるような
なんだか懐かしい気持ちがしました
アメリカとイギリスで国は違うけどね笑
ミュージカル・ロマン
『Eternal Voice 消え残る想い』
作・演出/正塚 晴彦