昨日は月組
Grand concert『G.O.A.T』
~Greatest Of All Time~
の初日でしたね
なんだか楽しげレポが流れてきて
楽しみです
千秋楽まで無事に
そして、今日は雪組新人公演ですね
配信もあります
さて、
雪組東京公演を観劇してきました
変更点があると聞いていましたが
ちょこちょこ気づいたり
気づかなかったり??
ポンコツなので、
なんかわかりやすくなったような?って
思う程度だったりする
ジョーのセリフに
一回エコーがかかったのは
私でもわかった
先生のこだわり?
良いけど、もともとあの3人のやり取りは
良かったからなぁ…
ジョーはなんだか
よりセリフに軽さがでて?
泥臭さがなくなった感じ
もともと泥臭さかったわけじゃないけど、
どちらも良いけど今は都会的な感じが増したかも?
アーサー、ルイーザ、ホームズは
歌のなじみが良くなって
さらに聞きやすくなったなーって思う
特にルイーザはセリフも。
これは変更とは違うけど
あと、ホームズズの場面が少し変わった?
ちょっと、個々が分かりにくいのが
残念だなぁって思っていたけど、
000とのやり取りが増えて?
注目しやすくなったような
『今まで私はこの時何観てた?』
って思ったシーンがあった
000をガン見してたのかな
セリフ等が増えてないならメリハリがでて
わかりやすくなったのかも?
でも、まだ『ホームズズ』として
集団でひとつの認識で
個々は区別しづらいかな
000の分身止まりで
それぞれのエピソードが
作品中にでてくるわけじゃないし
仕方がないけれど…
002の愛さん観ていたら
ちょっとスプーンおばさんを思い出した
白のコーディネートのドレスに
メガネにナイトキャップ?がかわいい
my初日からミュージカル作品としては
すごく楽しかったんですけど、
物語的にはラストに向けて
少し弱いところも感じていて、
その一番はアーサーとルイーザが
作中でホームズを殺そうとして
モリアーティが登場したあと
決闘で滝壺に落ちる時、
本来はホームズとモリアーティが一緒に
滝壺に落ちるんだけど
何故かルイーザが巻き込まれるところ。
現実ではそれが影響して??(逆?)
ルイーザは病になるんだけど…
この流れがなかなかわかりづらい
my初日から
『そうなんだねっー』って感じで
スルーしていたけど、
やっぱりちょっと
ぎこちないのは否めないかなぁ…
ただ、それが東京公演では
滝壺のシーンの前に
ルイーザがホームズの(想像の)世界に
入ってきた瞬間がわかったから、
ホームズが『わっ』って驚いてますよね
当初からだったらすいません…
ちょっと分かりやすく感じました
ただ、まぁ、なんで?入ってこれたのっていうのは
わからないんだけどね。
ルイーザとアーサーの心の繋がりが深まったとか??
それとも、あのルイーザは実際のルイーザじゃなくて
アーサーの想像上のルイーザなのかな?
でもやっぱりそのあと、
アーサーと
病身のルイーザのやり取りや
妹ロティとのやり取り
そこから、ホームズとの和解
和解によってルイーザが奇跡的に回復
っていう流れになるんだけど…
もう少し引き込んで
というか客席も巻き込んでくれたらな…
という気持ちかな。
ルイーザの病も何かはっきりしない
ロティが言いそうで言わない、聞こえない
そしてルイーザを気にかけてなかったという理由で
アーサーが責められているのは分かるけど…
病名が知りたいわけじゃないけど
ルイーザの体調不良が謎すぎかな…
あとで魔法のように回復するから尚更かも
なんかモゾモゾするというか…
大きく引っかかってるわけじゃないけど
スルーする感じで受け入れると
ルイーザの病(スイス)あたりからが
弱くなって間延びするんだよね…
そうなると物語の中でも大切な
そこで語られる内容が
ストンと入ってこない
で、そうなると
ラスト付近の締めのセリフとかが
本来より弱くなってる気がするんだよね。
普通にいいなって思うラストなんだけど
弱い部分がなかったら
もっと響くだろうなーって思うと
もったいないなって思う…
今文字に起こして書いてみたら
先生のやりたいことが
わかる気がするけど
観劇中はわかりづらいというか…。
たぶん…
アーサーとルイーザが
アーサーの分身であるホームズを
殺してしまおうとしたことで
アーサーの大切なルイーザが病に。
そのあと、アーサーがホームズという
自分の一部を認めて、
つまり自分を否定せずに
自分のすべてを受け入れることで
進む道が明るく照らされて
それに伴ってルイーザの病が治る。
それをホームズが叶えることで
さらにアーサーが自分を受け入れた
っていうことが
表現されているんだろうけど…?
ちょっとね、
事象としては飛躍してるんですよね…
自分?を受け入れたアーサー
によって回復するのが
アーサー自身や
分身であるホームズたちなら
普通に辻褄は合うけど、
病気になったり回復したりするのが
妻のルイーザとなると
普通じゃない。
魔法か、たまたまかって感じ。
別に良いんだけど…納得感がね、必要というか…
これが紙面に表現された
漫画とかであればもっと
すんなり理解できるかもしれないけど…
映画とかアニメとかでもね。
でも舞台は人が表現してるし
観てる世界も三次元だからか
飛躍したものを受け入れるには
ハードルが高いのかなぁ…
イマジネーションと現実世界
イマジネーションが現実になる
昔、それについて考えたことがあった
それを思い出した
内容は忘れてしまったけれど。
シャーロック・ホームズって
イマジネーションが
現実になったひとつの例なんだー
って、先生が舞台を通して言うから
今更ながらに気づいたり。
当時、小説がまだまだ
新しい表現だったからでもあるだろうけど
連載小説を読んだ大衆が
ホームズに会いに
編集部へ押し寄せるくだり、
彼らが架空のホームズの肖像画を
掲げて迫ってくる熱狂的な様子を観ると
ホームズが現実に『生まれた』んだな
って思って、
狂気の沙汰なんだけど
なんか面白いし嬉しかったりする。
ホームズ自身も悪魔ちゃんの時に
言ってますもんね
『あともう少しだっ』みたいに。
あ、ホームズの肖像画が途中で
朝美さんのホームズポートレートに
変わるのをやっと確認
今まで何観てたんだっていうね笑
それぞれいろんなポーズの写真だから
全部見たい〜ってなる
『小説』が普通に普及している現代では
ほんとは違うとわかりつつでも
小説の中の人物が実在するって
思うことって普通はない。
作者が投影されてそうだなぁって
思うことはあるけど
まぁあるとしたら
物語の舞台背景が
現実世界に沿っていると
そういう効果もあったりするかな?
聖地巡礼とか流行ってるもんね
ディズニーランドは
ディズニーの世界を体現できるから
それに近いけど、
でもさらに近いのは
映画やドラマの中の芸能人とかかな
人によるだろうけど、
被り物が気にならなければ
ディズニーランドが、
物語の世界に没入するタイプは
映画やドラマが、そしてゲームもかな
効果が高い気がする
そう考えながら
タカラヅカはそれ以上な気がして、
だから、ファンは熱狂するのかなぁ
ほんとに夢の世界なんだなぁ
と思ったりする
生きていくのは時に困難だ
だからこそ
世界には物語が必要なんだ
(意訳です)
このセリフの意図は
それだけじゃないだろうけど
お正月の装花
生花だと思ってた
シャンテの展示にも行ってきたよ
帰り道
お腹がすごくすいてて
超高速で購入
端っこの味噌はまぶして食べるべきだったのかな
アサリがいっぱい