年頭に、紹介したい絵本は、
『100年たったら』
文・石井睦美 絵・あべ弘士 (アリス館)
一匹のライオンと、
一羽の小鳥(ヨナキウグイス)とのお話ですが、
以前、ご紹介した絵本『ヒワとゾウガメ』の
続編のような内容です。
『ヒワとゾウガメ』
安東みきえ・さく ミロコマチコ・絵 (佼成出版社)
自分は長生きするけれど、
かつて友だちになった小鳥達は、
自分をおいていなくなってしまう。
そんな寂しさを知っていたから、
「友だちだよ」と言ってくれる「ヒワ」にも、
心を開くことは無かったけれど、
海の向こうに「ゾウガメ」の「仲間」がいるらしい
という噂を確かめに、
「ゾウガメ」の元を飛び立って行きます。
その日から、ゾウガメは、
「ヒワ」の帰りを待ち焦がれ、
「ヒワ」が自分にとって、
いかに大切な存在だったかを知るのです。
『100年たったら』では、
“運命の赤い糸” で結ばれているのは、
「ゾウガメ」と「ヒワ」から、
「ライオン」と「鳥(ヨナキウグイス)」に
姿を変えています。
草原に一頭だけの「ライオン」と
友だちになった「鳥」ですが、
ある日別れは、やって来ます。
「おれはただ、あんたといたいんだよ」と
「ライオン」は、泣き、
「鳥」は、「また あえるよ」となだめるのですが、
「いつ?」と問い詰めるライオンに、
「100年たったら」と鳥は答えます。
それから「ライオン」も逝ってしまいます。
その後
「ライオン」と「鳥」は、
「貝」と「波」
「おばあさん」と「ひなげし」
「魚」と「漁師」
「チョーク」と「黒板」
「リスの子」と「リスの子の上に初めて降った雪」
と生まれ変わります。
そして、
何度目かの100年が経った時、
「男の子」と「女の子」に生まれ、
小学校の校庭で、初めて二人は出会う
という物語です。
『ゾウガメとヒワ』では、
いつか別れがあるとしても、
君のことを100年忘れず覚えているから
という、強い想いが貫かれています。
それでも、命には限りがあります。
「ヒワ」も「ゾウガメ」も、
この世からいなくなってしまったら…
という、その後を描いたのが、
『100年たったら』
なのかもしれません。
どんなに時が経っても決して忘れず、
変わることない想いは、永遠に続いていく。
そんな、
“運命”に結ばれた相手 との転生の物語です。
『ゾウガメとヒワ』の中に
「100年、忘れずにいるから」
という言葉が出て来ます。
「 100」という数字は、
「多い」・長い」
ひいては、「悠久」や「永遠」の
象徴としての意味で用いられていると思います。
『100年たったら』でも、
この「100年」がキーワードになっていて、
夏目漱石の『夢十夜』の
「百年待っていてください。」
「きっと逢いに来ますから」
と言い残して死んだ女の話である「第一夜」を、
彷彿とさせますね。
(漱石の『夢十夜』は、
いろいろな形で出版されていて、
文庫本でも手軽に読めますが、個人的には、
『夢十夜』
作・夏目漱石 画・金井田英津子 (パロル舎)
が好きです。😊)
「鳥」というのは、
「儚い命」を象徴しているような存在ですが、
自身が死んでもなお、
変わらぬ想いを、新しい命が受け継いでいく
という意味では、
『ことりをすきになった山』
カール 絵 / マクレーラン 文 (偕成社)
も、同様の趣旨の絵本でしょう。
一方、
『100万回生きたねこ』 佐野洋子 (講談社)
こちらは、何度も転生してきた「ねこ」が、
本当に愛する相手と巡りあった時、
満足して、永遠の眠りにつくという物語です。
満ち足りて、生を終える「愛」
生を終えて、再び始まる「愛」
「愛」のカタチも様々ですね。
今、愛する相手と巡り逢えていますか?