大沢池に映る名月や嵯峨菊、村雨の廊下が有名です
私のお奨めは、梅林です
大覚寺(ダイカクジ)
宗派;真言宗大覚寺派
寺格;大本山
本尊;五大明王(重要文化財)
創建;876年
開山;恒寂入道親王
開基;正子内親王(淳和天皇皇后)
JR嵯峨嵐山駅からバスでスイスイと行けるお奨めのお寺です
紅葉は普通ですが、スケールが大きくて見どころの多い魅力いっぱいのお寺です。
私は、梅シーズンをお奨めします。
大混雑の京都紅葉シーズンを楽しむ私のルールがあります。
ここだけの話を教えます。
①朝早く出かける。
②京都駅から観光目的地の一番遠くに先に行く。
今回の場合⇒京都駅⇒JR嵯峨嵐山駅
ここからが重要なポイントです
ほとんどの人が、しかも大勢の人が嵐山へと向かいます。
みんなと逆方向に降りて、大覚寺行きのバスに乗ります。
(バス乗り場まで少し歩く必要があるので、場所を聞いた方が良い)
大覚寺から清凉寺迄バス⇒以後徒歩⇒化野念仏寺(お奨め)・祇王子・二尊院・常寂光寺(お奨め)・野宮神社・天龍寺・宝厳院(お奨め)
大覚寺の紅葉は、凄い紅葉ではないが、あちらこちらで素晴らしい自然の絵画が見られる。
大覚寺は、明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院です。
広さが大きいだけでなく、色々の意味でスケールが大きい。
自分の好みに合った時期に行かれることをお奨めします。
私の好みは、大沢池のそばにある梅林です
広いスペースに梅木がたくさん並んでいるだけですが、それほど知られてはいないので静かに楽しめる。
大玄関
江戸時代初期に御所から移された建築物で、明智光秀が居城の亀山城の一部を移築したものらしい。
木造入母屋造瓦葺、正面に銅板葺きの唐破風を持つのが特徴。
菊のご紋だ。
平安時代、嵯峨天皇の離宮として建立(約1200年の歴史)
嵯峨菊
嵯峨菊は嵯峨天皇の御代、大沢池の菊ヶ島に自生していた嵯峨野独特の野菊。京都を強くイメージしているといわれる。
菊を育てるのは想像以上に大変です
花は、下部に七輪、中程に五輪、先端に三輪で「七五三」とし、葉は下部を黄色、中程は緑、先端を淡緑と、四季を表しているという。
凄すぎる
ごめんなさい、私は普通の野菊の方が好きです。
宸殿(シンデン)
寝殿造りの建物で、廊下・広縁はすべてうぐいす張り。
狩野山楽筆の襖絵
私と同じ近江の国生まれだそうです。
牡丹図、紅白梅図、柳松図など、黄金色をバッグに凛とした牡丹や松が描かれている。
勅使門
大覚寺では別名「おなごりの門」とも呼んでいるようです。
左近の梅
左近とは、百官名の一つ。
左近衛府の官名に由来する。
御影堂(心教前殿)
嵯峨天皇座像と弘法大師座像(秘鍵大師)がお祀りされている。
秘鍵;秘密の鍵を持っている弘法大師像
嵯峨天皇は、空海に熱い信頼を寄せていた。
五大堂
写経道場として用いられている。
東側の縁からは大沢池を望むことができる。
大沢の池
嵯峨天皇が作らせた人口の池です。
嵯峨菊に紅葉、大沢の池に龍頭船、この風情に感動
また感動です
流れ紅葉
一枚の絵だ
霊宝館
桃山時代の狩野山楽筆「牡丹図」「松鷹図」の襖絵、江戸時代の渡辺始興筆「野兎図」、平安時代後期の仏師・明円作「五大明王像(大覚寺本尊)」などが常時安置されている。
何て可愛いんだろう
描いている場所がいい。
センスがいい
なんて、美しい絵だろう。
緑と赤のバランスにうっとりとしてしまう。
日本人形の立ち姿を想像しました。
色っぽい。
いけばな発祥の花の寺でもあり、「いけばな嵯峨御流」の総司所(家元)です。
創流1200年
お花を通じて人々に心の潤いをお伝えする
2018.11.21
大覚寺宮墓地 宮内庁とある。
立派なお墓です。
直指庵~大覚寺の間にあります。
こんな自販機初めて見ました。
売れるのだろうか?
私もやってみたい気がする。
鉄拳 お笑い芸人、イラストレーター。
300年の南天
こんな方法でのばすのだ
家の南天でも試してみよう。
でも300年は無理か
サザンカ
あんな暗い中で毎日を過ごしていたのだろうか?
昼間でもローソクを灯していたのだろうか?
知らなかった。とんでもない幸運に巡り合えた。
「戊戌開封法会」
60年に一度、ひらく扉なのだ。
しかも、一般公開は今回が初めてらしい。
次に見られるのは、60年後なんです。
なので、間違いなく今しか見られない。
凄い行列になっている。
嵯峨天皇 在位期間 809年- 823年
平安時代、都で大飢饉による疫病が流行った。
嵯峨天皇は、弘法大師さまのお勧めにより、御写経(般若心経)をされ、勅封(封印)として奉安し、国民の安泰を心から願われた。
以来60年に一度、その御写経を開封し、天下泰平をお祈りしている。
弘法大師 774年-835年
810年、薬子の変が起こったため、嵯峨天皇側につき鎮護国家のための大祈祷を行った。
又、中国で学んだ治水技術を生かして活躍したため、多くの水に関連した伝説を残したと考えられる。
この結果、弘法大師は大きな権力を得たと推察される。
817高野山 開創に着手
817年より7年連続で干害
818年、大旱魃(かんばつ)から全国に疫病が蔓延
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2000年代 2017.11.25 2018.11.21
京都府京都市右京区嵯峨大沢町4