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大學章句 (漢文叢書)
編者:朱熹
大正十年
1921年

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子程子曰:「《大學》,孔氏之遺書,而初學入德之門也。」於今可見古人爲學次第者,獨賴此篇之存,而《論》、《孟》次之。學者必由是而學焉,則庶乎其不差矣。
〈子程子していしの曰く、大學は、孔氏の遺書ゐしよにして、初學しよがく德に入るの門なり。今に於て、古人學を爲す次第を見る可き者、獨ひとり此篇このへんの存するに賴よる。而して論孟ろんまう之れに次ぐ。學者必ず是これに由りて學ばば、則すなはち其その差たがはざるに庶ちかからん。〉
大學之道,在明明德,在親民,在止於至善。知止而后有定;定而后能靜;靜而后能安;安而后能慮;慮而后能得。物有本末;事有終始。知所先後,則近道矣。古之欲明明德於天下者,先治其國。欲治其國者,先齊其家。欲齊其家者,先脩其身。欲脩其身者,先正其心。欲正其心者,先誠其意。欲誠其意者,先致其知。致知在格物。物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。自天子以至於庶人,壹是皆以脩身爲本。其本亂而末治者,否矣。其所厚者薄,而其所薄者厚,未之有也。

〈大學の道は、明德めいとくを明にするに在り、民を親あらたにするに在り、至善しぜんに止とどまるに在り。止るを知りて后のち定さだまる有り、定さだまりて后能く靜しづかに、靜しづかにして后能く安やすし、安くして后能く慮おもんばかる、慮りて后能く得。物に本末有り、事に終始しゆうし有り、先後する所を知れば、則ち道に近し。古いにしへの明德めいとくを天下てんかに明あきらかにせんと欲する者は、先づ其國を治む。其國を治めんと欲する者は、先づ其家を齊とゝのふ。其家を齊へんと欲する者は、先づ其身を脩をさむ。其身を脩めんと欲する者は、先づ其心を正たゞしくす。其心を正しくせんと欲する者は、先づ其意いを誠まことにす。其意を誠にせんと欲する者は、先づ其知を致いたす。知を致すは物に格いたるに在り。物もの格いたりて而して后に知至る。知至りて而して后に意誠なり。意誠にして而してのちに心こゝろ正たゞし。心正しくして而して后に身脩る。身脩りて而して后に家いへ齊とゝのふ。家齊うて而して后に國治まる。國治まりて而して后に天下てんか平たひらかなり。天子自より以て庶人しよじんに至るまで、壹いつに是これ皆みな身を脩むるを以て本と爲す。其本亂みだれて而して末すゑ治をさまる者否あらず、其の厚あつき所の者薄うすくして、而して其の薄き所の者厚きは未だ之れ有らざるなり。〉

右經一章,蓋孔子之言,而曾子述之。其傳十章,則曾子之意而門人記之也。舊本頗有錯簡,今因程子所定,而更考經文,別爲序次如左。
〈右經けい一章は、蓋けだし孔子の言にして曾子そうし之れを述ぶ。其傳十章は、則ち曾子の意にして、門人之れを記す。舊本頗る錯簡さくかんあり、今程子の定さだむる所に因よりて、更さらに經文けいぶんを考へ、別に序次じよじを爲すこと左の如し。〉
《康誥》曰:「克明德。」《大甲》曰:「顧諟天之明命。」《帝典》曰:「克明峻德。」皆自明也。

〈康誥かうかうに曰く、克よく德とくを明にす。大甲たいかふに曰く、諟この天の明命めいめいを顧かへりみる。帝典ていてんに曰く、克く峻德しゆんとくを明にす。皆みな自ら明にするなり。〉

右傳之首章。釋明明德。
〈右傳の首章しゆしやう、明德を明にするを釋せきす。〉
湯之盤銘曰:「苟日新,日日新,又日新。」《康誥》曰,「作新民。」《詩》曰:「周雖舊邦,其命惟新。」是故君子無所不用其極。

〈湯たうの盤はんの銘めいに曰く、苟まことに日に新あらたにして、日日に新にして、又日に新あらたなりと。康誥かうこうに曰く、新民を作おこすと。詩に曰く、周は舊邦きうはうと雖いへども、其の命めい維これ新あらたなりと。是の故に君子は、其極きよくを用ひざる所なし。〉

右傳之二章。釋新民。
〈右傳の二章しやう、民を新にするを釋す。〉
《詩》云:「邦畿千里,惟民所止。」《詩》云:「緡蠻黃鳥,止於丘隅。」子曰:「於止,知其所止,可以人而不如鳥乎?」《詩》云:「穆穆文王,於緝熙敬止。」爲人君,止於仁;爲人臣,止於敬;爲人子,止於孝;爲人父,止於慈;與國人交,止於信。《詩》云:「瞻彼淇澳,菉竹猗猗。有斐君子。如切如磋,如琢如磨。瑟兮僩兮,赫兮喧兮。有斐君子,終不可諠兮。」「如切如磋」者,道學也;「如琢如磨」者,自脩也;「瑟兮僩兮」者,恂慄也;「赫兮喧兮」者,威儀也;「有斐君子,終不可諠兮」者,道盛德至善,民之不能忘也。《詩》云:「於戲前王不忘!」君子賢其賢,而親其親。小人樂其樂,而利其利。此以沒世不忘也。

〈詩に云ふ、邦畿千里、惟これ民の止る所と。詩に云ふ、緡蠻めんばんたる黃鳥くわうてうは、丘隅きうぐうに止ると。子曰く、止るに於て、其の止る所を知る、人を以てして鳥に如かざる可んやと。詩に云ふ、穆穆ぼくぼくたる文王は、於あゝ緝熙しふきにして敬止けいしすと。人君と爲なりては、仁じんに止まり、人臣と爲りては、敬けいに止まり、人子と爲なりては、孝に止まり、人父と爲りては、慈じに止まり、國人と交れば、信しんに止まる。詩に云ふ、彼の淇澳きいくを瞻みれば菉竹りよくちく猗猗ゐゐたり。斐ひたる君子有り、切せつするが如く磋さするが如く、琢たくするが如く磨まするが如し。瑟しつたり僩かんたり、赫かくたり喧けんたり、斐ひたる君子有り、終つひに諠わする可からずと。切するが如く磋するが如しとは、學を道いふなり。琢するが如く磨するが如しとは、自みずから脩をさむるなり。瑟たり僩たりとは、恂慄じゆんりつなり。赫たり喧たりとは、威儀ゐぎなり。斐たる君子有り、終に諠わする可からずとは、盛德せいとく至善しぜん、民の忘わするゝ能あたはざるを道いふなり。詩に云ふ、於戲あゝ、前王ぜんわう忘られずと。君子は其賢を賢けんとして其親を親とす、小人は其樂たのしみを樂みて、其利を利とす、此を以て世を沒をへて忘られざるなり。〉

右傳之三章。釋止於至善。
〈右傳の三章は、至善に止るを釋す。〉
子曰:「聽訟,吾猶人也,必也使無訟乎!」無情者不得盡其辭,大畏民志。此謂知本。

〈子曰く、訟うつたへを聽きくは吾れ猶ほ人のごときなり、必ずや訟うつたへ無からしめんかと。情まことなき者は其辭じを盡すを得ず、大いに民志を畏おそれしむ、此これを本もとを知ると謂いふ。〉

右傳之四章。釋本末。
〈右傳でんの四章は、本末を釋せきす。〉
此謂知本,此謂知之至也。

〈此れを本を知ると謂ふ。此れを知の至ると謂ふなり。〉

右傳之五章,蓋釋格物、致知之義,而今亡矣。閒嘗竊取程子之意以補之曰:「所謂致知在格物者:言欲至吾之知,在卽物而窮其理也,蓋人心之靈莫不有知,而天下之物莫不有理。惟於理有未窮,故其知有不盡也。是以大學始敎,必使學者卽凡天下之物。莫不因其已知之理而益窮之,以求至乎其極。至於用力之久,而一旦豁然貫通焉。則衆物之表裏精粗,無不到,而吾心之全體大用,無不明矣。此謂物格。此謂知之至也。」
〈右傳の五章は、蓋し格物かくぶつ致知ちちの義を釋す。而して今は亡ほろびたり。閒このごろ嘗かつて竊ひそかに程子の意を取とつて、以て之を補ふ。曰く、所謂いはゆる知を致いたすは物に格いたるに在ありとは、言いふこゝろは吾の知を致さんと欲するは、物に卽つきて其理を窮きはむるに在るなり。蓋けだし人心の靈れい知有らざる莫なし、而して天下てんかの物、理あらざる莫なし。惟たゞ理りに於て未だ窮きはめざる有り。故ゆゑに其知ち盡つくさざる有るなり。是こゝを以もつて大學の始はじめの敎をしへは、必ず學者をして凡およそ天下の物に卽つき、其の已すでに知るの理りに因よつて益々之を窮めて、以て其極に至るを求めざる莫からしむ。力を用ふるの久しく、一旦豁然くわつぜんとして貫通くわんつうするに至つては、則すなはち衆物しうぶつの表裏へうり精粗せいそ、到いたらざる無なく、吾が心の全體ぜんたい大用たいよう、明あきらかならざるなし。此を物の格ると謂ひ、此を知の至ると謂ふなり。〉
所謂誠其意者:毋自欺也,如惡惡臭,如好好色。此之謂自謙。故君子必愼其獨也。小人閒居爲不善,無所不至,見君子,而後厭然。揜其不善,而著其善。人之視己,如見其肺肝然,則何益矣。此謂誠於中,形於外。故君子必愼其獨也。曾子曰:「十目所視,十手所指,其嚴乎。」富潤屋,德潤身。心廣,體胖。故君子必誠其意。

〈所謂いはゆる其意そのいを誠まことにすとは、自みづから欺あざむく毋なきなり。惡臭あくしうを惡にくむが如く、好色かうしよくを好むが如し。此を之れ自ら謙けんすと謂ふ。故に君子は必ず其その獨ひとりを愼つゝしむなり。小人せうじん閒居かんきよして不善ふぜんを爲す、至いたらざる所ところなし。君子を見て而しかる后のち厭然えんぜんとして、其不善を揜おほひて、其の善を著あらはす。人の己おのれを視みること、其肺肝はいかんを見るが如く然しかり。則すなはち何なんぞ益えきあらん。此を中うちに誠まことあれば、外に形あらはると謂ふ。故に君子くんしは必かならず其その獨を愼つゝしむなり。曾子そうし曰く、十目の視る所、十手の指す所、其れ嚴なるかなと。富とみは屋をくを潤うるほし、德とくは身みを潤うるほす、心こゝろ廣ひろく體たい胖ゆたかなり。故に君子は必ず其意を誠にす。〉

右傳之六章。釋誠意。
〈右傳の六章は、意を誠まことにすることを釋せきす。〉
所謂脩身在正其心者:身有所忿懥,則不得其正。有所恐懼,則不得其正。有所好樂,則不得其正。有所憂患,則不得其正。心不在焉,視而不見,聽而不聞,食而不知其味。此謂脩身在正其心。

〈所謂いはゆる身を脩むるは其心を正しうするに在りとは、身こゝろ忿懥ふんちする所有あれば、則ち其正を得ず、恐懼きようくする所あれば、則ち其正を得ず、好樂かうらくする所あれば、則ち其正を得ず、憂患いうくわんする所あれば、則ち其正を得ず。心焉こゝに在らざれば、視れども見みえず、聽きけども聞きこえず、食くらへども其味そのあぢを知しらず。此れ身を脩をさむるは其心を正しうするに在りと謂ふ。〉

右傳之七章。釋正心脩身。
〈右傳の七章は、心を正しくし身を脩むるを釋せきす。〉
所謂齊其家在脩其身者:人之其所親愛,而辟焉。之其所賤惡,而辟焉。之其所畏敬,而辟焉。之其所哀矜,而辟焉。之其所敖惰,而辟焉。故好而知其惡,惡而知其美者,天下鮮矣。故諺有之曰,「人莫知其子之惡,莫知其苗之碩。」此謂身不脩,不可以齊其家。

〈所謂いはゆる其家いへを齊とゝのふるは、其身を脩むるに在りとは、人其の親愛しんあいする所に之おいて辟す、其の賤惡せんをする所に之おいて辟へきす、其の畏敬ゐけいする所に之おいて辟す、その哀矜あいきようする所に之おいて辟す、その敖惰がうだする所に之おいて辟す。故に好このみて其惡あしきを知り、惡にくみて其美びを知る者ものは、天下に鮮すくなし。故ゆゑに諺ことわざに之これ有あり、曰く、人其子の惡あくを知る莫なく、其苗なへの碩おほいなるを知る莫なしと。此れ身脩まらざれば以て其家を齊ふ可からずと謂ふ。〉

右傳之八章。釋脩身齊家。
〈右傳の八章は、身を脩をさめ家いへを齊とゝのふるを釋す。〉
所謂治國必先齊其家者:其家不可敎,而能敎人者,無之。故君子不出家,而成敎於國。孝者,所以事君也;弟者,所以事長也;慈者,所以使衆也。《康誥》曰:「如保赤子,心誠求之。」雖不中、不遠矣,未有學養子,而後嫁者也。一家仁,一國興仁;一家讓,一國興讓;一人貪戾,一國作亂。其機如此,此謂一言僨事,一人定國。堯舜帥天下以仁,而民從之。桀紂帥天下以暴,而民從之。其所令反其所好,而民不從。是故君子,有諸己,而後求諸人。無諸己,而後非諸人。所藏乎身不恕,而能喩諸人者,未之有也。故治國在齊其家。《詩》云:「桃之夭夭,其葉蓁蓁,之子于歸,宜其家人。」宜其家人,而後可以敎國人。《詩》云:「宜兄宜弟。」宜兄宜弟,而後可以敎國人。《詩》云:「其儀不忒,正是四國。」其爲父子兄弟足法,而後民法之也。此謂治國,在齊其家。

〈所謂國を治をさむるには必かならず先まづ其家を齊とゝのふとは、其家いへ敎をしふ可からずして、而して能よく人を敎ふる者之れ無なし。故に君子は家を出でずして、敎を國に成す。孝は君に事つかふる所以ゆゑんなり。弟ていは長に事ふる所以なり。慈じは衆しうを使つかふ所以ゆゑんなり。康誥かうかうに曰く、赤子せきしを保やすんずるが如しと。心誠に之を求もとめば、中あたらずと雖いへども遠とほからず。未だ子を養やしなふを學まなびて、而して后のち嫁かする者もの有あらざるなり。一家仁なれば、一國仁に興おこる。一家讓じやうなれば、一國讓に興る、一人貪戾たんれいなれば、一國亂を作おこす、其機き此かくの如ごとし。此れを一言事を僨やぶり、一人國を定むと謂ふ。堯舜げうしゆん天下を帥ひきゐるに仁を以てして、民たみ之これに從したがひ、桀紂けつちう天下を帥ゐるに暴ぼうを以てして、民之れに從ふ。其の令れいする所ところは其の好このむ所ところに反はんして、民從はず。是の故に君子は諸これを己おのれに有りて、而して后のち諸これを人に求もとめ、諸を己に無なくして、而して后諸これを人に非ひとす。身に藏ざうする所恕じよならずして、而して能よく諸これを人に喩さとす者は、未いまだ之これ有らざるなり。故ゆゑに國くにを治をさむるは其家そのいへを齊とゝのふるに在あり。詩に云ふ、桃ももの夭夭えうえうたる、其葉は蓁蓁しんしんたり。之この子于ここに歸とつぐ、其家人かじんに宜よろしと。其家人に宜しくして、而して后以て國人を敎ふ可し。詩に云ふ、兄に宜しく弟に宜しと。兄に宜しく弟に宜しくして、而して后以て國人を敎ふ可し。詩に云ふ、其義そのぎ忒たがはず、是の四國を正すと。其の父子兄弟たる法のつとるに足つて、而して后民之れに法るなり。此れを國を治むるは其家を齊ふるに在りと謂ふ。〉

右傳之九章。釋齊家治國。
〈右傳の九章、家を齊へ國を治むるを釋す。〉
所謂平天下在治其國者:上老老而民興孝,上長長而民興弟,上恤孤而民不倍。是以君子有絜矩之道也。所惡於上,毋以使下。所惡於下,毋以事上。所惡於前,毋以先後。所惡於後,毋以從前。所惡於右,毋以交於左。所惡於左,毋以交於右。此之謂絜矩之道。《詩》云:「樂只君子,民之父母。」民之所好好之,民之所惡惡之,此之謂民之父母。《詩》云:「節彼南山,維石巖巖。赫赫師尹,民具爾瞻。」有國者不可以不愼,辟則爲天下僇矣。《詩》云:「殷之未喪師,克配上帝。儀監於殷,峻命不易。」道得衆,則得國;失衆,則失國。是故君子先愼乎德。有德,此有人;有人,此有土;有土,此有財;有財,此有用。德者本也,財者末也。外本內末,爭民施奪。是故財聚則民散,財散則民聚。是故言悖而出者,亦悖而入。貨悖而入者,亦悖而出。《康誥》曰:「惟命不於常。」道善則得之,不善則失之矣。楚書曰:「楚國無以爲寶,惟善以爲寶。」舅犯曰:「亡人無以爲寶,仁親以爲寶。」《秦誓》曰:「若有一個臣,斷斷兮,無他技,其心休休焉,其如有容焉。人之有技,若己有之。人之彥聖,其心好之。不啻若自其出口。寔能容之,以能保我子孫黎民,尙亦有利哉。人之有技,媢嫉以惡之。人之彥聖而違之,俾不通。寔不能容,以不能保我子孫黎民,亦曰殆哉。」唯仁人放流之,逬諸四夷,不與同中國。此謂唯仁人爲能愛人,能惡人。見賢而不能舉,舉而不能先,命也。見不善而不能退,退而不能遠,過也。好人之所惡,惡人之所好,是謂拂人之性,菑必逮夫身。是故君子有大道,必忠信以得之,驕泰以失之。生財有大道,生之者衆,食之者寡。爲之者疾,用之者舒,則財恆足矣。仁者以財發身,不仁者以身發財。未有上好仁而下不好義者也,未有好義其事不終者也,未有府庫財非其財者也。孟獻子曰:畜馬乘,不察於雞豚。伐冰之家,不畜牛羊。百乘之家,不畜聚斂之臣。與其有聚斂之臣,寧有盜臣。此謂國不以利爲利,以義爲利也。長國家而務財用者,必自小人矣。彼爲善之,小人之使爲國家,菑害竝至。雖有善者,亦無如之何矣。此謂國不以利爲利,以義爲利也。

〈所謂天下を平にするは其國を治むるに在りとは、上かみ老らうを老らうとして民たみ孝かうに興おこり、上かみ長ちやうを長ちやうとして民たみ弟ていに興り、上かみ孤こを恤あはれみて民倍そむかず。是を以て君子は絜矩けつくの道有あるなり。上かみに惡にくむ所は、以もつて下しもを使つかふ毋なかれ。下に惡む所は、以て上に事つかふる毋なかれ。前まへに惡にくむ所は、以て後うしろに先さきんずる毋れ。後に惡む所は、以て前に從ふ毋れ。右に惡む所は、以て左に交まじはる毋なかれ。左に惡む所は、以て右に交まじはる毋なかれ。此これを之これ絜矩けつくの道みちと謂いふ。詩に云ふ、樂只らくしの君子は、民の父母と。民の好このむ所ところは之れを好み、民の惡にくむ所は之れを惡む。此を之れ民の父母と謂ふ。詩に云ふ、節せつたる彼かの南山なんざん、維これ石いし巖巖がんがん、赫赫かくかくたる師尹しいん、民たみ具ともに爾なんぢを瞻みると。國を有つ者以て愼つゝしまずんばある可からず。辟へきすれば則ち天下の僇りくと爲なる。詩に云ふ、殷いんの未いまだ師もろもろを喪うしなはざるや、克よく上帝に配す。儀よろしく殷に監かんがみるべし。峻命しゆんめい易やすからずと。衆しうを得れば則ち國を得、衆しうを失うしなへば則ち國を失ふを道いふ。是この故ゆゑに君子は先づ德とくを愼つゝしむ。德有れば此れ人有り。人有れば此れ土有り。土有れば此れ財ざい有り、財有れば此れ用よう有り。德は本なり、財は末すゑなり。本を外にして末を內にすれば、民を爭あらそはしめて奪うばふを施ほどこす。是の故に財聚あつまれば則すなはち民散さんじ、財散ずれば則ち民聚る。是の故に言げん悖もとりて出づれば、亦また悖もとりて入いり、貨か悖もとりて入いれば、亦また悖りて出づ。康誥かうかうに曰く、惟これ命めい常つねに于おいてせずと。善なれば之れを得、不善なれば之れを失ふを謂ふ。楚書そしよに曰く、楚國そこくは以もつて寶たからと爲なす無なし、惟たゞ善以て寶と爲すと。舅犯きうはん曰く、亡人ばうじんは以て寶たからと爲なす無なし、仁親じんしん以もつて寶と爲すと。秦誓しんせいに曰く、若し一个かいの臣しん有あらん、斷斷だんだんとして他技たぎ無なく、其心こころ休休きうきうとして、其それ容いるゝ有あるが如し。人の技ぎ有ある、己おのれ之これ有あるが若ごとく、人の彥聖げんせいなる、其心に之れを好よみし、啻たゞに其口より出すが若ごときのみならず、寔まことに能よく之これを容いる、以て能よく我わが子孫しそん黎民れいみんを保やすんぜん。尙こひねがはくは亦また利り有あらん。人の技有る、媢嫉ばうしつして以て之れを惡くみ、人の彥聖なる、而も之れに違たがひて、通つうぜざら俾しむ、寔まことに容いるゝ能あたはず、以て我が子孫黎民を保やすんずる能はす、亦曰ここに殆あやふきかな。唯たゞ仁人じんじんは之れを放流はうりうし、諸これを四夷しいに逬しりぞけて、與ともに中國を同じうせず。此を唯たゞ仁人は能く人を愛し能く人を惡くむを爲すと謂ふ。賢けんを見みて而しかも擧あぐる能あたはず、擧あげて而して先さきんずる能はざるは命まんなり。不善を見て而して退くる能はず、退けて而して遠くる能はざるは過なり。人の惡にくむ所ところを好このみ、人の好む所を惡にくむ。是れを人の性に悖もとると謂いふ。菑わざはひ必ず夫その身みに逮およぶ。是この故ゆゑに君子は大道たいだう有あり、必ず忠信ちうしん以もつて之これを得、驕泰けうたい以もつて之れを失うしなふ。財ざいを生しやうずるに大道有り。之れを生ずる者衆おほく、之れを食しよくする者寡すくなく、之れを爲つくる者疾はやく、之れを用ふる者もの舒じよなれば、財ざい恆つねに足たる。仁者じんしやは財を以て身を發おこし、不仁者は身を以て財を發す。未いまだ上かみ仁じんを好このんで、下しも義ぎを好このまざる者あらざるなり。未いまだ義ぎを好みて其事終へざる者あらざるなり。未いまだ府庫ふこの財ざい其その財にあらざる者有らざるなり。孟獻子まうけんし曰いはく、馬乘ばじようを畜かへば、雞豚けいとんを察さつせず、伐冰ばつひようの家いへには、牛羊ぎうやうを畜かはず、百乘ひやくじようの家には、聚斂しうれんの臣しんを畜やしなはず、其の聚斂の臣有らん與よりは、寧むしろ盜臣とうしん有あれと。此れを國は利りを以て利りと爲なさず、義ぎを以もつて利りと爲なすと謂いふ。國家に長ちやうとして財用ざいようを務つとむる者は、必ず小人に自よる。彼かれ之れを善よくするを爲なして、小人に之れ國家を爲をさめ使しむれば、菑害さいがい竝ならび至いたる、善者ぜんしや有りと雖いへども、亦之れを如何いかんともする無なし。此れを國くには利りを以て利りと爲なさず、義ぎを以て利りと爲なすと謂いふなり。〉

右傳之十章。釋治國平天下。
〈右傳みぎでんの十章、國くにを治をさめ天下てんかを平たひらかにするを釋す。〉
凡傳十章:前四章統論綱領指趣,後六章細論條目功夫。其第五章乃明善之要,第六章乃誠身之本,在初學尤爲當務之急,讀者不可以其近而忽之也。
〈凡およそ傳でん十章、前ぜん四章しやうは綱領かうりやうの指趣ししゆを統論とうろんし、後六章は、條目でうもくの工夫くふうを細論さいろんす。其その第だい五章しやうは乃すなはち善ぜんを明あきらかにするの要えう、第六章は乃ち身みに誠まことなるの本もと、初學しよがくに在ありて尤もつとも當まさに務つとむべきの急きふと爲なす。讀者どくしやは其その近ちかきを以もつてして之これを忽ゆるがせにす可べからざるなり。〉