武経七書ー3ー呉子 | 覚書き

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呉子
1
第一篇 図国――国を運営すること
【解説】
図国とは、その国をはかり考えて治めることです。国が治まってはじめて戦争ができま
す。文中に「図国」という二字があることから命名されました。全部で八章です。
【本文】
(1)
呉起は、学者の服を着て、兵法の奥義を売りにし、魏国の領主、文侯に会いました。
文侯は言いました。
「わしは、戦争のことは好きではない」
呉起は言いました。
「わたくしは、表に現れたことから、裏に隠されたことを知ることができますし、過去の
ことから、未来のことを予見することができます。閣下は、どうして口に言うことと心に
思っていることが違っているのですか?
現在、閣下は、年間を通じて、動物の皮を加工させ、うるしをぬってつやを出させ、そ
こに模様を書かせ、動物の牙で飾らせています。こうしてできた服は、冬に着ても暖かい
ものではありませんし、夏に着ても涼しいものではありません。
また、二丈四尺の短い槍や一丈二尺の短い槍を生産させておられますし、戦車もたくさ
んあって、その車輪は皮で補強されています。これは目で見ても美しいものではありませ
んし、狩りに使っても使いやすいものではありません。閣下は、これらのものをいったい
何に使われるおつもりなのですか?
これら戦車や槍や皮製の防具などで、進んでは戦い、退いては守るための準備をしてい
ても、優秀な将軍を採用して、その者に指揮させないのは、たとえばニワトリがヒナを守
ろうとしてタヌキにうちかかり、犬が子犬を守ろうとして虎に襲いかかるようなもので、
たとえ戦意があったとしても、たちまち殺されてしまいます。
むかし、承桑氏という領主は、ただ文徳を修めるだけで、武備を怠ったために、その国
を滅亡させてしまいました。また、有扈氏という領主は、大軍を誇り、武勇を好んで、文
徳を修めなかったために、その領土を失ってしまいました。賢明な君主は、この故事にか
んがみて、必ず内に文徳を修め、外に武備を治めるものです。
ですから、敵軍に攻められても、(敵の好きなようにさせて)出撃して戦おうとしないの
は、正義にかなっているとは言えませんし、敵に殺された人を見て、(無念を晴らしてやろ
うとせず)ただかわいそうに思うだけなら、仁愛にかなっているとは言えません」
ここにおいて文侯は、みずから親しく呉起のための席を用意してやり、文侯の奥方は呉
起のために酒をついでやりました。こうして呉起は、魏国の霊廟において、正式に大将軍
に任命されました。
呉子
2
呉起は、魏国の西方の守備にあたることになり、諸侯と七十六回にわたり戦い、そのう
ち六十四回は戦勝し、残りの十二回は引き分けました。魏国が四方に領土を広げ、遠くま
で開拓できたのは、すべて呉起の功績によるものでした。(この第一章は、あとから人が呉
起の事跡を書き加えたもので、呉起本人の書いたものではありません)。
(2)
呉子が言いました。
むかしの国家を運営した人は、必ずまず国民を教育して、万民を親しませ、なつかせま
した。その反対にある不和には、四つのパターンがあります。①国内に不和があり、君主
と臣下、上司と部下が、それぞれ協和していない場合、国内はすでに不和であり、人々の
心は背きあっているのですから、出兵できません。②軍隊に不和があり、将軍と役人、将
校と兵士が、それぞれ協和していない場合、軍隊はすでに不和であり、兵隊の心は背きあ
っているのですから、出陣できません。③陣中に不和があり、軍隊と軍隊、部隊と部隊が、
それぞれ協和していない場合、陣中はすでに不和であり、各隊は背きあっているのですか
ら、出撃できません。④戦場に不和があり、待機と突撃、進軍と退却が、それぞれ協和し
ていない場合、戦場はすでに不和であり、進退は背きあっているのですから、勝利できま
せん。
そういうわけで、道理のわかった君主は、必ず人々が互いに仲良くするようにしてから、
戦争という国の大事を決行するのです。そして、①人々の個人的な考えをそのまま信用せ
ず(こうして公正な判断をめざし)、②必ず先祖の霊廟に報告し(こうして独断するつもり
のないことを示し)、③物事の吉凶を占い(こうして開戦の是非を神に問い)、④天の時を
はかります(こうして好機かどうかを調べます)。このように慎重に段取りをふんだうえで、
道理のわかった君主は軍事行動を起こします。
このような君主の開戦に対する慎重な態度を見た人民は、「君主は、これほどまで自分た
ちの命をいとおしく思い、自分たちの死をいたましく思っているのだ」と感動します。そ
して、国を挙げて国難に向かうときには、兵士たちはみんな戦って死ぬことを名誉と感じ、
逃げて生きることを恥と感じるようになります。(そこには不和の起こる可能性はありま
せん)。
(3)
呉子が言いました。
そもそも、①道とは、人のとるべき正しいやりかたのことで、それは根本に立ち返り、
初心に立ち戻るためのものです。②義とは、心にけじめがあり、行いがよいことで、それ
は物事を行い、功績をあげるためのものです。③謀とは、知恵をめぐらして、はかり考え
ることで、それは害を避け、利を得るためのものです。④要とは、礼によって身をひきし
めることで、それは事業を保ち、成果を守るためのものです。
呉子
3
もし行為が道に反し、挙動が義に反しているのに、権勢と高位を手にするなら、わざわ
いがその身に及びます。
そういうわけで、むかしの聖人は、①天下をまとめるには道を用い、②国を治めるには
義を用い、③人々を動かすには礼を用い、④人民をいたわるには仁を用いたのです。(礼と
は、天理の節文、人事の儀則です。仁とは、心のよさ、愛のもとです)。この四つの徳を修
める者は繁栄しますが、この四つの徳を捨てる者は衰退します。
ですから、名君の湯王が暴君の桀王を討ち滅ぼしたとき、そこの国民は大いに喜びまし
たし、名君の武王が暴君の紂王を討ち滅ぼしたとき、そこの国民はうらみませんでした。
天命に従い、人心に応えての行動だったので、このようにできたのです。
(4)
呉子が言いました。
国家を制御し、軍隊を管理するには、必ず礼によって教育し、義によって激励して、国
民に恥を知る心を持たせないといけません。そもそも人に恥を知る心があれば、①力が強
いときには前進して戦い、死力をつくして頑張りますし、②力が弱いときには固く守り、
心をあわせて頑張ります。
しかしながら、戦って勝つのは幼稚ですが、守って勝つのは高等です。ですから、「天下
の戦争をする国々で、五たび戦って勝つ者は必ずみずから敗北を招き、四たび戦って勝つ
者は必ずみずから国力を弱め、三たび戦って勝つ者は必ず覇者としてのすぐれた手柄を立
て、二たび戦って勝つ者は必ず王者としての偉業を成し遂げる基礎を築き、一たび戦って
勝つ者は必ず帝王としての偉業を成し遂げる」と言われるのです。そういうわけで、多く
戦って天下を取ったという例は少なく、それで滅んだという例が多いのです。
(5)
呉子が言いました。
戦争の原因は、五つあります。それは、①名誉を争って戦争になるもの、②利益を争っ
て戦争になるもの、③憎悪がつもって戦争になるもの、④内乱が起きて戦争になるもの、
⑤飢饉に乗じられて戦争になるものの五つです。
戦争の名目にも、五つあります。それは、①義兵(正義によって相手を従わせる戦争)、
②強兵(武力によって相手に勝つ戦争)、③剛兵(激しい怒りにまかせて相手をうち負かす
戦争)、④暴兵(相手に対して暴虐で無礼な戦争)、⑤逆兵(上は天道に逆らい、下は民心
に逆らう戦争)の五つです。
そして、①暴力を禁じ、混乱を救うことを「義」と言い、②大軍にものを言わせて攻撃
をしかけることを「強」と言い、③怒りにまかせて兵を起こすことを「剛」と言い、④礼
節をすて、利益をむさぼることを「暴」と言い、⑤国内は乱れ、国民は疲れているのに、
さらに戦争を始めて軍隊を動かすことを「逆」と言います。
呉子
4
以上の五つには、それぞれ対策があります。①相手が義兵なら、こちらは礼儀を用いて、
それを防ぎます。②相手が強兵なら、こちらは謙遜を用いて、それを防ぎます。③相手が
剛兵なら、こちらは説得を用いて、それを防ぎます。④相手が暴兵なら、こちらは詐術を
用いて、それを防ぎます。⑤相手が逆兵なら、こちらは権謀を用いて、それを防ぎます。
(6)
武侯(文侯の息子)が質問しました。
「軍隊を管理し、人材を鑑定し、国家を強固にする方法について教えてほしい」
呉子が答えました。
「むかしの賢明な王様は、①君主と臣下の間の礼節をきちんと整え、②目上と目下の間の
けじめをしっかり保ち、③役人と人民を安んじて引きつけ、④世間の実情にみあった教育
を行い、⑤よい人材を広く募り集めました。
むかし、①斉国の領主だった桓公は、五万人の勇気ある人間を募集して諸侯のリーダー
となりましたし、②晋国の領主だった文公は、四万人の先を争って突撃する勇敢な人間を
召集して天下のヘゲモニーを握りましたし、③秦国の領主だった穆公は、三万人の敵陣を
突破できる人間で部隊を編成して近隣諸国を従えました。
ですから、強国の君主は、必ず人材を鑑定して、精兵を手に入れるのです。そして、①
肝がすわっていて勇気があり、気力のあふれている人を集めて、部隊を一つ編成し、②喜
んで戦い、戦功によって忠義と勇気を示したい人を集めて、部隊を一つ編成し、③高い壁
を乗り越えられ、遠くまで楽に行け、脚力の強い人を集めて、部隊を一つ編成し、④失敗
して降格された臣下で、名誉を回復したいと思っている人を集めて、部隊を一つ編成し、
⑤守備せずに逃亡した兵士で、恥辱をそそぎたいと思っている人を集めて、部隊を一つ編
成します。これら五つの部隊は、軍隊の精鋭部隊となります。
このような精兵が三千人もいれば、打って出たときには敵の包囲を突破できますし、攻
め入ったときには敵の城を陥落させられます」
(7)
武侯が尋ねました。
「①陣形が必ず定まり、②守備が必ず固まり、③戦闘で必ず勝てるようにするには、どの
ようにすればよいのか? その方法について聞きたい」
呉子が答えました。
「それにつきましては、すぐにでも実現できます。ただ聞くだけにとどまりません。すな
わち、①賢者を上位におらせ、不肖者を下位におらせるなら、陣形は定まったも同然です
し、②人民の生活を守り、役人が人民に親しまれるようにするなら、守備は固まったも同
然ですし、③国民が自国の君主を正しいと思い、敵国を悪いと思っているなら、戦闘で勝
ったも同然です」
呉子
5
(8)
かつて武侯が臣下たちと国政について会議したとき、臣下たちは武侯以上の考えを出せ
ませんでした。そのあとの武侯は、うれしそうな顔つきをしていました。
それを見た呉起は、武侯に言いました。
「むかし、楚国の荘王が臣下たちと国政について会議したとき、臣下たちは荘王以上の考
えを出せませんでした。そのあとの荘王は、うかない顔つきをしていました。それを見た
臣下の申公は、『陛下は、どうしてうかない顔をしておいでなのですか?』と尋ねました。
すると荘王は、こう答えました。『わしは、こんなことを聞いたことがある。いつの世にも
聖人はいるし、どこの国にも賢人はいる。それらの人を得て、先生とすることができれば、
王者となれるし、友人とすることができれば、覇者となれる、と。今、わしは大した才能
の持ち主ではないにもかかわらず、臣下のなかにはわし以上の人間がいない。これでは我
が国の将来も危ういと言わざるを得ない』と。これが、荘王がうかない顔つきをしていた
理由です。しかるに我が君は、臣下たちがご自身に及ばないのを喜んでおられます。わた
くしは、ひそかに我が国の将来を心配しております」
これを聞いた武侯は、恥ずかしそうな顔つきになりました。

 

呉子
6
第二篇 料敵――敵情を考察すること
【解説】
料敵とは、敵の強弱や長短のありようを測定することです。前編で図国を述べているの
は、「自分を知ること」を言っています。本編で料敵を述べているのは、「相手を知ること」
を言っています。文中に「料敵」という二字があることから命名されました。全部で四章
です。
【本文】
(1)
武侯が呉起に言いました。
「現在、秦国は我が国の西方に迫り、楚国は我が国の南方を塞ぎ、趙国は我が国の北方を
脅かし、斉国は我が国の東方を威圧し、燕国は我が国の背後を押さえ、韓国は我が国の前
方に陣取っている。これら六つの大国と我が国との国境には、互いに軍隊を配置して国境
を守っているわけだが、この態勢は我が国とって非常に不利であり、これはわしの悩みの
種だ。どうしたらよいだろうか?」
呉起が答えました。
「そもそも国の安全を保つ方法としましては、あらかじめ警戒して予防することが重要で
す。現在、我が君は警戒し、予防することができておられますので、我が国がわざわいに
見舞われることはしばらくないでしょう。
わたくしは、六つの大国の風俗について論じてみたいと思います。①斉国の軍隊の状況
は、重厚ですが、堅固ではありません。②秦国の軍隊の状況は、軍人たちの心はバラバラ
で、各人が個人プレイで勝手に戦います。③楚国の軍隊の状況は、よく整備されています
が、持久力がありません。④燕国の軍隊の状況は、守備に徹して、逃げようとしません。
⑤三晋(韓国、魏国、趙国の三国)の軍隊の状況は、よく管理されていますが、役に立ち
ません。
そもそも、①斉国は、その国民性は剛毅で、その国は豊かですが、君主と臣下は傲慢で
贅沢で、国民は冷遇されており、さらに政治はでたらめで、給料の支給の仕方は不公正な
ので、一つの軍隊でも心は別々で、前方は重厚でも、後方は軽薄です。ですから、その軍
隊は、重厚ですが、堅固ではないのです。
この軍隊を撃破する方法は、こちらの軍隊を三つにわけて、敵陣の左右から攻めたて、
同時に正面から攻めることです。そうすれば、敵陣を壊滅できます。
②秦国は、その国民性は強靭で、その土地は険阻です。その政治は厳格で、その賞罰は
確実なので、人々は先を譲らない闘争心をもっています。ですから、その軍隊は、軍人た
ちの心はバラバラで、各人が個人プレイで勝手に戦うのです。
この軍隊を撃破する方法は、必ずまず敵兵を利でつり、敵兵がそれにつられて出てきて、
呉子
7
敵将と離れ離れになったところで、この敵のまちがいに乗じて敵軍がチリヂリバラバラに
なったところを追いたて、伏兵をしかけて待ちうけ、ちょうどいい頃合いを見計らって攻
めかかることです。そうすれば、敵将を討ち取れます。
③楚国は、その国民性は柔弱で、その国土は広大ですが、その政治は乱れていて、その
国民は疲弊しています。ですから、その軍隊は、よく整備されていますが、持久力がない
のです。
この軍隊を撃破する方法は、その駐屯地を奇襲して混乱させ、敵軍の気力をそぎ、いき
なり進撃したかと思えば、すぐさま退却し、すぐさま退却したかと思えば、またいきなり
進撃することをくりかえして、敵軍を苦しめて疲れさせ、このときには敵と本格的に戦わ
ないようにします。このように敵軍に対してしつこくゲリラ戦を展開すれば、敵軍を敗北
させられます。
④燕国は、その国民性は正直で、その国民は慎重で、勇気や義理を好んで、詐術や謀略
をあまり使いません。ですから、その軍隊は、守備に徹して、逃げようとしないのです。
この軍隊を撃破する方法は、ぶつかるほどにまで迫ったり、強いのに遠く離れたり、速
い速度で背後にまわったりなど、奇妙な行動をとることです。このときには、敵将はどう
すればよいかわからなくなり、敵兵は恐がるようになって、敵軍は消極的となり、こちら
の戦車や騎馬の行く手を避けるようになります。こうなると、敵将を捕虜にできます。
⑤三晋は、諸国の中央に位置し、その国民性は協和で、その国政は公平ですが、その国
民は戦いに疲れ、兵士は戦争慣れしていて将軍を軽んじ、兵士への給料が十分ではないの
で必死に戦う気がありません。ですから、その軍隊は、よく管理されていますが、役には
立たないのです。
この軍隊を撃破する方法は、堅固な陣地を築いて防衛し、敵軍が侵攻してきたら防戦し
て先に進めないようにし、敵軍が退却していったら追撃して襲いかかるようにして、敵軍
を疲れさせて、その戦意を失わせることです。これが韓国と趙国を撃破する態勢です。
以上の点に留意したうえで、さらに以下のようにします。
①一万人ほどの規模の軍隊になると、まるで虎のような兵士がいるもので、力が強くて、
足が速くて、敵の旗を奪い、敵の将軍を倒すことができる者が必ずいるものです。その者
たちを選び出して大切にします。その者たちは、全軍の命運を決める重要な人物となりま
す。
②あらゆる兵器をたくみに使いこなし、才能と技量、勇気と力量があり、軽快で敏捷で
あって、敵を呑む勢いのある者を高い地位につけます。この者たちによって、勝ちを制す
ることができます。
③その父母や妻子を大切にし、重賞によって励まし、重罰によって脅すなら、だれもが
陣を固く守るようになり、長くもちこたえることができるようになります。
将軍が以上のようにして入念に考察すれば、味方の二倍の敵を撃ち破ることも可能です」
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(2)
呉子が言いました。
敵情を考察する方法として、占うまでもなく敵と戦うべき場合が八つあります。
①第一は、強い風の吹く、真冬で非常に寒いとき、早く起きたり、急いで動いたりして、
氷を割りつつ川を渡り、その困難や苦労を心配しない場合です。
②第二は、真夏の焼けつくような日差しのもと、日が昇ってから起きて、休む間もなく
先を急ぎ、飢えと渇きにさらされながら、少しでも遠くに行こうとしている場合です。
③第三は、軍隊が長いこと戦場にあり、食料がなくなり、それを国民は怨んで怒り、軍
中に「うらない」や「まじない」などの迷信的なことがはびこり、上官がそれをなくせず
にいる場合です。
④第四は、軍需物資がなくなり、燃料も馬草も少なくなり、悪天候が続いて、現地で調
達しようにも調達できないでいる場合です。
⑤第五は、兵力は少なく、水場が近くになく、人馬ともに病んでおり、どこからも援軍
がやってこないという場合です。
⑥第六は、道のりは遠く、日は暮れてしまい、兵士たちは疲れ、恐れ、嫌になっていて、
食事もとれてなく、戦闘準備をせずに道ばたで休んでいる場合です。
⑦第七は、将軍は軽薄で、士官は軽率で、兵士はふぬけで、全軍がなにかとざわつき、
援軍がやってくるあてがないという場合です。
⑧陣地を築いたばかりでまだ安定していなかったり、設営を始めたばかりでまだ完成し
ていなかったり、坂を行き、険しいところを進んで、半分が隠れ、半分が出ていたりする
場合です。
以上のような状態にある敵軍に出会ったなら、ただちに攻撃し、ためらってはいけませ
ん。
また、占うまでもなく敵を避ける場合が六つあります。
①第一は、国土が広く大きくて、国民が豊かで多い場合です。(国土が広く大きいときに
は、財力が盛んなものですし、国民が豊かで多いときには、兵力が強いものです)。
②第二は、上にいる者が下にいる者をかわいがり、ひろく人民に恩恵を施している場合
です。
③第三は、功績のあった者は必ず賞せられ、罪過のあった者は必ず罰せられ、それらの
賞罰の執行が時宜にかなっている場合です。
④第四は、功績のあった人を優遇し、賢明な人を任用し、有能な人を使用している場合
です。
⑤第五は、兵数が多く、兵器が優れている場合です。(兵数が多ければ、力が強く、兵器
が優れていれば、戦いに有利です)。
⑥第六は、隣国の救助や大国の援助がある場合です。
以上のような状態にある敵軍に出会ったなら、ただちに回避し、ためらってはいけませ
呉子
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ん。
いわゆる「有利なのを見れば進撃し、困難があると分かれば退却する」ということです。
(3)
武侯が言いました。
「わしは、敵の外観をみて敵の実情を知り、敵の進軍の様子をみて敵の待機の仕方を知り、
そうして勝敗を決したいのだが、それについて聞けるか?」
呉起が言いました。
「敵が攻めてくるとき、せかせかして分別がなく、軍旗はでたらめに乱れ、人馬はなにか
と退きたがっているなら、敵の数が味方の十倍ほども多くても、攻撃してかまいません。
こてんぱんに敵を撃破できます。
同盟諸国が結集しておらず、君主と臣下の仲がしっくりいっておらず、防御施設が完成
しておらず、禁令が徹底されておらず、全軍がざわざわしていて、進みたくても進めず、
退きたくても退けないという状態に敵軍があるなら、敵の数が味方の二倍であっても、攻
撃してかまいません。何度でも勝てます」
(4)
武侯が尋ねました。
「必ず攻撃してよい敵とは、どんな敵か?」
呉起が答えました。
「戦争の原則としては、必ず敵の弱いところと強いところを明らかにして、敵の急所をつ
かなければいけません。
そこで、①敵が遠くからやってきて、戦場に着いたばかりで隊列がととのっていない場
合には、攻撃してかまいませんし、②敵が食事をすませて、守備に対して配慮していない
場合には、攻撃してかまいませんし、③敵兵がせわしく走り回って落ち着きがない場合に
は、攻撃してかまいませんし、④敵兵が職務に励んで疲れている場合には、攻撃してかま
いませんし、⑤敵が地の利を得られていない場合には、攻撃してかまいませんし、⑥敵が
チャンスを失っているのにむりや行動している場合には、攻撃してかまいませんし、⑦長
い道のりを歩いてきて、後を行く部隊が先を行く部隊より遅れているために休めないでい
る場合には、(前後が協力できないので)攻撃してかまいませんし、⑧敵が大河を渡ってお
り、その半数だけが渡り終えた場合には、(陣形が定まっていないので)攻撃してかまいま
せんし、⑨敵が険しい道や狭い道を行軍している場合には、(敵軍が助け合えないので)攻
撃してかまいませんし、⑩敵の軍旗が乱れ動いている場合には、(軍隊が治まっていない証
拠ですから)攻撃してかまいませんし、⑪敵の陣地がしばしば移動する場合には、(兵士た
ちの心におちつきがなくかっているので)攻撃してかまいませんし、⑫敵の将軍が兵士た
ちから離れている場合には、(上の命令が下にきちんと伝わらないので)攻撃してかまいま
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せんし、⑬敵に恐怖心がある場合には、攻撃してかまいません。
以上のように攻撃してよい場合には、精兵を選んで左右から敵に突撃し、部隊を分けて
かわるがわる攻撃をしかけ、すみやかに攻撃することをためらってはなりません」

 

呉子
11
第三篇 治兵――兵隊を管理すること
【解説】
治兵とは、兵隊を整え治めて乱れないようにさせることです。兵隊が治まれば勝てます。
しかし、治まらなければおのずと敗れます。ましてや他者と戦うことなどできません。本
編ではすべて兵隊を治める方法を言っているので、「治兵」と命名されました。全部で八章
です。
【本文】
(1)
武侯が尋ねました。
「戦争の方法として、なにを最初になすべきであろうか?」
呉起が答えました。
「まず四軽、二重、一信を明らかにすることです」
武侯がさらに尋ねました。
「どういう意味だ?」
呉起が答えました。
「四軽とは、①土地については馬が便利であれるようにし、②馬については馬車が便利で
あれるようにし、③馬車については人が便利であれるようにし、④人については戦闘に便
利であれるようにすることです。その方法としては、①土地の険易をはっきりと知れば、
土地が馬にとって便利となりますし、②適時に適量のエサを馬に与えれば、馬が馬車にと
って便利となりますし、③馬車の駆動系によく油をさせば、馬車が人にとって便利となり
ますし、④強力な武器と堅固な防具をそろえれば、戦闘が人にとって便利となります。
二重とは、①勇敢に前進する者には重賞を与え、②勝手に後退する者には重罰を与える
ことです。
一信とは、それらの賞罰を行うときには、必ず信賞必罰を徹底することです。
将軍たる者が、この道理をよくわかっていれば、常勝の将軍となれます」
(2)
武侯が尋ねました。
「軍隊は、どんな方法を使えば勝てるのか?」
呉起が答えました。
「きちんと管理することによって、軍隊は勝てます」
武侯がさらに尋ねました。
「兵隊の多さによって勝てるのではないのか?」
呉起が答えました。
呉子
12
「もし法令が明確でなく、賞罰が厳正でなく、停止の合図のドラを鳴らしても停止させら
れず、進軍の合図の太鼓をたたいても進軍させられないなら、百万人の大軍であっても、
なんの役にも立ちません。
いわゆる管理できている軍隊とは、①平時には礼節があり、②有事には威勢があり、③
進撃するときには、敵は反撃できず、④退却するときには、敵は追撃できず、⑤前進する
にも後退するにもすべてに節度があり、⑥左折するにも右折するにもすべて命令に従い、
⑦おいつめられても陣形をくずさず、⑧ばらばらになっても隊列を乱さず、⑨将軍は、安
全なところでも兵士たちとともにあり、危険なところでも兵士たちとともにあり、⑩兵士
たちは、団結していて分裂させることができず、善戦していて疲労させることができず、
⑪これに太刀打ちできる者はどこにもいないという軍隊のことです。これを「父子の兵」
と言います。(「父子の兵」とは、全員が一致団結し、一心同体となっている軍隊のことで
す)。
(3)
呉子が言いました。
軍隊を進める方法について述べると、①きちんと前進したり、待機したりすることがで
きており、②ほどよく飲食することができており、③人馬を疲れ果てさせないことができ
ているなら、兵士たちに上官の命令が守られます。上官の命令が守られると、きちんと軍
隊を管理できます。
しかし、①きちんと前進したり、待機したりすることができず、②ほどよく飲食するこ
とができず、③馬は疲れ人は倦んでいるのに休ませないなら、兵士たちは上官の命令をき
きません。上官の命令がきかれないなら、平時には内が乱れ、有事には敵に敗れます。
(4)
呉子が言いました。
戦場では、死はつきものです。死を恐れず死ぬ気で戦えば、生きのびられますが、死を
恐れて逃げ腰で戦えば、死んでしまいます。よい将軍は、たとえば沈みゆく船の中に座り、
燃えている家の中に寝るような決死の覚悟をもっていて、敵側の智者もかなわない知略を
発揮し、敵側の勇者もかなわない迫力を発揮します。このときには、敵に攻撃されても、
それを撃破できます。
ですから、「戦争の損害は、ためらうことが最大であり、軍隊の災難は、とまどうことか
ら生じる」と言われるのです。
(5)
呉子が言いました。
人はつねに、できないことをして死に、なれないことをして失敗するものです。ですか
呉子
13
ら、戦争の原則としては、あらかじめ教え戒めておくことが必要となります。(一人の教官
は十人を教えられるので)一人が戦法を学ぶと、十人を教育できます。十人が戦法を学ぶ
と、百人を教育できます。百人が戦法を学ぶと、千人を教育できます。千人が戦法を学ぶ
と、一万人を教育できます。一万人が戦法を学ぶと、全軍を教育できます。
その学習内容ですが、①こちらは戦場の近くにいて、敵軍が遠くからやってくるのを待
ちうけ、②こちらは力を温存して、敵軍が疲れ果てるのを待ちうけ、③こちらは十分に食
べて、敵軍が飢えるのを待ちうけるようにします。
さらに、①円陣を組ませて方陣に変えさせたり、②しゃがませて立たせたり(敵陣に突
撃する訓練)、③行かせて止まらせたり(整然とした隊列を保つ訓練)、④左折させて右折
させたり、⑤前進させて後退させたり、⑥分散させて集合させたり、⑦集結させて解散さ
せたりします。このようにあらゆる変化すべてに習熟したなら、その兵士に武器をもたせ
ます。これが将軍の仕事です。
(6)
呉子が言いました。
戦いを教えるときの指導としては、①背の低い者には近くの敵を攻撃するための長いヤ
リを持たせ、②背の高い者には遠くの敵を攻撃するための機械じかけの大弓を持たせ、③
力の強い者には行動を指示するための大旗や手旗を持たせ、④勇気のある者には進退を合
図するためのドラや太鼓を持たせ、⑤弱々しい者には後方で炊事を担当させ、⑥知恵のあ
る者には作戦計画の策定に関わらせます。
さらに、⑦同じ故郷の者どうしを互いに仲良くさせ、⑧同じ部隊の者どうしを互いに守
りあわせます。そして、①太鼓を一つ打って、兵器の整備を合図し、②太鼓を二つ打って、
陣法の復習を合図し、③太鼓を三つ打って、食事を取ることを合図し、④太鼓を四つ打っ
て、軍装を整えることを合図し、⑤太鼓を五つ打って、隊列につくことを合図し、⑥太鼓
を乱れ打って、旗を挙げて前に進むことを合図します。
(7)
武侯が尋ねました。
「全軍の進撃と待機とにもまた、それぞれに正しいやり方があるのか?」
呉起が答えました。
「進撃したり、待機したりするにあたっては、天竈にいてはいけませんし、龍頭にいては
いけません。天竈とは、大きな谷の入り口です。(そこに設営すれば、敵に襲われたり、洪
水にまきこまれたりする心配があります)。龍頭とは、大きな山の端っこです。(そこに設
営すれば、敵に囲まれたり、水や馬草の補給に困ったりする心配があります)。
東側の部隊には青竜の旗を立てさせ、西側の部隊には白虎の旗を立てさせ、南側の部隊
には朱雀の旗を立てさせ、北側の部隊には玄武の旗を立てさせます。さらに中央の部隊に
呉子
14
は招揺(北斗七星の第七星)の旗を立てさせ、そのもとに全軍が行動するようにします。
将軍は、戦おうとするときには必ず風向きを調べるようにします。そして、順風のとき
には号令をかけて敵に突撃しますし、逆風のときには陣地を堅守して敵を待ちうけます」
(8)
武侯が尋ねました。
「軍馬の飼い方にもまた決まったやり方があるのか?」
呉起が答えました。
「およそ馬には、快適な厩舎を準備し、適当なエサを用意し、適当なときに与え、冬には
暖かくして寒がらせないようにし、夏には涼しくして暑がらせないようにします。また、
たてがみを切りそろえて、よく従うようにし、ひづめをつんでやって、走りやすいように
してやります。さらに、いろいろな体験をさせて、不意のことにも驚かないようにさせ、
いろいろな走り方をさせて、進んだり止まったりすることに慣れさせます。そして、人と
馬とが互いになつきあってはじめて、戦いに使えるようになります。
馬具としては、くら、くつわ、たづなは、必ず欠陥がなくて丈夫なものにします。およ
そ馬は、使い方ではなく、飼い方によってダメになり、空腹にさせることではなく、満腹
にさせることによってダメになります。日も暮れ、遠い道のりを行くときには、騎手はし
ばしば馬から乗り降りして、馬のコンディションをベストに保ち、たとえ人を疲れさせよ
うとも、馬を疲れさせないようにし、つねに馬に余力をもたせ、不意の敵襲に備えます。
以上の道理をわかれば、天下を自由に動き回れます」
 

呉子
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第四篇 論将――将軍についての論
【解説】
論将とは、すぐれた将軍について論じることです。本編では、敵将の良否を判断して勝
利する方法についても述べてあります。文中に「論将」の二字があることから命名されま
した。全部で五章です。
【本文】
(1)
呉子が言いました。
そもそも、文武を合わせ持っているのが、理想の将軍です。(文徳によって人をなつけ、
武威によって敵をおどします)。剛柔を兼ね備えているのが、理想の軍隊です。(剛健にす
ぎるとかえって敗れますし、柔軟にすぎるとだらしなくなります)。
およそ人が将軍を論じるときには、つねに勇ましいかどうかを問題にします。しかし、
勇ましさは、いくつかある将軍にとって必要な資質のなかの一つにすぎません。そもそも
勇ましい人は、必ず軽率に合戦します。軽率に合戦して、こちらに有利かどうかを知らな
いのは、十分ではありません。
ですから、将軍の気をつけるべきことが五つあります。①理、②備、③果、④戒、⑤約
の五つです。①理とは、まるで小部隊を治めるように、うまく大部隊を治めることです。
②備とは、出陣してからは、つねに敵が目の前にいるかのように備えることです。③果と
は、敵を目の前にしたときには、決死の覚悟で事にあたることです。④戒とは、たとえ勝
利したとしても、初めて戦うときのように気をひきしめて油断しないことです。⑤約とは、
法令を簡単にして、いたずらに兵士たちをわずらわせないことです。
将軍は、君主から命令を受ければ、ただちに出陣して家にたちよらず、敵を撃ち破って
から、兵を引く許可を申請します。これが将軍としての礼です。ですから、出兵したとき
には、死ね気で戦う栄誉を重んじ、逃げ腰で戦う恥辱を捨て去るのです。
(2)
呉子が言いました。
およそ軍隊を動かすにあたっては、四つの勝機があります。それは、①気機、②地機、
③事機、④力機です。
①全軍の兵士、百万の大軍の戦闘態勢が万全で、その全員が一人の将軍に統率されてい
ること、これを気機と言います。
②道は狭く険しく、山は高く堅くて、十人で守れば、千人の敵を防げること、これを地
機と言います。
③スパイを活用し、ゲリラを多用して、敵軍を分散させ、敵の君主と臣下とが互いに憎
呉子
16
みあうように仕向けること、これを事機と言います。
④戦車も軍船もよく整備され、兵士も軍馬もよく訓練されていること、これを力機と言
います。
以上の四つの勝機を知っていてこそ、将軍たる資格があると言えます。
しかしながら、①威厳、人徳、仁愛、勇気をもっていて、それによって部下を統率し、
兵士を安心させ、敵軍を恐怖させ、疑念を払拭することができ、②命令を下せば従わない
者はなく、③賊兵もあえて攻めかかってこようとせず、④この人がいれば国は強くなり、
⑤この人がいなくなれば国は衰える、そんな将軍であってこそ良将と言えます。
(3)
呉子が言いました。
そもそも①軍隊が用いる太鼓やドラは聴覚的に人を威圧するもので、②軍隊が用いる大
旗や手旗は視覚的に人を威圧するもので、③軍隊が用いる禁令や刑罰は心理的に人を威圧
するものです。そして、①音声によって聴覚的に威圧されるのですから、その音声は清澄
でなければなりませんし、②色彩によって視覚的に威圧されるのですから、その色彩は明
瞭でなければなりませんし、③刑法によって心理的に威圧されるのですから、その刑法は
厳重でなければなりません。
以上の三つが確立されていなければ、国は保てても、必ず敵に敗れます。ですから、「将
軍の指示があれば、そのとおりに従って実行に移り、将軍の指揮があれば、そのとおりに
進んで必死に戦う」と言われているのです。
(4)
呉子が言いました。
およそ戦いの要点としては、敵将の姓名をあらかじめ知って、その才能の程度をくわし
く調べてから、敵軍の態勢に応じて臨機応変の作戦を用いれば、少ない労力で大きな成果
をあげられます。
すなわち、①敵将が愚かで人を信用しやすいなら、だまして誘い出すことができる。②
欲ばりで体面を気にしないなら、賄賂を贈って味方に引きこむことができる。③行動に一
貫性がなく、そのうえ深い考えをもっていないなら、ふりまわして疲れさせることができ
ます。④上の人間が豊かで驕り、下の人間が貧しく怨んでいるなら、上下を離間させるこ
とができます。⑤進むも退くも優柔不断でなかなか決心できず、兵隊たちの頼りにならな
いなら、奇襲し驚かして逃走させることができます。⑥兵士たちがその将軍を軽んじ、し
かも望郷の念が強いなら、難所においこんで撃破することができます。
そして、①敵軍が進みやすく退きにくいなら、こちらに来させて進ませることができま
す。②敵軍が進みにくく退きにくいなら、こちらから迫って行って攻撃できます。③敵軍
がじめじめした沼地にいて、水はけがわるく、さらに強い雨がよく降るなら、水攻めにし
呉子
17
ます。④敵軍がひろびろした野原にいて、草がおい繁り、さらに強い風が吹くなら、火攻
めにします。⑤敵軍が戦地に長くいて、敵将も敵兵もたるみきり、全軍が備えをおこたっ
ているなら、こっそり近づいて奇襲することができます。
(5)
武侯が尋ねました。
「両軍が対峙していて、敵将の才能の程度を知らない場合に、それを見極めるには、どの
ようにすればよいか?」
呉起が答えました。
「地位が低くて勇敢な者を選んで、その者に軽快で優秀な兵士を率いさせ、そうして試し
に敵を攻めさせます。ただし、逃げることを優先して、勝とうとしてはいけません。そし
て、敵の出方を観察します。
このとき敵が、待機するも突撃するも整然としており、こちらが逃げてもわざと追いつ
けないふりをし、こちらが利を示してもわざと気づかないふりをするなら、敵将は智将で
あり、これと戦ってはいけません。
しかし、こちらがしかけたとき、全軍がざわつき、軍旗がふらつき、各隊が勝手に進ん
で勝手に止まり、隊列が縦向きになったり横向きになったりし、こちらが逃げると急いで
追いかけようとし、こちらが利を示すと急いで手に入れようとするなら、敵将は愚将であ
り、その兵数が多くても勝てます」
呉子
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第五篇 応変――いろいろな場面を想定しての具体例
【解説】
応変とは、臨機応変にうまくやることです。ただ原則を守ることを知っているだけで、
状況に応じて対処の仕方を変える方法を知らなければ、有事の際、どうして勝利できるで
しょうか。そういうわけで呉子は、いろんな状況に応じた対処の仕方を述べているのです。
ですから、「応変」と命名されました。全部で十章です。
【本文】
(1)
武侯が尋ねました。
「我が戦車は堅固で、騎馬は優良で、将軍は勇敢で、兵士は強力なのだが、いきなり敵軍
に遭遇して、混乱したときには、どうすればよいのか?」
呉起が答えました。
「およそ戦いの原則としましては、昼は大旗や小旗や長旗や手旗を使ってうまく軍隊を動
かし、夜はドラや太鼓や小笛や大笛を使ってうまく軍隊を動かします。そして、左に旗を
向ければ左に進み、右に旗を向ければ右に進み、太鼓をたたけば進軍し、ドラをたたけば
停止し、笛を一度ふけば行軍し、笛を再度ふけば集結するようにさせます。命令に従わな
い者は処刑します。こうして全軍が軍規に服し、兵隊が命令に従うようになれば、戦って
勝てない強敵はいませんし、攻めて落とせない堅陣はありません」
(2)
武侯が尋ねました。
「敵兵が多くて、こちらの兵数が少ない場合には、どうすればよいのか?」
呉起が答えました。
「大軍が動きやすい平坦な土地では敵を避け、大軍の動きにくい険阻な土地で敵を迎撃す
るようにします。ですから、『一人で十人の敵と戦うには、狭い道よりよい場所はない。十
人で百人の敵と戦うには、険しい山地よりよい場所はない。千人で一万人の敵と戦うには、
凹凸の激しい土地よりよい場所はない』と言われているのです。
今、少ない兵隊を率いていたとして、いきなり狭い道でドラを鳴らし、太鼓を打って攻
めかかったなら、いくら敵が大軍であっても、驚いてパニックにおちいります。ですから、
『大軍を用いる者は平坦な土地で戦うようにし、小軍を用いる者は険阻な土地で戦うよう
にする』と言われているのです」
(3)
武侯が尋ねました。
呉子
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「敵軍は、①兵士が多く、精鋭ぞろいで、②その背後には高い山があり、その前方には険
しい地形があり、その右には丘陵があり、その左には湖沼があり、③堀を深くし、壁を高
くし、強力な機械じかけの大弓を配備しており、④退くときには山のように重厚で、進む
ときには風のように俊敏であり、⑤食料は豊富にある。そのため、こちらの戦力では長く
持ちこたえられないときには、どのようにすればよいのか?」(①は、兵士がよく訓練され
ていて、その勢力が強いということです。②は、地の利を得ているということです。③は、
守備が堅固であるということです。④は、きちんとしているということです。⑤は、飢え
て疲れることがないということです)。
呉起が答えました。
「閣下のご質問の内容は、重大なことですね。この場合には、ただ戦車や騎馬などの戦力
だけを用いるのではなく、聖人の策謀を用います。
千台の戦車と一万の騎馬を配備できており、それに歩兵部隊を付随させます。(こうして
原則として合わせて十万人規模の軍隊を編成します)。そして、その軍隊を五つの部隊に分
け、それぞれを街路に一つずつ配置します。こうして五つの部隊が五つの街路に分かれて
布陣すれば、敵は必ず疑いをもち、あやしく思って、どこから攻めていいのか分からなく
なります。
もし敵が堅く守って備えを固めるなら、こちらはスパイを放って敵の考えを探ります。
相手がこちらの使者の説得を受け入れるつもりなら、陣を撤収して退去していきますが、
こちらの説得を聞き入れるつもりがないなら、こちらの使者を殺し、こちらの親書を焼き
捨てるでしょう。
そうなれば、五つの部隊が五つの方面から敵に攻めかかります。このとき、勝っても追
撃してはいけませんし、勝てなければすばやく退散します。このように敗走をいつわると
きには、あせらずに行動し、好機と見ればすばやく攻撃します。五つの部隊のうち、一つ
は敵の前方を固め、一つは敵の背後を塞ぎ、さらに二つの部隊をひそかに進めて、左右か
ら敵の不意を襲います。五つの部隊がかわるがわる出撃するなら、必ず有利な立場に立て
るようにします。以上が強敵を攻撃する方法です」
(4)
武侯が尋ねました。
「敵が近くまで迫ってきており、こちらとしては逃げたいのだが退路がなく、さらに自軍
の兵士たちがとても恐怖しているときには、どうすればよいのか?」
呉起が答えました。
「その対策としましては、自軍が多くて、敵軍が少ないなら、こちらの兵隊を分け、かわ
るがわる攻めて、敵の不意をつきます。自軍が少なくて、敵軍が多いなら、策略を用い、
敵軍をリードします。敵軍をうまくリードでき、それを絶え間なく続けられたなら、相手
がいくら多数でも屈服させることができます」
呉子
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(5)
武侯が尋ねました。
「山奥の谷間で敵軍に遭遇し、周辺は険阻な地形で、敵軍は多く、自軍は少ないときには、
どうすればよいのか?」
呉起が答えました。
「ふつう丘陵、森林、渓谷、深山、湖沼などの険しい地形のところでは、すみやかにそこ
を立ち去るべきで、そこでのんびりしていてはいけません。(敵に奇襲される恐れがありま
す)。山奥の谷間でいきなり敵軍と遭遇したときには、必ずまず太鼓をうち鳴らし、威勢の
よい大声をはりあげて、敵を圧倒します。そして弓と大弓を使う部隊を前進させ、敵を撃
っては捕らえ、撃っては捕らえるようにします。それから敵軍がどれほど混乱しているか
を探り、混乱しているときには、ためらうことなく攻めかかります」
(6)
武侯が尋ねました。
「左右に高い山があって狭く、そこでいきなり敵軍と遭遇し、攻めようにも前進できず、
逃げようにも後退できないときには、どうすればよいのか?」
呉起が答えました。
「これは谷間の戦闘と言われるものです。いかに多くの兵士がいても、使いようがありま
せん。そこで、有能で勇敢な兵士を選んで敵にあたらせます。そして、すばしこい者にす
ぐれた武器をもたせて、前方に配置します。さらに、戦車を散開させ、騎兵を整列させて、
周辺に隠れさせます。このとき、敵軍との距離を十分にとって、敵軍にこちらの実情を知
られないようにします。すると、敵は陣を堅くし、守りを固めて、あえて進んだり、退い
たりしようとしなくなります。こうなれば、こちらは旗をならべ立て、軍隊をつらね、山
の外に出て布陣します。すると、敵は必ず恐怖します。そこへ矢継ぎ早に戦車隊と騎馬隊
とをくりだし、敵に戦いをしかけ、敵に休む間を与えないようにします。以上が、谷間の
戦闘の方法です」
(7)
武侯が尋ねました。
「こちらが敵軍と水辺でいきなり遭遇し、ぬかるみのせいで戦車も騎馬も役に立たず、軍
船も持ち合わせておらず、進むことも退くこともできないときには、どうすればよいの
か?」
呉起が答えました。
「これは水辺の戦闘と言われるものです。戦車も騎馬も使いようがななく、しばらく周辺
に待機させます。そして高い所から周囲を偵察させて、その水沢の広さを知り、その水沢
呉子
21
の深さを測ります。そうして奇襲をかけて勝利することが可能となります。敵が河を渡っ
ているときには、その半分が渡り終えてから攻撃をしかけます」
(8)
武侯が尋ねました。
「雨の日が長いこと続いていて、ぬかるみに騎馬は足をとられ、戦車は動けず、どれも使
いようがなく、まわりは敵軍に囲まれていて、全軍があわてふためいて不安がっていると
きには、どうすればよいのか?」
呉起が答えました。
「戦車を使って戦うには、天気の悪いときには行動を差し控え、天気のよいときには行動
を起こすようにします。また、高くなっているところを選ぶようにし、低くなっていると
ころを避けるようにします。さらに、丈夫な戦車を走らせ、進むにも止まるにも道からは
ずれないようにします。敵が動いたなら、必ずそのあとを追いかけるようにし、見失わな
いようにします」
(9)
武侯が尋ねました。
「強暴な外敵がいきなりやってきて、作物を取り、家畜を奪うときには、どうすればよい
のか?」
呉起が答えました。
「強暴な外敵がやってきたばかりのときは、その勢いが盛んで、力が強いこと考えて、砦
にたてこもってしっかり守り、軽率に攻めかかったりなどしないようにします。強暴な外
敵も、日が暮れて引き上げるときには、略奪したものも重く、反撃されることを恐れてい
るので、急いで引き上げようとし、まとまりがなくなります。そこを追いかけて攻撃すれ
ば、打ち負かすことができます」
(10)
呉子が言いました。
およそ敵を攻め、城を囲む方法としては、城壁に守られた都市を占領できたなら、そこ
の宮殿に入り、そこの役人を使用し、そこの器物を接収します。そして、軍隊を進駐させ
るところでは、勝手に樹木を切ったり、人家を壊したり、穀物を奪ったり、家畜を殺した
り、資材を焼いたりしないようにして、そこの住民に対し、略奪や暴行を行うつもりのな
いことを示します。投降してくる者がいれば、ただちに許して、いたわってやります。
呉子
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第六篇【解説】
励士とは、功績の大小に応じて、表彰式の席次や表彰の程度を変えて、功績のなかった
者を奮起させることです。文中ではただ兵士を激励することを言っているだけなので、「励
士」と命名されました。全部で一章です。
【本文】
武侯が尋ねました。
「刑罰を厳正に行い、褒賞を公正に行えば、勝利をおさめるのに役立つのか?」
呉起が答えました。
「刑罰を厳正に行い、褒賞を公正に行うことについて、わたくしはくわしく論じることが
できません。しかしながら、それらは頼りにすべきものではありません。①号令をかけ命
令を出すと人々は喜んで従い、②出兵を開始し兵隊を動員すると人々は喜んで戦い、③敵
軍と衝突し敵兵と戦闘すると人々は喜んで命を投げ出す。この三つこそが、君主にとって
頼りにすべきものです」
武侯が尋ねました。
「どのようにすれば、そのように喜んで従い、喜んで戦い、喜んで命を投げ出すように仕
向けられるのか?」
呉起が答えました。
「閣下、それには前の戦争で功績のあった者をピックアップして酒や食事などをふるまっ
てもてなし、功績のなかった者を激励することです」
そこで武侯は、廟堂の庭に三列の席を設け、臣下たちをもてなしました。このとき、最
高の功績をあげた者は、前列に座らせ、いくつもの豪華な料理や上等な肉を出しました。
次善の功績をあげた者は、中列に座らせ、いくらか豪華な料理の数を少なくしました。功
績のなかった者は、後列に座らせ、ふつうの料理を出しました。
さらに、もてなしの会が終わったあと、功績のあった者の父母や妻子を廟堂の庭の外に
呼んで、プレゼントを与えました。このときにも、功績の上下に応じてプレゼントの内容
に差をつけました。功績のなかった者の家族には、プレゼントを与えませんでした。国の
ために死んだ者の家には、毎年、使者を派遣して、慰労の品をその父母に贈り、国のため
に死んだ者への感謝を忘れていないことを示しました。
こういったことを始めてから三年後、強大国の秦国が軍事行動を起こし、魏国の西河地
方に侵攻してきました。これを聞いた下級将校や下級官吏たちは、上から命令されなくと
も、みずからすすんで武装して奮戦しました。その人数は一万人にも及びました。
武侯は呉起を呼び出して言いました。
「そのほうから前に教えてもらったとおりにやったが、その成果が出たようだ」
呉子
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呉起は言いました。
「わたくしは、このように聞いております。『人には長短があり、気には盛衰がある』と。
閣下、試しに功績のなかった者を五万人ほど召集してください。許可くだされば、わたく
しはその者たちを率いて、秦国の兵隊と戦いたいと思います。もし勝てなければ、周辺の
諸侯から笑われ、天下の万民から侮られます。功績がなかった者たちは、これまで功績が
なかったうえ、さらに人から笑われ侮られるとなれば、人に顔向けできなくなるので、必
死に戦うものです。
今、必死になっている一人の盗賊が広い野原に隠れていて、その盗賊を千人もの人間が
追いかけているとします。しかし、いくら千人の人間で追いかけるにしても、そのだれも
が、びくびくしてフクロウのようにキョロキョロし、おどおどしてオオカミのようにふり
かえり、恐怖心をいだいているものです。どうしてこのようになるかと言えば、そのだれ
もが『必死になっている盗賊が飛び出してきて、自分に危害を加えてきたらどうしよう』
と恐れているからです。ですから、一人の人間でも、命を投げ出すことができれば、千人
の人間を恐れさせることができるのです。
今、わたくしは、五万人の兵を一人の必死になっている盗賊のようにし、その者たちを
率いて秦国の軍隊を迎撃したいと思います。当然のことながら、秦国の軍隊は、必死にな
っている我が軍に勝つことができません」
そこで武侯は、呉起の進言に従って呉起に五百の戦車と三千の騎兵を与えました。そし
て呉起は、その軍隊を用いて秦国の五十万の大軍を撃破しました。以上が兵士を励ますこ
との効果です。
その戦いの前日、呉起は、全軍に号令をかけて言いました。
「全軍の将軍や役人、士官や兵士が、我が命令に従うなら、絶対に敵軍の攻撃を受けても
敗れることはない。こちらの戦車隊が敵の戦車隊を敗退させられず、騎馬隊が敵の騎馬隊
を敗退させられず、歩兵隊が敵の歩兵隊を敗退させられないのなら、たとえ秦国軍を撃破
できたとしても、全員に手柄がなかったものとする」
この言葉があったので、戦いの日には、いちいちくわしく号令をかけなくても、魏国の
軍隊は天下を震撼させるほどの戦いぶりを示しました。 励士――兵士を励ますこと