武経七書ー2ー孫子ー2軍争編~用間編 | 覚書き

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第七篇 軍争――機先を制すること
【解説】
両軍は対峙して必ず争うわけですが、それは互いに相手よりも先に「利」を得ようとす
る争いです。ですから、ここでは多く「利」をメインにして述べています。ここで言う「利」
とは、利潤の「利」ではなく、有利の「利」です。こちらに有利であれば、こちらが勝ち
ます。敵に有利であれば、敵が勝ちます。ですから、「利」を争わないわけにはいかないの
です。
【本編】
孫子が言いました。
兵を動かす原則としては、まず将軍が君主より出兵を命じられて、軍隊を召集し、国民
を徴兵して、そして軍門に集合して、前線の基地に入ります。このとき両軍は、互いに相
手より有利な立場に立とうとして、機先を制するための争いをくりひろげますが、それほ
ど難しいことはありません。
この機先を制するための争いが難しいのは、①敵をあざむくため、あえてまわりくどい
方法を用いながら、それが本当は目的の達成にまっすぐ結びつくようにしようとするから
ですし、②敵を油断させるため、わざとこちらを不利な状態に置いておきながら、それが
本当はこちらを有利にするのに役立つようにしようとするからです。
ですから、わざと遠回りをしていながら、遠回りしていることに気づいていないふりを
し、ちょっとした利益をたびたびばらまいて敵にそれをむさぼらせて、こちらが着実に目
的の場所へと向かっているとは思いもしないようにすれば、こちらは敵より遅れて出発し
ていながら、敵よりも先に目的の場所にたどりつけます。これが「迂直の計」を知ってい
るということです。(「迂直の計」とは、まわりくどい方法をまっすぐな方法に変え、不利
な状態を有利な状態に転じるための策略です)。
それで軍隊は、自軍を有利にするため、機先を制しようとして争うわけですが、もし全
軍をあげて争うなら、かえって不利になり、危険になります。全軍をあげて争えば、軍隊
の規模が大きくなった分だけ動きが遅くなるので、敵に先をこされます。
しかし、全軍の動きを考えずに先を急げば、一部の部隊しかそれについていけず、補給
部隊は置き去りになります。そんな次第で、重たい装備を捨てて、昼も夜も休まずに走り
続け、ふだんよりも数倍の道のりを進んで、百里も離れたところで有利な位置を得ようと
して争うなら、大敗北を喫して将軍たちは敵にとらえられることになりますし、剛健な者
は先に着けますが、疲れた者は遅れ、けっきょく間に合うのは全軍の十分の一だけです。
さらに、五十里ほど離れたところに急行して有利な位置を得ようとするなら、先頭を行く
部隊はひどい目にあい、そこの将軍は鼻をくじかれますし、間に合うのは全軍の半分だけ
です。また、三十ほど離れたところに急行して有利な位置を得ようとするなら、間に合う
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のは全軍の三分の二だけです。そういうわけで、①軍隊に軍服や兵器などの装備品がなけ
れば、戦いようがなくて、軍隊は壊滅しますし、②軍隊に食料が送られなければ、飢えて
疲れて、軍隊は壊滅しますし、③あらかじめ物資を備蓄していなければ、軍隊への輸送が
続かなくなって、軍隊は壊滅します。
以上のように、あらかじめ準備していてこそ、うまくいくわけですから、①諸国の腹の
内を知らない将軍は、事前に諸国と外交をとりむすぶことができませんし、②地形や地勢
について知らない将軍は、軍を進めることができませんし、③現地の地理にくわしい人間
をガイドにしなければ、地の利を得ることができません。
そこで、戦争は、①うまく相手をだますことによってこちらに有利な状況をつくりだし、
②相手のスキに乗じることによってこちらに勝利をもたらし、③分散したり、集合したり
して戦い方に無限の変化を出すことによって敵をほんろうするものです。
ですから、①敵が弱みを見せたときには、風のようにすばやく動いてその弱みに乗じ、
敵を圧倒して屈服させます。②敵につけいるスキがなければ、ひっそりとした林のように
ゆっくりと進むようにします。③敵の国境を越えて侵攻するときには、燃えさかる火のよ
うに激しい勢いで侵攻します。④動くべきではないときには、どっしりとした山のように
かまえ、じっとします。⑤こちらの長短や動向については、暗雲が太陽や星空を隠すよう
に敵に見えなくさせます。⑥敵につけいるスキがあれば、雷のように速く激しくそのスキ
をついて、敵がこちらの奇襲を避けられなくさせます。⑦郊外にある集落から食料を徴発
するときには、軍隊を分けて手分けして各集落の食料を徴発してまわります。⑧見わたす
かぎりなにもない平地では、兵を分けて要所を守らせます。また、土地を開拓したときに
は、手柄のあった者に分け与えます。⑨はかりではかるようにきちんと敵の勢力をはかっ
たうえで行動します。近道を遠回りに変え、遠回りを近道に変える方法をまず知っている
者が、勝ちます。これが機先を制し、こちらを有利にする方法です。
『軍政』に、こうあります。「兵隊が多く、戦場が広い場合、言ってもみんなになかなか聞
こえない。だから、みんなによく聞こえるドラや太鼓を鳴らして、前進や待機を命令する。
また、見せてもなかなか見えない。だからよく見える大旗や手旗を用いて、散開や集合を
命令する」と。
そもそもドラ・太鼓・大旗・手旗の四つは、全員の耳目を一つにするためのものです。
全員が同じように聞き、同じように見ることができるようになれば、命令が全軍にきちん
とゆきわたるようになって、勇敢な者が勝手に戦いをしかけるということもなくなります
し、臆病な者が勝手に逃げ帰るということもなくなります。
これが、いわゆる「兵士を用いる方法」です。
ですから、夜に戦うときには火や太鼓を使い、昼に戦うときには大旗や手旗を使うわけ
ですが、それによって敵の目や耳をまどわします。(参考:夜に多くのかがり火をたいたり、
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多くの太鼓をうち鳴らしたりする。また、昼にたくさんの旗をかかげる。このようにすれ
ば、事情を知らない敵は、こちらが大軍だと錯覚し、ひるみ、戦意を喪失します)。
敵軍の気は奪えますし、敵将の心は奪えます。気が奪われると、やる気がなくなって、
戦えなくなります。心が奪われると、冷静さがなくなって、まともに作戦を考えられなく
なります。
そういうわけで、最初の気力は盛んで、中間の気力は弱く、最後の気力はつきているわ
けですが、戦争のうまい人は、敵の気力が盛んなときは攻撃を避け、敵の気力が弱まり、
つきたときに攻撃します。これが「気を治める」ということです。
また、治まった状態にして敵が乱れるのを待ちうけ、おちついた状態にして敵がさわが
しくなるのを待ちうけます。これが「心を治める」ということです。
さらに、戦場の近くにいて敵が遠くからやってくるのを待ちうけ、元気たっぷりな状態
にして敵が疲れるのを待ちうけ、満足な量の食事をとって敵が飢えるのを待ちうけます。
これが「力を治める」ということです。
また、隊列に秩序のある軍隊を迎え撃ってななりませんし、布陣が堂々とした軍隊に攻
めかかってはいけません。これが「変を治める(臨機応変に対処する)」ということです。
ですから、軍隊を動かす原則としては、こうなります。
①高い山にいる敵に立ち向かってはなりません。
②丘を背にした敵と戦ってはなりません。
③いつわって逃げている敵をおいかけてはなりません。
④精鋭部隊を攻めてはなりません。
⑤おとりの部隊に襲いかかってはなりません。
⑥国へ戻っている軍隊の帰国を足止めしてはなりません。
⑦軍隊を包囲しているときは一ヶ所だけ逃げ道をあけてあげなければなりません。
⑧おいつめられた敵をしつこく追ってはなりません。
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第八篇 九変――臨機応変に戦うこと
【解説】
九変とは、軍隊を動かす臨機応変の方法が九つあることを意味しています。およそ軍隊
を動かす方法には、一定不変の方法もあれば、臨機応変の方法もあります。ただ一定不変
の方法を知っているだけで、臨機応変の方法を知らなければ、これまたどうして勝利にプ
ラスとなるでしょうか。これが孫子の九変をとりあげた理由です。
【本編】
孫子が言いました。
軍隊を動かす原則としては、将軍が君主から命令を受け、国境地帯に展開している軍隊
を合わせ、国内の兵士を集めたなら、いざ敵と戦うときには以下の九つの点に留意しなけ
ればいけません。
①敵がすでに高い山に陣どって守りを固めているときには、慎重に対処すべきで、山を
よじのぼって敵と戦ってはいけません。
②敵がすでに丘を背にして陣どっているときには、慎重に対処すべきで、坂道をむりや
り駆け上って敵と争ってはいけません。
③敵がわざと負けて逃げているときには、慎重に対処すべきで、追いかけてはいけませ
ん。追いかければ、敵のワナにはめられて敗北します。
④敵の兵隊が精鋭であるときには、慎重に対処すべきで、攻めてはいけません。攻めれ
ば、反対にやられてしまいます。
⑤敵がこちらに利となるようなことをしてきたときには、慎重に対処すべきで、それに
軽々しく食いついてはいけません。敵がワナをしかけている心配があります。
⑥敵軍が帰還しているときには、慎重に対処すべきで、前方をはばんで、それを邪魔し
てはいけません。兵士たちの望郷の念は強いもので、邪魔されると激しく抵抗します。
⑦敵兵を包囲したときには、一ヶ所だけ逃げ道をあけてやらねばなりません。逃げ場が
なくなれば、敵は必死に戦うので、こちらの損害が大きくなります。
⑧敵がおいつめれれているときには、さらにおいつめてはいけません。おいつめられた
人間は想像以上の力を発揮するので、こちらがやられてしまいます。
⑨けわしい地形のところに入ったときには、そこに長くいてはいけません。けわしい地
形のところでは奇襲しやすいものなので、いつ奇襲されるかわかりません。
以上が軍隊を動かす原則で、これを「九変の法」と言います。
さらに、大切な原則として、五利があります。
①おなじ道でも、通ってはならない道もある。(こちらに有利な道を通るべきであり、こ
ちらのメリットにならない道を通ったり、戦車や騎馬の通りにくい道を選んだりしないも
のです)。
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②おなじ敵軍でも、攻撃してはならない敵軍もある。(敵軍を攻撃するときには、まず敵
の弱いところを探ってから、そこを攻撃すべきです。敵につけいるスキがなく、攻撃する
メリットがないときには、手を出さないほうが賢明です)。
③おなじ城でも、攻めてはならない城もある。(城攻めには多くの犠牲がつきものなので、
攻めて必ず落とせるのでなければ、攻めてはなりません。また、守りが厳重な城も、攻め
てはなりません。さらに、守りが弱くて、たやすく落とせる城であっても、そのままにし
ておいても作戦に支障がないのであれば、必ずしも攻める必要はありません)。
④おなじ土地でも、奪い合ってはならない土地もある。(手に入れても、こちらのプラス
にならない土地なら、敵と争って奪うよりは、争わないほうがましです。さらに、手に入
れても戦いが有利になるわけではないし、奪われてもこちらが不利になるわけではない土
地なら、たとえ敵に奪われようとも、その土地をめぐって争わないほうがましです)。
⑤おなじ君主の命令でも、従ってはならない命令もある。(従えば不利になるような命令
は、従わないことができます。もし戦うことが国民の利益となり、国家の利益となるなら、
君主の命令に従わなくてもかまいません)。
以上の五つが「五利」です。必ず道を通り、必ず敵を撃ち、必ず城を攻め、必ず土地を
争い、必ず君主の命令に従うのは、一定不変の方法です。五利は臨機応変の方法です。(通
らず、撃たず、攻めず、争わず、従わなければ、こちらに有利となるので、五利と名づけ
られました)。
ですから、将軍たる者が、もし九変の法に精通していて、こちらを有利にできるのでな
ければ、たとえ地形を知っていたとしても、地の利を得られません。軍隊を統率し、九変
の法を知らなければ、たとえ五利を知っていたとしても、優秀な人材を得て、その人を用
いることができません。
そういうわけで、知者が物事を考えるときには、必ずメリットとデメリットの両方につ
いて考えるのです。メリットがあるときには、そのデメリットについても考えるので、事
をうまく運べます。また、デメリットがあるときには、そのメリットについても考えるの
で、心配を解消できます。
そういうわけで、①諸侯を屈服させるには、策略によって害し、②諸侯を利用するには、
経済力を用い、③諸侯をあやつるには、利益で誘導します。ですから、戦争の原則として
は、①敵に侵攻されないのを期待するのではなく、敵が侵攻できない態勢をととのえるこ
とが大切ですし、②敵に攻撃されないのを期待するのではなく、敵が攻撃できない態勢を
ととのえることが大切です。
そこで、将軍にとって危険なことが、五つあります。
①勇敢だけど、無謀で、死を覚悟して戦う将軍は、ワナをしかけて誘い出し、討ち取る
ことができます。(勇猛果敢な将軍は、強いと言うメリットがありますが、あとさき考えず
に行動するというデメリットがあります)。
②戦場にあって死ぬことを恐れ、生きのびようとする将軍は、襲撃して捕虜にすること
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ができます。(命を惜しむ将軍は、慎重に行動できるというメリットがありますが、先頭に
立って奮戦して兵士を鼓舞することができないというデメリットがあります)。
③気性が激しく、怒りやすい性格の将軍は、バカにすればおびき出せるので、出てきた
ところを撃ち破ります。(すぐに怒る将軍は、兵士たちをうまくひきしめられるというメリ
ットがありますが、冷静さをなくしやすいというデメリットがあります)。
④まじめで、まっすぐな性格の将軍は、計略を用いて侮辱すれば、必ず怒って軽々しく
出撃してくるので、それを利用して撃ち破ります。(清廉な将軍は、きちんと職務をこなす
というメリットがありますが、大らかさに欠けるというデメリットがあります)。
⑤やさしく、おだやかな性格の将軍は、兵士や民衆を傷つけたり、殺したりすることを
恐れるので、奇策を使い、わずらわしてあたふたさせられます。(やさしい将軍は、人を大
切にするというメリットがありますが、優柔不断であるというデメリットがあります)。
軍隊が敗れたり、将軍が殺されたりするのは、以上の五つによるので、これら五つのこ
とについては、よくよく考慮しておかなければなりません。
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第九篇 行軍――軍事行動の仕方
【解説】
行軍とは、軍隊を進めるときには、必ずこちらにとって都合がよいルートを選ぶべきと
いうことです。ですから、ここではもっぱら、軍隊を配置し、敵情を探知することについ
て述べています。軍隊をどこに配置するかによって、軍事行動をしやすいか、しにくいか
が決まってきます。しかしながら、敵の長短や動静についての情報を収集しなければ、た
だ敵に勝てないだけでなく、反対に敵にスキをつかれてしまう恐れがあります。
【本編】
孫子が言いました。
およそ軍隊を配置する原則は四つあり、敵情を探知する原則は三十二あります。
まず軍隊を配置する原則について述べます。
第一は、山・川・沼地・平地に軍隊を配置する方法についてです。
①軍隊が山岳地帯にいる場合、次の点に留意して、軍隊を配置します。○けわしい山を
行くときには、必ず谷にそって進み、そこに野営します。そうすれば飲み水をくんだり、
馬草を採ったりするのに便利ですし、守りやすくなります。ただし、大きな谷の入り口に
は野営してはいけません。○守りやすく攻めにくい高いところに野営します。もし敵がそ
のような高いところにいるなら、その敵に戦いをしかけてはいけません。
②軍隊が河川地域にいる場合、次の点に留意して、軍隊を配置します。○川を渡るとき
には、渡ったらすぐに川を離れ、川からやや離れたところに待機します。そうすれば、敵
を誘い、川のなかで立ち往生させて撃ち破ることができますし、こちらの行動がスムーズ
にいくようにさせられて、とどこおらなくなります。○敵がもし兵をひきつれ川を渡って
きているなら、おちついて待ち、川のなかで戦わないようにします。そして、敵の半分が
上陸し、まだ隊列がととのっておらず、後尾はまだ川のなかにいるという状態のときに攻
撃をしかけます。そうすれば、必ずこちらが有利となります。○敵と戦いたいときには、
川の近くにいてはいけません。そんなことをすると、おそらく敵は川を渡ってきません。
ですから、反対に敵と戦いたくないときには、川の近くで迎撃するかまえを見せればよい
ことになります。○できるだけ高いところにるようにして、敵から水攻めにされないよう
にします。また、川を渡ろうとしたとき、上流から流れてくる水が泡だち濁っているなら、
洪水がやってくる恐れがあるので、しばらく川を渡るのを差し控え、川の流れがおちつく
のを待ってから、川を渡るようにします。○敵より上流にいるようにしなければ、上流か
ら流れに乗って攻めこまれたり、毒を流されたりする危険性があります。
③軍隊が湖沼地帯にいる場合、次の点に留意して、軍隊を配置します。○塩分が多かっ
たり、ぬかるんでいたりする土地は、すみやかに去るべきで、そこにとどまってはいけま
せん。そこはじめじめしているし、飲み水や馬草はよくないので、野営できません。○も
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し塩分が多かったり、ぬかるんでいたりする土地で敵と戦うことになったなら、飲み水や
馬草があるところに陣をしき、林を背にして野営するようにします。
④軍隊が平野地域にいる場合、次の点に留意して、軍隊を配置します。○平坦で、でこ
ぼこしていないところにいて、こちらが突撃しやすいようにします。○右後方が高いとこ
ろに陣どります。このように前方が低く、後方が高くなるようにすれば、突撃のときに勢
いがつきやすくなるので、形勢が有利になります。
以上のように軍隊を配置すれば、山・川・沼地・平野でこちらを有利にできます。むか
しの名君の黄帝は、この方法を用いて四方の諸侯に勝ち、天子となりました。
第二は、軍隊を配置したほうがよいところについてです。
①およそ軍隊は、見晴らしのよい高いところにいるのがよく、まわりのよく見えない低
いところにいるのはよくありませんし、からりとしたところにいるのがよくて、じめじめ
したところにいるのはよくありません。
②飲み水をくんだり、馬草を採ったり、木材や薪を集めたりするのに便利で、生活しや
すいところにいるようにします。しかも、高くて日当たりがよく、低くてじめじめしてな
いところにいて、病気にかかりにくくします。これを「必勝のかたち」と言います。
③丘陵や堤防のところでは、必ず見晴らしがよくて日のあたる場所で、しかも右後方が
高くなるようなところに陣どって守りを固めます。
以上が有利に戦い、地形の助けをかりるということです。
第三は、軍隊を配置すべきでないところについてです。
およそ地形には六害の地があり、そこからはすみやかに立ち去らねばなりません。六害
の地とは、絶澗(こえられない山間の渓谷)、天井(急な斜面に囲まれたくぼ地)、天牢(山
がけわしかったり、霧がかかりやすかったりなどして、入りやすいけど、出にくい土地)、
天羅(草木のおい茂っているジャングル)、天陥(土地が低くて水がたまりやすく、ぬかる
みやすい土地)、天隙(二つの山の間にある狭くて通りにくい道)の六つです。
これら六害の地について、こちらはそこから遠ざかり、敵はそこに近づくようにし、こ
ちらはそこを前にし、敵はそこを背にするようにします。(そこから遠ざかり、そこを前に
すれば、こちらは自由に動けます。そこに近づき、そこを背にすれば、敵の行動は阻害さ
れます。自由に動ければ有利ですし、行動が阻害されれば不利です)。
第四は、伏兵についてです。
軍隊の近くに、土地の起伏がはげしかったり、くぼんでいたり、木がおい茂っていたり、
水辺にアシが茂っていたり、背の高い草がうっそうとはえていたりする場所があれば、そ
こにはこちらを待ち伏せている敵兵が隠れている可能性があるので、探索してみる必要が
あります。
次に敵情を探知する原則について述べます。
第一。敵が近くにいるにもかかわらず、おちついて動かないのは、地形のけわしさを頼
りにして固く守っているからです。
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第二。敵が遠くにいるにもかかわらず、しばしば戦いを挑んでくるのは、こちらをおび
き出して、出てきたところを撃とうとしているからです。
第三。敵が身を隠すもののない平原にいるのは、みずからを不利に見せかけて、こちら
を誘い出そうとしているのです。
第四。敵軍に近い森の木が揺れ動いているのは、木を伐り、道を作りながら、進軍して
きているのです。
第五。敵が草木のおい茂っていて見えにくいところにいるのは、なにかをたくらみ、こ
ちらをだまそうとしているのです。
第六。鳥が突然にばらばらと飛び立つのは、その下に伏兵がいるのです。
第七。山林や草木のなかからケモノがいきなり驚いて飛び出してくるのは、敵がそのな
かを通ってこちらにこっそりと近づき、奇襲をかけようとしているのです。
第八。砂ぼこりが高くまっすぐに立ちのぼっているのは、戦車隊がやってきているので
す。
第九。砂ぼこりが低くたれこんでいるのは、歩兵隊がやってきているのです。
第十。砂ぼこりがあちこちからあがり、ひょろひょろしているのは、薪を拾っているの
です。
第十一。砂ぼこりが少なくて、行ったり来たりしているのは、敵軍が陣地を築いていて、
そのまわりを敵の警備隊が行き来しているのである。
第十二。敵からの使者の言葉が丁寧で、敵が陣地の守りを固めているのは、こちらを油
断させて、そのスキに攻めこもうとしているのです。
第十三。敵からの使者の言葉が強気で、敵軍が今にも攻めこんできそうな勢いを見せて
いるのは、こちらを恐れて、退却しようとしているのです。
第十四。まず軽戦車を出して、軍隊の両側に配置させているのは、隊列を組んで、こち
らに戦いをしかけようとしているのです。
第十五。事前の交渉もなしに、いきなり休戦協定を結ぼうと使者を送ってくるのは、必
ずなにかたくらみがあってのことです。
第十六。あっちこっちとせわしく走りまわって兵士たちを配置につかせているのは、戦
うことを決意しているのです。
第十七。敵兵が中途半端に進んだり、退いたりして、乱れているように見えるのは、こ
ちらを誘い出そうとしているのです。
第十八。敵兵が槍や杖にもたれかかって立っているのは、食料が足りなくなり飢えてい
るのです。
第十九。敵兵が有利なのに出撃してこないのは、疲れているのです。
第二十。鳥が敵陣の防塁の上に集まっているのは、そこがもぬけのからなのです。兵士
が残っているように見せかけ、実は逃げていってしまっているのです。
第二十一。敵兵が夜中にうるさく呼びまわっているのは、将軍に勇気がなく、兵士たち
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がびくついているのです。
第二十二。敵軍の将兵が騒動しているのは、将軍がしっかりしていないのです。将軍が
しっかりしていないと、軍隊はおのずと乱れるものです。
第二十三。旗が揺れ動いて安定しないのは、隊伍が乱れているのです。
第二十四。将校がいらいらしているのは、軍隊に嫌気がまんえんしているのです。軍隊
に嫌気がまんえんし、将校が使えないので、いらいらするのです。
第二十五。馬は乗って戦うためのものなのに、それを殺して食べているのは、敵軍の食
料がつきてしまっているのです。
第二十六。あからさまに調理器具を放棄して、陣地に戻ろうとしないのは、おいつめら
れて必死に戦おうと決意しているのです。
第二十七。こんこんと親しげに人々と語らっているのは、人望を失っているのです。
第二十八。ひんぱんに賞しているのは、勢力が弱り、どうしようもなくなって兵士たち
が逃亡するのを恐れているのです。
第二十九。ひんぱんに罰しているのは、兵士たちが疲れはて、戦う気力をなくしている
ので、刑罰でおどして奮起させようとしているのです。
第三十。最初は兵士たちを乱暴にあつかっておきながら、あとになって兵士たちが結束
して反乱を起こすのを恐れるのは、兵士の心をつかむ努力をおこたっていた証拠です。ま
た、最初は敵を軽んじていながら、あとになって敵兵を恐れるのは、なまけて敵軍の実力
を調べなかった証拠です。
第三十一。敵が大事にしているものをもってきて、それをこちらに差し出して謝罪する
のは、その戦う力が弱まり、戦争をやめて兵を休ませたいと望んでいるのです。
第三十二。敵兵が勢いよく攻めこんできながら、いくらたっても戦おうとせず、かとい
って退こうともしないなら、よくよく敵情を観察しないといけません。おそらくなんらか
のワナがしかけてあります。
兵隊が多いからと言って、それで有利だということにはなりません。もし互いの勢力が
等しいなら、ただ猪突猛進しないようにし、とりあえず物資を十分にとりそろえ、敵の長
短をはかったうえで勝利をおさめることが大切です。
そもそも先々のことまで考えた深いはかりごとをもたず、敵を軽くみるような人は、必
ず捕虜にされます。
兵士たちがまだ将軍になついていないのに、将軍が厳しい刑罰を使って兵士たちをまと
めようとするなら、兵士たちは将軍に心服せず、使いにくくなります。(将軍は、兵士たち
に対してただ威張るのではなく、兵士たち対する恩愛や信用を尊んで、まず兵士たちの心
をつかまねばなりません)。
しかし、将軍の恩愛や信頼が全軍にゆきわたり、兵士たちが将軍になついていても、法
令が厳正に行われないなら、兵士たちは調子に乗り、役に立たなくなります。(情に流され
ずに、罰すべきはきちんと罰し、将軍の威厳を確立しなければなりません)。
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ですから、文徳によって兵士たちをなつかせて命令に従わせ、武威によって兵士たちを
ひきしめて秩序を保たせます。優しさと厳しさが将軍に兼ね備わっていてこそ、必ず勝て
るのです。
ふだんから決まりごとが守られていて、そのうえで民衆に命令を守るように教育するな
ら、民衆は心服して従います。しかし、ふだんから決まりごとが守られてなく、それなの
に民衆に命令を守るように教育しても、民衆は心服せず従いません。ふだんから決まりご
とを守っている人間は、みんなから信用され、みんなと心を一つにできます。(行軍を論じ
て、最後に恩愛と威厳について述べているのは、恩愛によって兵士たちをなつけ、威厳に
よって兵士たちをひきしめ、剛柔を兼ね備え、優しさと厳しさをあわせもっていて、はじ
めて軍隊をうまく動かせて勝利できるからです)。
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第十篇 地形――地形のもたらす効果
【劉寅の解説】
地形とは、けわしいとか、なだらかとかいった、山や川の形状を言います。軍隊を動か
すにあたり、地形を知らなければ、有利に攻めたり、守ったりできなくなります。ですか
ら、地形は軍隊の補助となり、その難度や遠近をはかることが優秀な将軍のやり方となり
ます。兵法を学ぶ人は、ここのところをわかっていないといけません。
【本編】
孫子が言いました。
地形には、①通じたもの、②引っ掛かけられるもの、③支えられたもの、④狭いもの、
⑤険しいもの、⑥遠いものがあります。
①こちらも行きやすく、敵も来やすいところを「通じたもの」と言います。この通じた
地形では、先に高くて明るい場所をとり、補給路を確保したうえで戦えば、有利になりま
す。
②進みやすいけれど、退きにくいところを「引っ掛けられるもの」と言います。この引
っ掛けられる地形では、敵が無防備なら、出撃して勝ちます。もし敵に備えがあるなら、
出撃すると勝てませんし、退却しにくくて不利になります。
③こちらも出撃していくと不利で、敵も出撃していくとふりになるところを「支えられ
たもの」と言います。この支えられた地形では、敵がこちらにとって有利な動きをしても、
こちらは出撃していってはいけません。こちらはそこから軍を引いて立ち去り、敵を誘い
出して敵が半分ほど出撃してきたところで攻撃します。すると有利になります。
④狭い地形(左右を高い山に囲まれ、まん中に谷のある狭い土地など)では、こちらが
先に到着したときは、必ずその場所全体を占拠して、敵を待ち構えます。敵が先に着いて、
その場所全体を占拠しているときには、相手にしてはいけません。その場所全体を占拠し
ていないときには、相手にしてかまいません(奇襲攻撃をしかけます)。
⑤険しい地形(谷川があったり、ぼこぼこと穴があったり、急な斜面があったりして進
みにくい土地など)では、こちらが先に到着したときは、必ず高くて見晴らしがよく、明
るくて日当たりのよい場所に陣取り、そのうえで敵をまちかまえます。もし敵が先に到着
しているときには、こちらは軍を引いて立ち去り、相手にしてはいけません。
⑥遠い地形(こちらと敵とが互いに遠くはなれた状態にある場合など)では、互いの勢
力が等しいときには、戦いを挑むのは難しいですし、戦っても不利になります。
以上の六つが、地形に応じて勝ちを制する方法です。これは、将軍がもっとも重要な任
務として、くわしくわかっていなければならないことです。
ですから、軍隊には、①潰走があり、②弛緩があり、③陥落があり、④崩壊があり、⑤
混乱があり、⑥敗北がありますが、それらが起きるのは、天地の災厄のためではなく、将
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軍の過失によるのです。
①こちらと敵の勢力が等しいとき、敵の十分の一の兵力で、こちらの十倍の敵と戦うな
ら、(力の差は歴然としていますので)「潰走」になります。(潰走とは、敵に包囲されるの
を恐れて逃げ出し、出撃しないことです)。
②兵士が強く、将校が弱いなら、(軍隊のコントロールがきかなくなるので)「弛緩」に
なります。(弛緩とは、弦のたるんでしまった弓のように、十分は力を発揮できないことで
す)
③将校が強く、兵士が弱いなら、(いくら将校が戦いたくても兵士が戦えないので)「陥
落」になります。(陥落とは、落ちこんでしまって、にっちもさっちもいかなくかることで
す)
④上級将校が怒って命令に従わないで敵に遭遇すると勝手に戦おうとし、将軍がその上
級将校の実力を知らないなら、(前線が混乱して戦線を維持できなくなるので)「崩壊」に
なります。(崩壊とは、山が崩れ落ちるようなことです)。
⑤大将が弱くて威厳がなく、教練の仕方がデタラメで、将校や兵士の配置がひんぱんに
変わり、兵隊を整列させてもまとまりがないなら、(軍隊としての秩序が失われてしまうの
で)「混乱」になります。(混乱とは、みずから軍隊を乱して、敵を勝たせることです)。
⑥将軍が敵の実力をきちんと測ることができず、小さな兵力で大きな兵力の敵と合戦し、
弱い兵力で強い兵力の敵を攻撃し、先鋒に精鋭がいないなら、(無鉄砲に戦うことになるの
で)「敗北」になります。(敗北とは、正面から敵とまともに戦えず、ただ敵に背を向けて
逃げるしかないことです。そもそも戦いでは、必ず精鋭を選んで、こちらの士気を高めた
り、敵の戦意をくじいたりしなければいけません)。
以上の六つは、負けるパターンです。これは、将軍がもっとも重要な任務として、くわ
しくわかっていなければならないことです。
そもそも地形は、(うまく使えばこちらを有利にできるので)軍隊の助けとなるものです。
敵の実力をきちんと測って勝利を確実にし、土地の難度や遠近を計って軍隊を動かすのが、
上等の将軍のやり方です。これを知って戦いに入る人は、必ず勝利します。これを知らな
いで戦いに入る人は、必ず敗北します。
ですから、①戦いの道理からして必ず勝てるのであれば、君主が「戦うな」と言ったと
しても、(現場にいる将軍の判断で)戦ってかまいません。②戦いの道理からして勝てない
のであれば、君主が「戦え」と言ったとしても、(現場にいる将軍の判断で)戦わなくてか
まいません。
ですから、(上級の将軍は)進軍すべきときに進軍して、名をあげることを考えません(た
とえ自分勝手をしたということで汚名をきることになろうとも、進軍すべきなら進軍しま
す)。退却すべきときに退却して、罰せられることを恐れません(たとえ命令違反をしたと
いうことで処罰されることになろうとも、退却すべきなら退却します)。とにかく「国民の
生命を守ること」「君主の利益をはかること」だけをめざす将軍は、まさしく「国の宝」と
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でも言うべき将軍です。
すぐれた将軍のリーダーシップのスタイルとしては、①兵士たちをいたいけな赤ちゃん
のようにみるので、兵士たちと苦楽を共にすることができます。②兵士たちを愛する我が
子のようにみるので、兵士たちと生死を共にすることができます。(そんな将軍のもとにい
る兵士たちは、感じ入って、たいてい「この将軍のためなら、がんばって働こう」と思う
ものです)。
しかし、大切にしても命令をきかず、大事にしても軍務につかず、軍隊を乱してどうし
ようもないなら、そのような兵士は「わがままな子供」と同じで、ものの役には立ちませ
ん。(愛情ばかりをそそぐのもよくありませんし、厳罰だけを用いるのもよくありません。
愛情ばかりだと兵士はわがままになりますし、厳罰だけだと兵士はなつきません。ですか
ら、すぐれた将軍は愛情と厳罰の両方を用います)。
ただし、こちらの兵士が攻撃に役立つことをわかっていても、敵がこちらの勝ちやすい
状態にないことをわかっていないなら、勝算は半分です。しかし、敵がこちらの勝ちやす
い状態にあることをわかっていても、こちらの兵士が攻撃に役立たないことをわかってい
ないのなら、勝算は半分です。しかも、敵がこちらの勝ちやすい状態にあることをわかっ
ていて、こちらの兵士が攻撃に役立つことをわかっていても、地形がこちらに有利でない
ことをわかっていないなら、勝算は半分です。
ですから、軍事をよくわかっている将軍は、(敵を知り、こちらを知り、地形を知ってい
るので)①行動するときには、迷うことがありません。②挙兵するときには、ゆきづまる
ことがありません。
ですから、①敵の実力を知り、こちらの実力を知って戦えば、まちがいなく勝利をおさ
められます。②天の時を知り、地の利を知って戦えば、パーフェクトに勝利をおさめられ
ます。
(劉寅の補足:ここでは最初に地形のことを述べておきながら、途中で勝ち負けの決まり
方について語っているのは、後世の人が地形によって勝ち負けが決まると思いこんで、人
としてできる努力をしないようになることを恐れたからでしょう。ですから、地形につい
ては「軍隊の助け」と言い、敵情をはかって勝利を手にすることを「上等の将軍のやり方」
と言ったのです。孫子の深い配慮がみてとれます)。
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第十一篇 九地――軍隊の行動を左右する地理的状況
【劉寅の解説】
九地とは、軍隊のよって立つ土地の種類には、九つの類型があることを言います。第十
篇では、地形効果(自然の地形のありようと、それがもたらす効果)について述べられま
した。この第十一篇では、「軍隊のおかれた状況の違いに応じて、その勢いが違ってくるが、
その種類は九つあり、それらを総称して九地と言う」ということについて述べられます。
ですから、ここでは「九つある地勢それぞれに応じて戦い方が違ってくること」と「そこ
ではどのように行動するのが有利であるかを判断すること」について述べられています。
これが、「地形(自然な地の利)」と「地勢(人工的な地の利)」が別々に述べられている理
由です。
【本編】
孫子が言いました。
戦争の原則として、地勢の類型には、①散地があり、②軽地があり、③争地があり、④
交地があり、⑤衢地があり、⑥重地があり、⑦ 地があり、⑧囲地があり、⑨死地があり
ます。
①諸侯がみずから領土内で戦う場合、その戦場は「散地」となります。(散地では、兵士
たちは家に戻りたいと思っていて、家が近い分だけ逃げ散ってしまいやすくなります)。
②よその土地に入ってすぐのところは「軽地」となります。(軽地とは、まだ母国に近い
ので、兵士たちはまだ望郷の念を捨てきれず、進みにくくて退きやすいことを指して、そ
のように呼ばれます)
③こちらが得ても有利となり、敵が得ても有利となるところは「争地」となります。(争
地とは、お互いに争奪しあうところです)。
④こちらも行きやすいし、敵も来やすいところは「交地」となります。(交地とは、いく
つもの道があり、あちこちに通じていて、それらの道が互いに交わっているところです)。
⑤諸侯の領土が三方に接していて、先に到着すると各地の援軍を得られるところは「衢
地」となります。(衢地とは、たとえば十字路のように、四方に通じているところです)。
⑥よその土地に深く入りこみ、多くの城や街を通過したところは「重地」となります。(重
地では、兵士たちの心から望郷の念がすっかりなくなり、兵を引いて国に戻るのが難しく
なっています)。
⑦山林や難所、湖沼や河川があって、一般的に通行しにくいところは「 地」となりま
す。( 地では、環境がわるくて無用な損失が増えるので、そこにとどまれません)。
⑧入っていくには狭いところを通らなければならず、退いていくには遠回りをしなけれ
ばならなくて、敵が少ない兵力でこちらの大軍を撃破できるところは、「囲地」となります。
(囲地とは、前方は狭く、後方は険しくて、まるで包囲されているかのように、進んだり、
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退いたりしにくい土地です)。
⑨すばやく戦えば生き残れるが、すばやく戦わなければ全滅することになるところは「死
地」となります。(死地とは、絶体絶命のピンチにおちいっていることです。兵力を集中し
て一点突破をねらってこそ、生き残るチャンスを手にすることができます)。
そういうわけで、地勢の違いに応じて、以下のように対処します。
①「散地」では、戦ってはいけません。(もし敵軍が侵入してきて各地を攻撃してまわる
なら、こちらは人を集め、食料をためこみ、城壁に囲まれた都市の防衛態勢を強化し、攻
めにくく守りやすいところに拠り、敵を軽率に戦わせ、敵の補給路を断ち、敵が決戦もで
きず、補給も受けられず、略奪もできないようにし、敵軍が弱ったところで出撃します。
そうすると勝利できます)。
②「軽地」では、止まってはいけません。(ともかく侵攻を続けて止まれないようにし、
すぐれた騎兵を選んで偵察部隊を編成し、周辺に敵の伏兵がいないかどうかを探らせます。
もし敵があらわれたら奇襲をかけて迎撃し、あらわれなければ先を急ぎます)。
③「争地」では、攻めてはいけません。(途中で城攻めなどをして時間をむだに浪費する
ことにならないようにし、こちらが出遅れているように見せかけて敵を油断させ、そのス
キに先回りして要害の地を占拠するようにします)。
④「交地」では、道をふさがれてはいけません。(ひそかに奇襲部隊を各所に配置したう
えで、こちらは戦えないようなふりをし、そうして敵を誘いこんで、その半数がまんまと
やってきたところを襲って撃ち破るようにします)。
⑤「衢地」では、外交に力を入れます。(まずその周辺の国々に使者を送り、多くの金品
を贈って協力を要請し、それから軍隊を検閲し、兵士を訓練し、敵を阻みやすくしていれ
ば、こちらは諸国からの助けを得られますが、敵は諸国からの支援を失い、四方からの脅
威にさらされ、こちらはきっと勝てます)。
⑥「重地」では、物資を取り立てます。(進むのも有利ではなく、退くのも有利ではない
場合、食料を掠め取り、陣地を強化し、軍隊の守りを固め、敵にこちらが持久戦にもちこ
むつもりだと思わせ、敵の長短をくわしく調べたうえで、その弱いところを奇襲して勝利
します)。
⑦「 地」では、移動します。(守りにくいうえに、陣をしくのにも適してないので、す
みやかに離れたほうが賢明です。もしそこでばったり敵軍とでくわしたなら、けわしいと
ころに拠って本隊を守り、精兵を選んで左の展開したり、右に展開したりし、敵のスキを
つき、敵の手薄なところを襲います。そうすれば敵に勝てます)。
⑧「囲地」では、謀略をめぐらします。(武力を用いるなら勝ちにくくても、謀略を用い
るなら勝ちやすくなります。そこで、わざと退路を隠し、逃げ場がないように見せかけ、
こちらが数は少なく力は弱いようにいつわり、敵がこちらに対して油断するようにします。
そのスキにこちらは、心を一つにし、力を合わせ、勇気を奮い起こして、前方は兵を分け、
険しいところに陣どります。そして、機を見て、太鼓をたたき、がなりたてながら出撃し
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ます。そうすれば勝てます)。
⑨「死地」では、戦います。(堀を深くし、防塁を高くして陣地の守りを固め、軽率に動
かないようにします。そして、全軍に対して、このままでは死ぬほかないという事実を示
し、兵士たちにごちそうを食べさせます。それから、かまどを壊し、調理器具を廃棄して、
戦って敵を撃ち破るしか生きのびるすべがないことを兵士たちに実感させ、気力を合わせ、
力を集中し、そうして死にものぐるいで戦います。これが、いわゆる「道を失って、生を
求める」ということです。ですから、窮地にたたされていながら策略をめぐらさないもの
はゆきづまり、戦わないものは滅びるしかないのです)。
さて、むかしの戦争のうまかった人は、①敵の先行部隊と後続部隊とが互いに連携しあ
えないようにさせ、②敵の本隊と支隊が互いに協力しあえないようにさせ、③敵の高官と
庶民が互いに救援しあえないようにさせ、④敵の上官と部下とが互いに結束しあえないよ
うにさせて、⑤兵士がばらばらになって、集まれないようにさせ、⑥兵隊が集まっても、
整然となれないようにさせました。
そのうえで、とりあえず有利か不利かをみて、こちらに有利であれば攻撃をしかけます
し、こちらに不利であれば攻撃を差し控えます。
ここで質問します。敵が大軍で、しかも整然としていて、こちらの目前まで迫ってきて
いる場合、こちらはどんな方法で対処すればいいのでしょうか。
回答します。その場合には、敵に先んじて敵の大事なものを奪えば、敵をこちらの思い
のままに操ることができます。(大事なものとは、そこにいれば有利になる土地、実り豊か
な田畑、補給路などです)。
戦争の実情としては、すみやかであることがメインとなります。すばやく動いて、敵が
想定していない点につけいり、敵が思いもよらない道を通っていき、敵が警戒していない
ところを攻めます。
こちらが攻めこむ場合、以下のような方法をとります。
①敵地に深く入りこんだときには、結束します。攻めこまれたほうは、勝ちません。(こ
ちらが敵国の奥深くに攻めこめば、そこはこちらにとっては「重地」となって、もはや逃
げ場がないので、こちらの兵士たちは結束しますが、敵にとっては「散地」となって、敵
の兵士たちはチャンスがあれば逃げ帰りたいと思うので、敵には不利となります)。
②敵国にある実り豊かな田畑の作物を刈り取って、全軍の食料を増やし、全軍の兵士を
養って、疲れさせないように、やる気をまんまんにさせ、体力を充実させます。そのうえ
で軍隊を動かし、敵にとって予想外の作戦を発動します。
③兵士を逃げ場のないところに行かせることで、兵士は必死になって逃げなくなります。
さらに、死ぬほかないような状況においこむことで、兵士に死力を尽くさせることができ
ます。
以上のようなわけで、その軍隊は、①きちんとさせるまでもなく、おのずと気がひきし
まるようになります。②求めるまでもなく、みずから戦いに専念するようになります。③
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まとめるまでもなく、おのずと仲良くするようになります。④命令するまでもなく、おの
ずと決まりを守るようになります。(つまり、軍隊が窮地に立たされれば、上下が団結する
ということです)。
さらに、あやしげな「まじない」や「うらない」などの迷信的なことを禁止し、それら
のせいで兵士たちが惑わされないようにすれば、兵士たちは死ぬことになろうとも、よけ
いなことを考えることなく戦いに集中するようになります。(なお、兵士たちの戦意が低い
ときには、あやしげな「まじない」や「うらない」をうまく使えば、兵士たちをだまして、
やる気を起こさせることも可能です)。
わが兵士が物資を投げ出すのは、価値あるものを嫌っているからではありません(大事
な物資を放棄し、何もしなければ死ぬしかない状況に自軍を追いこむことで、兵士を必死
にさせられるので、そうするのです)。命を投げ出すのは、長生きを嫌っているからではあ
りません(命がけで戦わなければ、生きのびられない状態にあるから、そうするのです)。
決戦の日、攻撃の命令が出たときには、座っている兵士はえりを涙でぬらし、臥してい
る兵士は顔を涙でぐしょぐしょにし、兵士たちは互いに顔をみつめて、うなずきあうわけ
ですが、これは互いに死を覚悟しているので、みんな悲壮感にとらわれ、そのようになっ
ているのです。しかし、兵士を死地に置いて、どうしようもなくするので、だれもが専諸
や曹 のように勇敢になるのです。(専諸は、呉国の公子光のため、みずからの命とひきか
えに、呉王の僚を刺し殺し、公子光が呉国の王位につく手助けをしました。曹 は、曹沫
とも書くのですが、魯国の将軍です。魯国と斉国が戦ったとき、魯国は負け、領土を奪わ
れることになりました。その講和条約の場で、曹 は、卑賎の身から取りたててくれた魯
国の領主の荘公に報いようとして、斉国の領主の桓公にいきなり短刀をつきつけ、脅迫し
て領土の割譲の要求を取り下げさせました)。
ですから、戦争のうまい人は、まるで率然のように、すばやいのです。率然とは、常山
にいる蛇のことです。頭(前軍)をたたけば、すかさず尻尾(後軍)が襲ってきます。尻
尾(後軍)をたたけば、すかさず頭(前軍)が襲ってきます。腹(中軍)をたたけば、す
かさず頭と尻尾が一緒になって襲ってきます。(このようにあるところをたたけば、別のど
こかがすぐに反撃してきます)。
では、質問です。どうすれが兵士を率然のようにすばやくさせられるのでしょうか。
回答します。そもそも呉国人と越国人は、仇どうしで、互いに憎みあっています。しか
し、同じ船に乗っていて、嵐にみまわれたなら、助かるため、まるで左右の手のように、
互いに助け合うものです。(ましてや互いに仲のよい者どうしなら、なおさらのことです。
このように、どうしようもないピンチにおちいれば、一致団結してピンチを脱しようとし
てがんばり、あたかも率然のようにすばやく動けるようになるものです)。
そういうわけで、馬をつなぎ、車輪をうめて陣地の守りを固めたとしても、それはあて
になりません。全員が整然とまとまり、勇気にあふれ、一致団結するのは、組織をうまく
運営できているからです。強い者も、弱い者も、ともに役立つようになるのは、その置か
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れた状況がそうさせるのです。ですから、戦争のうまい人が全員を協力しあうようにさせ、
一心同体にさせられるのは、兵士をそうせざるをえない状況に置くからです。
それで将軍のなすことは、次のとおりです。(次の手順で兵士を必死にならざるを得ない
状況においこんでいきます)
①物静かにすることによって、考えていることを他人に知られないようにします。公正に
することによって、全軍を整然とさせます。兵士たちの耳目をあざむいて、兵士たちにな
にも知られないようにします。(敵をだますには、まず味方から)
②こちらの行動を改めたり、こちらの作戦を変えたりして、こちらの目的を他人に知られ
ないようにします。陣地の場所を移したり、道を迂回して通ったりして、こちらの計画を
他人にさとられないようにします。(偽装工作によって、敵の目をあざむく)
③作戦の期限を決めたなら、高いところに上らせてハシゴをはずすように、兵士たちが退
却したくても退却できないようにします。他国の領地に深く入りこんだなら、そこで作戦
を発動します。あたかも羊の群れを追うかのように、兵士たちがただ指揮するとおりに動
くようにし、そう行動する理由について兵士に気にさせないようにします。全軍の兵士を
絶体絶命のピンチに立たせて、勝てるようにします。(兵士を「窮鼠、猫をかむ」の状態に
もっていく)
以上が、将軍のなすことです。
なお、以下の三つの点については、明らかに知っておく必要があります。
①地勢の特性。(地勢には九つの類型があり、それぞれの特質に応じて、戦い方を臨機応変
に変えなければいけません。決して一定の戦い方に固執してはいけません)。
②行動の時機。(待機すべきときに待機し、行動すべきときに行動して、どうすれば有利に
なるかを明らかにしなければいけません)。
③人間の心理。(どうしようもなくなれば、やけになって恐いもの知らずになります。動き
がとれなくなれば、しっかりと守るようになります。敵国の奥深くに侵攻すれば、気がひ
きしまります。おいつめられれば、必死になって戦います。これがつねに変わらぬ道理と
いうものです)。
およそ攻めこんだ側に共通する原則として、よその土地に深く入りこんでいれば、兵士
たちは(逃げようがないので)結束しますが、よその土地にまだ浅くしか入りこんでいな
ければ、兵士たちは(家に逃げ帰りやすいので)分散しやすくなります。
自国を離れ、国境をこえて、そこで軍事活動を行う場合、それは「絶地」です。そのう
ち、①四方が諸国につながっているところは「衢地」です。②敵国に深く入ったところは
「重地」です。③敵国にちょっとしか入ってないところは「軽地」です。④後方が険しく、
前方が狭いところは「囲地」でず。⑤どちらにも進めないところは「死地」です。
そういうわけで、各地では次のようにします。
①散地(国内)では、兵士たちを任務に専念させるようにします。
②軽地(国境地帯)では、兵士たちをつなぎとめるようにします。
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③争地(戦略的に重要な地点)では、(前線の戦力を充実させるためにも)後続部隊を急が
せるようにします。
④交地(交通の要衝)では、(どこからでも攻めてこられるので)守りをしっかり固めるよ
うにします。
⑤衢地(複数の国々と接している地点)では、周辺諸国と同盟を結ぶようにします。
⑥重地(敵国の奥深くにある地点)では、食料の補充に気をつけるようにします。
⑦ 地(劣悪な環境の場所)では、さっさとそこを通過するようにします。
⑧囲地(自由に動けないところ)では、みずから退路をふさいで結束を高めるようにしま
す。
⑨死地(逃げ場のないところ)では、絶体絶命のピンチにあることを兵士たちに理解させ
るようにします。
ですから、兵士たちの実情として、敵に包囲されれば、懸命に守ります。どうにも逃げ
道がなくなれば、必死に戦います。どうしようもなくなれば、命令にすなおに従うように
なります。
そういうわけで、①諸国の腹の内を知らなければ、事前に諸国と外交をとりむすべませ
ん。②地形や地勢について知らなければ、軍を進められません。③現地の地理にくわしい
人間をガイドにしなければ、地の利を得られません。この三つを知っていてこそ、九地そ
れぞれによってもたらされるメリットについてわかります。
九地のもたらす利害について、一つでも知らないことがあれば、それは「覇王の兵」と
は言えません。(「覇王」とは、天下をまとめられる人のことです)。そもそも「覇王の兵」
は、力が強く、勢いが盛んで、①大国を征伐すると、そこの軍隊には兵士たちが集まって
こなく(なり、相手は兵力が足りなく)なります。②敵国を武力でおどすと、そことはだ
れも同盟を結ぼうとしなく(なり、相手は外交がうまくいかなくなり)ます。
そういうわけで、天下の外交をリードしようとせずとも、天下の覇権を握ろうとせずと
も、(覇王は、おのずと天下の外交をリードし、天下の覇権を握るので)自分の思いのまま
にできて、敵を圧迫することができます。ですから、相手の城は簡単に陥落させられます
し、相手の国は簡単に敗北させられます。
(外交で優位にたてなければ、孤立してしまって外国の支援を得られなくなります。権力
を強めなければ、人が離れていって国は弱まります。怒りにまかせて敵国に激しく攻めこ
むなら、結局は負けて滅びることになります)。
よいことをした者には、常識にとらわれないで、重たい恩賞を与えます。悪いことをし
た者には、原則にこだわらないで、厳しい刑罰を用います。賞罰を厳正にすれば、多い人
数でも少ない人数のようにスムーズに動かせます。(厳正な賞罰で人を動かすには)戦争が
始まったことを示し、そのために人々を動員するようにし、その裏に隠された陰謀につい
ては知らせてはいけません(人が陰謀を知れば、疑うようになります)。また、厳正な賞罰
で人を動かすには、とるべき利益があることを示し、そのために人々を動員するようにし、
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それにともなう損害については知らせてはいけません(人が害悪を知れば、避けるように
なります)。
うまく動かして、兵士たちを滅びるほかないような状態においこんでこそ、(兵士たちは
よく戦うようになるので)生き残ることができます。また、兵士たちを死ぬほかないよう
な状態においこんでこそ、(兵士たちは必死になるので)生きのびることができます。そも
そも兵士というものは、そのような窮地においこまれてこそ、こちらに勝利をもたらし、
敵を敗北させることができるのです。
ですから、戦争するときには、まず敵の考えを探ったうえで、敵の思いどおりにさせて
やります(たとえば、敵が進みたいなら進みやすくしてやり、敵が退きたいなら退かせて
やり、敵が強力な軍隊でこちらを圧倒しようとしているなら、こちらはしばらく怯えて見
せて敵を驕り高ぶらせます)。それから(わざわざ敵の考えどおりにいくようにしてやるこ
とで敵を油断させることによって、敵につけいるスキが生じたなら)敵に対して兵力を集
中して攻撃します。そのときには、たとえ敵が千里も遠く離れたところにいても、撃破し
て敵将を殺すことができます。これを「うまくやることによって成功できる」と言います。
こういうわけで(以上のように相手の情報をもっていれば、戦いを有利にすすめられる
わけですから)、こちらとしては、開戦が決まった日には、国境を封鎖し、敵国人に対する
入国許可を取り消し、敵国の使者の往来を禁止し、政府の奥深いところで秘密に作戦を練
ります。こうして、こちらの情報が外に漏れないようにします。
それから、①敵が出撃したり、退却したりして、その行動に一貫性がなく指揮が混乱し
ていれば、すみやかに攻め入ります。②敵の大事なもの(食料や要害の地など)を先に奪
って、敵を不利な状況へとおいこみます。③敵の動きに応じて臨機応変に行動し、そうし
て勝利を手にします。
そういうわけで、最初は少女のようにおとなしくして、敵にこちらが弱いように見せか
け、敵がスキを見せるのを待ちます。そして敵がスキを見せたなら、ダッシュしているウ
サギのようにすばやく動き、敵が迎撃準備をととのえる時間を与えないようにします。
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第十二篇 火攻――大量破壊をもたらす作戦
【劉寅の解説】
火攻とは、火を用いて敵を攻めることです。これほどひどく人を傷つけ、物をこわすも
のはありません。戦争はやむをえない場合にのみ行うべきもので、火攻はさらにやむをえ
ない場合にのみ行うべきものです。ですから、孫子は「賢明な君主はこれに対して慎重と
なり、優秀な将軍はこれに気をつける」と述べているのです。
【本編】
孫子が言いました。
火攻めには五種類あります。
①第一は「火人=野営中の敵に火をつける」です。(たとえば、敵兵を火で襲って敗走さ
せます)。
②第二は「火積=敵の食料に火をつける」です。(たとえば、敵陣の物資を火で焼いて敵
兵を飢えさせます)。
③第三は「火輜=敵の輸送車に火をつける」です。(たとえば、敵の補給車を火で焼いて
補給をとどこおらせます)。
④第四は「火庫=敵の倉庫に火をつける」です。(たとえば、敵の倉庫を火で焼いて敵の
財政や物資を欠乏させます)。
⑤第五は「火隊=戦闘中の敵に火をつける」です。(たとえば、敵軍に火をかけて敵を混
乱させます)。
火を使うときには必ず条件があります。(参考:空気が乾燥していること、風の流れが順
調であること、敵陣の兵舎が燃えやすい素材で作られていること、敵陣に物資が山と積み
上げられていること、敵陣が草原の間近にあること、このようなときには燃えやすいと言
えます)。
火をつけるときには必ず準備がいります。(参考:よもぎ、あし、たきぎ、まぐさ、油、
火砲、火矢、火鎌、火石などがいります)。
火を燃え上がらせるには、時のよしあしがあります。火を燃え広がらせるには、日のよ
しあしがあります。
よい時は、気候が乾燥している時です。(乾燥していれば、火が燃えやすいものです)。
よい日は、月が箕・壁・翼・軫の位置にあるときです。この位置に月がある日は、風が吹
きます。(風が吹いていれば、火が燃え広がりやすいものです)。
およそ火攻めは、必ず先に述べた五つの方法を用い、それに対して敵がどう出るかに応
じて兵を動かします。
①工作員の活動などによって敵の内部で火の手が上がったときには、すばやく外から攻め
かかります。(内外から協力して敵を攻めれば、敵は驚き乱れます)。
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②火が燃え上がっているのに、敵兵が冷静で混乱していないなら、(敵はなんらかの対策が
できている証拠ですから)しばらく待機して様子をうかがい、攻めてはいけません。
③待機したまま、火を燃えるにまかせ、もし敵が騒ぎ乱れだしたなら、攻撃をしかけます。
しかし、もし敵がずっと冷静で騒がないようなら、攻撃をあきらめます。
④敵が外から容易に火をつけられる状態にあるなら、工作員を潜入させるなどして敵の内
部に火をつけるまでもなく、適当な時期を見計らって火をつけます。
⑤火が風上でついたときには、風下から攻撃してはいけません。(風下から攻撃すれば、こ
ちらがかえって火にやられてしまいます)。
⑥いい風が昼に吹き、昼に火攻めをするときには、火をつけてから攻撃をしかけます。し
かし、いい風が夜に吹き、夜に火攻めをするときには、火をつけたあと待機します。(夜は、
敵が伏兵をしかけ、不意をついて反撃してくる恐れがあるからです)。
およそ軍事行動においては、必ず火攻めの五種類のパターンを知り、以上に述べた火攻
めのポイントをきちんと守るようにします。
ですから、(敵に大きな損害を与える攻撃方法として火攻めと水攻めがあるわけですが)
火を用いて攻撃の助けとする場合、その威力は明らかです。水を用いて攻撃の助けとする
場合、その勢いは強力です。しかし、水は、絶つことはできても、奪うことはできません。
(参考:水は、敵の糧道を絶ち、敵の救援を絶ち、敵の退路を絶ち、敵の突撃を絶つこと
はできますが、敵の陣地や物資を奪うことはできません)。
そもそも火攻めや水攻めを使って敵軍に戦勝し、敵地を攻略したのであっても、(激しい
白兵戦はなかったにしろ)兵士たちもまた命がけで働いています。それなのに兵士たちの
功績を公正に評価しないなら、たとえ賞したとしても、よい結果をもたらしません。まさ
しく「むだ使い」であり、成功は望めません。ですから、賢明な君主は、戦略をよく考え
てムダをはぶき、優秀な将軍は、きちんと論功行賞を行うのです。
有利なのでなければ、軽々しく行動を起こしてはいけません。勝てるのでなければ、軽々
しく軍隊を用いてはいけません。危急存亡のときに直面したのでなければ、軽々しく戦争
してはいけません。(ましてや火攻めや水攻めを軽々しく用いてはならないことは言うま
でもありません)。
君主は敵に対して怒っているからといって、軽々しく開戦してはいけません。(怒りで開
戦するのは国民のためではありません)。将軍は敵に対して怨みがあるからといって、軽々
しく戦ってはいけません。(怨みで戦うのは国家のためではありません)。こちらにメリッ
トがあるなら軍隊を動かし、こちらにメリットがないなら軍隊を動かしません。
そのときは怒っていても、そのうち怒りも消えて、喜ばしい気分になるものです。その
ときは怨んでいても、そのうち怨みも消えて、楽しい気分になるものです。しかし、いっ
たん滅んだ国は二度と立ち直りませんし、いったん死んだ人は二度と生き返りません。
ですから、賢明な君主は、開戦に対して慎重になり、優秀な将軍は、軽々しく戦わない
ように気をつけるのです。これが国を安泰にし、軍を保全する方法です。
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第十三篇 用間――スパイの活用
【劉寅の解説】
篇名にある間とは、スキのことです。敵のスキをついて人を潜入させ、そうして敵情を
を探らせます。
【本編】
孫子が言いました。
開戦して十万人規模の大軍を動員し、千里もの遠くまで出征していく場合、国民の出費
や貴族の負担は一日につき千金という莫大なものとなり、内外を騒然とさせ、輸送に疲れ、
仕事に専念できない家が合計で七十万世帯になります。(むかしは、八つの家族が一つの共
同体をつくっていて、そのなかの一人が徴兵されると残りの七つの家族は安心できなくな
ります)。
敵と対峙することが数年におよんで、そうしてたった一度の決戦のチャンスを待つこと
になります。しかし、(スパイ活動を通して敵情を知ることによって、先手を打って敵より
も有利な立場に立つことができるようになり、そうなれば戦争を早く終わらせられるにも
かかわらず)わずかなスパイ活動のための費用をけちって、敵情を知らないままにするな
ら、それはひどいとしか言いようがありません。そのような人は、全軍をあずかる将軍と
しての資格もありませんし、君主の補佐役としての資格もありませんし、勝利をもたらす
者としての資格もありません。
ですから、賢明な君主や優秀な将軍が、行動を起こせば必ず勝つことができ、人なみす
ぐれた成功をおさめることができるのは、前もって敵情を知っているからなのです。前も
って敵情を知ろうとするにあたり、神様のお告げに頼ったり、似たものから類推したり、
占ったりするのはいけません。必ずスパイを使ってこそ、前もって敵情を知ることができ
ます。
そこで、スパイの種類には、①郷間があり、②内間があり、③反間があり、④死間があ
り、⑤生間があります。この五種類のスパイをうまく使いこなし、それをだれにも知られ
ないというのが、運用の秘訣であり、君主の重視すべきことです。
①郷間とは、敵国の一般住民を優遇して、てなずけることによって、こちらのスパイと
することです。
②内間とは、敵国の重要人物を賄賂によって味方につけることで、こちらのスパイにす
ることです。
③反間とは、敵からスパイとしてやってきた人間を、それと気づかないふりをして厚遇
し、うまくまるめこむことです。
④死間とは、ウソの情報をちまたに流し、それと同時にこちらのスパイにもそのウソの
情報を本当と信じこませて、敵のスパイをたぶらかすことです。
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⑤生間とは、使者として敵国に入り、敵の情報をいろいろと探り出し、その情報を持ち
帰り、こちらに伝えることです。
ですから、全軍のなかで、スパイよりも親密なポストはなく、スパイよりも高給なポス
トはなく、スパイよりも機密なポストはないのです。そして、すぐれた知恵がなければ、
うまくスパイを使えませんし、人徳がなければ、よくスパイを動かせませんし、洞察力が
なければ、スパイのもたらした情報の真偽を判断できません。スパイを使うということは、
なんとも微妙なことであり、そんなスパイ活動はあらゆることに使用されます。(スパイの
使い方については、たとえば下記のとおりです)。
スパイが情報をもたらし、それにもとづいて計画をたてたけれど、まだ公表していない
ときに、その計画について知っている者がいれば、その者とスパイを処刑します。それは
口をふさぎ、外にもれないようにするためです。
撃破したい軍隊、攻略したい城、殺したい人などがある場合は、必ずまずそれに関係の
ある将軍、側近、秘書、守衛、警備の役人などの姓名を調べ、それらの人物についてスパ
イに調査させます。
こちらに潜入している敵のスパイを必ず見つけだし、そのスパイを利益で誘導し、うま
く兵舎につれこんで長らく語らっていれば、だんだんと敵の実情がみえてきます。(もしく
は、みつけたスパイを買収して、こちらの味方に引き入れます)。これによって反間が得ら
れ、敵のスパイをこちらのスパイとして使えるようになります。この反間を通して敵国の
ことがわかるので、一般住民や重要人物のなかでスパイになりそうな人間を買収すること
によって郷間や内間とすることも簡単にできるようになりますし、また、死間を使ってウ
ソの情報を敵に信じこませることも簡単にできるようになりますし、さらに、生間を使っ
て敵の情報を持ち帰ることも簡単にできるようになります。君主は、五種類のスパイにつ
いて知らなければならないわけですが、以上に述べたように反間がすべてのスパイ活動の
基本になるわけですから、反間を特に大事にしなければいけません。
むかし殷王朝がたてられるときには、伊尹がスパイとしての役割を果たしましたし、周
王朝がたてられるときには、太公望がスパイとしての役割を果たしました。ですから、賢
明な君主や優秀な将軍で、すぐれた人物をスパイとして使える者は、必ず大成功をおさめ
られます。スパイ活動が軍隊のかなめとなり、スパイ活動によって得られた情報にもとづ
いて全軍が動きます。