陰符経考異 | 覚書き

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解説
『陰符経考異』は、『陰符経』を朱熹(朱子学の開祖)が解説した本ですが、
実際には弟子の蔡元定が書いたものだろうとも言われています。蔡元定は、朱
熹よりも年長で、風水にすぐれていました。そこで朱熹は、蔡元定から風水を
学んだそうです。
『陰符経』は、隋代のあたりまでは兵法の本として分類されていたと言われて
いますが、今に伝わるものは、実際に見てもらえば一目瞭然ですが、兵法の本
らしくありません。
唐代の兵法学者でもあった李筌が洞窟で発見したと言われていますが、実際
のところは不明です。
このように謎のある本ですが、道教の本としてはすぐれているそうです。今
回は、朱熹の注釈もふくめ、まるごと翻訳しました。
上篇
○天の道理を観察し、天の運行を見習えば、完全です。
※朱子の注
道理は、天地に分かれます。天地は、万物をかたちづくります。万物のなか
で、人間がいちばん霊妙で、もともと天地と一体です。しかし、天地のどのよ
うな材料でつくられるかで、より純粋になったり、より粗雑になったりなど、
できの良さに違いが生じてきます。そこで、必ず天の道理を観察し、天の運行
を見習うようにすれば、(たとえ、できの悪い人でも)つねに道理からはずれ
ることはありません。本文で天を言って、地を言っていないのは、地は天に含
まれるからです。
○天には、五賊があります。これをわかっていれば、成功します。五賊は心に
あり、世界もかたちづくっています。ですから、宇宙は手の内にあり、あらゆ
る変化はわが身から生じていると言えます。
※朱子の注
五賊は、五行のことです。(五行とは、あらゆる存在を作り上げ、あらゆる
変化を生み出している基本的な要素です)。この世の善も、悪も、すべて五行
から生じています。それで、悪の観点から五行を言えば、五賊となります。五
賊は、天地の所有物ですが、天地を形成しているのも、また五賊です。五賊は、
人間にあっては、その心に宿っています。その法則について認識できれば、宇
宙をかたちづくるのに参与できますし、みずからがあらゆる変化の原因となる
こともできます。ですから、「これをわかっていれば、成功する」のです。
○天性は人にあり、人心はカラクリです。天の道理に従うことで、人を安定さ
せます。
※朱子の注
天地の本性(天性)がどうなっているのかについては、天性がひっそりとし
ていて存在しないようであるものなので、目で見てわかることはできません。
そんな天地の本性は、もともと人の心に備わっています。ですから、「天性は
人にある」と言うのです。人の心は、どうしてかはわかりませんが、感じたり、
考えたりなど、いろんな働きをします。そのしくみが、カラクリです。天が活
動し、地が安定するのも、そのカラクリによります。このカラクリは、完全な
ものです。その働きいかんによって、人を舜帝のような善人にしたり、紂王の
ような悪人にしたりします。そこで、このカラクリを天の道理に従わせて安定
させれば、分別して邪念をなくし、道理をわきまえられます。
○天が「殺すカラクリ」を発動すれば、害獣がはびこります。人が「殺すカラ
クリ」を発動すれば、世界が混乱します。天と人が一致すれば、すべてがスム
ーズにいくようになります。
※朱子の注
殺すカラクリとは、本来あるべき状態からはずれたカラクリを言います。天
地の構成がひとたび本来あるべき状態からはずれたなら、害獣がはびこります。
人の心がひとたび本来あるべき状態からはずれたなら、世界が混乱します。天
と人が一致するのは、道理にあっているときであり、そのときには天の意思と
人の心情が同じになります。それはつまり、「天の序列には基準があり、天の
秩序には規範があるが、その基準・規範が人のおこなうべきことだ」というの
と同じです。西洋の学問では、これを世間の俗事だとして、軽んじています。
それでも、この道理がゆるがせられないのは、これがあらゆる変化の土台であ
り、普遍的なものだからです。
○天性はうまく表現できることもあれば、表現できないこともあり、しまいこ
むことべきものです。目や耳など人体にある九つの穴がよくないことに使われ
るかどうかは、とくに目、耳、口の使い方にポイントがあり、その動かし方に
かかっています。
※朱子の注
すぐれた人物は、生まれながらにして天地と一体になれます。しかし、ふつ
うの人がそうできないのは、うまさに違いがあるからです。どうしてしまいこ
むのかを知れば、下手な人もうまくなります。しまいこめないで、ひけらかす
人は、人体にある九つの穴を悪く使います。穴は九つあるとはいえ、そのうち
重要なのは目、耳、口の三つです。どのように動かすべきかをわかれば、三つ
だけでなく、九つの穴すべてを悪くなくできます。目は見ますし、耳は聞きま
すし、口は言います。これらの機能は、そのままでは、好き勝手に動きます。
ただ動かしているときも、とめどなく動かしているわけではなく、動かさない
ときも、ずっと動かさないままでいるわけでないようにしてこそ、その動かし
方についてわきまえていると言えます。
○木に火が生じた場合、悪くすれば木は火に負けます。悪が国に生じた場合、
ときには国を滅ぼしてしまいます。うまくなって善処する方法をわかっている
のが、すぐれた人物です。
※朱子の注
木に火が生じたら、木が燃えてしまうことがあります。国に悪が生じたら、
国が滅んでしまうことがあります。五賊のカラクリなどは、とくに対処をうま
くしないといけないものです。うまくなって善処する方法をわかるのは、すぐ
れた人物くらいなものです。うまくなって善処する方法とは、「動かし方」
「しまいこみ」のことです。
中篇
○天は生かし、天は殺しますが、それは道理としてそうなっているのです。
※朱子の注
生殺は、道理にもとづいて万物が形成されると必ず付いてくるもので、おの
ずとそうなっていて、なくせません。
○天地は、万物から盗みます。万物は、人から盗みます。人は、万物から盗み
ます。天地、万物、人の三者の盗みが理にかなっていれば、三才(天、地、
人)は安らぎます。
※朱子の注
天地は、万物を生かしますが、万物を殺しもします。万物は、人を生かしま
すが、人を殺しもします。人は、万物を生かしますが、万物を殺しもします。
(たとえば、人は物を食べて生きますが)一方(人)を生かすとき、他方
(物)は殺されることになります。ですから、他方から見れば、奪うことにな
るので、「盗む」と言っているのです。ちょうど、五行を五賊と言っているの
と同じです。しかしながら、生殺が理にかなっていれば、三者(天地、万物、
人)による盗みも妥当なものになります。三者による盗みが妥当であれば、天
地は安定し、万物は育まれます。
○ですから、「その時に食べれば、すべての骨が治まる。そのカラクリを動か
せば、あらゆる変化が安定する」と言われるのです。
※朱子の注
天地万物は人をつかさどっており、人が時に適したものを食べることができ
れば、すべての骨が治まります。天地のカラクリを動かせば、あらゆる変化が
安定するというのが、正しい盗み方です。時とは、季節や昼夜です。カラクリ
とは、生殺や養育です。
○人は、神妙なものが神妙であるとわかりますが、神妙でないものも実は神妙
であるとはわかりません。
※朱子の注
神妙とは、オカルトチックではかりしれないということです。神妙でないと
は、天地、日月、山川、動物、植物などです。人は、はかりしれないものが神
妙であるとわかります。しかし、天地、日月、山川、動物、植物など目で見た
り、耳で聞いたりできるものも実は神妙であるとは、わかりません。
○日月のサイクルは、大小が定まっています。すぐれた功績はそこから生じ、
すぐれた知恵はそこから出ます。
※朱子の注
日月について、人はそれが神妙であるとわかりません。日のサイクルは大き
くて、360日です。月のサイクルは小さくて、360辰(720時間)です。
天地の変化は、単純にも360という数字にあらわされます。すぐれた功績が
生じるのは、それをわかるだけです。すぐれた知恵が出るのは、それをわかる
だけです。
○そもそもカラクリを盗むのは、だれにも見えませんし、だれにもわかりませ
ん。りっぱな人は、それを善用して身を保ち、だめな人は、それを悪用して命
を軽んじます。
※朱子の注
カラクリを盗むとは、五賊が天地をかたちづくり、動かしていることをさし
ます。先述された「日月のサイクル」であり、これを見て、これをわかれば、
三つの盗みが妥当になって、三才(天、地、人)は安らぎます。そして、その
道理によって黄帝、堯帝、舜帝といった名君は、名誉を得て、長寿を得ました。
その道理によって蘇秦、張儀、申不害、韓信といった策略家は、身を殺し、一
族を全滅させました。「人民は、これに従わせることはできるが、これをわか
らせることはできない」というのは、まったくこのことを言っているのでしょ
う。
下篇
○目の見えない人は、よく聞こえます。耳の聞こえない人は、よく見えます。
利益に惑わされず、一つのことに集中すれば、用兵において十倍の力を発揮で
きます。昼となく、夜となく、三つが返れば、用兵において万倍の力を発揮で
きます。
※朱子の注
目が見えないで聞く、耳が聞こえないで見るとは、心が一つのことに集中す
ることをさし、一で十の力を発揮できます。三つが返るとは、耳、目、口のこ
とを言っています。返るとは、本来あるべき状態に戻ることです。昼と夜は、
陰陽の移り変わりです。耳、目、口が本来あるべき状態に戻れば、陰陽の移り
変わりを超越し、昼も夜も同じになり、生も死も同じになって、一で万の力を
発揮できます。『易経』にある「生まれながらにして軍事の才能があり、戦わ
ないで勝つ」のことです。
○心は物に生じ、物に死にます。カラクリは心にあります。
※朱子の注
心は物事に応じて理解します。これが「物に生じる」です。心は物欲に走っ
て喪失されます。これが「物に死ぬ」です。人が物に接するとき、目や耳など
の体にある九つの穴を使いますが、重要なのは目、耳、口の三つです。その三
つのなかでも、目がとくに重要です。老子は、「欲しくなるものを見ないで、
心を乱れさせない」と言っています。孔子は、自分の欲望にうち勝つためには、
まずよけいなものを見ないようにすべきだとしています。仏教で「六根」「六
識」を論じるとき、眼を言い、色を言っているのも、これと同じ意味です。
○天に恩がないことで、大きな恩が生まれます。すさまじい雷、ものすごい風
も、大したことがありません。
※朱子の注
恩を与えようとしないで、おのずと与えるのが、天道です。恩を与えようと
しないことで、はじめて恩を与えられます。しようとしないことで、はじめて
することができます。これが用兵で万倍の力を発揮するということです。必ず
耳、目、口の三つが本来あるべき状態に戻って、はじめて可能となります。
○最高の楽しさは、その性質としてゆったりしています。最高の静かさ、その
性質としてさっぱりしています。天は公正であろうとはしていないのですが、
そのはたらきは公正になります。これをとっておさえこむのは、気にかかわっ
ています。
※朱子の注
最高の楽しさは無事であることなので、その性格として余裕があり、天下の
憂慮すべきことをいちばんに憂慮できます。最高の静かさは清潔にあるので、
その性格として清廉であり、天下の心配すべきことをみんなで心配できます。
これが三つが返る方法であり、無為の最高のものです。いくら他人のためにな
ることでも、自分のためにならないことはしないというのが、ちょうど天が公
正であろうとしないということですが、その働きはおのずと公正になります。
これが最高の楽しさ、最高の静かさであり、そうだからこそ成果をあげるので
す。物事もまたそうであり、とるべきものをとるのが「とる」ということです。
万物がおさえこみあうのは、おのずとそうしているにすぎません。思いに気が
そうさせるのです。虎や豹は麒麟と似ており、鷹や隼は鳳凰と似ており、とら
えるのが才能であるように見えますが、実際は違います。これが昼も、夜も、
三つが返るので、一で万倍の働きをできる理由です。
○生は死の根であり、死は生の根です。恩は害より生じ、害は恩より生じます。
※朱子の注
生と死、恩と害は、道理としてそうなってないことはありません。これは霜
や雪の残りが、最高の恩になる理由であり、雨や露の恵みが、最高の害になる
理由です。これを極論すれば、有無や動静のカラクリは、両者が互いに入れ替
わらないことはないので、互いに反対になるのです。
○愚者は天文や地理をみて、すぐれているとします。わたしは時文や物理をみ
て、知恵にします。(時文=現代の文明)
※朱子の注
人は天文や地理をみて、すぐれていると思います。それがどうしてすぐれて
いるのか、わかっていません。わたしは時文や物理をみて、天地がすぐれてい
るわけを知ります。天文には時があり、地理には物があります。知恵にすると
は、知ることです。天地の常識から言えば、その道理はそのようになっていま
す。変化するものから言っても、それはそのようになっています。これが天の
道理を観察し、天の運行を見習い、昼と夜を同じにするに至って、宇宙と一体
になり、動静を違わないということです。
○人は愚者の観点から、すぐれた人物のことを考えますが、わたしは愚者でな
い観点から、すぐれた人物のことを考えます。人は奇抜な観点から、すぐれた
人物のことを考えますが、わたしは奇抜でない観点から、すぐれた人物のこと
を考えます。愚者は、水に溺れ、火に入って、自滅します。
○自然の道が安定しているので、天地万物が生じます。天地の道が浸透してい
るので、陰陽が干渉しあいます。陰陽が互いに刺激しあうことで、変化がスム
ーズにおこなわれます。
○そういうわけで、すぐれた人物は、自然の道にはたがうべきでないと知って
おり、それによってすべてを制御します。最高に安定させる方法は、法律など
では保障できません。ここに奇器があれば、いろんな変化を生じます。それは
八卦、遁甲、神機鬼蔵といった占いになります。陰陽五行の技術は、まちがい
なく象徴的にあらわれます。
※朱子の注
高氏『緯略』に、こうあります。
蔡端明は「柳著『陰符経』は、きわめて精妙であり、行間を読まないといけ
ません。わたしは、この書物をみて、柳氏の書き方は、これまでにない書き方
だとわかりました。しかも、その序文は鄭汗の書いたものであり、これまでに
ないものです。そこに雷雨が上にあり、規範はゆきわたり、そのエッセンスを
さらいあげ、流れて聡明となるという言葉は、これまでになく細やかなおので
す。?渓の偶合、金?の秘奥について、張良や諸葛孔明は思索をこらし、陰符経
の真髄を明らかにしました」と言っています