兵法百言ー術編ー2 | 覚書き

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(81)対―物事を相対的にとらえて考える
○解字
 「あること」と「その反対のこと」をペアにして考えること、これを「対」と
言います。
○原文
 ここで大事なことは、必ず二つあり、それらがつねに互いに正反対のものとし
てあらわれるということです。正攻法があるときには奇策があります。取るべき
があれば捨てるべきもあります。
 過去の知能と現在の知能、自分の計略と相手の計略、都合の良い時と都合の悪
い時、有利な戦場と不利な戦場、このように物事を相対的にとらえることから、
機略が生み出され、柔軟な対応ができるようになります。
 そこには限りない便利さがあり、思いもよらない奇抜さがあります。
○意味の解説
 ここで取り上げたことは、兵家の最高の奥義です。知恵と人格がとてもすぐれ
た人でなければ、どうして完全に使いこなせるでしょうか。
「計画が周到に準備できており、まったく手落ちがない」と自信をもって言うこ
とは、むかしの名臣や大将でも、おそらくしないでしょう。ただ両方を考えて、
両方に備えるだけです。
 戦うことを計画したときには、戦わないことも計画します。攻めることを計画
したときは、攻めないことも計画します。退くことを計画したときは、退かない
ことも計画します。進むことを計画したときは、進まないことも計画します。
 およそ取捨、虚実、利害、得失などについて、必ず両方をよく心得ているとき
には、敵情で分からないことはほとんどありません。
 天は寒暑を重んじ、易は陰陽を重んじます。天の道に従い、易の道に明らかな
ら、戦って勝たないことはありません。
○引証
 春秋時代、晋国が秦国に食糧の支援を要請してきました。晋国の君主に何度も

春秋時代、晋国が秦国に食糧の支援を要請してきました。晋国の君主に何度も
裏切られてきた秦国の君主は、どうすべきかを子桑に尋ねました。そのとき子桑
は、こう言いました。
「晋国に何度も恵んでやって、晋国が恩に報いてくれれば、それだけで我が国の
利益となります。反対に恩に報いてくれなければ、晋国の国民はその君主にあい
そをつかします。そうなってから晋国の君主を攻撃すれば、だれも味方しないの
で、たやすく勝てます」
 また、晋軍と楚軍が戦争になったとき、晋国の君主は決戦をためらっていまし
た。そのとき、子犯が言いました。
「戦って勝てば、諸侯をこちらになびかせることができます。もし負けても、晋
国は山河に守られているので、害されることは必ずありません」
 以上は、すべて両方に備えるわざです。ですから、『孫子』に「五行はつねに入
 129
れ替わり、季節はつねに移り変わり、日には長い短いがあり、月には満ち欠けが
ある」とあるのです。
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(82)蹙―邪魔する
○解字
 敵の前進をスムーズにいかなくさせること、これを「蹙」と言います。
○原文
 失われています。
○意味の解説
 守りやすくて攻めにくいというのがあります。
 これは、守るほうが山川や道路をおさえ、それを使って相手を封じ込めたり、
行きづまらせたり、道に迷わせたり、遠回りさせたり、渋滞させたりできること
を言います。
 しかも、攻めるほうが戦車を並んで走らせたり、騎馬を駆け回らせたり、大砲
で遠くを攻撃したり、水軍と陸軍をすぐに目的地に着けたりできないようにさせ
ることを言います。
 以上は、敵の侵攻を外地で邪魔する方法です。
 もし敵がすでに上陸し、内地に侵入しているときには、敵を邪魔するにあたり、
くねくねした堀を使ったり、各地に分散して作られた防塁を使ったり、ゲリラ部
隊を使ったり、激しい嵐や夜の闇を利用した戦法を使ったりします。
 以上は、敵の侵攻を内地で邪魔する方法です。
 広い土地では、狭い所を選んで邪魔します。平坦な土地では、険阻な所を選ん
で邪魔します。四方に通じた土地では、その一ヶ所を選んで邪魔します。敵との
距離が遠い土地では、その距離が最も近い所を選んで邪魔します。
 最近の勝利するための方法は、ただ邪魔するのが一番です。兵法の奥義として、
邪魔することこそが奇策となります。なによりまず邪魔することに専念して、さ
らに他の方法をその補助手段として使います。そうすれば、手柄をたて、世の乱
れを治め、人民を救うのは、難しくありません。英雄の出現をあてにするだけで
は、なんの慰めにもなりません。
○引証
 蜀漢国は、その地の利を思う存分に利用して、漢王朝をさらに五十年間にわた
り存続させました。
 鄭成功は、台湾を拠点にして、四十年間にわたり明王朝の復興のための戦いを
続けました。
 地の利と陣地を作る方法は、国を守るのに十分に役立ちます。将軍たる者は、
これをしっかりきわめないといけません。
 131
(83)目―眼目
○解字
 敵の目を見えなくさせること、これを「目」と言います。
○原文
 敵が動くときに必ず頼りにするものがあります。それが眼目です。必ずまず敵
の眼目のありかを見つけて、それを頼れなくさせます。
 敵が謀略の達人を眼目としているなら、その排除に努めます。敵が勇猛な将軍
を眼目としているなら、その除去に努めます。敵が腹心の部下を眼目としている
なら、その部下を疎んじさせます。敵が他人の評判を眼目としているなら、その
評判を悪くさせます。
 その根本のところを骨抜きにしたり、その要害のところをおさえたり、その秘
密の計略をだめにしたり、そのあてにしている仲間を離間させたり、そのよりど
ころを取り去ったり、そのふだん得ている利益を得られなくしたりします。
 人は目で見れば、見分けることができます。すごろくは眼が出れば、生き残れ
ます。敵の生存を難しくし、敵の明知を失わせることが、敵を制する要点ではな
いでしょうか。
○意味の解説
 敵の眼目を取り去るのは、そう簡単にもくろめるものではありません。木が腐
らないと、虫は生じません。糸が切れないと、縄は切れません。
 もし相手が決断力のある君主をもち、知恵のある将軍をもっていたなら、どう
して悪口を広めて評判を傷つけたり、悪口を言って仲をさいたりできるでしょう
か。まちがいなくどうしようもないときには、ただ敵の勇猛な将軍を取り去るこ
とだけを第一に考えます。
 戦争では、知恵は勇士がいてはじめて役立ちます。もし敵軍に突進して敵陣を
陥落させられる兵士がいなければ、いくら知恵ばかりめぐらせても役立ちません。
 もしスパイ活動を行って敵を離間させ、計略を秘密にして敵をワナにはめ、あ
らゆる戦術をつくして敵を壊滅させることができれば、敵の刀は刃こぼれしたの
と同じになり、敵の矢は矢じりがないのと同じになって、いくら武器と名のつく
ものをもっていても、相手に深い傷を負わせることはできません。そんな状態で
知恵をめぐらせても、どうしようもありません。
 ですから、「その国をだめにするには、その軍隊をだめにするのが一番である」
と言われるのです。
○引証
 范増がいなくなって、楚王の覇業は衰えました。
 斛律光がいなくなって、北斉の王室は滅びました。
 人は眼目を失えば、たいていうまくいかなくなります。
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(84)ロウ―あれこれ言い立てて惑わせる
○解字
 敵の耳を惑わすこと、これを「ロウ」と言います。
○原文
 失われています。
○意味の解説
 国に腹黒い人間がいれば滅びますが、敵に腹黒い人間がいれば有利となります。
呉国の伯?や宋国の秦檜のような売国奴がこちらにいれば、こちらの害となります
が、あちらにいれば、こちらの宝となります。そんな悪人を利用して、君主の耳
を惑わし、人々の心をゆさぶり、倫理をダメにし、法制を乱します。
 思いどおりにいかないときは、デマを流します。ようやく思いどおりになって
きたときは、自分に都合の悪い人間を排除します。デマが流されたところでは、
十分に賢人や智者を惑わし、凡人や愚者をふるえあがらせることができます。あ
る国民を驚きのあまりどうしてよいのかわからなくさせて我を失わせ、ついには
まっとうな聖賢の学問、りっぱな豪傑の智謀が、すべてほったらかされて、正道
からはずれてしまうようにさせます。あちらがこのようであるのは、我が国の利
益ではないでしょうか。
 そこで、こちらがあちらを惑わせるときは、あちらが自分で惑うように仕向け
ます。あちらが自分で惑うように仕向けるには、あちらにみずから国を惑わす人
物を信任させることが特に重要です。
 ここで言う「あれこれ言い立てる」とは、惑わすという意味です。これを逆に
言えば、君主や宰相たる者は、つとめて政治をよくして自分を強化し、正道を守
ってデタラメを排除するようにすべきだということです。
○引証
 春秋時代、斉国は、美女の楽団をきれいな馬車にのせて送りこむことで、魯国
の君主を惑わしました。
 春秋時代、越国は、宰相の伯?を通じて美女を贈ることで、呉王を惑わしました。
 後漢国の桓帝と霊帝は宦官に惑わされて災難を招き、殷王朝の紂王は清廉な臣
下を惑わせて国を失いました。
 惑わすことの害は、まったく明白です。しかしながら、「岡目八目」と言うよう
に敵国が惑わされているのは簡単に分かるものですが、「灯台下暗し」と言うよう
に自国が惑わされるのを防ぐのは難しいものです。
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(85)持―じっともちこたえる
○解字
 しっかり守って戦わないこと、これを「持」と言います。
○原文
 自然の法則として、相手の出方をうかがってから動いたほうが勝ちます。戦争
の原則として、乱すのは簡単ですが、乱さないのは難しいものです。速いと、ば
らばらになりやすいものですし、堅いと、折れやすいものです。
 そこで、敵が大軍をたのんで攻めてきて、当然の結果として補給が困難になる
ので持久できないときには、じっとして守ります。
 敵が不利な形勢にあって、急いで決戦しようとしているときには、じっとして
守ります。
 あちらが戦うと有利で、こちらが戦うと不利なときには、じっとして守ります。
 あちらが危険で、こちらが安全なときには、じっとして守ります。
 あちらが空腹で、こちらが満腹なときには、じっとして守ります。
 そのときの情勢として、じっとしておいたほうがよくて、先に動いたほうが負
けるときには、じっとして守ります。
 二つの敵が互いに戦っていて、必ず両方が傷つくときには、じっとして守りま
す。
 大軍をもっていて自由に動かすことができ、必ず思いどおりに物事を進行でき
るときには、じっとして守ります。
 敵が巧妙な計略をもっていても、内部の事情から思うままに実行できなくされ
ているときには、じっとして守ります。
 敵が悪天候に悩まされそうだったり、地形の不利なところに入ろうとしていた
り、士気がだらけようとしていたりするときには、じっとして守ります。
 じっと守っていて、敵が弱まったなら、すぐさま行動を起こしてチャンスをも
のにします。そのときには、少ない労力で大きく成功できます。
 急ぐべきときには、さっとチャンスをつかみます。ゆっくりしたほうがよいと
きには、じっとして守ります。先延ばしにしてこちらの守りを固め、じっと守っ
て敵が苦しくなるのを待ち、相手より遅くすることで相手より先に立ちます。こ
れについて、兵書は必ず秘密にします。
○意味の解説
 相手がせっぱつまるのをじっとして待ち、相手の災難を利用するというように、
兵家はひどい心をもっています。しかしながら、それはやむをえず、そうなって
いるのです。
 危機を救い、傾いているのを立て直し、国民の生活を守り、国を防衛するには、
このように心を鬼にしなければ、敵につけこまれてしまいます。
 この「術篇」で取り上げている「借」「蹙」「目」「ロウ」「持」などは、一見す
ると、まるで陰険で、心が狼のようにねじけ、思いやりに欠けたものであるかの
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ように見えます。
 しかし、ただ何がなんでも勝機をつかもうとばかりするのも、幸福を保ち、平
和をもたらす役には立ちません。ですから、「法篇」では「全」の項目を通して、
よい心がけを忘れないように導き、「術篇」では「回」の項目を通して、チャンス
をつかもうとばかりすることに釘をさしているのです。
 掲先生は、わざわいを心に深く心配しています。
○引証
 人望を集め、危険を防ぎ、劉備はついに漢中を手に入れました。
 大河をはさんでしっかり守り、呉王の孫権は国の安全を保ちとおしました。
 じっとして守ることは、大きな成果をあげられます。ですから、「戦場では、が
まんできたほうが勝つ」と言われるのです。
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(86)混―ごちゃまぜにして見分けがつかないようにする
○解字
 敵が識別しにくいこと、これを「混」と言います。
○原文
 まったくないように偽装すれば、敵はどこを攻めたらよいのか分からなくなり
ます。
 たくさんあるように偽装すれば、敵はどこを避けたらよいのか分からなくなり
ます。
 奇策と正攻法を偽装すれば、敵はどう変化するのか分からなくなります。
 軍隊を偽装し、将軍を偽装すれば、敵はどう見分けたらよいのか分からなくな
ります。
 しかも、偽って敵将を装うことで、敵軍をたぶらかします。
 偽って敵軍を装うことで、敵将をたぶらかします。
 偽って敵軍と敵将を装うことで、敵陣をたぶらかします。
 軍旗を敵と同じにし、軍服を敵と一緒にし、身なりを敵に見せかけ、容姿を敵
に似せたうえで、機に乗じて敵にまぎれこみ、敵の中で行動を起こし、敵に内部
から攻撃をしかけます。
 こちらは自然と見分けがついても、敵は見分けられないのが、うまい偽装のや
り方です。
○意味の解説
 大将が兵士と苦楽を共にするのは、そうするのが当然であるからだけでなく、
そもそも混ざるのがうまいからです。
 将軍に兵士のふりをさせれば、リーダーがまったくいないように偽装できます。
兵士に将軍のふりをさせれば、リーダーがたくさんいるように偽装できます。
 兵士と将軍が交互に出れば、奇策と正攻法が偽装できます。
 兵士と将軍の見分けがつかなくすれば、見た目が偽装できます。
 しかも、敵の軍服を手に入れ、敵の兵器をためこみ、敵の信号を習得し、敵の
言葉を真似して、偽装作戦を実行します。ぜひともそうすべきです。
 西洋人は、陣地は飛び出たところがないようにし、土手は新しいところが分か
らないようにし、軍隊は旗を多くせず、将軍は目立つ軍服を着ませんが、このよ
うな偽装の仕方もあります。
 火のように目立ったり、雑草のように目立たなかったりするのは、訓練してこ
そ、うまくできます。戦場で場当たり的にできるものではありません。
○引証
 部隊が左右に分かれれば、敵はどちらが主力であるか見分けられません。
 布陣がどこからの攻撃にも即応できるかたちであれば、敵はどこが先頭なのか
分かりません。
 しかも、奇襲部隊を用いたり、にせの陣地を用いたり、投降した将軍を用いた
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り、もぬけのからの城を用いたりなど、いるように見せかけたり、いないように
見せかけたりして、敵の目をあざむくのは、すべて偽装をうまく用いたものです。
 曹操は、知略が抜群でした。その用兵はと言うと、まるで孫子や呉子のようで
した。しかし、これも孫子や呉子の偽装作戦に似て見えるにすぎません。
『孫子』「兵勢篇」に「ごちゃごちゃと戦闘が乱れても、軍隊が乱れないのは、き
ちんと組織だっているからである。ぐちゃぐちゃに陣形がくずれても、敵に敗れ
ないのは、きちんと連携できているからである」とあります。この言葉は、偽装
の基本を言い尽くしています。
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裏切られてきた秦国の君主は、どうすべきかを子桑に尋ねました。そのとき子桑
は、こう言いました。
「晋国に何度も恵んでやって、晋国が恩に報いてくれれば、それだけで我が国の
利益となります。反対に恩に報いてくれなければ、晋国の国民はその君主にあい
そをつかします。そうなってから晋国の君主を攻撃すれば、だれも味方しないの
で、たやすく勝てます」
 また、晋軍と楚軍が戦争になったとき、晋国の君主は決戦をためらっていまし
た。そのとき、子犯が言いました。
「戦って勝てば、諸侯をこちらになびかせることができます。もし負けても、晋
国は山河に守られているので、害されることは必ずありません」
 以上は、すべて両方に備えるわざです。ですから、『孫子』に「五行はつねに入
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れ替わり、季節はつねに移り変わり、日には長い短いがあり、月には満ち欠けが
ある」とあるのです。

(87)回―手控える
○解字
 投機ばかりしないこと、これを「回」と言います。
○原文
 およそ投機は、智者にしかけるときは、一回したら様子を見ます。愚者にしか
けるときは、二回したら様子を見ます。いくらだまされても分からない人にしか
けるときは、三回したら様子を見ます。
 一回で様子を見て投機をひかえると、奇策が見抜かれません。二回で様子を見
て投機をひかえると、相手に予測されます。三回で様子を見て投機をひかえると、
敵に裏をかかれます。
 一回できたら様子を見て二回目に手をつけ、二回できたら様子を見て三回目に
手をつけるというように、形勢に従って手を変えます。
 三回できそうでも様子を見て二回目で手をひき、二回できそうでも様子を見て
一回目で手をひくというように、形勢に従って手控えます。
○意味の解説
 いわゆる投機とは、『陰符経』で言う敵を殺して勝利をつかむチャンスをものに
することです。
 敵の知恵には深浅があります。すなわち、敵に与えられる被害には軽重があり、
敵から奪える勝機にも大小があるということです。
 そこで、智者にしかけるときには、智者は勇猛で果敢なので、一回したら様子
を見ます。愚者にしかけるときには、愚者はけっこう軽率なので、二回したら様
子を見ます。ひどい愚者にしかけるときには、ひどい愚者はとても軽率なので、
三回したら様子を見ます。
 その一回にすべきか、二回にすべきか、三回にすべきかは、しかける相手が勇
猛なのか、軽率なのかを見て決めます。勇猛なら、二回してはいけません。軽率
なら、三回してもかまいません。
 しかしながら、三回目もうまくいくと、いくらでも敵を殺して勝利をつかむチ
ャンスをものにできるようになります。そこでさらに投機を続ければ、とめども
なく殺すようになって、人の道から大きくはずれてしまいます。これでは、どう
やって自身を反省して徳を修め、そうして聖人や賢人の仲間入りを果たすことが
できるでしょうか。
 ですから、極言すれば、手を変えていくのが名将であり、手控えるのが賢者で
す。それがゆきつくのは、五帝、三王、伊尹、呂尚、周公、孔子、孟子、荀子の
教えです。また、それがおしひろめるのは、主君に忠義をつくし、自分の国を愛
し、万民を兄弟と思い、万物を仲間と思う心です。
○引証
 伏羲の兵法は『易経』にあります。
 黄帝の兵法は「井田法」にあります。
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 堯帝と舜帝の兵法は『書経』の「二典」にあります。
 湯王と武王の兵法は『書経』の「誥誓」にあります。
 太公望の兵法は「丹書」にあります。
 周公旦の兵法は「周礼」にあります。
 孔子、孟子、荀子の兵法は『大学』『中庸』にあります。
 ひたすら心で考えて、人はこれを自得すべきです。
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(88)半―半分だけにする
○解字
 計略が終わるまで待たないこと、これを「半」と言います。
○原文
 失われています。
○意味の解説
 物事はやっている途中でやめてはいけませんが、成果は計画を半分しかやって
いなくても得られます。
 もし計画したことを最初から最後まですべてやってしまおうとすれば、大将は
計画にわずらわされてしまい、そうなると過労でまいってしまいます。
 たとえば、敵軍を弱めることを計画したとします。そのときスパイを使って敵
に内紛を起こさせたり、賄賂を使って敵に不和を生じさせたりすれば、相手が計
画の半分をやってくれるのと同じになり、こちらは計画の半分しかしなくてすみ
ます。
 たとえば、敵国を倒すことを計画したとします。そのとき策略を使って敵の重
要な将軍をおとしいれたり、策略を使って敵の有力な大臣と通じたりすれば、こ
れまた相手が計画の半分をやってくれるのと同じになり、こちらは計画の半分し
かしなくてすみます。
 戦場にあっては、威嚇して敵が自分から動転するように仕向け、持久して敵が
自分から混乱するように仕向け、飢えさせて敵が自分から潰滅するように仕向け、
苦しませて敵が自分から逃走するように仕向けます。
 また、こちらが食べたいときには、敵の補給を利用し、こちらが行きたいとき
には、敵の通路を利用します。
 さらに、敵の役所をおさえて、こちらのために使い、敵の人民をおさえて、こ
ちらのために用います。
 以上はすべて半分だけ働いて、残りの半分は楽をする方法です。
 そもそも、だますのがうまい人だけが、敵に計画の半分をになわせて敵を害す
ることができます。そもそも、知恵のまわる人だけが、敵から計画の半分をにな
わされるのを防ぐことができます。
○引証
 春秋時代、秦国は、蜀国を占領したいと考えましたが、蜀国に侵攻するのに便
利な道路がありませんでした。そこで大きな牛の石像を作り、そのうしろに金塊
を置いて、蜀国の領主に「この牛は金のうんこをする」と言ってだまし、その石
像を蜀国の領主に贈りました。蜀国の領主は、その牛を運搬するために、五丁に
命じて山を開き、谷を埋めて道路を作らせました。秦軍は、その道路を通って侵
攻し、蜀国を占領しました。
 戦国時代、韓国は、秦国が土木工事を好いているのを知り、秦国に大規模な土
木工事をさせて、他国を攻める金銭的な余裕をなくさせようと考えました。そこ
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で、水利工事の専門家である鄭国を秦国に派遣して、秦王に用水路の建設を勧め
させました。秦国は、鄭国の提案をうけ、多額の資金をつぎこんで大規模な用水
路を建設しました。おかげで秦国はしばらく遠征できませんでしたが、用水路の
おかげで田畑を開墾でき、税収がアップしました。
 およそ物事は、敵国にさせます。場合によっては、敵国にそそのかされて、自
分がまちがってしてしまうこともあります。しかし、そんなときでも、すべては
利害をはかり考えて、利が多くて害が少ないなら、とりやめてはいけませんし、
害が多くて利が少ないなら、してはいけません。
 141
(89)一―予備
○解字
 余分に計画して、いつでも実行できるようにしておくこと、これを「一」と言
います。
○原文
 一つのことを行うのに、一つの原則だけを用意したり、一つの考えをかこつけ
るのに、一つの機知だけを用意したりするだけでは、とても精妙であるとは言え
ません。
 ですから、知恵を使うときには、一つの智恵だけでなく、必ず別の智恵を準備
します。原則を使うときには、一つの原則だけでなく、必ず別の原則を用意しま
す。臨機応変にやるときには、一つの方法だけでなく、必ず別の方法を次から次
にくりだします。極端なことをするときには、一つの方面だけでなく、必ず別の
方面も参考にします。仕事を担当するときには、一つの仕事だけでなく、必ず別
の仕事も担当できるようにします。行動するときには、一つの部隊だけでなく、
必ず別に駐留部隊を作ります。計画するときには、一つの計画だけでなく、必ず
別に逆の計画を立てます。
 思うに、一つが行動するとなれば、もう一つは待機することになります。一つ
が正攻法を使うとなれば、もう一つは奇策を使うことになります。
 しかも、二つのうち、一つを使って、残り一つが予備となるだけではありませ
ん。三つのうち、二つを使って、残り一つが予備となることもあれば、五つのう
ち、四つを使って、残り一つが予備となることもあります。このようであれば、
とても精妙であると言えます。
○意味の解説
 いわゆる一つ余分に準備するとは、次の手があるということです。
 次の手をくりだすにあたっては、前の計画と連続にしたり、前の計画と反対に
したり、前の計画と助けあったり、前の計画と救いあったり、前の計画の不足を
補ったり、前の計画の過剰を抑えたり、予備を使って変事を防止したり、予備を
使って危機を解決したりします。
 以上はすべて「二つのうち、一つを使って、残り一つが予備となる」というも
のです。
 もし、これだけでなく、他にもたくさん用意しておけば、使う数が四になろう
が、五になろうが、つねに余分があるということになります。このときには、臨
機応変のやり方が、ますます精妙になります。
「半」のところで述べたように、労力を半減させて、兵力を温存します。また、
ここで述べたように、予備を用意しておいて、将軍が思う存分に能力を発揮でき
るようにします。へりくだりなれている人こそが、そうなれます。
○引証
 蜀漢国の宰相である諸葛孔明は、余分に準備する戦術にとてもこなれていまし
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た。
 諸葛孔明は孟獲を攻撃しましたが、それは魏国への攻撃を考えていたときであ
り、そのとき孟獲は蜀漢国の背後をおびやかしたりしていました。
 また、諸葛孔明は呉国と同盟しましたが、それは魏国への攻撃を考えていたと
きであり、そのとき呉国は蜀漢国のスキに乗じたりしていました。
 時代がくだると、たとえば李?侯は、回?と講和するにあたり、まず屯田と騎馬
の飼育を行いました。
 李徳裕は、河朔を制圧するにあたり、まず反乱軍を討伐して功績をあげました。
 行動が成功するかどうかは自分次第ですが、計略が成功するかどうかは相手次
第です。これは、予備は一つで終わりではなく、予備は一つで全部ではないとい
うことです。
 あの一つ計画し、一つ実行するだけで、別のことを考慮しない人は、まちがい
なくゆきづまります。
 143
(90)影―見せかける
○解字
 うまく見せかけの布陣をすること、これを「影」と言います。
○原文
 むかしの戦争のうまかった人は、心で「Aしたい」と思っていても、わざとA
しないで見せたうえで、Aを実行しました。これが敵軍を破り、敵将を捕らえ、
敵の城を陥落させ、敵の町を占領する最善の方法です。
 また、心で「Aしたくない」と思っているとき、わざとAしないで見せると、
相手はかえって「本当はAしたいのではないか」と疑います。これも敵軍を破り、
敵将を捕らえ、敵の城を陥落させ、敵の町を占領する巧妙な方法です。
 わざとするのは、見せかけです。わざとしないで、心でもしたくないと思って
いるのは、見せかけているように見せかけることです。二つの鏡を向かい合わせ
たとき、鏡の中の鏡には本当の姿がうつっています。
○意味の解釈
 人は筋が通っていますが、兵法は筋が通っていません。というのも、ずる賢い
敵将は、いくら誠意をつくしたところで、良いほうに感化できないからです。で
すから、攻める方法には真偽があり、守る方法には虚実があり、戦う方法には奇
策と正攻法があるのです。
 取りたいときには、わざと与え、与えたいときには、わざと取ります。捕らえ
たいときには、わざと好きにさせ、好きにさせたいときは、わざと捕らえます。
 あるいは、それとは反対のやり方で、取りたいときに取り、与えたいときに与
え、捕らえたいときに捕らえ、好きにさせたいときに好きにさせたりします。
 これはすべて見せかけているように見せかけるものです。
 ですから、見せかけているように見せかける、見せかけのようで実は実際にあ
る、実際にあるようで実は見せかけである、実際にあるように見せて実際にある、
というように「見せかけ」と「実際のところ」は互いに助けあっており、つねに
きわまりがありません。
○引証
 三国時代、諸葛孔明は、西川を取ろうとするにあたり、まず孫権の進撃を阻止
しました。
 唐代、李世民は、突厥を平定するにあたり、まず腰を低くして講和を求めまし
た。
 春秋時代、晋国の君主である文公は、戦いたいと思って、わざと退却しました。
 秦軍は、退却したいと思って、わざと挑戦しました。
 以上はすべて進むことで退き、退くことで進む戦術です。兵家は、人に本当の
ところを知られないように心がけるものです。

 144


(91)空―からぶり
○解字
 敵が手を出せないようにすること、これを「空」と言います。
○原文
 敵が画策しても、こちらがそれをムダにさせることができれば、敵の智恵も役
立ちません。
 陣地をもぬけのからにすることで、敵の襲撃をムダにします。土地をもぬけの
からにすることで、敵の侵攻をムダします。行動を起こしたふりをすることで、
敵の兵力をムダに使わせます。誘い出すことで、敵の物資をムダに使わせます。
虚偽を使ってムダにさせたり、本物を使ってムダにさせたりします。
 しかし、虚偽は本物にできず、まやかしは成功をもたらしませんし、本物は虚
偽にできず、対処するときにはあまり奇策をろうしません。
 そこで、だれもいないところを進み、攻撃されないうちに去ります。
 このように人目につかなければ、敵はもともと賢くても、その知恵を発揮でき
ません。敵は計画しようがなくて、そのうまくたくらむ心を役立てられません。
からぶりさせることが戦況にもたらす変化は、まったく神妙なものです。
○意味の解説
 ここ「術篇」に述べられていることは、多くが兵家の最上の方法です。あさは
かな人ができることではありません。
 しかし、ここで言うムダにさせるとは、十分な知恵で敵将をあざむくものでは
ありませんし、十分な才能で敵将を苦しめるものではありませんし、十分な勇気
で敵将をしのぐものではありません。それは敵が勝てなくすることをめざすもの
です。
 もし袁紹を曹操にでくわせたら、うまくいかないことを私たちは知っています。
しかしながら、天下の勝者となるための知恵を得るのにも、おのずから方法があ
ります。
 聖人と賢人の学問を学んで土台をしっかりさせ、史書を学んで知識を広げ、『孫
子』と『呉子』の兵法を学んで才能を伸ばし、戦例を学んで実戦に詳しくなり、
あらゆる学問を学んで考えを深めるのです。そうすれば、その精神と見識が、お
のずと人とは異なってきます。
 敵将が謀略をめぐらせたとき、それから逃れられる者は少ないものです。知恵
はもともとだれもが生まれながらにもっているもので、十分に学べば、自然をコ
ントロールする力を手に入れて、自然に制約されないことも可能となります。い
たずらに外人の陣法と戦法を学ぶだけなら、うまくいくことはありません。
 昔は素質のある将軍を求めるときに、「身を引きしめる礼儀と心をやわらげる音
楽に詳しく、人情の機微を述べた詩経と歴史の得失を述べた書経に通じている」
ことを条件にしました。曽国藩は素質のある将軍について論じて、「大事な客に会
うときのように、大事な祭祀に参加するときのように、慎重である」という条件
 145
をあげました。
 どちらも「心が静かに集中していて、はじめて敵情の真偽を見抜き、それによ
って敵を制することができる」という方法を言っています。これは、いわゆる「自
分がしっかり保たれて、はじめて物事の道理をきわめることができる」というの
と同じです。
 学ぶ人は、気を引きしめて、役に立たない話に耳を傾けてはいけません。
○引証
 戦国時代、六国が連合することで、秦国の遠交近攻の作戦はムダになりました。
 秦末漢初、張良が桟道を焼くことで、范増の劉邦を弱めて項羽を強める作戦は
ムダになりました。
 城をからっぽにしてワナをしかけたり、砦をからっぽにして伏兵で襲ったり、
戦いでわざと敗走して敵を深入りさせたりすることなどは、初歩的な敵をからぶ
りさせる方法です。
 自軍は必ずうまくいくようにし、敵軍は必ずからぶりするようにし、自軍を利
し、敵軍を損なうことのできる軍隊は、「できる軍隊」です。
 146
(92)無―とらわれない
○解字
 心にとらわれがないこと、これを「無」と言います。
○原文
 およそ執着している人は、機転をきかせられません。機転をきかせられなけれ
ば、いざというときにみずから持ちこたえられません。ですから、戦争のうまい
人は、行軍するときは、無謀なようですし、布陣するときは、じっとおさえて動
きませんが、むりやりそうしているわけではありません。豊かな学識で戦略をね
り、部隊をまとめあげる胆力をもち、ちょっとしたことから形勢を見抜き、最初
に計略を考えた結果、そうしているのです。
○意味の解説
 軍隊の管理では、一定の原則がないことより心配なことはありません。実戦に
は、一定の原則があることより心配なことはありません。軍隊の管理に一定の原
則がなければ、考え方が入り乱れます。実戦に一定の原則があれば、考え方が凝
り固まります。
 大将は実際に戦うとき、原則にこだわりません。すなわち、「虚実」の原則に執
着しないで、地形が通じているか、それとも塞がっているかに応じて柔軟に虚実
を決めます。「分合」の原則に執着しないで、敵軍が広がっているか、それとも集
まっているかに応じて柔軟に分合を決めます。「進退」の原則に執着しないで、戦
力が優勢であるか、それとも劣勢であるかに応じて柔軟に進退を決めます。
 たとえば、一定の原則にこだわって、状態を観察し、情勢を推測して、臨機応
変にやることができなかったとします。そのときには、虚実、分合、進退が、ほ
とんど妥当にできなくなります。
 ですから、こだわらないのは、本当にこだわりがないのではありません。思い
入れがあるからこそ、こだわらないようにできるのです。
 また、こだわらないようにするのは、本当にこだわりがないのではありません。
思い入れをもって考えるからこそ、本当にこだわりがないのです。
 そこで、よく兵法を学ぶ人は、思い入れをもって考えるべきです。すると、臨
機応変にやるとき、おのずとまったくとらわれないようにできます。
○引証
 戦国時代、趙括は、むだに兵法の原則を知っていたので、危地を脱することが
できませんでした。
 三国時代、馬謖は、理論ばかりに傾倒したので、街亭で敗北を招きました。
 これは、原則にこだわって、柔軟に考えられなかったからです。
 思い入れるのは、とらわれないことの出発点となり、こだわらないことは、と
らわれの転換点となります。

 147
(93)陰―こっそりする
○解字
 考えが見えなくすること、これを「陰」と言います。
○原文
 目に見える形でしているけれど、他人は何をしているのか分からないのは、「見
せて見えなくする」ということです。
 目に見えない形でして、他人はさらに何をしているか分からないのは、「見せな
いで見えなくする」ということです。
 そこで、陽動によって本当の動きを隠したり、陰謀をめぐらせて目に見える成
果をあげたりします。
 以上はすべて奇襲をかけて勝機をつかみ、伏兵を使って不意に攻めることにほ
かなりません。
○意味の解説
 あらゆる時代の兵法の奥義は、「陰」だけで十分に言い尽くせます。あらゆる時
代の将軍の素質は、「陰」だけで十分に事足ります。兵家の知略は、もれると成果
がなくなりますが、秘めると役に立ちます。ばらせばわざわいを招きますが、隠
せば軍隊を傷つけずにすみます。
 しかしながら、たとえば烏頭、附子といった危険な薬剤や、たとえば大黄、芒
硝といった猛毒の薬物は、それに見合った病気に使えば薬となります。そういう
こともあれば、その一方で、病気が重くないのに、みだりに使って病根を去ろう
とすれば、かえって健康がそこなわれて、生体機能に異常が生じ、自身にとって
何の利益もないということもあります。
 目に見える成果をあげるには陰謀が必要であり、うまく陰謀をめぐらすことで
成功します。陰謀は人に見せられないものであり、人に見られてもよくすること
で正道にかないます。
○引証
 前漢国の将軍である霍光は、密室で張安世と計略を練りました。
 五代の武将である宋斉丘は、離れ家で徐知誥のために計画を立てました。
 奇計は、隠れて行わなければ成功しませんし、秘密にできません。
 目はあらゆることを盗み見られるようになり、心はあらゆる悪事をたくらめる
ようになります。そんなことを述べた『陰符経』は、やむをえずに作られたもの
です。

 148
(94)静―ひっそりする
○解字
 評判が聞こえなくすること、これを「静」と言います。
○原文
 失われています。
○意味の解説
 軍事には、「内側がひっそりする」と「外側がひっそりする」があります。
「外側がひっそりする」とは、法律によって治めることです。禁令を厳しくし、
規定を細かくし、進軍をそろえ、隊列を整え、騒動をさせず、私語をさせず、口
論をさせず、笑話をさせません。命令に違反した者は、法律にもとづいて処罰し
ます。
 きちんと整え、しっかり引きしめ、行動するときは音をたてず、野営するとき
は休む場所を勝手に決めず、布陣するときは持ち場を離れず、戦闘するときはも
みくちゃになりません。以上が「外側がひっそりする」です。
「内側がひっそりする」とは、恩義によって治めることです。父子のように互い
に思いやり、兄弟のように互いに仲良くし、親友のように喜びあい、骨肉のよう
に大切にしあい、弱い者いじめをせず、目上の人に反抗せず、無礼なことをせず、
法を軽んじません。命令を軽視した者は、恩義にもとづいて反省させます。
 かたく結束し、かっちり合わさり、行動するときは互いに気づかいあい、野営
するときは互いに助けあい、布陣するときは互いに学びあい、戦うときは互いに
励ましあいます。以上が「内側がひっそりする」です。
 外側がひっそりすれば精神が集中し、内側がひっそりすれば心が一つになりま
す。外側を内側から補完すれば、兵士はますます奮起します。内側を外側から補
完すれば、将軍はますます尊敬されます。
○引証
 湯王や武王が率いた道徳を重んじる軍勢は、きちんと整い、しっかり治まって
いることを最初に大切にしました。
 斉国の桓公や晋国の文公が率いた節度を重んじる軍隊は、道徳と礼儀をまず保
持しました。
 昔から名臣や大将で、兵隊を内外をともにひっそりさせなかった人はいません。
 あの算を乱して難所を通過し、軍中で夜中に騒ぎを起こし、そして召集されて
きて大声を出し、わいわいがやがやと騒ぎながら塵をまきあげて進むのは、どれ
もがひっそりしていない点で、とてもひどいものです。これでどうして強敵に乗
じられないですみ、自国の心配を取り去ることができるでしょうか。
 近くでひっそりしているのは、要害を頼みとしているのです。遠くでひっそり
しているのは、兵器を頼みとしているのです。もし頼りになるものをもっていれ
ば、ますますひっそりできます。

 149
(95)閑―のんびりする
○解字
 じっくり計画して、すばやく実行すること、これを「閑」と言います。
○意味の解説
 ごたごたしているときに、むだに余分なことをした場合、他人はその意味が分
かりません。ゆったりしているときに、みだりに仕事を増やした場合、無用なこ
とをしているように見えます。
 しかし、あとになって機が熟したとき、このように余計なことをした成果を得
られます。そのときになってはじめて、「余計なことしたのは、そうすることが必
要だったからなのだ」と分かります。
 そういうわけで、軍事行動にはのんびりやることがありますが、それも実際に
はのんびりやっていないのです。
○意味の解説
 先のことまで見通した深い考えは、ふつうの人が理解できるものではありませ
ん。はたから見ると、そういった考えをもっている人は、のん気に余計なことを
しているかのように見えます。しかし、実際のところ、そうしている本人は、心
血をそそぎ、思慮をつくして、やっとの思いで事前の対策を立てているのです。
 その余計なことをしているのについて、人は「片づけをしている」「暇つぶしを
している」と言いますが、私は「一人で働いている」「一人で苦しんでいる」と言
います。
 天下に大いに身心を働かせて苦労している人が、四種類います。りっぱな皇帝、
りっぱな宰相、りっぱな将軍、りっぱな学者です。その人たちは、力をつくして
働いて太平をもたらしたり、体をはって働いて手本を示したりします。
 その人たちがしていることは、どれも遠い先のこと、身近なこと、あらゆる変
化をすべてまとめて考慮しています。たとえ考えもつかなかったことがあっても、
すべてそれが大変になる前に防いで、それが大事になる前につぶすことができま
す。そうした中国の偉人の活躍を目にして、はじめて文芸、歴史、礼儀、音楽、
安全保障、一次産業について、中国はもともと国を豊かにし、強くする普遍的な
方法をみずからもっていたのだと分かります。
 ただ古人は、あせることなく、のんびりと発展させていきました。しかし、後
世は、それを「ただのんびりしているだけだ」と見なすようになりました。結果、
たるんでいる人は、のんびりしているからと軽く見て、それをおこたりました。
また、うぬぼれている人は、のんびりしているからとバカにして、それをダメに
しました。そして、ついには古代の聖人や賢人の大変な苦心、非常な尽力、えり
ぬきのすぐれた方法、ほどよく正しいやり方をわずかな間に消し去ろうとしまし
た。
 しかし、もし天道に背いているのなら、もはやこれまでですが、もし天道に従
っているなら、決して消え去ったりしません。かつての聖人や賢人による善政を
 150
取り戻したければ、国を治めるのが必要です。国を治めたければ、軍隊を強くす
るのが先決です。軍隊を強くしたければ、将軍を選ぶのが先決です。将軍を選び
たければ、一人で苦労に耐えて働ける将軍を選ぶことが必要です。
 足にタコができ、手にマメができるほど苦労しても文句を言わず、毛の色が変
わり、体がやせるほど苦労しても仕事をやめず、一身で非常な苦労を引き受ける
ことで、天下万民が安心して静かに暮らせるという幸福をもたらします。これが
将軍の使命です。
 そういった将軍を選べてこそ、宰相としての仕事がまっとうできます。
 ですから、見た目はのんびりしているようですが、心はと言うと苦心していま
す。智者がちらっと見れば、のんびりしている裏には苦労があると分かります。
大将が仕事を受け持てば、苦労してみんながのんびり暮らせるようにします。
○引証
 三国時代、諸葛孔明は陰平に警備兵を置きましたが、魏軍が襲来するであろう
ことをあらかじめ知っていたのです。
 明代、王陽明は江西省で兵士を訓練しましたが、朱宸濠が反乱しようとしてい
るのをあらかじめ分かっていたのです。
 昔の名臣は、このように将来のことを見抜いていました。「茅から縄をなう」「屋
根にのぼって穀物をまく」とは、のんびりすることを言いますが、すみやかにす
ることでもあると言えます。

 151
(96)忘―自分を投げ出す
○解字
 兵士がみんな自分からすすんで戦うこと、これを「忘」と言います。
○原文
 兵士が身をささげて主君のために働いても、兵士に心までささげさせられない
なら、うまく成功をおさめられる将軍とは言えません。しかしながら、兵士の心
をつかむのにも、おのずからすべがあります。
 将軍が兵士と服装を同じにしてはじめて、兵士は辺境での風と霜を気にしなく
なります。
 将軍が兵士と飲食を同じにしてはじめて、兵士は戦場での飢えと寒さを気にし
なくなります。
 将軍が兵士と一緒に歩いて登ってはじめてはじめて、兵士は山道の険しさを気
にしなくなります。
 将軍が兵士と一緒に寝たり起きたりしてはじめて、兵士は戦争に行く苦労を気
にしなくなります。
 将軍が兵士の心配を親身になってうれい、兵士のケガを親身になっていたんで
はじめて、兵士は戦って負傷することを気にしなくなります。
 兵士が戦闘に慣れていて、将軍が心くばりをしているので、兵士は、戦闘する
ことを満足に思って、死傷することを本望と考え、先を争って敵に立ち向かうこ
とを道理と考えて、敵の攻撃を恐れないで戦うことを常識と思います。
 危険なことをしていると少しも感じません。まるで安全なところにいるかのよ
うに平然と危険なところにいますし、まるで飴に手をつけるかのように平気で毒
に手をつけます。
 身も心もささげることの効果は、このようなものです。
○意味の解説
 大将が軍隊を管理するにあたり、とりわけ大切なことは、兵士と苦楽を共にす
ることです。これまですぐれた智者は、これに反しませんでした。
 人間の自然な気持ちとして、だれもが安全を好んで危険を嫌いますし、楽しさ
を好んで苦しさを嫌うものです。
 今、兵士に飢えと寒さをこらえさせ、苦労や疲労に耐えさせ、危険をおかさせ、
難所を行かせながら、将軍たる者がかえってごちそうをたらふく食べ、ぬくぬく
とした服を身につけ、元気な馬に乗り、快適な場所にいたとします。それを見た
兵士のほとんどは、がんばって将軍のために働こうとしなくなります。
 自分の待遇をよくして、他人の待遇を悪くし、自分は安全なところにいて、他
人を危険なところに行かせるとします。すると、いくら素直な田舎の子供でも、
自分の命令どおりに動かせません。ましてや百万人の大軍を率いながら、兵士を
思いやりもしないで命令に従わせることなどできるでしょうか。
 ですから、大将は、陣地ができていないのに、自分だけテントに入ったりしま
 152
せん。兵士が食べていないのに、自分だけ食事をとったりしません。全軍が戦い
終わっていないのに、自分だけ武器を置いたりしません。全軍が疲れて休めてい
ないのに、自分だけ横になったりしません。およそ全軍が仕事するときは、みず
から先頭に立ちますし、全軍が行動するときは、みずから体を張ります。
 人間は草や木ではありません。このように大将みずからが自分を投げ出してい
るのを見て、兵士は忠義と勇気を激しくふるいたたせて、大将が向かうほうに一
緒になって突撃していきます。これらの効果は、恩愛によるもので、威嚇による
ものではありません。義理によるもので、法律によるものではありません。
 これほどの成果をあげるには智術だけでは無理です。これ以上の成果をあげる
には道徳が大切です。兵法の奥義として、あらゆるごまかしも一つの誠意にはか
ないません。
○引証
 楚国の荘王は、酒を分け合いました。それによって全軍の兵隊が感激して喜び
の声をあげました。
 名将の呉起は、みずから兵士を手当てしました。それによって全軍の兵士は感
動してふるいたちました。
 一つの良い行いでも、このように人の心を動かせます。ましてや良い行いをた
くさんしていれば、さらに人の心を動かせることは言うまでもありません。
 良い行いは、少なければ人をたばかるものとなりますが、多ければ誠意となり
ます。一時的であれば人をたばかるものとなりますが、継続的であれば誠意とな
ります。
 将軍たる者は、良い行いを多く、持続的に行って誠意とすべきです。良い行い
を一時的に少し行って人をたばかって、とりあえず心をつかもうとしてはいけま
せん。

 153
(97)威―威力がある
○解字
 攻めれば必ず勝つこと、これを「威」と言います。
○原文
 敵がまったく気づけないところで動きます。敵がまったく動こうとしないとこ
ろで制します。敵がまったく守れないところで戦います。敵がまったく攻めよう
のないところで守ります。敵がまったく支えることのできないところで敗走させ
ます。敵がまったく二度と集まらないところで離散させます。
 こうして、こちらの威力を見せつけておどし、こちらの威力を広く知れわたら
せます。すると、敵は、戦争が始まる前に恐れてしまい、戦争が始まっても刃向
かってきません。
 いったんその人を恐れさせたら、ずっとその心をおさえられます。
○意味の解説
 兵法には、上等の智者の言ったものがあり、中等の智者が言ったものがあり、
下等の智者の言ったものがあります。ここで述べた「威」は、ただ上等の智者が
使いこなせるわざであり、中等の智者より下の者には使いこなせません。
 しかしながら、将軍たる者のやるべきこととして、つとめてとことんまで考え
をめぐらせて、力の限りをつくさないといけません。
 もしよく考え、力をつくせば、中等や下等の智者でも上等の智者と同じ成果を
あげられます。しかし、よく考えず、力をつくさなければ、上等の智者も中等や
下等の智者と同じになってしまいます。わずかな違いで成果が大きく異なってき
ます。
 どうやって敵がまったく気づかないようにすればよいのでしょうか。それには
遠い先のことまで深く考えて計画します。
 どうやって敵がまったく動こうとしないようにすればよいのでしょうか。それ
には強力な兵士と賢明な将軍をそろえます。
 どうやって敵がまったく守れなくすればよいのでしょうか。それには敵の計画
をだいなしにしてしまいます。
 どうやって敵がまったく攻めようがなくすればよいのでしょうか。それには地
形が険しくて守るのにちょうどよい場所に陣地を築きます。
 こちらが気をゆるめなければ、敵はまったく支えようがありません。こちらが
手をぬかなければ、敵はまったく集まりようがありません。
 意志が強く結びつき、上下が心を一つにし、威名が電撃のようにときどき轟き
わたれば、全国の軍勢は、そのほとんどがこちらのことを聞いただけで恐れ、こ
ちらの姿を見ただけで逃げ出します。
 聖人の功績、覇者のわざは、これを考えれば考えるほど、そこには神様のよう
な威力が秘められています。
○引証
 154
 周国の武王は、殷軍に勝って紂王を殺し、五十以上の国々を滅ぼしました。
 秦国は、六国を併合して天下を統一し、北に長城を築きました。
 しかし、天子として君臨するにあたって、そこには長短があるものです。
 一方は徳と礼を一緒にはかりましたが、他方はもっぱら兵力だけを用いました。
 将軍になろうとする者は、秦国を見本とし、周国を模範とすべきです。

 155

(98)?―主導権を握る
○解字
 こちら次第で動きが変わること、これを「?」と言います。
○原文
 進退や攻守について、主導権をこちらのものとするのが、勝利する方法です。
こちらに主導権があれば、こちらが敵を制します。敵に主導権があれば、敵がこ
ちらを制します。敵を制するとは、こちらが望まないことを、敵がこちらにさせ
ることなどできないようにすることです。これは、すなわち、敵が望まないこと
を、こちらが敵にせざるをえなくさせることでもあります。
○意味の解説
 知恵が敵よりすぐれていれば、敵を威嚇できます。勇気が敵よりすぐれていれ
ば、敵を強迫できます。みずからに知恵と勇気がないのに自由に行動できる人な
どいません。
 しかしながら、分合と集散によって、戦闘の主導権を握れます。陣地の構築と
道路の建設によって、守備の主導権を握れます。不意をつき、弱点を攻めること
によって、攻撃の主導権を握れます。方陣、円陣、長陣、散陣を使うことによっ
て、布陣の主導権を握れます。
 兵書が記しているもの、名将が伝えているものは、すべて「敵をコントロール
して、敵にコントロールされない」ということです。その方法を十分に鍛錬し、
そのうえさらに遠い先のことまで深く考えるようにします。そのことを何度も訓
練し、そのうえさらに精神を集中させて取り組むようにします。そのときには、
実行したり、中止したりするにあたり、そのすべてが妥当なものとなって、主導
権を得られます。このとき、知恵と勇気は最大となります。
 ですから、知恵と勇気の二つは、天から与えられ、学んで完成し、計略を作り
あげ、思慮を深くし、時機を知り、原則に根ざします。時機を知るとは、利害を
見抜くということです。原則に根ざすとは、物事の規準をすべてわきまえている
ということです。
○引証
 唐代以前は、国境警備で外敵を撃退するとき、いつも基地から打って出て敵を
攻撃することで功績をあげました。主導権を握ったのです。
 宋代以降は、国境警備で外敵を撃退するとき、つねに国境を封鎖して守りに徹
することで功績をあげました。
 兵力を振興するには、秦国や漢国を手本にすべきです。国民の生活を守るには、
宋国や明国を手本にすべきです。

 156
(99)自―おのずとそうなる
○解字
 習慣や天性によって作りあげられること、これを「自」と言います。
○原文
 天性の素質には限りがありません。あることに慣れ親しんでいくにつれて、そ
れに必要な能力が伸びていきます。長いことやっていれば、やっていることに応
じて、おのずとそのように上達します。
 ですから、戦争のうまい人は、見るときには必ず戦争を見ますし、語るときに
は必ず兵法を語りますし、作るときは必ず軍隊の規律を作りますし、治めるとき
は必ず部隊の行動を治めます。それで、いざ有事となったとき、ほどよく対処す
るにはどうしたらよいかをあれこれはかり考えるまでもなく、すんなりと理屈に
かなった対処ができるのです。
 季節は、移り変わるべくして、おのずと移り変わります。大地は、安定すべく
して、おのずと安定します。これと同じように、戦争は、勝つべくして、おのず
と勝ちます。
○意味の解説
 心がひたむきであれば、その仕事は洗練されたものになります。心がいちずで
あれば、その考えはずばぬけたものになります。昔から、どんな物事であれ、そ
れに熱心であってこそ、その奥底までよく分かりますし、その変化をよく見通せ
ます。用兵も同じです。
 もし古典をとことんまできわめ、先生のように尊敬できる友人と互いに競い合
って自分をみがき、時事問題の本質を明らかにするために調べてよく考え、布陣
の仕方を何回もくりかえして訓練し、『孫子』、『呉子』、『司馬法』、『陰符経』、『握
奇経』、李靖、岳飛、年羹堯、戚継光などの兵書、そして近年の築城、防塁の構築、
橋梁の建設、道路の工事、軍用の道具、陣形の訓練に関する学問について、いち
いちその深いところまできわめていき、これ以外に学問はなく、功名もないとい
うほどにまですることができれば、物事がよく見えるようになり、物事がよく分
かるようになり、ひとたびチャンスにめぐりあったときには、おのずとそれをも
のにできるようになります。基本に忠実にやっていれば、いざ行動を起こすとき
にうまくやれるようになります。無理を押し通してやっていれば、そのうちにそ
れが無理でなく自然なものとなります。
 昔から大将は、ほとんどが生まれながらの智者ではありません。だれもが学問
と訓練を通して能力を伸ばしました。ただ熱心で根気強い人が、その成果をあげ
られるにすぎません。
 ここの項目は、掲先生が努力の仕方を指し示しているのです。とても詳細で妥
当なものになっています。およそ私たちは、これを信頼するべきです。
○引証
 軍師の孫武は、思いのままにやり方をころころ変え、『孫子』十三篇を書き残し
 157
ました。
 盗賊の盗蹠は、好き勝手に乱暴をはたらき、各地を横行しました。
 以上は、すべておのずとそうなったものです。
 しかしながら、その行状については、きちんと見分けなければいけません。
 学ぶ人は、おのずからするときには、孫武のようにすべきで、盗蹠のようにし
てはいけません。

 158
(100)蔵―究極までゆきつかせる
○解字
 大道に帰すること、これを「蔵」と言います。
○原文
 知恵によって天下を従えれば、天下は知恵に服します。しかし、知恵そのもの
がまさっているわけではありません。法律によって天下を従えれば、天下は法律
に服します。しかし、法律そのものがすぐれているわけではありません。技術に
よって天下を従えれば、天下は技術に服します。しかし、技術そのものがそうし
ているわけではありません。
 文武両道・才徳兼備の聖人が天下を治めると、城のあるなしに関わりなく勝て
ますし、防塁のあるなしに関わりなく突けますし、布陣のあるなしに関わりなく
戦えます。
 聖人は、人徳による教化をゆきわたらせ、ありとあらゆる詐術を打ち滅ぼしま
す。自分とか、他人とか、そういったことにこだわらず、とらわれのない境地を
楽しみます。あたかも争いのない世の中を作り出せればそれでよいかのようです。
そろそろさらさらと恩恵はつねに流れ出ていますし、きんきんかんかんと喜びは
つねに鳴り響いています。その治世は、とても繁栄しています。
○意味の解説
 以上は聖人による用兵のおおすじです。上等の智者でも、そう簡単にはできな
いことです。ましてや中等より以下の人材には望むべくもありません。しかしな
がら、聖人と同じくらいに徳を伸ばせなくても、努力すれば聖人と同じくらいの
働きはできます。
 聖人の用兵の方法を考えるに、むかしからその専門書はありません。しかし、『詩
経』『書経』『楽経』『礼経』『大学』『中庸』『論語』『孟子』に用兵の道理がありま
すし、井田法、農桑法、古代の学制、弓術と馬術、人材の選抜、産業の技術に関
する教えのなかに用兵のことがあります。それらにふだんから習熟していること
で、いったん有事となれば、上級の役人は全員が優秀な将軍となれますし、一般
の庶民は全員が精強は兵士となれます。しかも、忠義と孝行をつくそうと激しく
意気込んで、聖人が悪党を倒すのを手助けします。ですから、夏代、殷代、周代
の三代より前の時代、ひんぱんに出征して交戦するということがなかったのは、
徳が厚くて政治が清廉であり、人材がそろっていて力が足りており、わざわいを
未然に防げたからです。
 天下を堯帝や舜帝のような偉人の治世にしてしまえば、必ず四凶の暴力がなく
なると私には分かります。天下を湯王や武王のような偉人の治世にしてしまえば、
必ず廉来の悪事がなくなると私には分かります。天下を孔子や孟子のような偉人
の治世にしてしまえば、必ず戦国の混乱がなくなると私には分かります。
 天下を仁愛、正義、道理、人徳、身をひきしめる礼儀、心をやわらげる音楽、
刑罰、法律、孝行、謙虚、勇気、果敢、そして井田法、農桑法、古代の学制、弓
 159

 160
術と馬術、人材の選抜、産業の技術のある世の中にしてしまっても、世の中にま
だ安定していないとことがあり、四方から外敵が侵犯してくることがあるとしま
す。それらをなくしてしまおうとするにあたり、聖人は政治主導で軍事を行って
もかまいませんが、名将は軍事主導で政治を行ってはいけません。軍事主導では
いけないのは、それは本末が違っており、源流が異なっているからです。
 ここで述べている方法は、『陰符経』にとても詳しく述べてあります。すなわち、
そこには「生は死の根っこであり、死は生の根っこである。すなわち、殺すこと
は生かすためのものである」とあり、さらに「恩は害から生まれ、害は恩から生
まれる。すなわち、軍事は道理のためのものである」とあります。殺すことを生
かすためのものとすれば、殺すのはまことの殺すこととなり、生かすのはまこと
の生かすものとなります。軍事を道理のためのものとすれば、道理はまことの道
理となり、軍事はまことの軍事となります。
○引証
 太公望は、兵法の聖人であり、「しっかりさがだらしなさに勝てば、よくなるが、
だらしなさがしっかりさに勝てば、悪くなる」と言っています。
 諸葛孔明は、兵家の元祖ですが、「淡泊であってこそ、目標を明確にできるし、
冷静であってこそ遠大なことを達成できる」と言っています。
 軍事を語る学問について、それを呉起、王剪、廉頗、李牧といった名将から学
ぼうとしないで、伊尹、周公、孔子、孟子といった聖人から学ぼうとすれば、賢
くてすぐれていると言えます。
 天の道理を観察し、天の運行を把握すれば、兵法は私たちにとって関係のある
ことだと分かります。ですから、りっぱな人は、天理に従って機会を失わず、生
かすことを大切にして殺すことを役立てるのです。