兵法百言ー法偏2 | 覚書き

覚書き

ブログの説明を入力します。

 79
(51)陣―連携して戦う
○解字
 三つの角がまがり連なっていること、これを「陣」と言います。
○原文
 陣には、数十の流派があります。私はこれをふるいにかけてまとめ、人の字を
かたどった陣形を作り、「人陣」と名づけました。
 順行するときも「人」の形となり、逆行するときも「人」の形となります。前
進するときも「人」の形となり、後退するときも「人」の形となります。集合し
たときは全体が一つの「人」の形となり、分散したときは各自が一つの「人」の
形となります。一千万人の規模の軍隊で、一人が一陣となれば、一千万の「人」
が一陣に生じ、一千万人が一陣となれば、一千万人が一つの「人」となって動き
ます。
 前方は鋭くて後方は重厚であり、先鋒が突撃して両翼が護衛します。その中は
陰と陽、虚と実、能動と受動、休息と戦闘に分かれ、さらに雄飛したり雌伏した
り、出撃したり帰還したり、動いたり止まったり、広がったり集まったりします。
 戦うときには乱れてはならず、退くときには必ず互いに支えあいます。
 上がったり下がったり、優れたり劣ったりして、情勢に従って適応します。遠
くから攻撃したり近くから攻撃したり、拡散したり密集したりして、形勢に応じ
て変化します。
 人陣とは神妙なものなのです。
○原文
 ここで言う人陣は、図で示さないと、はっきりしません。しかしながら、ただ
論述に即して簡単にまとめれば「人」の形であり、三つの角がまがり連なってい
る形状です。
 中国の陣法では、常山率然陣、偃月陣、却月陣より良いものはありません。
 西洋の陣法では、一字横陣より良いものはありません。
 内向きの角と外向きの角によって、敵陣の正面をまっすぐに攻撃したり、敵陣
の側面を分かれて攻撃したります。分散したり、集合したり、思いのままです。
 しかも、兵士は重なっていませんし、兵器は飛び飛びに置かれていません。
 特に今日の鉄砲や大砲を使い、銃撃や砲撃を防ぐためのすぐれた方法となりま
す。
 ここでいう人陣という陣形は、八陣、六花陣、畳陣、鴛鴦陣に比べ、特に尊ぶ
べきものです。ましてや二つの三角を合わせて鴛鴦陣を作り、四つの三角を合わ
せて畳陣を作り、六つの三角を合わせて六花陣を作り、八つの三角を合わせて八
陣を作ることなどは、人陣の応用以外のなにものでもありません。もしそれが分
かれて撒星陣となり、野戦陣となったときには、それも人陣が分かれたものにす
ぎません。
 大将が軍隊を動かすとき、必ず左側の陣と右側の陣を置きますが、優れた人材
 80
を外国から借りると、ここにさらに一部隊ができあがります。
 思うに一が二を生じ、二が三を生じ、三が万物を生じます。数は三になると、
あらゆる変化の枢要を掌握できます。古今東西を問わず、これは同じです。
○引証
 風后は、軍隊を管理するにあたり、ここに握奇陣を開発しました。
 諸葛孔明は、敵を防ぐにあたり、さらに偃月陣を付け加えました。
 野戦陣は商鞅によって作られ、六花陣は李靖によって始められました。
 呉?の畳陣、張威の撒星陣、戚継光の鴛鴦陣、李穆堂の十陣、その他として、た
とえば背嵬陣、麻札陣、黒雲陣、銀槍陣、犀角陣、大力陣などは、すべて人陣が
合わさったり、分かれたりしたものです。
 時勢にあわせて適切な行動をとり、どれか一つを使うのにこしたことはありま
せん。
 ですから、塁法は凹凸の二つの形を尊びます。陣法は平曲の二つの様式を尊び
ます。
 連結するときには、玉帯陣を用います。混合するときには、撒星陣を用います。
突撃するときには、犀角陣を用います。
 こうすれば、うまくいかないことはありません。
 学ぶ人は、ただ立ち方と進み方に精通しただけでも、どうして行って不利にな
ることがあるでしょうか。



 81
(52)粛―ひきしめる
○解字
 号令が必ず実行されること、これを「粛」と言います。
○原文
 号令がひとたび発せられると、全軍がぴりっとして、太鼓の合図で進み、鐘の
合図で止まり、号砲の合図で起き、鈴の合図で食べ、笛の合図で奮起し、旗の合
図で突進し、雨が降っても兵舎に入らず、暑くても甲冑を脱がず、疲れても武器
を捨てず、困難に出会っても逃げず、利益があっても手を出さず、城を陥落させ
てもみだりに殺さず、手柄を立てても威張らず、急行しても人に知られず、攻撃
されてもびくともせず、急襲されても驚かず、奇襲されても逃げず、突破されて
もばらばらになりません。これをひきしまっていると言います。
○意味の解説
 将軍の行いが正しければ、兵士は命令しなくてもきちんと行動します。しかし、
将軍の行いが正しくなければ、兵士は命令しても従いません。全軍がひきしまる
のは、どうして法制と号令だけによるでしょうか。
 将軍は、公正と正義によって兵士を先導し、次のようにしないといけません。
 食べるときには、自分だけごちそうにするということがありません。
 寝るときには、自分だけ暖かくするということがありません。
 暑いときには、自分だけ日傘を使うということがありません。
 寒いときには、自分だけコートを着るということがありません。
 土を運ぶカゴを作り、クワをふるうときには、みずから体を動かします。
 敵軍に突撃し、敵陣を攻撃するときには、みずから先頭に立ちます。
 功績をたてたら、兵士に譲ります。
 財産を投じて、兵士をもてなします。
 たくさん物をあげて、兵士の家族を養います。
 全体を見て回って、兵士の居住や飲食に配慮します。
 こうするから、全軍の兵士は、起立させなくても立ち、促さなくても急ぎ、兵
士を使うときには、思い通りにならないことがないのです。
 もし法令で兵士を縛るだけなら、そのうちに敗北しますし、畏敬されませんし、
感謝されません。
 みずから手本となって教えてこそ、ゆきづまりませんし、だめになりません。
○引証
 三国時代、街亭で敗北したとき、諸葛孔明は自分の責任としました。邯鄲を陥
落させたとき、馮異は功績を部下に譲りました。
 そもそも自分を責めてこそ、他人を責めることができます。自分が正しくない
のに他人を正せる人などいません。
 82
(53)野―常識にとらわれない
○解字
 人が思いのままに戦いを行うこと、これを「野」と言います。
○原文
 きちんとするのは、戦争の原則です。しかし、原則にこだわると、機会があっ
ても活用できませんし、勢いがあっても勝利できません。わくがはめられ、勢い
がおさえられ、何もしないままでチャンスを失います。
 ですから、兵法のエッセンスとしては、野戦(普通の戦法によらない戦い方)
が一番です。
 臨機応変に前進したり、退却したり、密集したり、散開したりします。
 布陣するときには、雲が広がったり、縮んだりするように情況に応じて布陣し
ます。
 行軍するときには、毛が風にふかれてふわふわと舞うように柔軟に行軍します。
 互いに対峙しているときには、水辺の沙やごろごろした石のように、とらわれ
ないで時宜にかなったことを行います。
 互いに交戦しているときには、たくさんの馬がいなないて疾駆するように、力
を尽くして突き進みます。
 敵がこちらを原則的に推量するなら、原則では考えられない方法で備えます。
 敵がこちらを変則的に推測するなら、変則では考えられない方法で応じます。
 敵がこちらを混乱させようと計画するなら、乱れてもまとまりを失わず、急い
でも向こう見ずにならず、旗がいりみだれて動いてもよろめかないようにします。
 兵士が思いのままに戦いを行い、軍隊が思いのままに勢いをつけ、利と見れば
乗じ、勝利に決まったやり方がありません。
 こういった将軍は、軍事を知っている将軍だと言えます。
○意味の解説
 将軍となって常識にとらわれない戦い方を知らなければ、それは最高の将軍で
はありません。兵士を訓練して常識にとらわれない戦い方をできなければ、それ
は勝てる軍隊ではありません。そこで、それをできるようになるための要点が五
つあります。
 一つは、人材が十分で、部将がすべて良将であることです。
 二つは、技量や武芸などが精妙で、全軍の兵士が精兵であることです。
 三つは、賞罰が公正で、戦勝したときには決まった賞与があることです。
 四つは、命令が整い、行動に一定の方針があることです。
 五つは、心が一つで、すべての将兵に二心がないことです。
 もし商鞅のように制度を定め、呉起のように兵士をやる気にさせたなら、うま
くいかないことはありません。伝統的な八陣だけで、どうして常識にとらわれな
い戦い方を十分にできるでしょうか。
○引証
 83
 歴史上、大きな戦いが四つありました。黄帝の?鹿の戦い、項羽の鉅鹿の戦い、
光武帝の昆陽の戦い、朱元璋の?陽の戦いです。それらはすべて常識にとらわれな
い戦い方でした。原則で制御できるものでありませんし、計略で実現できるもの
ではありません。
 ただし、「趨」と「野」に頼ってこそ、これをうまくやれます。
 しかしながら、知恵と勇気が人なみすぐれた将軍、親子や兄弟のような一致団
結した兵隊、難関を突破して要害を強奪できるような強力な兵器がなければ、ど
うして常識にとらわれない戦い方を成功させられるでしょうか。
 兵法は、常識にとらわれない戦い方をきわめれば、もはや付け足すものはあり
ません。しかしながら、簡単に学べるものではありません。
 84
(54)張―大きく見せかける
○解字
 たくさんのニセの陣地を設けること、これを「張」と言います。
○原文
 すごく見せかければ敵を恐れさせられますが、これは常套手段です。
 もっていない人は、宣伝してもっているように見せかけます。まだそうなって
いない人は、何かにかこつけてそうなっているように見せかけます。足りていな
い人は、たくさんあるように見せかけます。
 しかし、そうするだけでなく、場合によってはニセモノを使って敵をだまし、
こちらの戦力を大きく見せかけ、敵の闘志をへこませ、奇襲して勝利します。
 これが、こけおどしで成功をおさめるということであり、弱者にとっての最善
の方法です。
○意味の解説
 軍隊で実体のないものが、「大きく見せかける」というもので、原則として大き
く見せかけるべきときに大きく見せかけます。
 すぐれた兵力を目立たせるものは、「真実にもとづいて大きく見せかける」と言
います。
 ただニセの陣地を広く展開するだけものは、「虚偽にもとづいて大きく見せかけ
る」と言います。
 しかしながら、前者においては、敵が奮起して突撃してくるのを防ぐため、後
方に歩兵部隊を配置するのが大切です。後者においては、敵が突如として猛攻し
てくるのを防ぐため、伏兵を隠れさせておくのが大切です。
 ですから、大きく見せかけることで勝利する人は、敵が恐怖しているのに乗じ
たり、敵が知らないのに乗じたりして、どうしようもないときにこれを使い、運
良く勝利します。これは非常手段です。
 最善の方法は、外側を大きく見せかけて、内側をとげとげしくすることです。
○引証
 檀道済は、食糧難のとき、砂の山を米の山に見せかけ、敵の目をあざむきまし
た。
 耿恭は、水不足のとき、豊富な水を見せて、敵を退却させました。
 虞?は、かまどを増やし、趙雲は陣地を開きました。
 以上はすべて大きく見せかけたものです。これを使うときに慎重にやることで
も、十分に勝利できます。
 85
(55)斂―小さく見せかける
○解字
 精鋭を隠すこと、これを「斂」と言います。
○原文
 腰を低くするのは、敵をおごり高ぶらせて、敵の足をすくうためです。
 旗色を悪くするのは、敵を誘って、敵の秩序を乱すためです。
 精兵を隠すのは、敵の鼻をあかして、敵の盛んな闘志をくじくためです。
 ただ小さくなるだけで強敵に勝てますし、ただ小さくなるだけで強敵を勝ちに
くくさせられます。
 ですから、攻撃しようとするときには、大々的に勇猛な兵士を養成しません。
打撃したいときには、恐ろしい評判を聞かせるのをやめます。事を小さくし、隠
忍して大成功をもくろみます。
 こちらは小さくなって相手の力を浪費させ、こちらの力が充実したところで相
手の疲労に乗じます。
○意味の解説
 ベストな軍隊のありようは、小さくなることです。小さくなることで、自分の
威力を養い、敵の計略をおろそかにさせられます。
 しかも、じっとして動かなければ、敵はこちらの目的が分かりませんし、もち
こたえて戦わなければ、敵はこちらの実力が分かりません。
 昔の名将の「戦場では、がまんできた方が勝つ」という言葉は、まったく永遠
に変わらない真理です。
 忍べば気力が重厚になりますし、耐えれば気力が堅固になります。重厚な兵力
で衰えた敵軍を攻撃し、堅固な兵力で弱い敵軍を攻撃するのですから、勝って当
然です。
○引証
 春秋時代、楚国の伯比は、隋国に「楚軍は大したことがない」と思わせて油断
させるため、楚軍を小さく見せて隋国の少師を迎え入れました。
 鄭国の公子突は、北戎族をあざむいて撃破するため、三段構えの伏兵を置いた
うえで弱兵を使って北戎軍を誘い出しました。
 そういうわけで、大将が戦争を指揮する場合、簡単に強敵を攻撃しませんし、
簡単に弱敵を攻撃しません。
 86
(56)順―相手の思い通りにさせる
○解字
 取るためにわざと与えること、これを「順」と言います。
○原文
 おおよそ相手に立ち向かうと、相手がますます堅固になる場合は、相手の思う
通りにさせてやって、相手の失敗を誘います。
 敵が進みたいなら、小さく柔らかになって弱いように見せかけ、そうして敵が
進むように仕向けます。
 敵が退きたいなら、包囲を解いて活路を開いてやり、そうして好きなように敵
を退かせます。
 敵が強力であるなら、戦闘を避けて守りに徹し、そうして敵がおごり高ぶるの
を狙います。
 敵に威勢があるなら、敵にへりくだりながらも裏では力の充実をはかり、そう
して敵がだらけるのを待ちます。
 敵を誘導して奇襲し、敵を自由にさせて捕虜とし、敵をおごり高ぶらせてつけ
いり、敵をだらけさせて制圧します。
○意味の解説
 強敵に出会ったとき、それに立ち向かって倒すことは、すぐれた知恵と勇気の
ある人でなければ、できないことです。たとえば、項羽や光武帝が、これに該当
します。
 それに次ぐ知恵と勇気しかない場合には、堅く守って戦わないで、敵が衰える
のを待ちます。溝を深くし、防塁を高くし、先鋒を隠し、弓矢を伏せ、愚弄され
ても動かないようにし、挑発されても怒らないようにます。
 およそ敵がもくろんでいることについて、しばらく敵の思い通りにさせて敵と
争わないようにします。そして、ひとたび敵に変事が生じたときには、ただちに
そのスキに乗じて行動を起こします。ですから、小さい兵力で大きな敵に勝ち、
弱い兵力で強い敵に勝つことができるのです。
 張良がすぐれた軍師となることができ、白起・王剪・廉頗・李牧がすぐれた将
軍となることができたのは、以上のようなやり方を用いたからです。これまでの
歴史を見渡してみると、戦争で剛直さによって勝ったのは十のうち一で、柔軟さ
によって勝ったのは十のうち九です。学ぶ人は李伯陽文を手本とすべきです。
○引証
 三国時代、蜀漢国の諸葛孔明は、孟獲を平定するために、孟獲を七たび自由に
させて七たび捕虜にしました。
 春秋時代、楚国の師叔は、庸国の人間をおごり高ぶらせるために、七回にわた
り庸軍と戦うたびにわざと敗走しました。
 そもそも自由にできるからこそ、捕虜にできるのであり、敗走できるからこそ、
勝利できるのです。
 87
(57)発―待ち構えて攻撃をしかける
○解字
 ワナをしかけて待ち構えること、これを「発」と言います。
○原文
 相手を難所でスムーズに進めなくさせ、奥深くて険阻なところで自由に動けな
くさせ、伏兵の待ち構えているところに誘導し、射撃の準備をしてワナをしかけ、
必ず相手が脱出できなくなったころを見計らって攻撃をしかけます。
 思うに攻撃をしかけるのが早ければ敵は逃げますし、攻撃をしかけるのが遅け
れば時を失います。ですから、用兵のうまい人は、相手を逃げられなくさせます。
○意味の解説
 危険のさし迫っているときにあって、恐ろしくてずるい敵を倒そうとする場合、
遠い先のことまで考えて深くたくらんでこそ、はじめて成功できます。しかし、
好んでたくらむわけではありません。
 天は物質の素材を生み出しますが、それは人を養うためのものであって、人を
害するためのものではありません。それなのに、あの恐ろしくてずるい者は、人
を養うためのものを、人を殺すことに使い、自分がもうかることだけを考えて、
相手がもうからなくても気にしません。自分が生きることだけを考えて、相手が
生きられなくても気にしません。
 しかし、人はあざむけても、天がどうしてずっとかばうでしょうか。たとえ倒
そうとしなくても、必ず自滅する憂き目にあいます。ましてや優良な大臣が政事
を担当し、優秀な大将が軍事を担当していて、すべてに鬼神でも分からない、陰
陽でも測れない精妙さがある場合には、倒されるのは言うまでもありません。
 敵を次から次に困難におちいらせるのは、聖人はやむをえない場合だけにしま
す。ですから、兵法を学ぶ人は、やむをえないときには「発」を利用し、そうで
ないときには「回」を利用します。「回」とは、殺し合いをひかえて、生き残らせ
ることです。道家に関係のある方法ですが、聖人に関係のある工夫でもあります。
○引証
 戦国時代、斉軍の軍師である孫?は、狭い道で魏軍を待ち構え、魏軍があかりを
つけたの合図にして弓矢の一斉射撃を行わせ、魏軍を潰滅させました。
 宋代、宋軍を率いる韓世忠は、金山で金軍を待ち構え、太鼓の音を合図にして
一斉に伏兵を突撃させ、金軍を撃退しました。
 ですから、待ち構えて攻撃をしかけるには、時機、場所、おとり、スパイ、道
具、耳目、腹心が必要です。
 88
(58)拒―守りを固める
○解字
 濠を掘って防塁を築くこと、これを「拒」と言います。
○原文
 戦っても勝つのが難しいときには、守りを固めます。戦っても動きたくないと
きには、守りを固めます。
 城にたてこもって守りを固める場合、頼りになるのは城ではありません。防壁
を堅固にして守りを固める場合、頼りになるのは防壁ではありません。山に陣取
って守りを固め、川をへだてて守りを固める場合、頼りになるのは山と川ではあ
りません。
 必ずどうすれば安全にでき、危険にたえられ、急場をしのげ、持久できるのか
を考え、動かないときには計略をめぐらし、動くときには有利になるようにしま
す。
○意味の解説
 昔から大将が軍隊を指揮するとき、まず守りを固めてから戦ったのは、両軍が
対峙したばかりのときは敵兵が勇敢なのか、臆病なのかが分からず、敵将が巧妙
なのか、稚拙なのかが分からないからです。
 あわてて敵に立ち向かい、戦況がめまぐるしく変わるなかで、準備が間に合わ
ないままで戦うのは、まったく慎重にやって万全を期するやり方ではありません。
ましてや今日のように銃砲が発達している場合は、あっという間にやられます。
 将軍が劣った戦力で優れた戦力の敵を倒そうとし、小さな兵力で大きな兵力の
敵を倒そうとするなら、とりわけ守りを固めなければ成功できませんし、とりわ
け濠を掘って防塁を築く方法に精通していなければ成功できませんし、とりわけ
ワナをたくさん設けて障害をたくさん置く技術に精通していなければ成功できま
せん。もちろん勝つのが難しいので動きたくないときにだけ使って防衛するとい
ったものではありません。
 金と火の毒は、ただ水と土だけが打ち消せます。ですから、陣地を構築する方
法に精通している人は、守りを固めるのがうまく、陣地を構築して戦うやり方に
精通している人は、戦うのがうまいのです。
○引証
 魏晋南北朝時代の陣地構築法には、蜒蚰・偃月・却月といった名称があります。
 西洋の陣地構築法には、長形・包形・堵形といった違いがあります。
 その方法に精通していてこそ、守ることができ、戦うことができます。
 89
(59)撼―あたふたさせる
○解字
 過失につけこみ、油断につけいること、これを「撼」と言います。
○原文
 およそ軍隊であたふたさせることができるのは、天災にみまわれているときか、
難所にはまりこんでいるとき、もしくはその計略にぬかりがあるときです。
 これに該当しないのに、あたふたさせようとするなら、ただ無益であるだけで
なく、損害を受けることになります。
 ですから、大将は敵と戦うとき、あたふたさせられる敵には攻撃をしかけ、あ
たふたさせられない敵には慎重になるのです。
 もし、わざとあたふたしやすいように見せかけ、敵がこちらをあたふたさせよ
うとしかけてくるように仕向けて、それを逆手にとって敵をあたふたさせるなら、
それも敵をうまくあたふたさせるものです。
○意味の解説
 あたふたさせるのは、巧妙な戦い方です。
 戦法について考えると、三つの種類があります。一つは巧妙な戦法、二つはオ
ーソドックスな戦法、三つは力ずくの戦法です。
 敵が強いか弱いか、上手か下手かを試して、スキに乗じて壊滅させること、こ
れが巧妙な戦法です。
 奇策と正攻法、分散と集合を巧みに運用して戦うこと、これがオーソドックス
な戦法です。
 白兵戦をくりひろげ、力をつくして攻めかかり、進んでも退かず、必ず勝とう
とすること、これが力ずくの戦法です。
 もし順序をつけるなら、巧妙な戦法が一番になります。まず遊撃隊を使って敵
と接触したり、まず鉄騎隊を使って敵に突撃したり、まず宣伝と大軍を使って敵
を威嚇したり、まず猛烈な大将を使って突進したりして、敵が動揺するかどうか

を見ます。
 もし動揺しないなら、強敵です。そんなときには、じっとがまんしてもちこた
え、そうして敵の変事を待つべきです。場合によっては、あらゆる計略を用いて
敵を誘い、そうして敵の混乱に乗じます。これが「わざとあたふたしやすいよう
に見せかけ、敵がこちらをあたふたさせようとしかけてくるように仕向けて、そ
れを逆手にとって敵をあたふたさせる」ということです。最高に巧妙な戦法です。
 ですから、大将は戦争をするにあたり、まず敵をあたふたさせ、次に戦争をし
かけ、その次に打撃を与えるのです。
○引証
 春秋時代、楚軍の許伯は、楽伯を御者として晋軍を挑発しました。
 晋軍の趙旃は、魏錡と共に楚軍に戦いを挑みました。
 どちらとも、あわてさせることです。
 90
 あわてさせて備えがあれば勝ちますが、あわてさせて備えがなければ敗れます。
 91

(60)戦―戦う
○解字
 奇策を使ったり、正攻法を使ったり、分散したり、集合したりすること、これ
を「戦」と言います。
○原文
 戦いについて考えると、多くの側面があげられます。
 多くしたり少なくしたり、分散したり集合したり、進んだり退いたり、攻撃し
たり待機したり、交代させたり輔佐させたり、遅くしたり速くしたり、大きくし
たり小さくしたり、追撃したり迎撃したり、封鎖したり防衛したりについては、
原則にかなうようにします。
 騎兵と歩兵、部隊の駐屯、軍営と陣地、布陣と行軍、先鋒と後衛、密集と分散、
厳格な制度、禁止の法令、教育と試験、成績の評価、生活の物資、船舶と車両、
代用船と推進器については、正確になるようにします。
 昼夜、寒暑、風雨、雲、霧、早朝、夕方、星、月、雷電、氷雪については、天
の時に従うようにします。
 山、谷、川、沢、平原、隘路、遠方、近辺、険峻、密林、湿原、窪地、市街、
砂漠、岩山、城塞については、地の利を得るようにします。
 計略を展開することになったときは、計画を練り、対応を考え、餌で釣り、見
せかけ、待ち伏せ、強奪し、奪取し、邪魔し、阻害し、迎撃し、追跡し、駆逐し
ます。
 もし奇策を駆使するときには、縛って変わり、避けて隠れ、偽装し、欺瞞し、
陽動し、伏兵を使い、塵を舞い上げます。
 はなはだしいときには、突破されたり、撃破されたり、突入されたり、蹂躙さ
れたり、挟撃されたり、包囲されたり、圧力が強まったり、虐待されたり、敵兵
が増えたり、威圧されたりしてもおかしくない情況に自軍をおき、ひたすら勝利
を願って全員が窮地にたって勇気を奮うようにします。
 さらにはなはだしいときには、飢えたり、疲れたり、傷ついたり、苦しんだり、
孤立したり、逼迫したり、敗北したり、降伏したり、欺かれたり、捕らわれたり、
つらい目にあったり、ひどい目にあったり、全滅させられたり、混乱させられた
りしてもおかしくない状態に自軍をおき、前線に兵士を急行させて援兵を欠かさ
ないで危機に対処するようにします。
 兵器を精良にし、技術を最善にし、忠節を守る人を集め、正義を行う人を選び、
安全を保ち、危険に用心し、不足を補い、劣勢を挽回し、内外で戦いを繰り広げ
ます。こういった将軍こそが名将です。
○意味の解説
 八つの大綱で戦いのすべてをまとめ、多くの項目で戦いの違いを出し切ってい
ます。安危はあわせて考え、勝敗はまとめて計ります。これによって、軍隊を動
かすときにモレがなくなります。
 92
 一つは、原則にかなわせることです。それは、分合や進退の諸原則を内にゆき
とどかせることであり、軍事活動の要務です。
 二つは、正確にならせることです。それは、布陣や行軍の諸制度を内にゆきと
どかせることであり、軍事活動の常道です。
 三つは、天の時に従うことです。仰いで天文を観察します。
 四つは、地の利を得ることです。伏して地理を洞察します。
 五つは、計略を展開することで、智謀をめぐらします。
 六つは、奇策を駆使することで、詐術をろうします。
 七つは、ひたすら勝利を願うことです。兵士を死んで当然のところにおいて、
必死にさせることで、はじめて生存します。
 八つは、援兵を欠かさないで危機に対処することです。兵士を滅んで当然のと
ころにおいて、懸命にさせることで、はじめて存続します。
 ただ「奇策を駆使する」のところは、言葉はほとんど解説が不十分です。です
から、これを特に解説します。
 縛って変わるとは、計画を立てて敵を縛り、それによってみずから形態を変え
ることです。
 避けて隠れるとは、計画を立てて敵を避け、それによってみずから形跡を隠す
ことです。
 偽装するとは、たとえばライオンや虎の格好をして敵を驚かせたり、「我が軍に
は神が味方している」と言って迷信を利用して士気を高めたりすることです。
 欺瞞するとは、敵のスパイ活動をこちらのスパイ活動に利用することです。
 陽動するとは、敵をまどわすための見せかけの兵隊を使うことです。
 伏兵を使うとは、伏兵がいないように見せかけたり、いないように見せかけた
りすることです。
 塵を舞い上げるとは、わざと砂塵をあげることで、敵に大軍が来ているのでは
ないかと思わせることです。
 これらの項目は、奇策を駆使するにあたっての基本的な例です。ここで述べた
例を応用して考えれば、その他の奇策の例についても心に思い当たって分かりま
す。
○引証
 昔から大将で、兵法にもとづかないで計画が万全だった人はいません。必ず「あ
の将軍は、あの戦術がうまい」と言うのは、大将に対する見方が浅いとしか言え
ません。
 しかしながら、その天性の素質として、それぞれに得意とする分野もあります。
たとえば、孫武と呉起は、原則を守るのが得意でした。廉頗と趙奢は、正確にす
るのが得意でした。星で占った史墨と歌で占った師曠は、天文を読むのが得意で
した。箱庭を作った馬伏波と地図を書いた張宏は、地理を知るのが得意でした。
曹操と司馬懿は、計略を展開するのが得意でした。鄭国の荘公と斉国の田単は、
 93
奇策を駆使するのが得意でした。当陽の戦いにおける張将軍、斜谷の戦いにおけ
る趙将軍、河陽の戦いにおける李光弼、順昌の戦いにおける宋国の劉錡は、勇気
を奮って危機に対処するのが得意でした。
 その非凡と見られる点は、その長所と見られる点でもあります。そのときには、
特定の分野で才能を発揮することもあれば、全体の調整に才能を発揮することも
あります。一つの長所をもっている人は、名将と言えます。多くの長所をたばね
ている人は、大将と言えます。
 大将が最も気を使うのは、ゼネラリストとして名将を統率して動かすことです。
名将が最も気を使うのは、スペシャリストとして大将の意を汲んで動くことです。
 94


(61)搏―白兵戦を行う
○解字
 巧みに兵力を使うこと、これを「搏」と言います。
○原文
 あらゆる原則は、すべて機略が第一となります。ただ臨戦状態にあるときには
互いに肉薄しており、白兵戦の仕方を考えなければいけません。これが臨時の機
略です。
 そもそも白兵戦は、ただ将兵の勇猛さ、敏捷さだけが頼りではありません。も
し先に計画できていれば、臨戦状態となり、白兵戦を行うことになっても、おの
ずと違いが出てきます。
 では、白兵戦の仕方とは、どんなものなのでしょうか。敵の力が強いときには、
ぬきとってそぎおとす戦術を用います。敵の力が同じときには、さっとかすめる
ように襲う戦術を用います。敵の力が弱いときは、突撃して蹂躙する戦術を用い
ます。これが白兵戦の仕方の基本です。
 先鋒を見えなくして騎兵で左右を守り、それに勇敢な歩兵を付随させ、行った
り戻ったりして撃殺し、敵が無傷で帰れなくさせます。これが弱い敵を欺き、突
撃して蹂躙する方法となります。
 こちらの強みを使って敵の弱みを攻撃し、こちらの弱みを使って敵の強みを攻
撃し、強い部隊が先発して、左右から急襲します。これがさっとかすめるように
襲って勝敗を争う方法となります。
 あらかじめ奇襲部隊を作り、ばらばらに配置し、敵が突撃してきたら引っ込み、
敵が攻撃してきたら散らばり、敵軍の勢いを消耗させて自軍の力を温存し、敵が
勢いを使い果たして弱まってきたら、隠れていた精鋭部隊がわっと襲い掛かりま
す。これがぬきとってそぎおとし、優勢に転じる方法となります。
 しかも、まだ白兵戦になっていないときには必ず敵の急襲に備え、白兵戦が終
わったときには必ず敵の奇襲を用心します。敗北したときには、旗をなびかせず、
敵がすぐに追撃しようとしないようにさせます。勝利したときには、必ず追撃を
慎重に行い、敵の伏兵がスキをついて奇襲してこないようにさせます。
 このようにできてこそ、進むときには敗北しませんし、退くときには失敗しま
せんし、風が吹き、雷が光るようにすばやく全軍とともに動き、その勝機を失う
ことがありません。
 心は落ち着くべきですし、精神はひきしまるべきです。意気込んでいても余裕
があり、混乱していても整然としており、指揮を慎重に行うようにします。
○意味の解説
 白兵戦は、やむをえないで行う戦い方であり、力ずくの戦法です。
 いきなり敵と出会ったり、いきなり敵に奇襲されたりしたときには、形勢は逆
転できず、兵士は配置できません。勇猛な戦い方をして、必ず勝とうとするしか
ありません。
 95
 もし最初に計画しておらず、事前に訓練していなければ、あわてふためいて潰
走しないということはほとんどありません。
 そこで、白兵戦の方法には三つありますが、兵士を選ぶ方法は一つです。それ
は「勇猛で、信頼でき、果敢で、善戦する者は、軍隊における最高の宝である」
です。
 また、白兵戦の方法は三つありますが、軍隊を配する方法は一つです。それは
「はかり考えて敵と戦い、左右から急襲するのは、兵家にできることである」で
す。
 隊列が整っているときに断続して分かれて撒星陣を作るのは、訓練していなけ
れば成功しません。兵士がおらず、将軍がおらず、陣法がなく、道具がなくて、
白兵戦を行おうとするのは、難しいことです。ですから、大将は白兵戦の仕方を
考えるとき、第一に兵士の訓練を考え、第二に将軍の選抜を考え、第三に布陣の
仕方を考え、第四に道具の製作を考えるのです。
○引証
 戦国時代、趙国の趙奢は、強敵の秦軍と戦うにあたり、「道のりが遠く、狭くて
険しいところでは、たとえば二匹のネズミが穴のなかで戦うようなもので、勇ま
しいほうが勝ちます」と言いました。これが白兵戦の原則です。
 軍隊に勇将がいないということは、戦闘で成功しないということです。尉遲敬
德は、唐国の将軍でしたが、その勇敢さで何度も窮地を打開できました。
 96
(62)分―分轄する
○解字
 兵力が互いに連携していること、これを「分」と言います。
○意味の解説
 軍隊が大きいときには、動きがとどこおって鈍くなります。軍隊が小さいとき
には、動きがスムーズになって鋭くなります。しかし、大きくても、分轄できれ
ば、その鋭さはおのずと倍増します。
 野営して軍隊を分轄するのは、襲撃を防ぐためです。布陣して軍隊を分轄する
のは、突撃を防ぐためです。
 行軍するときに軍隊を分轄して、分断されるのに備えます。戦闘するときに軍
隊を分轄して、急襲されるのに備えます。
 兵力が優れているときには、分轄して油断をつくことができます。兵力が対等
なときには、分轄して奇襲をかけることができます。兵力が劣っているときには、
分轄して変事を生じることができます。
 兵士がこみあっておらず、勇士が遠くにくぎ付けになっておらず、兵器がちら
ばっておらず、部隊を集合させて威力を増し、部隊を分散させて勝利をおさめ、
数十万の軍隊を統率して、ゆきづまらせない人は、分轄の方法が分かっていると
言えます。
○意味の解説
 法令によって軍隊を管理するのは、多くの人ができます。大将が人と違ってい
るところは、その軍隊を分けて別々に戦わせても、進むときには行列を乱させず、
退くときには隊列を乱させないことができるところにあります。
 まず、前後左右がつねに連携していて互いにばらけないようにします。そのう
えで、分けて両翼を作ったときには、各翼はつねに本隊を気づかうようにします。
 分けて数陣を作ったとき、各陣がつねに本陣を囲み、たくさんの陣、たくさん
の翼があったとしても、それぞれが思いのままに自由に戦って、離散して各個撃
破されるという弊害がまったくないのは、分轄の方法が分かっているのです。
 これを兵家の言葉にみると、「陣法はたくさんあるが、陣を分轄するのが最も難
しく、戦法はたくさんあるが、常識にしばられないで戦うのが最も難しい。全軍
の将兵が心を一つにしていなければ、きっとうまくいかない。どうして窮屈なや
り方で戦う必要があろうか」とあります。ですから、大将になろうとする人は、
分轄の方法を学ばないといけません。
○引証
 諸葛孔明は八陣を練り上げて、「これ以後、戦闘するときには、惨敗を心配しな
くてよい」と言いました。思うに、八陣法は、合わさるときには「地軸」「天衝」
となり、分かれるときには「風」「雲」「蛇」「鳥」となり、左右を護衛するときに
は「竜」「虎」となります。
 守ることができ、戦うことができ、方陣を作ることができ、円陣を作ることが
 97
でき、伸びることができ、縮むことができ、散らばることができ、散らすことが
でき、一人を用いるときには百人のようで、百人を用いるときは一人のようで、
全部を包囲して部分を攻撃し、虚偽を一掃して実体を排除し、余すところがあり
ません。
 人は「八陣法は合同するのに優れている」と言いますが、私は「八陣法は分轄
するのに優れている」と言います。
 98
(63)更―交代する
○解字
 順番に入れ替わっていくこと、これを「更」と言います。
○原文
 武力は、みだりに用いてはなりません。次から次へと遠征し、休むまもなく連
戦し、軍隊を疲れさせないことができるのは、交代の原則が確立されているから
にすぎません。
 自分が一たび攻撃したとき、相手が何度も応戦してくれば、楽をしそこなって
疲れます。相手が何度も戦って自分が何度も休めば、疲れを回復して楽になりま
す。楽なときには奮起させられますが、疲れているときには敗北させられます。
 交代することによって、国力をすべて使わなくても軍隊を十分にできますし、
兵力をすべて使わなくても戦闘を十分にできます。敗北は心配ありませんし、戦
争も心配ありません。
○意味の解説
 交代の原則には、すぐれた働きが二つあります。一つは戦闘を継続できること
で、もう一つは民兵を訓練できることです。以上はすべて善美を尽くす手だてで
す。
 交代で戦闘する場合、猛将を選任し、精兵を選抜し、あちらが行動していると
きには、こちらは潜伏し、あちらが休息しているときには、こちらは出撃します。
そうすれば、こちらをしばらく楽にさせられて、あちらをつねに疲れさせられま
す。あちらがだらけてきたところで、それに乗じて全軍が一斉に攻撃をしかけた
なら、敵軍を全滅させられます。
 交代で練兵する場合、千人分の経費を工面すれば、それをそのまま一万人分の
費用として実際に使えます。順番に交代して訓練に出向き、交代は四ヶ月ごとに
行います。訓練に来たときには給料を支給し、訓練が終わったときには本業に復
帰させます。
 技術と武芸が抜群で、上達が見込める者は、残して教育します。学業が上達し、
指揮官になりえる者は、抜擢して用います。
 これを三年にわたり続ければ、一万人あるいは数千人の精兵が得られて、郷里
を防衛するのも難しくなくなります。
 ですから、軍隊を強くする方法は、「野戦」を用いたり、「交代」を用いたりす
ることにあるのです。
○引証
 全軍を三つに分け、三つのうち一つを出兵させるというやり方で、晋国は諸侯
に勝利しました。
 精鋭を選抜し、交代で出撃させるというやり方で、李光弼は安禄山と史思明に
勝利しました。
 大臣や大将で交代の原則を使って勝利した人は、多くいます。交代するやり方
 99
は、国境警備に役立つだけではありませんし、攻撃に役立つだけではありません。
 100
(64)延―先延ばしにする
○解字
 のんびりして事態が変わるのをあてにして待つこと、これを「延」と言います。
○原文
 すぐには戦えない情勢のとき、うまくいくかどうかは先延ばしできるかどうか
にかかってきます。
 敵の先鋒がとても強力なときは、それがたるんでくるのをしばらく待ちます。
 攻めてきた敵がとても多いときは、それがばらけてくるのをしばらく待ちます。
 徴兵や調達を行ったものの人や物が到着していないときは、それが集まるのを
必ず待ちます。
 帰順したばかりで信用できないときや、計画をたてたものの軌道に乗っていな
いときには、それが確実になるのを必ず待ちます。
 時勢として戦うべきでないときは、しばらく戦ってはいけません。
 思うに、戦いの下手な人は、防戦を大切にします。戦いを先延ばしにする人は、
戦うつもりなのですが、ただ戦うのを遅らせているにすぎません。欲が深くて早
く成果を得ようとして動くと、必ず敗北します。出兵は、万全を期し、慎重に行
います。粗略にやってはいけません。
○意味の解説
 両軍が出くわしてすぐに戦ってよいのは、勢いとして戦わざるをえない場合か、
みずから戦力をはかってみて十分に勝てる場合です。先に述べた「戦」「搏」「分」
「更」の諸原則が、これに相当します。
 ただし、両軍が互いに出会ったときは、先に動いたほうが敗北します。あちら
がじっとしてこちらに備え、こちらがじっとしないであちらに備えるときには、
あちらは安全で、こちらは危険であり、あちらは充実して、こちらは虚弱となり、
その当然の結果として必ず敗北します。ですから、必ず防塁を厳重にし、布陣を
堅固にし、じっとがまんして動いてはならず、そうして敵が衰えるのを待ちます。
 場合によっては、好きなように奇部隊を繰り出して敵をさっと攻撃し、敵が先
に動かざるを得ないようになったらやめるようにします。
 以上が、守備を攻撃とする方法です。昔の言葉に「慎重に防ぎ、勇敢に戦う」
とあり、さらに「戦うときには、がまんできたほうが勝つ」とも言っています。
がまんすることの効果は、このように大きなものなのです。
○引証
 古来、熟練した名将は、「先延ばし」を使わなかったことがありません。
 呉起は、防壁を堅固にして、斉軍を防ぎました。
 廉頗や趙奢は、防壁を堅固にして、秦軍を防ぎました。
 王剪は、防壁を堅固にして、楚軍を防ぎました。
 周亜夫は、防壁を堅固にして、六国連合軍を防ぎました。
 司馬懿は、防壁を堅固にして、蜀漢軍を防ぎました。
 101
 じっとがまんして動かず、奇策を駆使し、正攻法を遵守し、敵が軍師、猛将、
毒矢、凶器をもっていたとしても、それを使えないようにします。
 先延ばしにすることの効果は、大きなものです。

102
(65)速―すばやく行動する
○解字
 思いもよらないスピードで敵を撃破すること、これを「速」と言います。
○原文
 すでに勢いがついており、すでに機が熟しており、すでに人材がそろっている
のに、さらに先送りにして、のらりくらりとするのは、軍隊をくずすことです。
 兵士がだらけそうであり、時が失われそうであり、国が困難におちいりそうな
のに、軍隊を国境にとどめたままで、すぐに決戦しようとしないのは、軍隊を迷
わすことです。
 知恵があっても、のろければ、相手が先に計略をめぐらそうとします。分かっ
ていても、決断しなければ、相手が先に攻撃をしかけようとします。攻撃をしか
けても、敏速でなければ、相手が先に戦果をあげようとします。
 得がたいものは時であり、失いやすいものは機です。飛ぶように速く行ってこ
そ、すばやさがアップするのもです。
○意味の解説
 将軍は、智者でなければ、行動を先延ばしにできませんし、勇者でなければ、
すばやく行動できません。いたずらに「先延ばしする」と「すばやく行う」とい
う道理について知っているだけで、知恵と勇気というわざを思う存分に発揮しな
ければ、これまた先送りしてしくじり、粗略にやってしくじるだけです。
 敵に勝つのが難しくても、軍隊に損失を出さずにすむのに、急いでやってしく
じるときには、ワナにはめられ、伏兵に襲われ、毒にあたり、利で釣られます。
かくして軍隊は敗北して、自身も一緒に傷ついて、その損害はとても大きなもの
となります。
 とっさの間にも、勝敗をたちどころに見きわめ、先延ばししたほうがよいとい
きには、のんびりして一年がかりの計画、一ヶ月がかりの計画を立てるようにし
ます。
 将軍の知略が優秀なときには、多くの場合、巧妙で速くなります。将軍の知略
が着実なときには、多くの場合、拙劣で遅くなります。
○引証
 動かないときは、山のようにどっしりします。動くときには、雷のようにすば
やくします。ただ動じないでいてこそ、はじめて動いたときに必ず勝てるように
なります。
 たとえば、宋代の名将である岳飛の率いる軍隊は、驚かされても動ずることな
く、皇帝直属軍を率いて戦いに臨んだときには、さらに縦横無尽に戦って向かう
ところ敵なしでした。これは、すばやく行うのがうまかった例です。
 天の時を争い、地の利を争い、兵力を競うとき、相手に180センチメートル
を譲れば、自分は360センチメートルを失うことになりますし、相手に一騎を
譲れば、自分は二騎を失うことになります。すばやくしても、それで何かを失う
 103
のなら、意味がありません。
 武器を手にしたら必ず撃破したので、黄帝は勝利できたのです。大将が軍隊を
動かすとき、ずっとソフトなやり方だけを使うのは良くありません。
 104
(66)牽―牽制する
○解字
 敵の進退を封じ込めること、これを「牽」と言います。
○原文
 すごくて、敵がすぐに勝てないのは、ただ牽制する方法を用いているからにす
ぎません。その前方を牽制したときには、乗り越えられません。その後方を牽制
したときには、出て行きようがありません。
 敵が強いけれど単独のときには、その前後を牽制して、その対応に奔走させて
疲れさせます。敵が力をふるっていて複数のときには、その真ん中を牽制して、
互いに助け合えなくさせます。敵が大きくて広がっていたり、多くて散らばって
いたりするときには、あちらから攻撃したかと思えば、こちらから攻撃して敵を
ほんろうします。そうして、敵を集合させた場合、敵はおしあいへしあいして動
きづらくなり、敵を分散させた場合、敵は守りが薄くなります。そこで、こちら
は軍隊をまとめて一気に突進し、うち勝つことができます。
○意味の解説
 軍隊を分けて左翼・右翼・伏兵を作ることをしないで、兵力を合わせて一気に
突進するというこがあります。しかし、昔はこういった布陣の方法はありません
でした。
 軍隊を東西に分けて喚声をあげて敵を驚かせることをしないで、ひとかたまり
になって一方に急行するということがあります。しかし、昔はこういった攻撃の
方法はありませんでした。
 軍隊を分けて遊撃部隊と掃蕩部隊を作ることをしないで、城にたてこもって固
く守るということがあります。しかし、昔はこういった守備の方法はありません
でした。
 以上の方法は、見せかけとして使ったときには敵を牽制できますし、実際に役
立てたときには不意をつくことができます。
○引証
 三国時代、蜀漢国の宰相である諸葛孔明は、呉国を使って敵兵を牽制し、魏国
を攻撃しました。
 また、魏国の将軍である鄧艾は、部将の錘会を使って姜維の軍勢を牽制し、蜀
漢国を襲撃しました。
 戦闘で牽制する方法はと言うと、鄭軍は、北燕軍を敗北させたとき、三軍を敵
の前方に布陣させ、制圧部隊を使って敵の背後を襲撃しました。諸葛孔明は、曹
丕を攻撃したとき、おとりの部隊を箕山に布陣させ、大軍を使って祁山を攻撃し
ました。
 以上はすべて牽制の方法です。剣術では、わざと他に注意をひきつけて、その
スキに急所をつきます。軍隊を動かすときも同じです。
 105

(67)句―他者を味方にする。
○解字
 人材を隣国から取ること、これを「句」と言います。
○原文
 敵の信用のある人を味方にして、内通者とします。敵の勇気のある人を味方に
して、内応者とします。国交のある国を味方にして、支援となってもらいます。
遠方にある国を味方にして、攻撃を手伝ってもらいます。天下の覇者となった者
は、天下を利用しています。自分の力だけを頼りにして天下の覇者となった者は
いません。
 そもそも他者を味方にするのは、危険な策略です。必ずその裏切りを防止しな
いといけません。恩が十分に相手をつなぎとめることができ、力が十分に相手を
おさえつけることができてこそ、他者を味方にすることができます。
○意味の解説
 自分の力量が足りていて、はじめて異国の人を使えます。もし自分の力量が足
りず、自分の見識が高くなく、自分の根本がしっかりしていないのに、よそから
人材を手に入れようとするなら、いたずらに外人からひっくりかえされ、もてあ
そばれ、いいかげんにあしらわれ、押さえつけられて言いなりにさせられること
になります。
 はなはだしい場合には、こちらが持っているものを盗んで、こちらを馬鹿にし
ます。さらにはなはだしい場合には、うまく屁理屈をこねて、こちらをたぶらか
します。
 しかも、こちらの根本がいまだしっかりしておらず、見識がいまだ高くなく、
力量がいまだ足りていないときには、こちらがもとから持っていたものを捨てて、
あべこべになってよその人につき従うことになります。
 はるか昔から、自分を強化することを知らないで、他者を味方にしようとして
失敗した人は、多くいます。
 他者を味方にするのは、猛毒のヒ素と同じです。こちらの権力が、ヒ素を作る
防風や甘草と同じになり、うまくそれを加工して使えば、病気を治して症状を回
復させることもできます。しかし、危険なのには変わりがありません。
 ですから、「よそから人材を借りるよりも、自分の力量を強くしたほうがよい」
と言われるのです。
○引証
 うまく他者を味方にできたのは、ただ唐代の李愬だけかもしれません。李愬が
任用した丁士良、陳先洽、呉秀琳、李憲、李裕たちは、もともと敵対する蔡国の
将軍でした。しかしながら、智謀と力量がすべて足りていたので、彼らをコント
ロールできたのです。そもそも凡人を使って凡人を味方にしてこそ、はじめてう
まくいくものです。
 その他に外人を味方にしたものには、唐国がトルコ族、ウイグル族を味方にし
 106
た例、後晋国がキタイ族を味方にした例、北宋国がジュルチン族を味方にした例、
南宋国がモンゴル族を味方にした例があります。漢代と三国時代から以降、鮮卑
族、?族、羌族は内地に住むようになりました。唐代、玄宗皇帝のとき、異民族の
将軍が選任されました。
 以上は利が一割で、害が九割でした。他者を味方につけることが、それほど重
視すべきことではありません。大将は軍隊を動かすとき、みずから規準をもつべ
きで、軽々しく他者を味方につけようなどと言ってはなりません。
 107
(68)委―何かを餌にして相手をだます
○解字
 利を餌にして敵を釣ること、これを「委」と言います。
○原文
 物を餌にして敵を乱し、人を餌にして敵を動かし、城塞や土地を餌にして敵を
おごらせます。餌で敵を釣ったほうがよいとき、ひたすら釣ろうとすれば成功し
にくいものですし、じっと釣れるのを待てば成果がないものです。
○意味の解説
 餌で釣るとは、おとりの部隊を使って戦うことです。敵が欲ばりであくせくし
ているときや、敵がどう猛で軽率なときは、こちらの誘いに簡単にのってきます。
もし敵が清廉で、端正で、老練で、慎重であるときは、そう簡単にはおびきよせ
られません。厳格で公正な敵将、訓練の十分な敵軍に出会ったときに、餌で釣ろ
うとすれば、ただ餌を失うだけでなく、利も失います。
○引証
 晋国の荀息は、宝石と駿馬を餌にして、進軍路を確保しました。
 秦国の応侯や漢国の陳平は、黄金を餌にしてスパイを買収しました。
 魏国の曹操や晋国の李矩は、牛馬、兵器、輜重などを餌にして敵をおびきよせ
ました。
 漢国の黄忠は、廃棄した陣地や放棄した城塞を餌にしてワナをしかけました。
 崔浩は、狭い所におびきよせて退路をふさぎました。
 人を餌にして敵をおびきよせることについては、餌で釣る正しいやり方ではあ
りません。李牧はこれを使ったことがありますが、手本にはなりません。
 108
(69)鎮―おちつく
○解字
 変事に出会っても乱れないこと、これを「鎮」と言います。
○原文
 そもそも将軍は、意志です。軍隊は、気力です。気力は、動じやすくて、制し
にくいものです。気力を制することができるかどうかは、将軍が落ち着いている
かどうかにかかっています。将軍が落ち着いていれば、騒動は治められますし、
反乱は静められますし、大軍は滅ぼせます。意志がまっすぐになって計略がまと
まり、気力がわきおこって勇気が倍増すれば、行動してうまくいかないことはあ
りません。
○意味の解説
 落ち着かせる方法は三つあります。一つは道義で、二つは血気で、三つは強制
です。将軍であれ、兵士であれ、その地位が違っていても、全員が少しもあわて
てはいけません。
 戦闘において、旗やのぼりはその目をくらませ、ドラや太鼓はその耳をふるわ
せ、武器や兵器はその心を驚かせます。そのときには、大変なことがなくても、
思わずあたふたしてしまいます。ましてや強敵に包囲されたり、精兵に急襲され
たりしたときには、なおさらです。
 さらに、それによってびっくりさせられることがあっても、このときに挙動が
いつもと同じようであり、態度がいつもと変わらないのは、天から知恵と勇気を
与えられているからではなく、物事に対する自信をしっかりもっているからです。
 それは場合によっては、とりあえず強制されることで、勇敢にならざるをえな
くなっていることもあります。これについて、学者は根拠もなく非難します。
 しかし、これは実際に物事を処理することの難しさを知らないのであって、傍
観者の立場で実務を論じているのです。もし、みずから現場を経験させたなら、
彼らがどれだけあわてるか分かったものではありません。
 ですから、道義、血気、強制は言うまでもなく、その内面で頼るべきものが三
つあります。一つは才能、二つは見識、三つは胆力です。さらに、その外面で頼
るべきものが三つあります。一つは将軍、二つは兵士、三つは兵器です。もし頼
りになるものがなければ、きっと落ち着かせられません。
○引証
 魏晋南北朝時代、謝玄は、別荘で囲碁の勝負をして落ち着いたところを見せ、?
水で戦って符堅を破りました。
 宋代、寇準は、酒を飲んだり、ばくちをしたりしてさわいで落ち着いたところ
を見せ、擅淵を制圧して隆渚を降伏させました。
 その心情が安定し、その計略が安定し、その将軍が安定し、その兵士が安定し
て、その勝利が確定します。ですから、「定まってこそ、よく静められる」と言わ
れるのです。
 109
(70)勝―勝利する
○解字
 戦って克服すること、これを「勝」と言います。
○原文
 およそ戦勝には、勇気によって勝つものがあり、知恵によって勝つものがあり、
人徳によって勝つものがあり、連戦によって勝つものがあり、一戦によって勝つ
ものがあります。
 勇気において勝つには、必ず知恵を使います。知恵において勝つには、必ずシ
ンプルなやり方を使います。人徳において勝つには、必ず善行を積みます。局地
的な勝利に努力しないで大局的な勝利に努力し、その努力をつみかさねて勝利を
確保します。
 もし目先の利益にとらわれて、いたずらに敵の怒りを誘い、敵の心を硬化させ
たり、自軍の気持ちをおごらせて軽率に進んだり、自軍の意志をだらけさせて統
制を失ったりするなら、勝つことはありません。
○意味の解説
 大将は、軍隊を動かすとき、必ず勝とうとする心をもっていれば成功しますが、
そうでなければ失敗します。敗北を心配するのも、勝つための方法ですし、勝利
を確保するのも、勝つための方法です。
 そもそも勝つためには、必ず勝つ将軍を選び、必ず勝つ兵士を育て、必ず勝つ
兵器を作り、必ず勝つ場所におり、必ず勝つ布陣を行い、必ず勝つ陣地を築き、
必ず勝つ計略をめぐらすようにします。
 それで、君主は勝つ意志と勝つ将軍をもつべきですし、将軍は勝つ意志と勝つ
兵士をもつべきです。
○引証
 昔の名将、たとえば孫武、呉起、廉頗、李牧、趙奢、信陵君、白起、王剪、霍
去病、衛青、馬援、班超、趙子龍、李靖、李光弼、李愬、狄青、種世衡、岳飛、
常遇春などは、全員が連戦して不敗だった人です。そのようにできた理由を調べ
ると、それは知恵と勇気があったからにすぎません。
 知恵があっても勇気がなければ、鈍重すぎるようになります。勇気があっても
知恵がなければ、軽率すぎるようになります。軽率でなく、鈍重でなくてこそ、
はじめて大将となれます。
 110
(71)全―まっとうする
○解字
 思いやりが広くゆきわたること、これを「全」と言います。
○原文
 天徳は生かすことを目指し、軍事は殺すことを目指します。天徳を身につけた
人は、「殺して人民を平安にできるのなら、殺しても人民を害することにならない
し、戦争して暴力をなくせるのなら、戦争しても暴力をふるったことにならない」
と知っています。
 そこで、戦わないで敵を降伏させる計略をたてて、都市の被害を最小限にしま
す。みだりに殺すことを禁止して、人民の被害を最小限にします。損害を出さな
い戦い方を心がけて、軍隊の被害を最小限にします。
 成功をほしがってはいけません。利益をむさぼってはいけません。欲望をたく
ましくしてはいけません。力を誇示して脅してはいけません。
 都市が陥落しても住民がパニックにならないで、いつもと変わらない生活が行
われるようにします。それができなければ、それはまっとうしたとは言えません
し、生かしたとは言えません。
○意味の解説
 歴史を通じて、大いに国家を治めて人民を救い、大いに世の中に恩恵をもたら
すことが三つあります。一つは軍隊、二つは刑罰、三つは食糧です。軍隊を使う
ことで天下万民を保護できますし、刑罰を使うことで天下万民を防衛できますし、
食料を使うことで天下万民を救済できます。
 りっぱな人は、その生き方として、みずから進んで世に出るときには、必ず心
をつくし、考えをつくして、より良い政治を行います。しっかり学んでから、役
人となって政府に仕え、他者に貢献できるように駆け回り、物事が順調にいくよ
うに走り回り、つとめて天下万民の生活を支援して、一人一人がその人生をまっ
とうできるようにします。これが聖人や賢人、智者や勇者がいつも心に願ってい
ることです。
 ですから、戦争の技術は、つねに人を殺すものとなりますが、戦争の効用は、
必ず人を生かす結果をもたらします。
○引証
 鄧禹は百万人の大軍を率いて戦争したとき、一人としてみだりに殺したことが
ありませんでした。
 曹彬は江南に遠征したとき、全軍の前で宣誓式を行い、一人としてみだりに殺
してはならないと言いました。
 その後、鄧禹の子孫は、身分が高まって評判が上がりました。曹彬の四人の子
供は、全員が賢者としてたたえられました。
 人を殺すことを取りしきってこそ、はじめて人を生かす成果をあげられます。
このときには、天地が必ず助けてくれます。ですから、将軍は知恵、信義、仁愛、
 111
勇気、厳格の五つの徳をもたないといけないのです。112
(72)隠―姿をくらます
○解字
 人から見えないとことに身を隠すこと、これを「隠」と言います。
○原文
 大将が軍隊を動かすとき、とても慎重であることについては、すでに「言」や
「謹」のところで述べたとおりです。しかしながら、戦場に出て敵軍と戦い、軍
隊を率いて将軍を動かすときには、思いもよらないことが多く起きるものです。
 一軍の進退にかかわるものについては、違いをきわだたせて兵士の先頭に立つ
ようにします。戦争の勝敗にかかわるものについては、安全策を考えて全軍の頼
りになるようにします。
 行動するときには、どこから来たのか分からないようにし、待機するときには、
どこに隠れているのか分からないようにし、偽装して軍隊を隠すようにすべきで
す。儀式で兵士がずらりと整列しているところに入るときには、出席しても決し
て目立たないようにふるまいます。そうするのは、大将には身を隠すことも必要
だからです。
○意味の解説
 兵書はたくさんありますが、保身の方法については少ししか書かれていません。
 思うに、兵士を動かすときには、兵士の先に立って実行することが大切です。
将軍本人が隠れていたなら、だれが兵士を統率し、どうやって戦争に勝利すれば
よいのでしょうか。ですから、姿をくらますのは、常套手段ではありません。
 しかしながら、悪人から目をつけられて害されるのを防ぎ、わざわいがふりか
かるのを用心するためには、ふだんから目立たないように身を隠すわざを身につ
けておくのも大切です。そうしてはじめて悪人や刺客から命を狙われずにすみま
す。
 後漢国の将軍である岑彭は遠征先で暗殺されましたが、こういった史実は参考
にすべきであり、そうなったのは身を隠すのが不十分だったからです。ですから、
大将は戦場に出たとき、敵軍に対しては身を隠しますが、自軍に対しては姿を隠
さないようにし、寝るときは身を隠しますが、戦うときは姿を隠さないようにし
ます。
○引証
 身近で元気な衛兵を使って内部の警備を厳重にし、番犬や警報機を使って外部
の防備を厳重にします。さらに居るときには複数の部屋を用意し、行くときには
ボディーガードを用意します。
 もしくは、陰陽の変化にもとづいて人の目をくらまし、身を隠す術にもとづい
て日ごとに占って居場所を決め、ただ信任している人にだけ居場所を教えるよう
にします。
 もしくは、兵士になかにまじって働き、その集団に身を守らせ、敵だけに姿が
分からないようにします。
 113
 春秋時代、斉侯の御者である丑父が斉侯のふりをして晋軍にとらわれたおかげ
で、斉侯は晋軍から無事に逃げることができました。また、晋国の君主である文
公は、秦国の君主である秦伯とひそかに話し合い、反乱軍にもぬけのからの宮殿
に火をつけさせ、そのすきに逃げて秦軍の協力を得て反乱軍を倒しました。以上
はすべて身を隠す良い方法です。
 秦末漢初、漢王の劉邦は、早朝に韓信と張耳の陣地に潜入して、その軍隊をお
さえました。また、春秋時代、宋国の宰相である華元は、楚軍の大将である子反
の寝室に侵入して、楚軍の撤退を要請しました。
 心配は身を隠せないことにあります。