兵法百言ー法編ー1 | 覚書き

覚書き

ブログの説明を入力します。

 44
法篇(四十四字)
 軍事を語る者は、多くがムダ話です。その知識に詳しくて、原則をわきまえて
いるのを使って語っているのです。原則はどうやって定まるかと言えば、戦争で
定まります。戦争はどうやって定まるかと言えば、実戦で定まります。実戦と戦
争は、兵法の源泉です。岳飛は「用兵の妙は、一心に存す」と言っています。こ
の言葉というのは、どうして実戦と戦争に精通していない人が言えるでしょうか。
世の中の学者には、まちがって理解している人が多くいます。ですから、「智篇」
に続いて「法篇」を書いたのです。原則は、兵家の実務です。
 45
(29)興―たちあげる
○解字
 はかりにかけて動くこと、これを「興」と言います。
○原文
 およそ戦争を始めるには、必ず大勢の先後や緩急を判別して事を決め、彼我の
情況や利害を考慮して作戦を行い、自分を守って相手を制するのを目指します。
 外を厳重にして内を防衛したり、根本を堅固にして土台を拡充したり、味方を
取り除いて勢力を孤立させたり、首領を捕らえて集団のまとまりをなくさせたり、
強いものを攻めて弱いものを震えさせたりします。
 また、拒んだり、交わったり、掃討したり、懐柔したり、包囲したり、守備し
たり、遠のいたり、近づいたりします。
 さらに、二つのことを同時に行ったり、一つの作戦に専念したりします。そし
て、一つ一つ細かく見きわめ、照らし合わせて良いほうを取り、どうするかを決
定します。
 そのうえ、周到に準備して実行し、柔軟に動いて変化に対応することができれ
ば、転戦しながら進むにあたり、大勝できます。
○意味の解説
 戦争を始めて軍隊を動かすとき、聖人は理義を考慮し、賢人は利害を考慮しま
す。しかし、実際のところ、理義と利害は二つのものではありません。
 筋が通っていて乱れていないこと、これを「理」と言います。なすべきことを
なすこと、これを「義」と言います。
 理義にかなっていれば、必ず利となりますし、理義にもとっていれば、必ず害
となります。聖人はこれを拡大するのに徳を使い、智者はこれを達成するのに技
を使う点で、微妙に違っているにすぎません。
 聖人は必ず智者を将軍とし、智者は必ず聖人を頼りとします。智者を将軍とす
るので、徳は技によって神妙となります。聖人を頼りとするので、技は徳によっ
て正しくなします。
○引証
 湯王や武王による討伐は、徳を尊び、そのために必ず戦争の行く末を考えまし
た。
 桓公や文公による覇業は、力を尊び、そのために必ず尊王を大義名分としまし
た。
 聖人は「事に臨んで恐れない」と言いました。
 孫子は「陣容の堂々とした軍隊を攻撃してはならず、軍旗の整然とした軍隊を
迎撃してはならない」と言っています。
 すべて理義にかなって利害にのっとったものです。
 かの儒学を「迂闊」と言ったり、兵家を「詐欺」と言ったりする人は、すべて
深く考えていないのです。
 46
(30)任―すべて任せる
○解字
 人を用いるときには必ずすべて任せること、これを「任」と言います。
○原文
 上の人が統御すれば、軍隊は勝手にできません。下の人が反抗すれば、軍隊は
軽率になります。
 ですから、将軍は専制によって成功し、権限を二分することによって成果が違
ってきます。権限を三つに分ければ、軍隊はだらしなくなりますし、権限を四つ
に分け、五つに分ければ、軍隊は騒いで逆らいます。
 さらに将軍は、口出しさせてはいけません。口出しされると必ず思うようにい
かなくなります。わき見をしてはいけません。わき見すれば必ずみだりに聞いて
しまいます。悪口を聞いてはいけません。悪口は嫌わなければチームワークを乱
します。
 ですから、大将は戦場にいるとき、皇帝の許可をまたずに賞を増やしたり、処
罰を加えたりし、機会を見て進んだり、止まったりすることがあるのです。
 将軍が配下の部将を統制するときには、上から一方的に部将をおさえつけたり
しません。部将を統率するのがうまい人は、人を選んで仕事をすべて任せるにす
ぎません。
○意味の解説
 昔から今まで、仕事を任せないで成功した例はありません。仕事の責任者を複
数にすれば失敗する理由は、次のとおりです。
 責任者が複数いれば、心がそろわず、考えが一つにならず、見識が同じになら
ず、勇気が似通いません。それで、権力を争ったり、才能をねたんだり、手柄を
盗んだり、過失を人のせいにしたり、損害をおしつけたりします。
 はなはだしい場合には、悪く言ったり、邪魔したり、報復したり、殺したり、
変えたりします。だから失敗するのです。すべて権限が分散して一つでないこと
によって、そのようにひどくなるのです。
 昔の国政を担う人は、人材を選ぶときには必ず精選し、人材を用いるときには
必ず適任をあて、人材に仕事をさせるときには仕事をすべて任せ、人材を信じる
ときには必ず手厚く信じました。ですから、すぐれた人材も、出征先で役に立つ
ことができて、戦勝という功績を大いにあげられるのです。
 昔の手本となる資料を見ていきますに、だいたいこのようなものです。君主が
大将を任用する場合、大将が人材を任用する場合は、すべて仕事を任せるべきで
す。
○引証
 秦末漢初、韓信は大将に任命されて全権を委任され、劉邦に漢王朝を樹立させ
るという手柄を成し遂げました。
 唐代、唐国は辺境に九人の節度使を置くことで、辺境に軍閥を作らせることに
 47
なりました。
 ですから、「家に二長なく、軍に二将なし」と言われるのです。まったくそのと
おりです。
 48

(31)将―将軍
○解字
 才徳を兼備しているもの、これを「将」と言います。
○原文
 学問のある将軍がいます。勇ましい将軍がいます。思い切りのよい将軍がいま
す。巧みな将軍がいます。器用な将軍がいます。
 学問のある将軍は知恵をめぐらします。勇ましい将軍は戦います。思い切りの
よい将軍は大胆に行います。巧みな将軍は思いのままにできます。器用な将軍は
複数のことを同時に行うときには神のように処理でき、準備するときには万全に
できます。
○意味の解釈
 将軍を用いるのは、薬を用いるようなもので、病気にあうようにするだけです。
 敵が悪賢いなら、学問のある将軍で対処します。
 敵が残忍で乱暴なら、勇ましい将軍で対処します。
 敵が険しいところに陣取っているなら、思い切りのよい将軍で対処します。
 敵が陣地を堅固にしているなら、巧みな将軍で対処します。
 敵が便利な道具をもっているなら、器用な将軍で対処します。
 学問のある将軍は、奇策を繰り出します。
 勇ましい将軍は、突破します。
 思い切りのよい将軍は、深く入りこみます。
 巧みな将軍は、兵隊を訓練します。
 器用な将軍は、道具を開発します。
 このなかの将軍を一人もてば、国防を堅固にできます。全部の将軍をもてば、
敵を滅ぼせます。
○引証
 学問のある将軍は、たとえば管仲、諸葛孔明、孫武、呉起などです。
 勇ましい将軍は、たとえば張桓侯、趙子龍、尉遅敬徳、常遇春などです。
 思い切りのよい将軍は、たとえば鄧艾、魏延、李愬、狄青などです。
 巧みな将軍は、たとえば程不識、周亜夫、李靖、李光弼、戚継光、李穆堂など
です。
 器用な将軍は、十二攻法や十二守法で有名な墨子や公輸子などです。
 49
(32)輯―まとまり
○解字
 たくさんの人が心を一つにすること、これを「輯」と言います。
○原文
 まとまって仲良くしているのが、治安のゆきとどいている証拠です。国内で仲
良くすれば、兵士のやる気が増します。国境で仲良くすれば、緊急警報に驚かさ
れることがありません。
 取り急ぎ軍隊を管理するときには、特に仲良くするのを大切にします。君主と
臣下が仲良くして、はじめて仕事を任せられます。宰相と将軍が仲良くして、は
じめて手柄をたてられます。将軍と兵士が仲良くして、はじめて恩賞を互いに譲
り合い、危険なときに互いに助け合います。
 これが、まとまって仲良くしているということであり、国を治め、軍隊を動か
すにあたっての、つねに変わらない最善の方法です。
○意味の解説
 智篇のなかの「謹」、術篇のなかの「回」、この法篇のなかの「輯」は、すべて
国を治め、軍隊を動かすにあたっての、この上なく深くて最もすぐれたやり方で
す。
 思うに、天の時は地の利にかなわず、地の利は人の和にかないません。兵士が
まとまって仲良くしていて、そこにさらに訓練を加えれば、庶民はすべて兵士と
なり、兵士はすべて将軍となり、将軍はすべて大将となります。
 これを使って守れば堅く、これを使って戦えば鋭く、これを使って危険に立ち
向かえば勝ちます。敵国や外国から攻撃される心配があっても、どうして思い悩
む必要があるでしょうか。
 どうやってまとまらせるのかと言えば、「恩恵」を使います。どうやって仲良く
させるのか言えば、「正義」を使います。どうやって結束させるかと言えば、「信
用」を使います。どうやって鋭くさせるかと言えば、「紀律」を使います。どうや
って勝たせるかと言えば、「兵器」を使います。
○引証
 殷末周初、武王が紂王を討伐したとき、三千人が心を一つにしました。
 戦国時代、呉起が軍隊を管理したとき、招かないのに一万人が集まりました。
 王道と覇道の違いがあるとはいえ、人の心はどうして違っているでしょうか。
 ですから、呉子は「一致団結している軍隊を向かうところに投入すれば、天下
に太刀打ちできる者はない。これを名づけて父子の兵と言う」と言っています。
 50
(33)材―人材を集める
○解字
 非凡も、平凡も、まとめて蓄えること、これを「材」と言います。
○原文
 王者には「股肱」や「耳目」といった側近があり、大将には「羽翼」や「賛助」
といった側近があります。軍隊が人材を用いるのは、朝廷における場合と同じで
す。
 第一として、智士は、参謀の類いです。参画とも、謀主とも言います。戦場で
作戦を計画する仕事をして、軍事上の機密事項を決めます。動くときには必ず智
士に相談します。
 第二として、勇士は、勇将の類いです。健将とも、猛将とも言います。決戦を
担当して、衝突に備えます。兵隊を率いて先頭に立ちます。
 第三として、親士は、たとえば私将、手将、帷将、牙将などであり、つねに身
近なところにいて護衛を担当します。命令を広く伝え、主力を指揮します。
 第四として、識士は、適切な布陣の仕方を分かっており、変化を知り、雰囲気
から先行きを探り、太陽のまわりにあらわれる雲気を測定して吉凶を占い、風雨
を事前に察知し、地理を熟知し、敵情を白日のもとにさらし、微かなものを知り、
隠れたものを察します。一軍の進退を担当します。
 第五として、算士は、国勢を細かく見きわめ、困難を逆転して有利とし、不意
打ちをねらい、食糧を工面し、物資の使用を管理し、功績による賞与を記録し、
兵隊を名簿に記載し、四方につながる道路を測定し、多寡を割って計算できます。
 第六として、文士は、歴史に精通し、根本の道理を探究し、礼儀と節度をしっ
かり守り、徹底して議論し、回覧用の文章を組み立て、文書の解釈を著し、文章
を明らかにします。
 第七として、術士は、日時の良し悪しに詳しく、陰陽を見、占いで吉凶を探り、
思い通りに時勢を一変し、毒薬を調合し、可否を臨機応変に判断し、こちらを利
して相手を損ないます。
 第八として、技士、剣客は、決死の兵士を命じ、軽く盗み取り、奥義を受け継
ぎ、間諜に精を出し、デマを流し、敵陣に出入りし、チャンスを見て上手に乗じ
ます。
 第九として、芸士は、才能ある人材を測定し、堀や溝を設計し、損壊したもの
を修理し、人知では考えられないようなすごいものを作り出し、大きいものを倒
して小さくし、遠い距離を縮めて近くし、上を変えて下にし、重いものをひるが
えして軽くし、兵器を選んで整えて、攻守を万全にします。
 第十として、別材は、たとえば芝居がうまい、舞うのがうまい、笑わせるのが
うまい、罵るのがうまい、歌うのがうまい、鳴くのがうまい、乾かすのがうまい、
投げるのがうまい、踊るのがうまい、飛ぶのがうまい、絵を描くのがうまい、料
理を作るのがうまい、染色や塗装がうまい、物事をカバーするのがうまい、足が

53
(35)鋒―勢いが鋭い
○解字
 堅固に結束している相手を打破できること、これを「鋒」と言います。
○原文
 天・地・風・雲・竜・虎・鳥・蛇の八陣のほかに、さらに十軍を作るのは、丁
寧に区別して任務を分け、軍隊の鋭鋒とするためです。
 一つは親軍(親衛隊)で、それは故郷や実家の成年男子で、大将を護衛する者
です。
 二つは游兵(遊撃部隊)で、巡視してすばやく察知し、臨機応変に処置します。
全軍の行動はすべて游兵にかかっており、そのなかには猿が木に登るように、狼
が身をかがめるように、蛇が地をはうように、鼠が伏せて隠れるように、険しい
ところに陣取り、目立たないところを通り、城壁を乗り越え、本陣を通り抜ける
といった類いのものです。
 三つは憤軍(先鋒隊)で、それは敵を討つことで以前の不名誉を挽回しようと
考え、力をふるって戦いで真っ先に敵陣に突撃したいと願う人です。
 四つは水軍(水上戦闘部隊)で、波間に出没して、舟を転覆させ、舵を奪いま
す。
 五つは火軍(火器を使う部隊)で、火箭を飛ばし、地雷を仕掛け、遠くの敵陣
を攻撃します。
 六つは弩軍(石弓を使う部隊)で、穴に隠れて弓矢をひきしぼり、一斉に矢を
放ち、百歩より遠くにいる敵を制します。
 七つは衝軍(突撃部隊)で、その力は山岳をふるわせ、その気は軍旗を切り裂
き、それによって大軍を倒し、強敵を捕らえます。
 八つは騎軍(騎馬隊)で、ひときわ強くてすばやく、両軍の間を飛ぶように駆
け回り、遠い場所、広い範囲を追撃します。
 九つは車軍(戦車隊)で、才能と力量が敏捷で、戦車の装甲によって漸進して
飛んでくる矢や石をはねかえし、走ってくる騎馬を撃退し、敵に騎馬による突撃
をできなくさせます。
 十は工軍(工兵部隊)で、防塁や堀を作り、障害物を破壊し、道路や橋梁を整
備し、それによって軍隊の苦労を軽くし、軍隊の行動を便利にします。
 以上の十軍は、親軍と游兵は中軍にいて護衛し、その他はつねに八隅に分かれ
て整列します。隅にいるときには、それぞれ守りにつきます。合わさったときに
は、一緒に出撃します。伸縮したり、集散したりして、一つの陣営を有機的に結
び付けます。ただこれのおかげで全体がつながるのです。
○意味の解説
 まだ戦っていないときは、もちろん人材を豊富にして、その多くを任用するよ
うにすべきです。戦うときには、さらに命令を簡潔にして、みんなの心が一つに
なるようにすべきです。とりあえず部隊を増やして布陣するだけなら、必ず負け
 54
ます。
 人材がいくえにも重なり合い、兵器の配置がばらばらなのは、まったく兵家が
特に避けるべきとするものです。中国の布陣にもこういった道理があり、ただ西
洋人だけが自在に布陣して、部隊を散開させることを利とするのではありません。
そのときには、その数十の部隊は、分かれたり、合わさったり、遠のいたり、近
づいたり、表れたり、隠れたり、伏せたり、動いたり、使われたり、使われなか
ったり、備えたり、備えなかったりするわけですが、すべてはその地勢を見て、
その兵勢をはかって、それを規準として行うべきです。八隅の例にこだわって、
みずから間違ってはいけません。
 古来、ただ知恵と勇気にすぐれた人だけが、はじめて多くの人材を使いこなす
ことができました。また、ただ道徳と礼儀を十分に身につけ、仁愛と正義をまっ
とうし、原則と規律を大切にし、人材を豊富にした人だけが、はじめて多くの人
材を使いこなすことができました。八陣を改めて六花陣としたのもおかしくあり
ません。
○引証
 宋代、韓世忠と岳飛は、敵を殲滅するにあたり、ただ皇帝直属の八百人の兵士
を用いただけでした。
 春秋時代、越王は、覇者となるにあたり、ただ完全武装の五千人の兵士を召集
し、そして精鋭の三十六人に配分しただけでした。
 後漢の時代、光武帝のもとには三十二人の名将がいました。
 以上はすべて敵兵に突撃して敵陣を陥落させられる軍人です。行く先々で彼ら
を使えば、思うようにならないことはありません。どうしていたずらに陣地をめ
ぐらして自衛したりするでしょうか。
 55
(36)結―リーダーのもとに結束させる
○解字
 君主を尊び、上の人に親しむこと、これを「結」と言います。
○原文
 全軍の兵士は多くいます。自分のもとに一つにさせられるのは、ただ兵士の気
持ちを考えて、その満足をはかることで、兵士を自分になつけさせるからにすぎ
ません。
 智者はこれを活用し、勇者はこれに努力し、願望のある人はこれを遂行し、不
屈の人はこれを確立します。
 その憤りを口にし、その仇を討ちます。
 病人を見たときは、自分が病気であるかのようにあわれみます。
 処刑を行うときには、非常に残念がります。
 功績があれば、たとえ小さなものでも、必ず記録します。
 支援を取り付けた人は、普通ではない恩賞を与えます。
 獲得したものがあれば、これを平等に分け与えます。
 つらい仕事をしていれば、手厚くあわれみます。
 兵士を慰労するときには、誠意をつくします。
 敵にうち勝つときには、殺すのを少なくします。
 もしこのようにできたなら、ただ全軍が指示どおりに動くだけでなく、世の中
の全員が評判を聞いて馳せ参じてきます。
○意味の解説
 上は湯王や武王の仁義の兵隊から、下は桓公や文公の節度ある軍隊まで、それ
が君主の思いのままに動き、戦えば必ず勝ったのも、君主が兵士の心をしっかり
つかんでいたからにすぎません。
 兵士を自分の手足のように見れば、兵士は手足のようになろうとします。兵士
を自分の腹心のように見れば、兵士は腹心のようになろうとします。
 いまだ上の人が下の人に施しながら、下の人が上の人に報いないということは
ありません。いまだ上の人が下の人を慈しみながら、下の人が上の人を愛さない
ということはありません。いまだ上の人が下の人に誠意を尽くしながら、下の人
が上の人を欺くということはありません。いまだ上の人が下の人に信義を尽くし
ながら、下の人が上の人を疑うということはありません。
 ですから、「一軍をつなぎとめれば、一軍に君臨でき、天下をつなぎとめれば、
天下に君臨できる」と言われるのです。
○引証
 三国時代、太史慈は食糧を贈ってくれた孔融の徳に感じて、孔融を救いました。
 春秋時代、霊輒は飢えているときに食事を食べさせくれた趙盾の恩に感じて、
趙盾を救いました。
 飲食だけでも、このようにしっかりと人の心をつかめます。ましてや恩徳の大
 56
きなものの場合は言うまでもありません。
 ですから、りっぱな人は、自分が誠実でないのを憂えても、人民がてなずけら
れないのを憂えたりしません。
 57
(37)馭―人をコントロールする
○解字
 欲張りを使いこなし、うそつきを使いこなすこと、これを「馭」と言います。
○原文
 戦争は善事ではありません。利益をもたらす才能は、そのまま損害をもたらす
才能となります。武者は必ず人を殺し、勇者は必ず非道なことをし、智者は必ず
人を欺き、謀者は必ず残酷なことをします。戦争には武・勇・智・謀の人が欠か
せませんが、それはつまり殺し・非道・欺き・残忍といったことがついてまわる
ということです。
 ですから、うまく人をコントロールする人は、その能力を使いながら、それが
悪事とならないようにし、その利益を収めながら、それが損害を与えないように
します。
 そのときには、天下にその才能を非難する人はいなくなり、仇敵も招聘できま
すし、外敵も懐柔できますし、盗賊も役立てられて遠くにいる人も使えます。す
べては人のコントロールにかかっています。
○意味の解説
 いたずらに恩恵によって心をつかむだけで、遠い先のことまで深く考えて人を
コントロールすることがなければ、全軍の兵士は傲慢になるか、怠惰になるかし
ます。
 そこで、コントロールする方法には五つがあります。
 一つは徳で、禹益の軍隊です。
 二つは公正で、湯王と武王の軍隊です。
 三つは正義で、桓公と文公の軍隊です。
 四つは節度で、孫子と呉子の軍隊です。
 五つは権謀で、司馬懿と曹操の軍隊です。
 使い方は違うといっても、人材をコントロールできた点では一緒です。
 さらに目に見えない形で人をコントロールするものが二つあります。
 一つは気で、君主の意気が盛んなら、人は逆らおうとはしません。
 二つは勢いで、軍隊の勢いが盛んなら、兵士は裏切ろうとしません。
 これにはさらに将軍をコントロールできるほどの手腕が必要であり、いたずら
に遠い先のことまで深く考えるだけで達成できるものではありません。
 ですから、将軍の意気が盛んでなければ、将軍にする必要はありませんし、軍
隊の勢いが盛んでなければ、軍隊を動かす必要はありません。
○引証
 仇敵を招聘できた例としては、後漢の時代、張歩は光武帝の使者の伏隆を殺し
ましたが、光武帝は張歩軍を撃破したあと、張歩を殺さずに招聘して部下としま
した。
 外敵を懐柔できた例としては、三国時代、孟獲は蜀漢国にある益州を騒がして
 58
いましたが、蜀漢国の宰相である諸葛孔明は孟獲を攻め滅ぼさないで懐柔しまし
た。
 盗賊が役立てられた例としては、三国時代、魏国の虞?が三科を設けて壮士を募
集しました。
 遠くにいる人が使われた例としては、唐代、玄宗皇帝は安史の乱が起きたとき、
異民族出身の哥舒翰を将軍に抜擢して用いました。
 59
(38)練―訓練する
○解字
 弱者を強者に変えること、これを「練」と言います。
○原文
 やろうと思いながら、力がなえてしぼむのは、気力が衰えているのです。力が
ありながら、心がすくんでくじけるのは、胆力が失われているのです。気力が衰
え、胆力が失われたなら、知恵と勇気がなくなって役立ちません。
 ですから、勢いを確立するのに気力を練り、勝利を思いのままにするのに胆力
を練り、みんなの心を同じにするのに気持ちを練り、教育を一つにするのに陣法
を練るのです。
○意味の解説
 股肱となる優秀な人材がおり、腹心となる勇猛な将軍がおり、攻守に適した地
勢があり、優良な兵器があり、分散と集合が自在にできる陣形であり、十分な食
糧があるのであれば、将軍は安心して軍隊を動かせますし、軍隊は安心して将軍
に従えます。どうして気力が雄大とならず、胆力が壮大とならず、気持ちがつな
がらず、教育が引き締まらないということがあるでしょうか。
 もし人材が乏しく、勇士が少なく、地形が偏り、兵器が欠け、陣法が粗末で、
費用が減少し、無理して戦争を行ったとします。昔から今まで、こんな状態で貧
困している子供、疲弊している成人男子を率いて、強くてすぐれた相手に勝てた
ということがあったでしょうか。そんなときには、だれも忠義を尽くしません。
何かするとすぐに障害にぶつかるだけです。
 ですから、勢いを確立するとは、必勝の形勢を作り上げることです。勝利を思
いのままにするとは、必勝の道理を掌握することです。みんなの心を同じにする
とは、必勝の気持ちを共有することです。教育を一つにするとは、必勝の事柄を
練習することです。
○引証
 春の狩り・夏の狩り・秋の狩り・冬の狩りを使って、季節ごとに車兵と歩兵を
選抜したこと、天陣・地陣・風陣・雲陣を使って、立秋に布陣を演習したこと、
そして六朝の時代では陣地戦をきわめたこと、神宗と元朝は鉄砲を利用したこと、
以上はすべて昔の兵士を訓練する最良の規準でした。
 恩徳があまねくゆきわたれば、訓練が手落ちなくゆきとどきます。訓練が手落
ちなくゆきとどけば、何事も恐れない気力が強まります。
 60
(39)励―やる気を高める
○解字
 喜んで物事に取り組ませ、できる人をほめること、これを「励」と言います。
○原文
 兵士のやる気を高める方法は、規則を使いません。
 名誉になるなら、気が強くて勇ましい人は奮起します。
 利益になるなら、がまん強い人は奮起します。
 勢いに乗せたり、窮地に立たせたり、うまくだましたりするなら、弱い人も奮
起します。
 将軍がやさしさと厳しさを合わせもち、計画したことがすべてうまくいくなら、
全軍の兵士は、虎が飛びかかるようにすばやくなり、龍が構えるようにあなどり
がたくなり、敵にあえば勝てます。
 さらに、勢いを確立し、威力を助長し、節度に満ち、気力を保ちます。敗走し
てもその鋭さが損なわれることはありませんし、危なくなってもその心が動揺す
ることはありません。そのときには、どんな人も、どんな時も、奮起できます。
○意味の解説
 やる気を高めることには、二つの内容があります。一つは形のある動機付けで、
もう一つは形のない動機付けです。形のある動機付けは、賞罰です。形のない動
機付けは、言葉です。多額の懸賞金をつければ、大きな仕事がすぐに達成されま
す。簡単な言葉でほめれば、抜群の手柄がたちどころに成し遂げられます。それ
もこれをうまく使っているから、できるのです。
 やる気を高めることには、二つの奇があります。一つは他人による動機付けで、
もう一つは自分による動機付けです。他人による動機付けは、位を定めることで
す。自分による動機付けは、気を養うことがあります。賞罰の規定が厳正に定ま
っていれば、兵士は全員が奮起します。忠義が堅持されていれば、いくら挫折し
ても心変わりしません。それもこれをうまく導いているから、できるのです。
 うまく使うので、敗走しないですみますし、うまく導くので、危なくならない
ですみます。
○引証
 戦国時代、秦国と魏国は兵士を訓練して、兵士はすべて精鋭を選び、手柄をた
てた者に給与と地位を与えることで兵士をやる気にさせました。
 前漢の時代、陳平と周勃が軍隊に君臨したとき、軍隊はすべて味方につきまし
たが、言葉と忠義で兵士をやる気にさせたのです。
 ただ道徳による教化があってはじめて、形式を用いることができます。ただ信
義があってはじめて、実力を用いることができます。
 61
(40)勒―統制する
○解字
 強くて荒々しい人をおさえてひれふせさせること、これを「勒」と言います。
○原文
 馬を統制する人は、必ず手綱を使います。兵士を統制する人は、必ず法令を使
います。ですから、天下に君臨する人は、法をゆるませないのです。
 しかしながら、恩恵が十分であってこそ、刑罰を施行できます。刑罰が行われ
て、はじめて威光がゆきわたります。
 そういうわけで、用兵のうまい人は、成功したか、失敗したかを規準にして功
罪を評価し、戦ったか、逃げたかを明らかにして手当てをします。
 一人を殺害することで全員が恐れ、一兵を処刑することで兵士がますます奮起
します。止まるときは山のようにどっしりと構え、動くときはなだれのように勢
いがあります。こうして兵士に法をあなどらせません。ですから、勝利はあって
も、敗北はないのです。
○意味の解説
 軍隊を管理する方法は、もちろん簡単なものではありませんが、そのなかでも
特に難しいのが統制です。
 法令を厳密にするのは、勇猛な男子、強気な兵士が喜んで受け入れるものでは
ありません。それにもかかわらず、彼らの感情に背き、彼らの性格に逆らって、
それによって彼らに死力を尽くさせようとするのですから、難しいのも当然です。
 ですから、やさしくしすぎて、将兵がおごり高ぶれば、恩恵も役に立たなくな
ります。厳しくしすぎて、将兵が反乱すれば、法令も役に立たなくなります。個
人の好き嫌いをさしはさみ、人の多くが私的に評価を議論すれば、成果によって
公正に賞罰を決める方法も役に立たなくなります。財源からの支出が減り、人の
多くが失望すれば、恩賞によって兵士のやる気を高める方法も役に立たなくなり
ます。いきなり事態が大きく変わり、指令が間に合わなければ、武器も役立たな
くなります。
 もし最善の手段で兵士をコントロールすることがなければ、どうして人を殺害
することで全員が恐れ、人を処刑することで人がますます奮起するということに
よって、こちらの法令に従って違反がないようにさせることができるでしょうか。
 最高の手段とは何かと言えば、こうです。人を苦労させるより、まず自分が苦
労します。人に厳しくするより、まず自分に厳しくします。人に節約させるより、
まず自分が節約します。人を疲れさせるより、まず自分が疲れます。人をひきし
めるより、まず自分をひきしめます。
○引証
 昔の大将は、兵士全員が食べていなときは食べず、兵士全員が着ていないとき
は着ず、兵士全員が寝ていないときは寝ず、戦うときは先頭にたち、退くときは
後方を守り、戦利品を得たときは兵士に取らせ、恩賞を与えられたときは兵士の
 62
手柄としました。ですから、人は心服して進むも退くも一心同体で、成果を成し
遂げられたのです。
 もしただ単に法令を使って兵士を縛るだけなら、馬を操るのと同じように、急
ぐときには必ず敗北します。また、車を操るのと同じように、迫るときには必ず
転覆します。
 思うに、大らかに好きにさせれば悪人がのさばり、厳しく追い立てれば人々が
離れていって、その弊害は同じです。
 漢代、程不識は警戒が厳粛で、将兵のだれもが苦々しく思いました。唐代、李
光弼は軍令をひきしめて整えましたが、田神功はこれを嫌って最後まで命令に従
いませんでした。
 どうして厳しくするだけで効果があがるでしょうか。厳しくして自分を正して
こそ、はじめて効果があがるものです。ですから、大将はまず自分を正すのです。
 63
(41)恤―思いやる
○解字
 兵士を慈しみ愛すること、これを「恤」と言います。
○原文
 才能のある人は、めったに生まれてきません。
 智謀のある兵士は、才能を自負しており、意見が採用されないと、敵に身を投
じて、こちらにはむかおうとします。将軍たる者は、虚心で訪問し、他の兵士と
同等に扱ってはいけません。これが兵士を思いやる方法の一つです。
 武勇の兵士は、霜にうたれて野宿し、飢えても風にさらされて戦い、体に傷を
受けても文句を言わず、困難を経験しても「きつい」と言いません。ですから、
用兵のうまい人は、敵に苦しめさせませんし、法に苦しめさせません。これも兵
士を思いやる方法の一つです。
○意味の解説
 智謀の臣下と勇敢な兵士は、軍隊の最高の宝です。かりに最高の宝を得ながら、
かわいがらず、重んじず、守らず、大切にせず、瓦礫などのように使い捨てにし
たとします。
 それで、もし敵に招かれ、その人がこちらの害となったなら、言うべき言葉も
ありません。
 ですから、智謀の臣下を用いるときには、去るに忍びなくさせるべきですし、
勇敢な兵士を用いるときは、背くに忍びなくさせるべきです。
○引証
 戦国時代、商鞅は、魏国を去って魏国を害しようとたくらみました。魏国の恵
王が用いることができなかったからです。
 秦末漢初、韓信は、楚国を去って楚国を害しようとたくらみました。楚国の覇
王が用いることができなかったからです。
 才能ある人を敵に与えた場合、その害の大きさはこのくらいにまでなるのです。
 もし思いやる方法を使って才能ある人を優遇したなら、その人を定着させ、心
服させて、決してこちらの害とならせることはありません。
 定着させるのは仁愛で、心服させるのは知恵で、仁愛と知恵をまっとうするの
は大将です。
 64
(42)較―成績を評価する
○解字
 才能や勇気を考課すること、これを「較」と言います。
○原文
 失われています。
○意味の解説
 才能は上下を見分けず、技術は優劣を見分けず、勇気は大小を見分けず、功績
は軽重を見分けなければ、できる人は賞しようがありませんし、できない人は力
づけようがありません。それに、評価もしないで、だれが全力を出して上の人の
命じた仕事をしようとするでしょうか。これが考課の方法が、必ず講じられなけ
ればならない理由です。
 部隊において考課するポイントは、一つは意気です。盛んな者は用いますが、
衰えている者は用いません。二つは身体です。強い者は用いますが、弱い者は用
いません。
 演習において考課するポイントは、一つは腕前です。精妙な者は用いますが、
粗雑な者は用いません。二つは体力です。健やかな者は用いますが、へなちょこ
な者は用いません。
 戦場において考課するポイントは、一つは胆力です。勇敢な人は用いますが、
臆病な人は用いません。二つは見識です。落ち着いている者は用いますが、うわ
ついている人は用いません。
 戦勝後において考課するポイントは、一つは功績です。前進した者は用います
が、潰走した者は用いません。二つは苦労です。耐えた者は用いますが、疲れた
者は用いません。
 平時はと言うと、質問してその見識を判定し、試してその才能を判定し、危険
に直面させてその胆力を判定し、緊急事態に遭遇させてその勇気を判定します。
才能、見識、胆力、勇気がそろって、はじめて将軍としての資格ができます。
 そのうえ、大きな恩賞を約束すれば、できる人は奮い立ちますし、とても公正
に待遇すれば、できない人はがんばります。率先して勤労し、みずから困苦すれ
ば、人から恨まれることはありません。
 ですから、うまく兵士を率いる人は、才能と勇気を基準にして人を考課し、真
心と正義を基準にして自分を考課するのです。
○引証
 武卒や鋭士は、戦国時代において最もよく精鋭を選抜して作られた部隊です。
 黒雲や銀槍も、五代において兵士を精査して編成された部隊です。
 戦勝という成果は、より多く考課した方が手にします。
 ですから、「材料が良いか、ぼろいかを区別しなければ、兵器は優良になりよう
がない。種が本当に良いのか、良く見えるだけなのかを分別しなければ、穀物は
実りようがない」と言われるのです。
 65
 66
(43)鋭―鋭い
○解字
 すぐれた武力をもって敵の先陣を突破すること、これを「鋭」と言います。
○原文
 威勢を養うには、ふだんからやっておくのが大切です。変事に出会ったときに
は、謀ることが大切です。両軍が互いに近づいたとき、ひとたび大声をあげただ
けで、相手の意気をくじけさせられるのは、鋭いからにすぎません。兵隊が出撃
しようとしていないのに、兵隊を出撃させられるのは、鋭いからです。敵の大軍
がわらわらと向かってきているとき、少数で立ち向かえるのは、鋭いからです。
敵中に出没し、ゲリラ的に突き進んで撃破するのは、鋭いからです。勇敢で、壮
健で、激烈で、荒々しいのは、将軍が鋭いのです。風のよう速く、雨のように激
しく、山のように重厚で、岳のように威厳があるのは、軍隊が鋭いのです。将軍
が突き進み、軍隊が湧き出るように突撃するのは、将軍も軍隊もすべてが鋭いの
です。ただ鋭いだけなら、つまずきますし、鋭くないなら、衰えます。よく知恵
をめぐらせて周到にでき、出撃しても帰還できるときには、鋭さがゆきづまるこ
とはありません。
○意味の解説
 素手で敵を攻撃したなら、鋭いといっても、どうしてうまくいくでしょうか。
鋭さを道具で補うのが、鋭さを分かっている人です。心を一つにして鋭く進んで
も、伏兵に奇襲され、ワナにはめられます。鋭さを謀略で支えるのが、鋭さを見
きわめている人です。鋭くする方法に詳しい、鋭さの使い方がうまい、鋭い武器
を利用する、鋭い人を選抜する、この四つが全うされて、はじめて鋭さを使えま
す。
○引証
 三国時代、呉明徹は言葉で蕭摩訶をやる気にさせて、敵陣を突破して斉軍を撃
破しました。宋代、虞允文は背いた張俊を懐柔して、激戦して金軍を撃破しまし
た。鋭い将軍をもっていても、どのように使うのかを見ているだけです。刀を使
えば人を殺せますが、どうして刀がみずから殺したりできるでしょうか。ですか
ら、「才能がなければ将軍になれないし、鋭さがなければ軍隊を動かせない」と言
われるのです。
 67
(44)糧―必要な物資
○解字
 兵士を養って満腹にするためのもの、これを「糧」と言います。
○原文
 物資の補給を計画する方法は、おおよそ年間の計画では屯田を考え、月間の計
画では運搬を考え、一日の計画では配給を考えます。
 遠征先に補給するときには、運搬と配給を同時に行います。めまぐるしく移動
しているときには、運搬と配給を同時に行います。事態が差し迫っていて調理す
る暇がないときには、保存食を用います。
 敵から食糧を奪うことに依存して、ないのにあるように見せかけ、からっぽな
のに満ちているように見せかけ、さらに運搬が途絶え、包囲が長く続いた結果、
あらゆるものを探して食べ物とするとします。その場合、ときとして急場を一時
的にしのげますが、ずっと続けられるものではありません。
 食事は、人民の天然であり、兵士の生命です。どうしてゆるがせにできるでし
ょうか。ですから、必ず食糧が欠乏しないように謀り、つねに継続して食糧を運
び、食糧が行き渡るように守り、いつも節約して食糧を使うのです。
○意味の解説
 軍営が必要とするのは、どうして物資だけでしょうか。塩がなければ疲れ、水
がなければ渇き、船舶・車両・兵器の材料がなければ困ります。ですから、昔は
つねに補給部隊をもって、各軍に後からついて行かせたのです。
 たとえば、隋国皇帝の煬帝は、高句麗国を討伐するにあたり、四つの補給部隊
を置きました。一隊ごとに四千人でした。さらに四つの歩兵部隊を置いて補給部
隊を護衛させました。その他、各基地、各道路すべてに補給部隊が配置されまし
た。さらに輸送部隊がいくつかあって、リレー式で食糧や道具を分配しました。
 唐国二代皇帝の太宗は高句麗国を討伐し、三代皇帝の高宗も高句麗国を討伐し
て、平壌を陥落させて、高句麗王の高蔵を降伏させました。そのときの行軍の規
則も、隋国と同じでした。
 以上が物資を準備し、補給を便利にするのを大切にすべき理由です。
 思うに、古来、この隋国や唐国よりすぐれた兵制をもった国はありません。そ
して、隋国は楊素や韓擒虎などのすぐれた将軍を使って軍略を定め、唐国は李靖
や李世勣などのすぐれた人を使って軍制を作りました。さらに、上は南北朝の塁
法と戦法を継承して、そのエッセンスをまとめあげました。
 ですから、それは前漢王朝、後漢王朝、宋王朝、明王朝が及びもつかないほど
広大で、周密なのです。古代の戦車戦と歩兵戦については、言うに及びません。
後世は、戚継光、李穆堂、曽国藩が、望ましい状態に近いと言えます。
○引証
 運搬と配給の二つの方法は、すでに詳述し尽くしています。
 屯田の方法については、趙充国が湟中に屯田したもの、諸葛孔明が渭浜に屯田
 68
したもの、姜維が杳中に屯田したもの、韓重華が代北に屯田したものが、すべて
これにあたります。
 しかしながら、それらの屯田は、利害が半々であり、慎重にしないわけにはい
きません。
 69
(45)行―行きつく
○解字
 行き先に通じること、これを「行」と言います。
○原文
 険しいところを行くときは、伏兵に注意しないといけません。川を渡るときは、
ただ決壊だけが心配です。昼に行動するときは、敵襲を心配します。夜に野営す
るときは、撹乱に注意します。
 思い切ってやりやすいのは、全体がつながっているからです。すばやく動きに
くいのは、進むのを嫌がっているからです。一つでも節目が無防備なときには、
通り抜けるのに失敗します。
 まず、その地図を書いて全体の様子を見ます。さらに、現地住民に尋ねて細か
いところを明らかにします。一つの藪や一つの谷についても、必ずあますことな
く知るようにします。そうしてはじめて軍隊を進められます。
○意味の解説
 進軍するときには、地図と現地住民を用意して、いつでも調べて分かることが
できるようにしておきます。さらに偵察と哨戒を行って、思いがけない事態を防
ぎます。
 重厚にするには、優勢な布陣を用います。選任するときには、護衛隊長を用い
ます。本隊を助けるには、護衛の部隊を用います。かばうには、左右の部隊を用
います。後続させるには、強力な後続部隊を用います。
 険阻なところでも、隊列を乱してはいけません。平坦なところでも、警戒をゆ
るめてはいけません。
 慎重にやって軍隊をしっかり保てば、事を誤ることは少なくなります。
○引証
 斉軍の行軍はというと、前方には先駆があり、さらに申駆があり、中には戦車
三十台の部隊があり、左方には啓軍があり、右方には?軍があり、後方には殿軍が
ありました。
 楚軍の行軍はと言うと、右に轅軍、左に追蓐軍、前に茅軍、中に権軍、後に勁
軍がありした。以上はすべてのちの六花陣や八陣の原型です。

 


 また、精兵と猛将によって行軍を支え、偵察と哨戒によって行軍を助け、緩急
と分合によって行軍を指揮し、道路工事と架橋によって行軍を便利にしました。
どうして秦軍が犯した二陵の隘路での失敗や?涓が犯した馬陵の難所での失敗を
繰り返したりするでしょうか。(春秋時代、秦軍は、晋国に侵攻しての帰り道、晋
軍の反撃はないと油断していました。それで、近道するために、二陵という狭い
所を通過することにしました。ところが、そこを待ち伏せていた晋軍に攻撃され、
身動きが取れなくなって潰滅しました。また、戦国時代、?涓は、魏軍を率いて、
逃げる斉軍を追撃していました。このとき、斉軍の軍師である孫?は、自軍の兵士
が毎日のように逃亡しているように見せかけました。このため、斉軍が弱まって
 70
いると誤解した?涓は、急いで斉軍に追いつくため、軽騎兵だけを率いて追撃する
ことにしました。そこを馬陵で斉軍に待ち伏せされて、?涓は戦死しました。)
 ですから、『司馬法』に「およそ行軍は、重々しいと成功せず、軽々しいと敗北
する」とあるのです。
 71(46)移―移る
○解字
 居場所を選ぶこと、これを「移」と言います。
○原文
 軍隊には、「ここに必ず駐屯しないといけない」とか、「ここを必ず移動しなけ
ればいけない」とかいった決まりはありません。ただ時機を見て、最善のやり方
を決めるだけです。
 春は草原や森林にいるのが良いですが、乾燥したときには移動します。
 夏は水辺や川辺にいるのが良いですが、雨が降ったときには移動します。
 林の影で隠れていたとして、風が強いときには移動します。
 便利なときには駐屯します。心配なときには移動します。
 有利なときには駐屯します。不利なときには移動します。
 敵が脆弱なときには駐屯します。敵が堅固なときには移動します。
 こちらが強くて相手が弱いときには移動します。こちらがゆっくりしていて相
手が急いでいるときには移動します。
 こちらが動きにくくて相手が動きやすいときには移動します。
○意味の解説
 およそ移動とは、不利を避けて有利に向かい、不便を避けて便利に向かうこと
です。
 ですから、進むにも退くにも余裕があり、行動が自在にできるときには、高く
て明るいところを選び、険しくて重要なところを選んで移るのが移動となります。
 もし地形が狭く、敵が目前に迫っているときには、土木工事を行い、堀と土塁
を作り、障害物を設け、遮蔽物を置き、通路を遠回りにして移らないのが移動と
なります。
 ですから、実際に移る移動の方法は兵法にあり、実際には移らない移動の方法
は陣地の構築にあります。
○引証
 三国時代、蜀漢国は隴右での作戦を計画し、進退しやすくして祁山に進出しま
した。
 春秋時代、楚軍が晋軍を攻撃したとき、晋軍は陣地内で戦闘態勢を整えて戦い
に備えました。
 軍隊を移動するのがうまい人は、移らなくても移動したのと同じ効果をもたら
せられるのです。
 三国時代、赤壁での戦いで魏軍がすべて水の上にいたこと、?亭での戦いで蜀漢
軍がことごとく林の中にいたことなどは、原則にこだわって、少しも変更せず、
移動すべきときに移動しなかったので、すべてが不適切となり、それで惨敗した
のです。
 72
(47)住―最適な場所に駐屯する
○解字
 よい場所を得て止まること、これを「住」と言います。
○原文
 およそ軍隊の駐屯では、次のようにします。
 必ず高いところを後方にして低いところを前方にします。
 明るいほうを向いて暗いほうを背にします。
 健康に気をつけて元気を保ちます。
 調理が心配ないようにします。
 補給が途絶えないようにします。
 進めば戦えるようにします。
 退けば守れるようにします。
 草地や水場があり、薪拾いや牧畜がしやすいようにします。
 以上の条件を満たす場所が、駐屯すべき地です。
 しかしながら、物資はしばしば不足しますし、土地柄はそれぞれ異なっていま
す。
 ですから、一時的に止まるときには、必ず軍隊に都合のよいところを選ぶよう
にします。長期にわたって抗戦するときには、必ず地形が有利なところを選ぶよ
うにします。
○意味の解説
 軍隊の駐屯には、長期と一時の区分があり、一般と変則の違いがあります。
 一般的な駐屯、一時的な駐屯は、ただ湿地を離れ、風雨を避け、往来をしやす
くし、暖かさを求め、暑さを防いで、兵士が安らかに寝たり、食べたりできるよ
うにするためのものにすぎません。
 長期的な駐屯、変則的な駐屯はと言うと、陣地の構成、砲撃の場所、兵士の宿
舎、物資の倉庫、外側では土手と砲台、内側では重厚な兵士と秘密の通路、そし
て突撃のための秘密の出口と防禦のための附属の設備などすべてが、それぞれ最
善になるようにします。そして、強弱のバランスが悪くて欠点があるということ
をなくし、攻守のバランスが悪くてスキがあるということをなくします。
 以上のようにしたときには、軍隊を駐屯させる方法は完全になります。
○引証
 有利な地点を争うときは、先に陣地を作ったほうが勝ちます。白兵戦を行うと
きは、先に布陣を終えたほうが勝ちます。
 昔の名将、たとえば廉頗、趙奢、王剪、周亜夫、司馬懿などは、全員が守りを
固めて勝利しました。まったく駐屯の要領をつかんでいます。
 ですから、変則的なことをするときには、いきなりするのではなく、必ず先に
一般的なことをしてから、はじめて変則的なことをするようにします。
 また、奇策を行うときには、いきなり行うのではなく、必ず先に正攻法を用い
 73
てから、はじめて奇策を行うようにします。
 74
(48)趨―急行する
○解字
 二倍の速度で二倍の距離を行くこと、これを「趨」と言います。
○原文
 軍隊は、余裕をもって進んで、元気を温存するのが大切です。ただし、相手の
油断に乗じ、急襲を成功させるには、いつもの二倍の速度で急行すべきです。
 昼間に急行するときには、旗をふせ、太鼓を鳴らさないようにします。夜間に
急行するときには、身軽になり、声を出さないようにします。終日にわたり急行
する人は、体力が疲れます。昼夜にわたり兼行する人は、神経が疲れます。終日
ずっと急行すれば、いつもより多く百数十里を進めます。昼夜ずっと急行すれば、
いつもより多く二百から三百里を進めます。
 近くに急行する場合、ひどく隊列が乱れ、軍隊が困難に見舞われるのはまちが
いありません。遠くに急行する場合、主力を置き去りにして、一部の軽快な部隊
だけが進むことになります。ですから、多くの部隊が後方に取り残されるのです。
 人は食べる暇がなく、馬は休む暇がなく、疲れるうえに数も少なくなります。
戦い方が堅実である、敵軍がやる気をなくしている、地形や山川を熟知している、
そういった頼みとなるものがなければ、急行しようとしてはいけません。
 ですから、急行することで有利となって、しかも損害を遠ざけられるのでなけ
れば、慎重になって、「急ぐことは良いことだ」としてはいけません。
○意味の解説
 軍事には危険な方法があり、『兵法百言』はその二つをあげています。「趨」と
「野」です。「趨」には隊列を最善にするための原則がなく、「野」には陣形を最
善にするための原則がありません。この二つは、兵法の原則ではなくて、心構え
です。必ず呉起の言うような「五万人の兵隊を団結させて、警察に追われて必死
になっている一人の盗賊のようにする」ということができてこそ、「趨」を実現で
きますし、「野」を実現できます。
○引証
 三帥は急行して包囲され、?涓は急行して射殺されました。前方に猛将がおり、
危機があるのに急行すれば、必ず損害を受けます。急行は慎重にすべきです。
 75
(49)地―地の利を得る
○解字
 形勢に習熟すること、これを「地」と言います。
○原文
 およそ進軍して敵に勝つには、必ずまず敵地の形勢を見ないといけません。十
里には十里の形勢があります。百里には百里の形勢があります。千里、数千里に
は、それぞれの形勢があります。すなわち、数里の間に野営したり、布陣したり
するときにも、形勢があります。
 形勢には、必ず急所があり、背後があり、左右から挟まれているところがあり、
陣取るのに適した要害の地があります。そして、頼りにするには、必ず山を頼り
にし、川を頼りにし、城を頼りにし、壁を頼りにし、関門や隘路といった険阻な
ところ、草や木がうっそうとしているところ、道路が錯綜しているところを頼り
にします。
 また、敵に勝つには、必ずどの道を進むべきか、どこにいて攻めるべきか、ど
の場所で戦うべきか、どう偽って襲うべきか、どの山に隠れるべきか、どの近道
を通るべきか、どの険しいところにたてこもるべきか、騎兵と歩兵とではどちら
が有利か、直接攻撃と間接攻撃とではどちらが有利か、縦に進むのと横に広がる
のとではどちらが有利かを明らかにします。
 作戦に成功する見通しがあって、はじめて急所をおさえたり、背後を気づかっ
たり、挟まれたところを通り抜けたり、陣取るのに適した要害の地を占領したり
します。
 山を頼りとするときには、山をこえる方法を探ります。川を頼りとするときに
は、川を渡る方法を探ります。城塞、防壁、関門、隘路、草木、道路を頼りとす
るときには、城塞を陥落させる方法、防壁を突破する方法、関門を迅速に通り抜
ける方法、隘路を無事に通り過ぎる方法、木を焼き払う方法、草を取り除く方法、
道路を調査して把握する方法、道に迷わないで目的地に着く方法を探ります。
 勢いが外にあるときには、軽々しく侵入してはいけません。侵入すれば、魚が
鍋の中にいるように、困難から逃げられません。勢いが内にあるときには、むだ
に包囲してはいけません。包囲すれば、虎が羊を取り囲もうとするように、成果
を得られません。
 ですから、城塞は伏せなければ攻めにくく、兵士は導かなければ進まず、山や
川は兵士や騎馬がいるからこそ守るのに有利な地形となるのです。
 もし兵士や騎馬をもたないで固く守るなら、山や川といった険要の地も頼りに
なりません。
○意味の解説
 兵家には三つの大事なことがあります。天、地、人です。
 天候が風なのか、雨なのか、曇りなのか、霧なのかについて、そのすべてに応
じた戦い方があります。
 76
 地形が広いのか、狭いのか、平坦なのか、険阻なのかについて、そのすべてに
応じた陣地の作り方があります。
 人が勇敢なのか、臆病なのか、上手なのか、下手なのかについて、そのすべて
に応じた訓練の仕方があります。
 この天、地、人の三者を合わせれば役立ちますが、その三者を分ければ成功し
ません。ましてや天気を知らず、地理を知らず、人心を知らないで、とりあえず
兵士を率いて敵に臨むなら、危険なのは言うまでもありません。
 観測し、計測することで天を知り、地図を書き、詳細に調べることで地を知り、
道徳を尊重し、兵器を優良にすることで人を訓練すれば、攻めるときは強力です
し、守るときは堅固です。
 ですから、地の利をフル活用するには、天と人で地の利を補強しなければいけ
ません。
○引証
 馬伏波は、米を使って箱庭を作り、敵情が一目で分かるようにしました。
 張宏策は、あらかじめ地図を書き、地形が一目で分かるようにしました。
 全軍が行動するにあたり、すべて地勢を頼りにして攻撃を行います。
 もし地勢で明らかでないところがあれば、それは人が暗闇のなかを歩くような
もので、つまずいてしまいます。
 77
(50)利―利益をはかる
○解字
 相手に損をさせて自分に得をさせること、これを「利」と言います。
○原文
 そもそも軍隊を動かすときには、必ず国家を益し、万民を救い、威光を高める
ことを目的とします。
 いくら成功しても、失うものが多いなら、それはうまく利益をはかれたとは言
えません。遠征を行って心配がないということはありません。難所を行って損害
を受けないということはありません。進軍を急いで失敗をしないということはあ
りません。敵陣を攻めて苦しい目にあわないということはありません。戦闘を行
って損失が出ないということはありません。
 そこで、退いても土地を奪われないときには退きます。避けても完全に保たれ
るときには避けます。敗走することで敵をうまく誘い出せる、降伏することで敵
をワナにはめられる、与えることで敵から奪取できる、捨てることで敵から回収
できる、そんなときには敗走しますし、降伏しますし、与えますし、捨てます。
 戦争を行い、智謀を用いるには、必ず利益を考慮しないといけません。
○意味の解説
 兵家が利を争うのは、やむをえない場合だけです。
 自分が利を争わないで、相手が利を争うときには、自分は敗北します。自分が
不利となり、相手が有利となるときには、自分は滅亡します。
 白兵戦をしているとき、兵士が敵兵を殺すのは、敵兵から殺されるのを恐れる
からです。ましてや大軍の場合、一人の兵士が善戦する以上に善戦します。
 そこで、必ず自分を有利にして相手に不利を与えます。しかも、相手が有利な
ときには、不利によって相手を損ない、自分が不利なときには、有利によって自
分を益します。そのときには、自分はつねに有利で、相手はつねに不利で、天下
に覇権を確立できます。
 しかしながら、戦争は凶悪なことですし、自分だけが利益を得ようとするのは
凶悪な心です。
 利を争うのを忠孝・節義といった道徳のために使い、これをときどき用いると
きには、こらえて仁愛を失いません。
 これをいつも用いるときには、いつ殺し合いが始まってもおかしくない雰囲気
が満ちあふれ、十分に天地の和を傷つけて、鬼神のタブーをおかすおかすことに
なります。
 昔の名将も、いつも敵を殺して勝利するチャンスをほしいままにしてみずから
損なおうなんてことはしませんでした。ですから、術篇では「回」(手控えること)
を重んじているのです。道家に関係のある道理ですが、儒家に関係のある原則で
もあります。
○引証
 78
 戦国時代、秦国の将軍である白起は、降伏した趙軍の兵士を皆殺しにしました。
おかげで、最後には自殺するはめになりました。
 宋代、宋国の部将である曹彬は、兵士を思いやり、敵城が陥落したときに虐殺
を許しませんでした。おかげで、曹彬の子孫は大いに栄えました。
 ですから、殺害によって殺害を制することを義と言い、殺害によって殺害を止
めることを仁と言うのです。