この映画を観てようやく私が理解した水俣病訴訟の全容と枠組みは、大きく二つの時期に分けられるらしい と言う点である。

 一つは 直接の加害者である窒素と渡り合った時期 二つ目は 産業被害の範囲と重度 取り分け病理認定に関わる判断基準をめぐって闘われた時期である。ここでは 認定基準をぼかし 結果として救えない命を放棄した 国と地方行政機構の責任が問われる事になる。

 ここ映画は 特に後者の場合を描いたものだが、国の判定基準「末梢神経説」を覆した浴野教授の「中枢神経説」が勝利を勝ち取った意義は大きい。にも関わらず、最高裁判決後も知事と地方行政は国の判定基準に従っただけだと言いながら、驚くべき基準の絞り込みによって、該当者ゼロの記録をーー例外は数例あるのみでーー更新し続けたのである。

 

 浴野教授の言う中枢神経説とは、広がりの方から言えば、単に末梢神経がやられて痙攣を引き起こす、と言って現正面だけではなく、脳の中枢に居座った有機水銀の遺物は五感に微妙な影響を与えると言う。大きな場合も小さく目につかない場合もある。後者の場合では人間の喜怒哀楽の感じ方にも影響を与え 取り分け味覚感覚の大幅な減退は多く報告されていると言う。これは氷山の一角であって、意欲や食欲やその他の人間が人間である故の感性の減退をどの程度引き起こしているかは分からない と言う。極端な場合は、怒りや悲しみ 欲望と言った人間の原始的な感覚のみが突出した形で残されてしまい 広く人間関係構築に失敗し 社会生活を円滑に行えない事例が潜在的には、普遍的に 存在したと思われる。

 

 さて ここからが本題なのですが、原一男の本編には重要な二つのエピソードが描かれています。それは ーー失礼な言い方になりますが、水俣病患者にとっての性と愛についてです。

 後篇 第二部の主人公生駒さんをめぐる結婚話はとても感動的です。ここでも失礼な言い方になりますが、まさかこんなお話を聞けるとは思ってもいませんでした。

 原さんは かなりずけずけと生駒さんに結婚初夜の話を切り出すのですがーー普段は 余程親しくでもない限り こんなプライベートに踏み込んだ話しはしませんよねーーそこで聴き出した意外な顛末とはーー

 

 手を握り合うことはあったかもしれないけれど それ以上には進展しなかった と言うのです。

 どう言うことかと言うと 感激した欲求が起きなかった と言うのですね。

 人間には原始的な欲求が根強く支配されていると聴きます。それゆえに映画監督の今村昌平などは地上に蠢くものとしての人をそのように描いたのです。

 ところで 件の浴野教授の中枢神経説では、脳の最も人間的でファジーな領域が侵される、と聴きました。にも関わらず、生駒さんは 原始的な欲望や欲求が減退し減衰するような 健常者の間でも稀にしか見られない超常現象を経験されていたのです。

 超常現象が、生駒さんの元来からの資質からなのか、或いは病が治りつつある事の証として生じたのか、私にはわかりません。この 自らの秘め事を語る生駒さんの表情には晴れ晴れとしたものがありました。

 カメラは もちろん その後の生駒さんの奇跡を描いています。生駒さんの子供さんたちの間には今に於いてまでも症状は生じていないようです。喜ばしい事です。しかし 何十年経っても微妙な震えは未だに伝わって不吉な痕跡を伝えているのです。もちろん 生駒さんがここまで回復されたのは、幸いに浴野教授との出会いがあり 初期症状の有効性が効いいたためです。言い換えれば、生駒さんと幸運な数人の患者のほかは有効な初期治療を受けられなかった と言う事になります。受けられなかった事の理由は当時の脆弱な医療体制もあったでしょうし、浴野教授の中枢神経説を否認し続けた御用学者たちと行政の犯罪的な治療妨害もあった と私はこの映画を観て想像しています。

 372分の映画とは言え 映画に描かれた場面は氷山の一角に過ぎず、私が水俣病に就いて語る事自体に限界があるのです。

 

 第三部の坂本さんをめぐるお話は感動的でもあり 暗澹とした未来を予感させる内容です。確かでもない暗い予感の出来事を語る資格は私には無いので、現在の 感動的なお話の方だけ紹介させていただきます。

 坂本さんは、この運動のなかではマスコミにも取り上げられる事の多かった 恋大きヒロインとして有名な方だったようです。対象は、主に運動に関わった関係者 或いは取材に訪れた外部の世界を代表する方々であったようです。

 早く言えば、女寅さんの物語なのですが、彼女のドラマを正確に理解するためには多くの予備知識が要求されるのかもしれません。

 私は務めて明るい方の話題に限りたい と思います。と言うのも今日見る彼女の症状は先述の生駒さんの場合よりも酷いのですが、それゆえに発言者としての彼女はマスコミに代表として紹介されてきたと言う経緯もあったようなのですが 彼女が三十数回の失恋体験を通して表現した事は 水俣病患者だって普通の恋をしたいよ!と言う切望の可視化された表現であり演出だったと思うのです。彼女の背後には、彼女の思いを同じくする灰色の群像たちの存在があったはずなのです。彼女の過剰とも言える自虐劇が演じて見せたものは 声なき声の存在だったと思うのです。

 もっと言えば 彼女は意識していないかもしれないけれども、健常者の間でも稀にしか存在しない あの生駒さんが経験し垣間見た 超常的な経験 超常的な時間を再現させていたのです。彼女の憧れは、普通人である事の証であった恋や愛の諸相を超えて 超常域へと羽ばたいていたのです。

 にも関わらず、冷めた第三者の目で見る時 彼女が経験した本当の悲劇とは、水俣病患者であったことではなく、法廷闘争の旗印として巻き込まれ、マスコミの光が当たる世界でしか己の実存を示し得ない 囚われの身である事の絶望感にあった と思えるのです。

 石牟礼道子は亡くなる前に言いました。「怨」の旗印を下げても良い時期に来ているのではないか と。運動に水を指す言葉のように聴こえるけれども、ひとり一人の固有な時間は帰らないのである。