齢七十六歳直前、熊本生まれの私が水俣病について知らない と言うことは如何にも不自然である!そんな気持ちを引きずって、雨の降る日会場に向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 原一男監督が希望された映画上映/講演会鑑賞後の記念撮影会がありました。

 偶然、監督が私の左一列前に来られました。

 ご覧のように 来福された監督は現場そのままの作業着めいた防寒コートのままでした。

 

 

 6時間を超えるドキュメンタリー映画を通観して感じたことはーー不謹慎な言い方になりますが、患者側も告発を受けた行政の側も(1952年頃の一時金による妥協的解決?で窒素は主役では無くなっていたようである) ーーともにーー「被害者」の表情で一貫したーーことだろう。

 患者側が被害者の表情をとっている事は当然であるにしても 告発されている側の官僚と行政担当者もまた「被害者」の表情をしていた!と言うのはどう言う事だろうか。

 行政の側に限って言うと 担当者の態度や表情を見ていると 「厄介な事件に巻き込まれて迷惑だ」と。つまり ここにももうひとつの「被害者たち」の系譜があった と言う事だろうか。全く救いがない。

 役人や官僚の立場と権限は、国に示された基準や指針に基づいて判断する事であり 現行法令に示された領域を逸脱できない!官僚や行政が繰り返す常套句は果たして正しいのだろうか?条文や条項を教条主義的に読み下し 過去の先例に従って客観主義を装いながら行政的恣意的解釈を補強する と言うあり方は、民主主義の運営方法として正しいのだろうか。法律や条例には法が定められた目的があり その目的や趣旨に沿って条文や条項を読み下すと言うあり方を真に志向するなら 少なくとも行政とは国が定めた基準や指針に沿った四角四面の解釈だけをテープレコーダーのように鸚鵡返しのように繰り返す事だけで答弁としては足りるなどと言う 彼らの不遜な態度は無くなるだろう。

 そもそも、民主主義は、政治家も含めた個人の法と憲法の趣旨に沿った自由な議論をまで禁止すべきだ!と何処かに書いてあるのだろうか。そう言う条項があるならば示していただきたい。無ければ、行政執行の過程で、現行の法文や条項が法と憲法の趣旨沿わないと言う事があるならば、その事をこそ関係者の中で論議すべきではなかろうか。その事を議論し果たしてこそが民主主義国家に於ける政治家と官僚に期待される役割 課せられた公共義務ではなかったのか?

 そんな風に感じた。

 

 長々と憲法や法令の解釈について語用論を述べてしまったが、映画そのものの内容に付いては 私にとって水俣元年とも言えるほどの知見と内容を与えるものだった。

 水俣病に関わる問題の要点は、末梢神経説と脳の中枢神経説の二つをめぐる議論である。映画でも詳しく紹介されていた浴野熊大教授による中枢神経説の証明は単なる学説上の議論を超えて、水俣病患者の認定の範囲を大きく変更するものがあるからである。であるがゆえに この医学上の学説をめぐる議論は、一連の水俣病訴訟の歴史において天王山の如き位置を占めたのである。それにしても御用学者たちに囲繞された浴野教授の「ひとりぼっち」の闘いは感動的である。

 

 私はこの映画に三つの感動的なエピソードがあると思うのだが 一番目は原監督が描くところの浴野像である。私はふとアルベール-カミユの『ペスト』の医師リウを思い出してしまった。孤愁漂うリウ医師は寡黙だが、浴野教授はユーモアもあり 正義感や義務感の重圧もなく 如何なる悲壮感もなく 笑いながら 笑顔で巨悪?に立ち向かう姿が印象的であった。こう言う人がいる限り 日本の人間ドラマも捨てたものではないな などと思った次第であった。

 

(以下後編に続く)