父が亡くなったのは夕方の6時30分でした。
病院で亡くなったあとの処置を看護士さんにしてもらい、取りあえず自宅に連れて帰り、布団に寝かせました。
その日は数人の親族で、父の生前の話をしたり、闘病生活の苦悩を語りあい、葬儀のことは、まったく考えず・・・それは父を囲んで皆でワイワイガヤガヤと遅くまで話したものです。
朝を迎え・・・私は その日に受けている葬儀の現場に向かいました。
伯父は・・・「お前、今日くらいは親父のそばにいてやれや・・・」と言いましたが、父とは生前に 「ワシら葬儀屋は、身内の死よりお客さんの死を優先しよう。ましてや葬儀を受けてしまったからには尚更じゃ・・・」との約束がありました。
実は父の亡くなった日・・・ここまで忙しくなるかという状況になったのです。
現場で葬儀の準備をしていると、リアルタイムに父の容態が悪化する連絡が入りました。
当然、私も気が気でなくなりました。
社員も心配してくれ、病院に行くよう促してくれましたが、少人数で運営している弊社には、その瞬間・・・私が現場から離れることが出来ない状況でした。
その様な中、なんとか時間を取り 病院へ駆けつけると、伯父から激怒されたものです。 「お前は親の命より仕事を優先するのか・・・」それは激しい怒りでした。
「おじさん・・・ワシら葬儀屋は仕方がないんよ。これがワシらの宿命じゃけん・・・」
父が亡くなった日に受けた葬儀・・・
社員と共に 何とか責任を持って行いました。
しかしその葬儀で・・・最後のお別れをご遺族が行われる瞬間 不覚にも涙が出てきました。
「葬儀屋が涙を見せるようでは、一人前になれん・・・」
私が葬儀屋稼業に進む決意をしたとき・・・父が語った言葉です。
身内が亡くなるのは悲しいことだとわかっていても、実際自分が喪主の立場になると、悲しいとか寂しいなど以上の虚脱感があるんだと 身をもって体験したものでした。
父の葬儀は・・・亡くなってから5日後に行いました。
3日間は自宅に安置し、その後 父の生まれ故郷である場所で葬儀を行いました。
なぜ、広島で葬儀屋をしているものが、営業エリアでもない場所で葬儀を行ったのか・・・私の友人や知人は不思議に思ったものです。
そこには大きな理由がありました。
私なりの父への思いが・・・つづく
今朝・・・母の姉(伯母)が今年の正月に亡くなり、子どもなく後の相続が母の兄弟に遺産分割されたのに伴い、そのお金を持って伯母夫婦の遺骨が安置されている寺院へ出向きました。
永代供養をお願いしたのですが、住職さんが 「うちの敷地の空いた所があるので、このお金で供養塔を建てさせてもらいます」と、有難い言葉をいただきました。
伯母には、私が子どものとき本当に良くしてもらいました。
しかし、あることから 私の家族とは疎遠状態になり、ここ15年以上も音信不通状態でした。
しかし縁とは不思議なものです。
ある老人施設から、「夫婦で入居していた方の主人が亡くなり、その遺骨を奥さんが自室から離さない。同居者からクレームが出ているんだが、何とかいい方法はないだろうか・・・」と相談を受けました。
それで、心当たりの寺院へ相談し 了解を取り付け施設に向かうと・・・それが音信不通になっていた伯母だったのです。
そのとき施設側は 伯母に 「親戚はいない。私が死んだら天涯孤独・・・」と語っており、施設も この先どうなるものやら・・・と、思っていたらしく、私が親族だと聞き安堵されたことでした。
そんな色々あった伯母ですが、最後にはそれなりのお金を残してくれており、葬儀や納骨に永代供養まで きちんと行うことが出来ました。
また、疎遠になっていた兄弟も葬儀には一同に会したことで、過去のわだかまりが消えたものです。
今日・・・無事永代供養を終えて、私も本当にホッとしました。
葬儀屋稼業を歩んでいるだけに、キチッとしなければならないこと・・・これを考えることになっただけに、私は幸せなんだと 一人で思っています。(笑)