家族葬にするか・・・
多くの人を招く葬儀をするか・・・
おはようございます。安芸葬祭の河内です。
昨日は家族葬の話しは話しでも、少し脱線しました。申し訳ありません。
さて・・・私個人の葬儀の経験談を今日から数回にわたり述べてみます。
私の父が亡くなったのは、平成21年11月28日でした。
最初に異変を気づいたのは、その年の9月初旬。
すぐに検査をしましたが、すでに手遅れの状況で、お医者さんから余命半年を宣告されました。
父が亡くなるまで、色々な葛藤があったのは事実です。
その中でも一番の葛藤は・・・お医者さんが、あそこまで冷酷に告知をするのものか・・・と、言うことでした。
まさか、本人を目の前にして・・・「あなたは余命半年です」と言われたことは・・・怒りがこみ上げました。
しかし、医者と喧嘩しては損だと・・・多くのご遺族から聞かされていたので、そこは何とか冷静になれたものです。これについては、葬儀屋として多くの方に出会えたお陰だと思います。
さて・・・日を迎えるごとに容態が悪くなる父を見舞いながら、私には葬儀屋としての仕事も同時に行うことで、始めて、ご遺族の本当の気持ちが理解できたものです。
(大半の方は・・・看病からすぐに葬儀だから大変だ。ここは考え方を変えて、何とかよい方法を考えよう・・・)
これまで当たり前のことが、当たり前でないことだと気づき、そこで新たに自分自身で気づいたことが、今日の葬儀屋人生で生きています。
一例を挙げると・・・
突然亡くなられたご遺族には、その時の状況を見て 「今日は葬儀のことを考えず、一日だけ頭を切り替える時間にしましょう。もし不安なことがあれば、いつでも構いませんから私の携帯にお電話ください。」と、心と頭に余裕を持ってもらう。
このスタイルは、父が亡くなるまでの過程で気づいたものです。
私自身・・・父の葬儀をどうするか、大いに迷ったのも事実です。
家族葬にするのか・・・対外的な葬儀にするのか・・・
はっきり言って、父が亡くなるまで結論が出なかったものです。
事前に葬儀をどうするのか決めている方も、全く決めていない方も、身内が亡くなるということは本当に大変なことで、すぐに切り替えが出来ない・・・ということを恥ずかしながら気づいたものです。 (次回につづく)
今日もお読みいただき、ありがとうございました。
今日の広島は、朝からどんより曇っています。
午前7時前には一雨ふりました。
昨日・・・某寺院で送り盆法要が行われました。
お墓に供えた塔婆を 各檀家さんが集められ
新盆(初盆)の塔婆のみ お焚きあげが行われ、あの世に故人が帰っていかれる。
毎年その様子を見ておりますが、燃えていく塔婆を見つめ合掌される多くの人の涙に、人が亡くなる儚さを深く感じています。
縁ある人が・・・「安芸葬祭さん、その節はお世話になりました」 その言葉に改めて、葬儀屋という仕事の大切さ・・・身にしみてきます。
今日からまた・・・多くの人の悲しく寂しい縁を、同じ人間として大切にしていきます。