「夏喜の家にいるんだったら、藍ちゃんはもう知ってるわよね?夏喜に、お父さんはいないってこと」
「…うん」
「最初のお父さんはね、離婚して、出て行っちゃったらしいの」
「最初の、お父さん…」
「何でも、浮気だったとか?ひどいわよね、まだ小さかった夏喜とお母さん置いて、女作って出て行っちゃったんだって。慰謝料もろくに渡さないまま」
「そう…なんだ」
「しばらくは、生活荒れてたらしいわよ?その頃小夜子さん仕事してなかったらしくてね?旦那さんが出て行っちゃったことも含めて、すごく落ちちゃってたみたい」
今の小夜子さんからは、考えられない。
「その頃の夏喜のこと考えると、居たたまれないわよね?きっとあの子のことだから、小夜子さんのこと、一生懸命支えてたんじゃないかしら?でもそんな夏喜だからこそ、小夜子さんもこれじゃけないって思ったんでしょうね。
そのうち、今の介護職始めて、ようやく生活も落ち着いたみたい」
「ねぇ、翔さんは、小夜子さんにも会ったことがあるの?」
さっきから疑問に思ってたこと。
彼は彼女と面識があるみたいに名前で呼ぶ。
「会ったことあるわよ、何度かね。そりゃあ大事な息子さんをこんな店で預かるんだもん。挨拶しに行ったわよ。
今話してることも、ほとんどが小夜子さんから聞いたことよ」
夏喜は、あんまり話したがらないからね、と翔さんは小さい声で付け足した。
ふぅ、と彼はまた一つため息をついて、こう断った。
「ごめんなさい、煙草吸ってもいいかしら?」
店のテーブルにある煙草の箱に手を添える。
「うん」
「ごめんなさいね、未成年の前で」
「ううん、平気」
ほんとに、平気だ。
私は、こういう配慮が欲しいのだ。
いくら私が子供でも、煙草には中毒性があるってことくらい、知っている。
一度吸ったらなかなかやめられないんだってことも。
だから、吸うにしても、こうやって一言、配慮が欲しいだけなのだ。
ヒロトにはそれがない。
「どこまで話したかしらね?」
翔さんが煙草の煙を一つふぅーっと吐き出して、言った。
「そうそう、小夜子さんが仕事が始めて、ようやく生活も落ち着いたってとこ」
翔さんは納得するように、そう呟いた。
「しばらくは、よかったらしいのよ。でも…」
「でも?」
その先を促す。
何だか嫌な予感がする。
「新しいお父さんが来たらしいの」
嫌な予感が当たった気がした。
「夏喜が、小学校の高学年の頃って言ってたかしら」
同じだ、私と。
「小夜子さんの話だと、その時夏喜は賛成してくれたって言ってたけど、ほんとはどんな気持ちだったのかしらねぇ?もしかしたら…」
そんなの決まっている。
本音じゃないはずだ。
たかが小学生で、両親の再婚って、なかなか理解できないものだ。
これから思春期真っ只中に向かう途中。
親の人生が自分以外にあることを、受け入れられるはずがない。
夏喜だってそうだったんじゃないだろうか。
「あの子、今はあんなだけど、根は優しい子だから。小夜子さんのこと思って賛成したのかもしれないわね?」
私も、そんな気がした。
「でもね、その新しいお父さんが、あんまり、よくなかったらしくて」
ふぅ、と翔さんはまた一息つく。
私は次の言葉を待つ。
「仕事関係で知り合ったって言ってたけど、再婚した頃にやってた、自分で起業してたものが、うまくいかなくなったらしくてね、そのうち家に引きこもるようになって、だんだんお酒ばっかり飲むようになったんだって…」
ごくり、と息をのむ。
その頃の夏喜のことを思う。
「何となく、想像つくわよね?いくら小夜子さんが働いてるって言ったって、介護職で家族三人養えるわけがない。それにその旦那さん、借金まであったらしいの。
それなのに働かず、お酒ばっかり飲んで、その次には…」
「その次には?」
思わず前のめりになってしまう。
「暴力、ね。いくらなだめても聞かない小夜子さんに対して、暴力を振るうようになったらしいの」