分かっていたはずだった。
黎弥の気持ちも、希子の世界も。
どうしたって、俺はあっち側には行けないことも。
今、目の前に拡がる真っ暗闇のように、俺の世界は暗い。
「颯太」
俺の名前を呼ぶ声がしたので、振り向いた。
もう涙はとうに枯れ果てている。
そこに立っていたのは、希子だった。
風に吹かれるまま、長い髪の毛と制服のスカートを揺らして。
まるで自分が傷付いたかのような、悲しそうな顔をしていた。
ザアァァッと、波の音が聞こえる。
希子はこちらに近づいてくると、俺の隣に腰を下ろした。
目の前に海が拡がる、浜辺から続く階段に、俺たちはいた。
「ごめん、黎弥じゃなくて…」
希子はそう言った。
カァ、っと頬が熱くなる。
やっぱり、先程のことで、希子には気付かれてしまったのだろう。
「大丈夫、黎弥は何も気付いとらんけん」
いっそ嫌われてしまえばいいのにと思う時がある。
そうしたら、俺のこの暗い世界にも、終わりが訪れるのに。
「ごめんね、颯太」
「何で希子が謝ると?」
「私、今まで何も気付いとらんで」
「別に、隠してたのは俺やし…」
「それでも、ごめん。言えないような雰囲気にさしちゃってたことも、あるかもしれんよね?」
「……気持ち悪いとか、思わんと?俺のこと」
「何で?そんなこと、思うわけないやん?」
「口ではどうとでも言えるやろ」
せっかく寄り添おうとしてくれている友達に、きつい言葉を投げ掛けてしまったと、一瞬で後悔した。
「黎弥、何か知らんけど、人を惹き付ける、魅力があるっちゃんね」
そっと希子の横顔を伺ってみると、全く怒ってはいなかった。
むしろ、穏やかに、微笑んでいる。
黎弥のことを思い出して慈しむような。
「希子も、好きと?黎弥のこと…?」
さっきの二人のキスシーンが脳裏に浮かび上がってくる。
黎弥は、昔からそうだった。
希子のことをあれこれ言いながらも、やっぱり女として、好きだったのだ。
「あ、さっきのあれ、気にせんでいいけんね?そういうんじゃないけん」
「そういうんじゃないって、どういうことか、いまいち分からんけど」
この二人は、ただの幼馴染みという関係であんな熱烈なキスをするというのだろうか。
「黎弥さ、彼女に振られたんだって」
「え…?」
「そんで、ちょっとやけになっちゃって、それで、あんなこと…
あ、でも今、もっかいちゃんと話してくるって、彼女んとこ行っとるけん」
「…そう」
「あ、でも、それはそれで、颯太にとってはビミョーなのか」
ふふっと笑が漏れた。
希子のこんな性格が、俺にはほっとする。
「俺は、黎弥が幸せでおってくれれば、それでいいっちゃん」
「そうなの?」
階段で体操座りをするみたいに、顔を膝の上に乗せて、こちらを伺ってくる。
「まさかどうこうなれるわけじゃないし、黎弥が、彼女とうまくいってて、幸せそうに笑ってくれてたら、それでいい」
「そっか…」
「でも…」
「でも?」
希子が再びこっちを覗き込むのが分かる。
俺は怖くて目を合わせることは出来ない。
「さっきのあれは、さすがにちょっと堪えた…やっぱ、実際に見ると、けっこうくる」
「ごめん」
「いや、希子を責めるとか、そういうんじゃないっちゃん。希子と黎弥の関係も、特別なもんだってことは、分かっとる。希子は違うかもしれんけど、黎弥はやっぱり、希子のこと、好きやと思うよ?」
「そんなことないよ」
「いや、多分そうだよ。希子は、あんな風にキスされて、どうとも思わんと?」
「….実はね、昔、中学ん時、一度だけ、黎弥から好きって言われたことあるっちゃん」
「ほら、やっぱり」
「私はそんな気持ちなくって、でもどうしたらいいか分からんくて、黎弥とも何かビミョーな関係になってしまって、しばらく話さんこともあった」
今ではそんなことがあったなんて思いもしない二人。
過去には色々あったのだ。
「朝家の前ではち合わせても、目も合わせてくれんくってさ、あん時は、悲しかったなー」
天を仰いで、その時を思い出すみたいに希子が言う。
「でも、一、二ヶ月くらい経ってからかな?黎弥、急に何事もなかったように話しかけてきてさ、ウケるよね?え、今までの何やったと?みたいな。でも、私、めちゃくちゃ嬉しくて」
「そっか…」
「黎弥とはやっぱこれがしっくりくるな、って思って。黎弥とは、いつまでも今のままの関係でいたいんだ」
「黎弥が希子のことを好きでも?」
「だからぁ、もしかしたら、そん時は黎弥だって私のこと好きやったかもしれんけど、今は違うよ?だって颯太だって知っとるやろ?黎弥、あいつ、バカ正直で嘘つけんやん?彼女のこと、本気で好きじゃなきゃ、付き合っとらんよ?」
「…確かに、そうやね」
「黎弥とはさ、ちっちゃい頃から、ずっと一緒におったとよ?二人でいたずらして、お母さんたちにめちゃくちゃ怒られて、二人でピーピー泣いてたことだってあるし、それが今さら、どうにかなったりしないよ!」
「ふふ」
二人の子供の頃を想像すると、自然と笑が漏れる。
かわいかったんだろうな、黎弥も。二人とも。
「俺さ、初めてなんだ。人に言うの」
「え?何が?」
「カミングアウト。今まで、誰にも言ったことなかった。希子が初めて」
「そうなんだ」
「初めて俺のこと知った人が、否定しないで受け入れてくれ、良かった。希子で、良かった」
「えー、なんか照れちゃうなぁ、そういうの」
「俺らにとっては、否定されるか、それとも受け入れてもらえるか、それって、すごい重要なこととよ?」
「ふふ、うん。でもさ、分かるんだよね、確かに黎弥、モテるやん?
ちょっとうるさいかなー、って思う時もあるけど、話してて楽しいし、飽きんし、まぁー、ちょっとうざい時もあるけど、人を裏切ったりせん、熱いとこもあるし、たまには、優しい。いいやつし。
みんなが好きになるの、分かるっちいうか…ほら、葵衣も好きやん?」
「葵衣ね、あいつは、彼女が出来ても黎弥に対しての気持ち全然変わらんくて、ほんとに好きなんやな、って分かるよ。
それと同時に、何で告らんとやろ、っても思う。あいつなら、もしかしたら、可能性あるかもしれんとに」
「葵衣も、言うんだよね。黎弥が幸せなら、それでいい、って」
「葵衣も?」
「うん。なんか、愛されとるよねー?黎弥ほんと、あいつにはもったいない!」
「今さっき、黎弥がモテるの分かる、っち言ったばっかやん」
「あはは、そうやった」
ザアァァッと大きな波音が聞こえてきて、風が強く吹く感覚を覚える。
夜の海は寒い。
そろそろ本格的な冬が訪れる。
「卒業してもさ、今までみたいに、みんなで集まろうね?」
ぽつりと希子が言った。
「黎弥と、葵衣と、私と颯太と。…それから、」
夏喜と北人。
希子はそう言いたかったのだろう。
俺に気を遣って、黎弥や葵衣と、これからも仲良くしよう、と言ったのだろうけど、希子の願いは多分一つ。
これからも以前みたいに、全員で、付き合い続けること。
でも今は、それが危うい関係になっている。
「…そうだね」
俺の願いも、希子と同じだ。
いつまでも、黎弥と、みんなと、これまでのような関係を築くこと。
それが揺るぐことはない。