「じゃあ、また明日ね」
「うん、また」
「バイバイ」
お互い手を振り合って、駅前で颯太と別れた。
結局颯太は、自転車に乗ることはなく、二人並行して駅まで歩いてきたのだ。
颯太は、男の子だけど、とても距離が近い。
話していて、気持ちが通じ合える時がよくある。
まるで、女の子と話しているみたいな。
駅の改札を潜ろうと、電子パスをカバンから出した時、見覚えのあるシルエットが見えた。
改札の手前にあるベンチ、そこに、背中を丸めて座っている。
あれは、よく知ってる人物だ。
昔からずっと私の傍にあるもの。
見間違えるはずがない。
黎弥だ。
立ち尽くしたまま、はぁ、とため息をつく。
するとその吐息が聞こえたようだ。
黎弥が顔を上げる。
私は、再び歩き出し、黎弥の傍まで行くと、声をかけた。
「何しよっと?もうすぐ電車来るやろ?帰らんと?」
「希子…」
珍しく、顔色に覇気がない。
何かあったのだろうか。
「どうした?何かあった?」
いつも明るくて太陽みたいな黎弥。
私の話を聞いてもらうことはよくあるけれど、こんな彼を見るのは久しぶりだ。
普段のお返し、とは言えないが、私もたまには聞き役に回ってやってもいい。
黎弥が立ち上がる。
私の目の前に立った黎弥は、頭を垂れて、やっぱり覇気がなかった。
その顔を、下から覗き込む。
「黎弥?」
「彼女に、振られた…」
「え…あぁ、そうなんだ。何で?」
あんなにラブラブだったのに。
「お前のせいやんけん」
「え、何でよ?」
「彼女が、お前のこと…一緒におっても、いっつもお前の話ばっかするって、言われて」
「はぁ?何それ?」
「俺が、いっつもお前の話ばっかしよるって」
「はぁー?私のせいにせんでくれん?」
「彼女に、私とその幼馴染みと、どっちが大事なんだ、って言われた」
「そんで、黎弥、何て答えたと?」
「そんなん、選べるわけないやんって」
はぁー、っとため息が漏れる。
「何でそこでお前の方が大事やって言わんとよ!?バカ!!」
「だって、俺にとっては、彼女も、希子も、友達みんなも、おんなじくらい大事やし」
「バカやねぇ、そんな時は嘘でもいいけん、お前が一番大事やって言うときゃいいっちゃん!ほんっと、嘘がつけない、単純バカっちゃけん!」
「お前に言われたくねぇ」
「早く行っといでよ、誤解だ、って。そんなん彼女のただのやきもちやんけん、ちゃんと話せば分かってくれるやろ?」
「でも…」
「なんやん!?こんだけ落ち込んどるっちゃけん、別れたくないっちゃろ?早く行きなよ!」
「…俺、希子のこと好きかも」
「は?」
「彼女に言われて分かった。無意識やったっちゃん。俺、お前の話ばっかしとるって。いっつも、お前のことばっかり考えよった」
「なん、言いよると…?」
「俺…希子のこと、中学ん時から…」
黎弥が私の目を見る。
垂れ目の愛らしい瞳なのに、どうしてか、今は鋭く見える。
怖い。
こんな黎弥を見るのは、初めてだ。
いや、一度だけある。
昔、あれは、いつだったか。
中学の時、一度だけ、黎弥が私に気持ちをぶつけてきた時。
ごくり、と喉が鳴る。
左足を半歩、引いた。このままいたら、私たちの関係がまたおかしなことになってしまう、そう感じた。
だけど、そう思った時にはもう遅くて、黎弥の手が私の後頭部まで伸びていた。ぐっと引き寄せられて、唇を奪われる。
「ちょ、やめ…」
両手で強く胸を押しやろうと思うけれど、背中も強く押さえ込まれていて、どうにも出来ない。
唇が少し緩んだ瞬間に、顔を引こうとしたが、後頭部もがっちりと捉えられている。
その隙に、舌まで侵入してきた。
「んんっ、」
やめてほしくて胸をどんどん叩きながら踠くけれど、黎弥の気持ちが昂っているのが分かった。
だから、抵抗するのをやめた。
しばらくすると落ち着いたのか、黎弥の両手が緩んだので、その隙をついて思いっきり突き飛ばした。
「バカッ!!」
小学生の時、お母さんに怒られてしょんぼり傷ついている時の黎弥のような、悲しい横顔があった。
でも、こっちだって怒っている。
まだ言ってやらないと気が済まない。
「彼女に振られてやけになってるからって、こんなことすんな!!」
黎弥がこっちを見る。
「別に、やけになっとるけんじゃない…俺は、マジで、希子のこと、」
「分かってる!!中学ん時は、私も、どうしたらいいか分からんくて、何も言わず黎弥から逃げた」
中学の時、一度だけ、黎弥から気持ちをぶつけられたことがある。
好きだって言われて、キスされた。
「あん時は、ごめん。でも私、黎弥とは、そういう関係になりたくない。黎弥のことは、好きだよ。大好き。でも、そういうんじゃないっちゃん。
黎弥だってそうやろ?私たち…」
黎弥の目を見て真剣に伝えていたら、彼の視線が私の向こう側にあることに気がついた。
どうしたのだろうと、私も振り向く。
ドキッとした。
そこには、颯太が立っていた。
なぜか、とても悲しくて、泣きそうな顔をしている。
傷ついて、今にも現実から逃げ出しそうな。
「颯太…」
呟くと、ようやく正気を取り戻したのか、颯太が後ずさった。
「颯太…もしかして、」
颯太の顔色が変わる。
今まで、どうして気付かなかったのだろう。
颯太の気持ち。
"好きな人がいる"
"希子が知ってる世界じゃない"
颯太はずっと、苦しんでいたんだ。
「颯太!」
何か言わなくちゃと思って叫んだら、彼は体を翻して、走って逃げてしまった。
自分に憤りを感じて、黎弥を振り向く。
「ねぇ!颯太何か誤解しちゃったかも!追いかけてよ!」
「はぁ?何で?別によかろうもん」
「でも…」
今私から颯太の気持ちを黎弥に言えるわけがない。
「颯太に…変に思われちゃったら…」
「明日、適当に言っとくけん、それでよかろう?」
「明日じゃダメだよ!だって颯太…」
今頃とうとう涙を流しているかもしれない。一人で。
「ねぇ、黎弥はさ、自分に嘘つけない人やろ?」
「は?なん?」
「彼女のこと、好きやけん付き合っとるっちゃないと?」
「そりゃ、…そうやけど、」
「中学のあん時は、私もまだ幼くて、どげんしたらいいか分からんかった。何も言わんで逃げてごめん。
中途半端やったけん、あん時の気持ちが、まだ残っとるような気がしとるだけやないと?
今は、彼女のこと本気で好きやったはずやろ?」
「でも…俺は、希子のことも」
「私だって好きだよ?黎弥のことは。大事に思っとる。でも、そういうんじゃない。今の関係、なくしたくないと思っとる。
黎弥だってそうやろ?
彼女のことは、それとは別に、大事やったっちゃないと?」
「そうやけど…」
「黎弥は相手のこと、本気で好きじゃなかったら、付き合ったりしとらんよね?」
黎弥の瞳を見つめる。
俯き加減の傷付いた表情が、だんだんと色味を増していくのが分かった。
訪れた沈黙が長い。
やがて黎弥がふぅ、と息を吐いた。
「やっぱり希子には敵わんな」
ほっとして、一気に緊張が溶ける。
「お前の言う通りかも。俺、もっかいちゃんと彼女と話してみるわ。やっぱりあいつのこと、大事やし、なくしたくない。
でもそれと同じように、希子のことも大事やけん。それは、分かって欲しい」
にこ、と頬が上がった。
「うん、私も。黎弥とは、ずっとこのままの関係でいたい」
「愚痴聞いてもらう相手おらんくなったら困るしな?」
「違うよ!それだけやないし」
「分かっとるよ。俺もたまには、話聞いてもらいたい時あるし。お互い様やん?」
「でもこういうことは、もうせんでね?」
「分かったよ、ごめんて。もうせん。お前のこと、押し倒したいとは、思わんしな」
「はぁ?何それ?ひどくない?」
「ちょっと女としての色気足りんし。夏喜、こういうのにマジで興奮すんのかな?理解出来んわ!」
「はぁー!?ムカつく!最低!!」
「つーか、マジで夏喜とどこまでいったと?」
「は?何それ?教えんし」
この間のキスを思い出して、また心臓が高鳴って、頬が熱くなる。
このところは、ずっとそうだ。
なっちゃんのことを思い出しては、胸がドキドキ高鳴る。
「なんや、顔赤くして。気持ち悪ッ」
「うるさい!つーか早く行けよ!彼女んとこ」
「分かっとるわ。ちょっと、行ってくる」
「はいはい」
「なぁ、希子?」
「うん?なん?」
「お前も、自分の気持ち、ちゃんと正直んなれよ?」
「は?どういうことよ?」
「さっきのお前の言葉、結構ガツンと来たわ!人のことだけじゃなくて、自分も、ちゃんとしろよ?」
「え?」
「じゃあ、行ってくる」
「うん。分かった」
黎弥が走り出す姿を見て、私も、大事な場所へと向かった。