あ、これ、希子好きそうだな。
ファーストフード店、季節の飲み物。
その、限定の新商品を見て、俺はそう思った。
俺の生活の中には、いつだってこんなにも希子が染み付いている。
つい流れのようにその飲み物を買って、俺は店を出た。
十二月の週末、いよいよ海風が冷たくなってきた。
海岸沿いを、あてもなく歩く。
希子は、今頃どうしているだろう。
最近は、こうして妄想の中で考えることが多くなった。
元気かな、何してるかな?笑ってるかな、
…夏喜の、隣で。
そんな風に。
教室にいても、授業中、ずっと希子のことを目線で追ってしまう。
その横顔は、以前より大人っぽく、きれいになった気がして、なんだか俺の心をざわつかせる。
夏喜の、せいなのかな、と。
最近切った前髪、少しだけ濃くなったメイク、変えたリップの色。
その全てが、夏喜の影響なのだとしたら、そんなことを考えると、居たたまれなくなる。
会いたい、声が聞きたい。
笑ってる姿が見たい。
俺の、前で。
切に、願う。
ザアァァッと強く風が吹いて、サイドに分けた前髪が揺れた。
伸びすぎたな、煩わしいな、そろそろ切らないと、そう思って掻き分けると、足を止めた。
目の前に、希子の姿があったからだ。
いや、幻か?
ついに、願望が幻になって出てくるほどまでに、俺の心は限界を迎えているのだろうか。
そう思ったけれど、十メートルほど先に立っている彼女は、確かに、希子本人だった。
にこ、と頬を丸くして笑う姿が以前と変わらない。
「希子」
「北…」
歩みを一歩ずつ進めると、少しずつ俺たちの距離は縮まる。
「何しよっと?」
先に聞いたのは、希子だった。
「兄貴と、そこのショッピングモール買い物来てて、今は、別行動中」
「あはは、そうなんだ。私も」
風が強すぎるのか、希子は流れてくる海岸沿いの方の髪の毛を抑えながら、そう答えた。
「あ、それ、」
手に持つさっき買ったばかりの季節限定のジュース、希子はそれを指差した。
「飲んだと?どうやった?」
「あ、うん。美味しかったよ」
「えー、そうなんだー、私も飲みたかったっちゃんねー」
やっぱり、と思った。
希子が好きそうだと思ってつい買ってしまった、とは言えない。
「ちょっと、飲んでみる?」
「いいと?」
「いいよ」
昔だったら、こんなの当たり前だった。
同じ飲み物を共有して一緒に飲む。
何度だってしてきた。
間接キスだなんて、今さら照れるような年齢でもない。
だけど、今はどうしてか、そう伝える言葉に、とても緊張した。
「はい」
渡す瞬間、お互いの指先が少しだけ触れ合った。
そんなことにも、いちいち心臓が反応する。
俺は、やっぱりどうしても、希子が好きみたいだ。
諦めることなんて出来ない。
夏喜になんか、渡したくない。
「おいしい」
ストローを咥えてジュッと飲み干した彼女は、目を丸くして答えた。
その後にはすぐに三日月みたいに細め、笑った。
かわいい。
「ありがと」
すぐにその飲み物は返却された。
どうしようか、と思う。
よかったら、少し話したい。
「あのさ、」
思い切って言った言葉は、裏返ってしまいそうだった。
ん?と希子が上目遣いでこちらを覗き込んでくる。
「時間、あると?」
「うん、お姉ちゃんからの連絡待ち」
「そっか…じゃあ、ちょっとあそこ、座らん?」
「うん」
希子は、何の疑いもないような、無邪気な笑顔を見せて、笑った。
大型ショッピングモールの裏手に、一つ道路を挟んで、その先は砂浜が広がる。
砂浜へ続く階段の手前に、コンクリートで作られたベンチがあるので、俺たちはそこに腰かけた。
「なんか、久しぶりやね」
人と話すときは体の向きを変えて、覗き込むようにして話しかける。
これは、希子の癖だ。
「うん」
「こうやって話すの。元気やった?」
「うん。元気やったよ」
「北人、進路決まったっちゃんね?」
「うん、希子も。おめでとう」
「ありがとう。北人は、こっちに残るとよね?」
「うん。希子は、福岡に行くと?」
夏喜も一緒に。
地元に残る俺とは、遠い場所に行ってしまう。
「うん。…なんかさ、最近みんなで遊んだりしとらんやん?ちょっと寂しいよね?」
「そやね。みんな進路落ち着いたし、そろそろなんかする?」
「うん!どっか行きたくない?」
「うん。そうやね」
「だってもうすぐ二学期終わるやん?三学期なったら、一月いっぱいくらいしか学校行かんでいいし、すぐ卒業しちゃうよ?」
「うん。あ、じゃあ、ファンタジアのイベントは?」
「え?」
「ほら、この辺出店もいっぱい出るし、夜は花火上がるし、希子、好きやろ?花火」
会話がすらすら出てきて、何だか、前のように戻ったみたいで、俺は、完全に浮かれていた。
それなのに。
「あ、でもその日は…」
「え?」
希子の表情が固い。
「もしかして、先約あった?」
「…ごめん」
夏喜だ。
直感的に、そう思った。
こういう勘は、大体当たる。
「そっか…」
「あ、でもそれ以外やったら!なんか、ほんとみんなでどっか行こうよ!放課後でもいいし、冬休みもあるし!
みんなで遊んでないと、やっぱ寂しいっていうか、ね?」
みんなで…
俺は、もうそんな仲間の一人になってしまっている。
希子と二人でいる世界は、もう訪れないということだろうか。
こんなに、希子が好きなのに。
夏喜なんかより、ずっと前から、俺の方が、好きだったのに。
夏喜なんかに、渡したくない。
その時、ピロピロピロ、とスマホの着信音が鳴り出した。
希子のスマホだ。
彼女が、上着のポケットからそれを取り出す。
「あ、お姉ちゃんだ」
画面を見て、そう言った。
「ごめん、そろそろ行かなきゃ」
じゃあね、と手を振り、体を返そうとする希子の腕を、ギュッと掴んだ。
「え…」
無意識だった。
まだ、離れたくない。
夏喜のところへなんか、行かせたくない。
強く吹く風の音で、消え入りそうな希子の声が聞こえる。
「北人?」
どうしたの?とでも言わんばかりだ。
スマホの着信音が止まる。
希子は、表情を変えない。
ザアァァッと波の音がする。
「…俺じゃ、ダメ?」
「え?」
時が、止まるんじゃないかと思った。
緊張と、強い想いと、波の音で。
「…いや、ごめん。何でもない」
掴んだままだった希子の腕を離した。
後悔してしまいそうなほど、情けない告白だったからだ。
波のせいで、希子には聞こえなかったかもしれない。
「なんて…言ったと?」
だとしたら、これは闇に葬ってしまいたい。
「いや、何でもない。ごめん、行って」
「言ってよ!…ちゃんと。ねぇ、北人!」
希子の瞳が、強く俺を見つめてくる。
好きだった瞳だ。
俺は、これを、失いたくない。
「希子が、好きだ。…ずっと、前から。夏喜よりよりも、俺の方が…」
「北…」
強い瞳がゆらゆら揺れて、どんどん悲しそうな色に変わっていった。
ダメだ、振られる、もう終わりだ、そう思った。
「遅いよ…」
希子はそう呟いた。
「今さら…もう、遅い…」
その通りだ、と思った。